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安吾巷談(あんごこうだん)06 東京ジャングル探検


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 さて、いよいよ上野ジャングル探険記を語る順がまわってきた。四月十五日に探険して、それから一週間もすぎて、まだこの原稿にかかっているにはワケがある。
 私も上野ジャングルには茫然自失した。私がメンメンとわが不良の生涯を御披露に及んだのも、かかる不良なる人物すらも茫々然と自ら失う上野ジャングルを無言のうちに納得していただこうというコンタンだった。
 上野ジャングルに於て、私が目で見、耳できいた風物や言語音響を、いかに表現すべきかに迷ったのである。読者に不快、不潔感を与えずに表現しうるであろうか。そッくり書くと気の弱い読者は嘔吐感を催してねこんでしまうかも知れんが、その先に雑誌が発売禁止になってしまうよ。
 新宿交番が酔っ払い事件の応接にイトマなく、ただもうムヤミに忙しいのにくらべると、上野の杜の交番は四辺シンカンとしてシジマにみち、訪う人もなく、全然ノンビリしている。ノンビリせざるを得んのである。一足クラヤミの外へでて、ヤミに向って光をてらすと、百鬼夜行、ジャングル満山百鬼のウゴメキにみちている。処置がない。
 新宿は喧噪にみち、時に血まみれ事件が起っても、万人が酔えば自らも覚えのある世界であり、事件であって、我々自身の生活から距離のあるものではない。いつ我々が同じ事件にまきこまれるか知れないという心細さを感じるのである。
 上野は異国だ。我々が棲み生活する国から甚大の距離がある。何千里あるか知れないが、そこは完全な異国なのだ。
 天下の弥次馬をもって任じる私が、終戦以来一度も上野を訪れたことがないとはフシギだが、しかし私が見た上野はブラリとでかけて見聞できる上野ではない。ピストルをもった警官が案内してくれなければ、踏みこむことのできないジャングルなのである。
 私は上野を思うたびに、いつも思いだす人物があった。
 むかし、銀座裏に千代梅という飲み屋があった。ここにヤマさんという美少年の居候がいた。年は十八。左団次のお弟子の女形で、オヤマという言葉からヤマさんと愛称されていたが、水もしたたるような美少年だ。当人は自分を女優という。私は女優です、と云うのである。男の服装はしているが、心はまったく女であった。
 私はこのヤマさんに惚れられて、三年間、執念深くつきまとわれた。私は錯倒した性慾には無縁で、つきまとわれて困るばかりだ。
 しかしヤマさんという人物は実に愛すべき美徳をそなえ、歌舞伎という古い伝統の中で躾けられてきたのだから、義理人情にあつく、タシナミ深く、かりそめにもハシタないフルマイを見せない。
 私につきまとうにしても、歌舞伎の舞台の娘が一途に男をしたうと同じ有様で、思いつめているばかり、踊りや長唄などの稽古にかこつけて私を訪れて、キチンと坐って、芸道の話をしたり、きいたり、しかし時には深夜二時三時に自動車でのりつけて、私が出てみると、ただ悄然とうなだれていたりして、こういう時には困ったものだ。そんな時には、ずいぶんジャケンに叱りつけたり、追い返したり、時には私が酔っていて、ひどいイタズラをしたこともあった。
 深夜にやってきて、どうしても私から離れないから、男色癖のある九州男児をよびむかえ、私はそッとぬけだして青楼へ走ってしまった。そこから電話をかけてみると、ヤマさん受話器にしがみついて、殺されそうです、助けに来て下さい、まったく悪いイタズラをしたものだ。
 世の荒波にジッとたえて高貴な魂を失うことなく、千代梅の内儀に対しては忠義一途、人々に親切で思いやり深く、人柄としては世に稀れな少年だった。学問はなかったが、歌舞伎の芸できたえた教養があった。
 その後私が東京を去り、そのまま音信が絶えていたが、終戦二年目、私が小説を発表し住所が知れると一通の手紙をもらった。
 戦争中は自分のようなものまで徴用されてセンバン機などにとりつき、指も節くれてしまったが、それでもお国につくすことができたと満足している。今は誰それの一座におり、何々劇場に出演しているから、ぜひきていただきたい、と、なつかしさに溢れたつているような文面であった。
 一度劇場へ訪ねてみようと思いながら、それなりになっていた。
