二
K君の東京へ帰った
その晩は星も見えなかった。僕等は余り話もせずに人げのない砂浜を歩いて行った。砂浜には引地川の川口のあたりに
僕等は
そのうちにいつかO君は浪打ち際にしゃがんだまま、一本のマッチをともしていた。
「何をしているの?」
「何ってことはないけれど、………ちょっとこう火をつけただけでも、いろんなものが見えるでしょう?」
O君は肩越しに僕等を見上げ、半ばは妻に話しかけたりした。成程一本のマッチの火は
「やあ、気味が悪いなあ。土左衛門の足かと思った。」
それは半ば砂に
「昼間ほどの獲物はなかった
「獲物? ああ、あの札か? あんなものはざらにありはしない。」
僕等は絶え間ない浪の音を
「ここいらにもいろんなものがあるんだろうなあ。」
「もう一度マッチをつけて見ようか?」
「好いよ。………おや、鈴の
僕はちょっと耳を澄ました。それはこの頃の僕に多い錯覚かと思った為だった。が、実際鈴の音はどこかにしているのに違いなかった。僕はもう一度O君にも聞えるかどうか尋ねようとした。すると二三歩遅れていた妻は笑い声に僕等へ話しかけた。
「あたしの
しかし妻は振り返らずとも、
「あたしは今夜は子供になって木履をはいて歩いているんです。」
「奥さんの
O君もこう言って笑い出した。そのうちに妻は僕等に追いつき、三人一列になって歩いて行った。僕等は妻の
僕はO君にゆうべの夢を話した。それは或文化住宅の前にトラック自動車の運転手と話をしている夢だった。僕はその夢の中にも確かにこの運転手には会ったことがあると思っていた。が、どこで会ったものかは目の
「それがふと思い出して見ると、三四年前にたった一度談話筆記に来た婦人記者なんだがね。」
「じゃ女の運転手だったの?」
「いや、勿論男なんだよ。顔だけは
「そうだろうなあ。顔でも印象の強いやつは、………」
「けれども僕はその人の顔に興味も何もなかったんだがね。それだけに
「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるようなものだな。」
僕はこんなことを話しながら、偶然僕等の顔だけははっきり見えるのを発見した。しかし星明りさえ見えないことは前と少しも変らなかった。僕は又何か無気味になり、何度も空を仰いで見たりした。すると妻も気づいたと見え、まだ何とも言わないうちに僕の疑問に返事をした。
「砂のせいですね。そうでしょう?」
妻は
「そうらしいね。」
「砂と云うやつは
「いいえ、この間一度、――何だか青いものが見えたばかりですけれども。………」
「それだけですよ。きょう僕たちの見たのも。」
僕等は
「何だろう、あのネクタイ・ピンは?」
僕は小声にこう言った後、
「じゃおやすみなさい。」
「おやすみなさいまし。」
僕等は気軽にO君に別れ、松風の音の中を歩いて行った。その又松風の音の中には虫の声もかすかにまじっていた。
「おじいさんの金婚式はいつになるんでしょう?」
「おじいさん」と云うのは父のことだった。
「いつになるかな。………東京からバタはとどいているね?」
「バタはまだ。とどいているのはソウセェジだけ。」
そのうちに僕等は門の前へ――半開きになった門の前へ来ていた。
底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
親本:岩波書店刊「芥川龍之介全集」
1977(昭和52)年~1978(昭和53)年
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月24日公開
2004年3月9日修正
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