 そのうち、上野の杜だの男娼だのと騒がれるようになり、それにつけて思われるのはヤマさんだ。歌舞伎の下ッ端は元々生活が苦しかったものだが、終戦後は別して歌舞伎の経営不振で、お給金はタダのようなものだという。とても暮しがたたないとすれば、ほかに生活力のないヤマさんが自然やりそうなことは思いやられるのである。上野の杜のナンバーワン女形出身などゝいうと彼ではないかと気にかかり、男娼の写真がでゝいるなどゝきくと、わざわざ雑誌をかりたり取りよせたり、その中に彼がいないかと気がかりのせいなのである。彼の美貌というものは、当今騒がれている男娼ナンバーワンどころのものではなかった。水もしたたる色若衆であったのである。
 私は上野というとヤマさんを聯想する習慣だったが、実地に見た上野ジャングルというものは、なんと、なんと、水もしたたるヤマさんと相去ること何千万里、ここはまったく異国なのである。
 公園入口に百人ぐらいの人たちがむれている。男娼とパンパンだ。そんなところは、なんでもない。上野ジャングルはそんなところにはないのである。
 山下から都電が岐れて、一本は池の方へまがろうとするところに共同便所がある。
「あの便所がカキ屋の仕事場なんですよ」
 と私服の下にピストルを忍ばせた警官が指す。
「カキ屋?」
「つまり、masturbation をかかせるという指の商売、お客は主として中年以上の男です。この人がと思うような高位高官がくるものですよ。つかまえてみますとね、パンパンを買う常連の中にも、社会的地位のある人がかなりまぎれこんでいるんですよ」
 私たちは共同便所へとすすんだ。二十米ぐらいまでくると、シャガレ声で、
「カリコミイ――」
 と呻く声。
 巡査はパッと駈け寄って、懐中電燈一閃。カキ屋を捕えるためでなく、現場を我々に見せてくれるためだ。
 しかしカリコミを察知されたのが早かったので、便所の入口へ駈けつけた巡査が、懐中電燈で中を照しだした時には、七人の男がクモの子を散すように、逃げでる時であった。一瞬にして八方へ散る。ヨレヨレの国民服みたいなものをきた五十すぎのジイサン。三十五六の兵隊風の男。等々。いずれも街頭でクツをみがいているような人たちだが、共同便所の暗闇の中で、泥グツをみがくにふさわしい彼らの手で、一物をみがいてもらう趣味家はどんな人々なのか、まるで想像もつかない。
 「カキ屋の料金は五十円です」
 と、お巡りさんは教えてくれた。
 田川君と徳田潤君がつきそってくれたが、徳田君は社の帰りに一度は上野にたちよってちょッとぶらついてみないと心が充ち足りないという上野通であったが、かほどの通人にして、カキ屋の存在を知らなかった。つまり、公園入口にぶらぶらむれている百人あまりの男娼パンパンがいわゆる一般人士に名の知れたノガミで、共同便所から池の端の都電に沿うた一帯の暗黒地帯は、ピストルの護衛がないと、とても常人は踏みこめない。通人もふみこめない。ただイノチがけの大趣味家だけが、ふみこむのである。
 私はみなさんをそこへ御案内するわけだが、ピストルの護衛づきでも足がすくんだ。まア、しかし、可憐なところから、お話しよう。
 私たちを案内してくれた警官は天才的なほどカンの鋭い人だった。彼の五感はとぎすまされているようだ。私がまだ何の予感もないのに、彼がにわかにクラヤミの一点をパッとてらしだす。そこに確実に現場が展開されているのである。彼が失敗したのはカキ屋のときだけだった。
 彼はすれちがう女をてらしだした。ズックのカバンを肩にかけている。彼は無言で、カバンの中をあけさせた。
「この女はオシなんです。上野にはオシのパンパンが十二名いるのです」
 まるみのある顔、いかにもノンビリ、明るい顔だ。クッタクのない笑声。口と耳がダメなんだということを自分の指でさして示した。小ザッパリしたワンピース。清潔な感じである。
 カバンの中にはキチンと折りたたんだ何枚かの新しいタオル。紙。ハミガキ類がキレイに整頓してつめられている。ビタミンBの売薬と、サックがはいっている。
 上野が安住の地なのだ。ほかに生活の仕様がないのに相違ない。キレイ好きで整頓ずきの彼女は、しかしノンビリと、汚濁の上野に身をまかせている。ほかのパンパン男娼はむれていたが、彼女は一人で、まっくらなヒッソリしたジャングルのペーヴメントを歩いていた。まるでお嬢さんが一人ぽっちで銀座を歩いているように。巡査が懐中電燈を消すと、彼女はふりむいて、コツコツと静かな跫音あしおとで歩き去った。
 巡査はサッと身をひるがえして植え込みの中へ駈けこんだ。間髪をいれず我々が追う。サッと懐中電燈がてらしたところ、塀際で、男女が立って仕事をしている。光が消えた。この巡査は思いやりがあるのだ。カリコミではないから、女に逃げる余裕を与えているのだ。女は塀の向うへ逃げ去った。男は狐につままれたような顔でズボンのボタンをはめ忘れてボンヤリ立っている。
「いくらで買ったか?」
「二百円」
「よし、行けよ。ズボンのボタンをはめるぐらい、忘れるな」
 男が去った。すると、もう一人、義足の男がそれにつづいて、コツンコツンと義足の音を鳴らしながら立ち去って行く。どこにいたのだろう。そして、どういう男だろう。光で照らされた輪の中には、この男の姿は見えなかったのである。
 巡査はそれには目もくれず、足もとの地上をてらして見せた。ルイルイたる紙屑。
「戦場の跡ですよ」
 立ったまま仕事するほどの慌ただしさでも、紙は使うとみえる。五十ぐらい紙屑がちらかり、それがみんな真新しい。この一夜のものだ。クツでふむ勇気もなかった。
 尚もクラヤミのペーヴメントを歩いて行くと、歩道に二三十人の男女が立っているところがある。その三分の二はパンパンだが、男もまじっていて、お客でもなければ、男娼でもない。この道ぞいに掘立小屋をつくっている人たちで、パンパンの営業とある種の利害関係をもっている人種だ。
 巡査はその人群れの隅ッこで立ち停ったが群れに目をつけているのではなく、何か奥のクラヤミをうかがっている様子である。
 私たちも仕方がないから立ち止る。場所が悪いや。入れ代り立ち代りパンパンがさそいにくるし、みんな見ているし、薄気味わるいこと夥しい。たたずむこと、三四分。
 警官身をひるがえしてクラヤミへかけこむ。我々もひとかたまりに、それにつづく。
 我々の眼の前に懐中電燈の光の輪がパッとうつッた。掘立小屋だ。一坪もない小屋。天井も四辺もムシロなのだ。地面へジカにムシロをしいて、それが畳の代りである。
 ムシロの上に毛布一枚。そこに一対の男女がまさしく仕事の最中であった。仕事のかたわらに五ツぐらいの女の子がねむりこけている。
 私がそれを見たのを見届けると、警官は光を消して、
「男は立ち去ってよろし。女は仕度して出てこい」
 男がゴソゴソと這いだして去る。ちょッと又光でてらすと、女がズロースをはいたところだ。女はワンピースの服、ストッキングもそのまゝ、ズロースだけとって仕事していたのである。
 小屋の外のクラヤミに三十五六の女が茫然と立っている。田舎者じみた人の良さそうな女だ。赤ん坊をだいでいる。この女が掘立小屋の主なのである。仕事の横でねていたのはこの女の子供。だいているのはパンパンの子供。仕事中預ったのだ。一仕事につき五十円の間代。ムシロづくりの掘立小屋の住人は、パンパンから相当の小屋貸し科をかせいで、それで生活しているのである。
 天井もムシロだから雨が降ったら困るだろうと思ったが、葉のしげった樹木の下につくるから、それほどでもないということであった。
 でてきたパンパンは子供をだきとって、
「かんべんして下さいな。生活できないから、仕方ないんです。まだ、こんなこと、はじめたばかりなんです」
「嘘つけ。三年前から居るじゃないか」
「ええ、駅のあっち側でアオカンやってたけど、悪いと思ってね、よしたんです。そして、たかッてたんです。だけど、子供が生れたでしょう。タカリじゃ暮せないから、仕方なしに、やるようになったんですよ」
 たかッていた、というのは、モライをしていたという意味だ。光の中で見ると、二十三四、美人じゃないが、素直らしい女で、痛々しい感じだ。
 アオカンだの、植え込みの蔭で立ったままだの良くても掘立小屋という柄の悪いこと随一の上野だが、それだけに、ここのパンパンはグズで素直で人が好くて、三日やるとやめられないという乞食のようにノンビリしたところがあるのかも知れない。
「今日だけはカンベンして下さい。まだお金ももらわなかったんです」
「よし、よし。今日はカンベンしてやる。しかし、な」
 巡査は私に目顔で何かききたいことがあったらと知らせたが、私はききたいこともなかった。
 私たちがそこを離れると、二十人ぐらいの群が私たちをとりまいて、グルグル廻りながら一しょに歩いてくる。
 さては、来たな、と私はスワと云えば囲みを破って逃げる要心していると、いつのまにか囲みがとけて、彼らは、私たちから離れていた。
 弁天様の前の公園へでる。洋装の女に化けた男娼が巡査と見てとって、
「アラ、旦那ア」
 と、からかって、逃げる。うしろの方から、
「旦那のアレ、かたいわね。ヒッヒッヒ」
 大きな声でからかってくる。
 ベンチにパンパンがならんでいて、
「ヤーイ。ヤーイ。昨日は、御苦労様ア」
 と、ひやかす。昨日、一斉カリコミをやったのである。それをうまくズラかった連中らしい。声をそろえて、ひやかす。行く先々、まだ近づかぬうちから、みんな巡査の一行と知っている。
 私はふと気がついた。私たちは四人づれだったが、いつのまにか、五人づれになっているのだ。スルスルと囲みがとけたとき、そのときから、実は人間が一人ふえていたのである。クラヤミだから定かではないが、二十二三の若者らしい。私たちが立ち止ると、彼も一しょに立ちどまる。
 クラヤミのベンチに五六人のパンパンが腰かけたり、立ったり、あつまっている。その前に和服の着流しの男が立っていて、
「ぼくはねえ、人生の落伍者でねえ」
 パンパンと仲よくお喋りしている。三十ちかい年配らしい。学者くずれというような様子、本郷辺から毎晩ここへ散歩にきて、パンパンと話しこむのが道楽という様子である。
 趣味家がいるのだ。イノチをかけても趣味を行うという勇者も相当いるのである。世の中は広大なものだ。かかる趣味家の存在によって、上野ジャングルの動物は生活して行くことができる。
 このジャングルの住人たちは、趣味家を大事にする。お金をゆすったり、危害を加えたりしない。彼らが来てくれないと、自分の生活が成り立たなくなるからだ。新宿のアンチャンは自分のジャングルへくるお客からはぎとるが、このジャングルはクラヤミで、凄愴の気がみなぎっているが、訪う趣味家はむしろ無難だ。
 上野で危害をうけるのはアベックだそうだ。アベックはジャングルを荒すばかりで、一文のタシにもならないからだ。それにしても音に名高い上野の杜でランデブーするとは無茶な恋人同志があるものだが、常にそれが絶えないというから、やっぱり世の中は広大だ。
 上野ジャングルの夜景について、これ以上書く必要はないだろう。私が書いたのは夜景の一部にすぎないが、いくら書いても同じことだ。懐中電燈がパッと光ると、そこには必ずアレが行われているのだから。音もなく、光もなく。地上で、木の蔭で、塀際で。どこででも。
 新宿の交番は多忙で、酔っ払いをめぐる事件の応接にテンテコマイをつづける。ところが上野の交番ときては、訪う人もなく、通りかかる人もない。夜間通行禁止だからである。そして交番は全然平和でノンビリしている。
 しかし、もしも一足交番をでて懐中電燈をてらすなら、これ又、応接にイトマもない。とてもキリがないことになるから、ジャングルのシジマをソッとしておいて、より大いなる事件の突発にそなえているというわけだ。
 しかし上野ジャングルの平和さから我々は一つの教訓を知ることができる。上野ジャングルの構成までには、ヤクザの組織、ヤクザ的ボスの手が殆ど加えられていない。
 戦争の自然発生的な男女の落武者が、ジャングルに雑居してしまっただけだ。上野は異国であり、我々の生活から遠く離れたジャングルであるが、そして百鬼うごめく夜景にもかかわらず、百鬼のおのずからの自治によって、概して平穏だ。満山クラヤミながら、概して平穏なのである。ボスの手が加わらず、ボスの落武者もいないからだ。
 家もなく、又はムシロの小屋にすみ、自らのすむクラヤミのジャングルを平和にたもつ異国人こそ、悲しく、痛々しく、可憐ではないか。私は彼らを愛す。彼らの仕事には目をそむけずにいられないが、彼らはたぶん私よりも善良かも知れない。あのヤマさんがそうであったように。
 上野ジャングルの夜景には、まさにドギモもぬかれたが、目を覆いたい不潔さにも拘らず、ひるがえって思えば、一抹の清涼なものを感じられる。彼らが人を恨まず、自らの定めに安んじ、小さく安らかにムシロの小屋をまもり、ジャングルの平和をまもっているからだ。
 わがジャングルで金をゆすり衣服をはぎ血を流している他の盛り場のアンチャンは下の下だ。精神的には、この方が異国人に相違ない。焼跡の多くがまだ復興していないのだから、ジャングルが残っているのは仕方がないが、上野ジャングルの方は当分ソッとしておいてやっても、我々と没交渉でもあり、どこか切ないイジラシサもあるではないか。匆々そうそうたたきつぶす必要のあるのはボスとボスのつくった盛り場の組織と、アンチャンの存在だ。





底本:「坂口安吾全集 08」筑摩書房
   1998(平成10)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二八巻第七号」
   1950(昭和25)年6月1日発行
初出:「文藝春秋 第二八巻第七号」
   1950(昭和25)年6月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年1月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」は「/\」で表しました。

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