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安吾巷談(あんごこうだん)12 巷談師退場

底本: 坂口安吾全集 08
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1998(平成10)年9月20日
入力に使用: 1998(平成10)年9月20日初版第1刷
校正に使用: 1998(平成10)年9月20日初版第1刷

底本の親本: 文藝春秋 第二八巻第一六号
初版発行日: 1950(昭和25)年12月1日

 

巷談の十二は「京の夢、大阪の夢」京都大阪をひやかしてスゴロクの上りにしようという予定であった。春のうちからこの上りだけはきまっていて、国内航空路が年内に開通するかも知れんという新聞記事などを見るにつけて、京大阪へ空から乗りつけてやろうなどと内々ハリキッていたのである。
 浮世はままならぬもので、連載の新聞小説チチとしてはかどらず、ようやく筆をおいたのが十月十七日午前九時半。京大阪へでかける時間がなくなっていた。第一、疲れていましたよ。半年の悪戦苦闘。別に新聞小説というものと悪戦苦闘したわけではなくて、毎日毎日、来る日も来る日も実にキチョウメンに二十四時間しかないときまっている天文暦日の怪と争ったのである。日本の新聞小説というものを書いていると、「二十五時」などゝシャレることはコンリンザイできません。毎日毎日が二十四時間しかないという怖しいキチョウメンさが骨身に徹するのである。
 この半年というもの、二十四時間という怨霊が、ねてもさめても私の肩にガッシリとしがみついていた。この怨霊から解放された数日間の空白状態というものは、奇妙なものだ。時を同うして一万何千名の御歴々がパージから解放され、解放旋風というものが吹きまくっていたようだ。ずいぶん日本の酒が減ったろうな。一万何千名の御歴々をとりまいて、十万人ぐらいの御歴々が毎日毎晩旋風と化していたのだから。この大嵐の中では、僕などは微々たるソヨ風、第一、半年間二十四時の怨霊に痛められた肉体というものは、旋風と化するほどの酒をうけつけてくれません。胃袋は火星人なみに弱化していたのである。一週間ほどコンコンとねむりました。ネムリ薬ものまず、さしたる酒ものまず、ただコンコンとねむり、時に街を歩く。街がまったく生れ変っていた。映画館が私をまねく。思えば、そういう物と絶縁されていた半年であった。
 新聞小説チチとして進まず、とても京大阪へでかけられないと分ったのは先月のことで、幸い静岡市に浅草の観音様、一寸八分の御本尊の開帳があるという。人に見せたことがないという秘仏を、所もあろうに、浅草ならぬ静岡で開帳するというのが珍であるから、そこは巷談師の心眼、これ見のがしてなるべからず、これを巷談の上りに借用しようという予定をたてた。この開帳が十月十四日から十七日までだ。新聞小説の筆をおいたのが、十月十七日午前九時半。私は筆を投じると、
「アンマ!」
 こう叫んだだけである。全身が強直ごうちよくした丸太であった。けだし二十四時の怨霊がガッシと肩にしがみついていたせいなのである。
 しかし、この苦しい半年の間にも、巷談師としての数日は、毎月たのしかった。どうも、巷談というものは、私に最も身についた遊びのようである。しかし、巷談は、もともと随筆だ。事あるに応じて筆をとるべきもので、これを毎月必ず、ということになると、やはりムリをするようになる。
 私は巷談でぜひとりあげてみたいと思っていたことが二三あった。
 一つは邪教の問題。邪教といっても、教祖と狂信者とのツナガリには、ある種の実効(たとえば病気が治るというような)がたしかに在るには相違ないその実際と限界を突きとめてみたいということであった。
 ある席で、お光り様が一間も二間も離れたところから手をかざして病人を治すという、そういうことが、ある種の人々に対しては真に可能であるか、という話がでたとき、同席していた呉清源九段が、私もある期間その力が具わって人の病気を治し得たことがあった、と語った。
 彼の話は真実であるに相違ない。しかし、治す人と治される人には相対的なツナガリが必要で、万人向きのものではないにきまっているし、呉氏が人の病気を治し得たのも「ある期間」に限られていたのである。
 手をかざして人の病気を治し得た彼は、同様な方法で、他人から自分の病気を治してもらうことのできる人であろう。
 ひるがえって私自身を考えると、私はいかなる時期に於ても、手をかざして人の病気を治すような能力があろうとは考えられず、又、同様に、人から病気を治してもらう能力も持っているとは思われない。
 そういう実験の一つとして、私は催眠術の先生のところへ他流試合に行って、催眠術が私にかかるかどうか試合をしてみようかと考えたこともあった。又、その先生が他の人を催眠術にかける秘伝を見破って、私が誰かを(できれば催眠術の先生を)術にかけることができるかどうか、試みたいとも思った。
 私は二十四五年前に、催眠術のことを多少しらべたことがあった。というのは、私の中学時代の級友に山口という男があって、先日岩田豊雄さんに会ったときこの男の話をしたら、記憶しておられたが、岩田さんや岸田さんなどがやっていた新劇の研究生だ。今、某誌の編輯者をしている橋本晴介君などの同門同輩なのである。小林秀雄の妹が同じように研究生であった。
 この山口は小石川白山下に門戸をはる白眼学舎、小西某という占師の甥で、この占師の家に寄食していた。私は中学時代によくここへ遊びに行って、占師というものの生態に興味をもつようになった。白眼学舎は占師の中ではインテリで、早稲田の卒業生、沢正さわしょうと同級生であった。私はフランス語がよめるようになると、白眼学舎からフランスの占術の本をかりて、よんだ。占術の研究、特に骨相、手相などの研究が、西欧ではフランスが本場なのだそうだ。
 しかし、要するに占術というものは、占う術の公式の中に秘奥があるわけではないようだ。易のにしてもそうだ、ゼイ竹をくって卦をみる。その卦になんとか然るべき運勢の判断がでているわけだが、実際は易者の判断次第で、どうにでも理窟のつくシロモノなのである。
 したがって、易者が催眠術者の状態になりきり、相手が被術者の状態になりきっていると、時に妙な的中率を示すようなことが起りうるかも知れない。ゼイ竹をくったり、カードを並べたりするのは、催眠術者、又はミコのような精神状態に自分を持って行く方法の一つであるかも知れない。
 けれども、一般に、易者というものは、もっと安易である。そして、現実的である。彼らは、妄者の顔や人柄から判じ、最大公約数的な質問や判断で狭めていって、一応の的中率を示す方法を心得ている。
 私は検事の訊問などにも、易者と同じような最大公約数的な設問法がとりいれられているムキがあるような気がする。時に被告が検事の催眠術にかかったなどといいがちなのは、被告の弱点を最大公約数的につくので、両者の焦点がずれていても、ぬきさしならぬような結論がでてくることが有りがちではないかと思うのである。
 これは医者が患者を診察する場合にも起り易い現象だ。ここが痛みますか、とか、じゃア、ここを押すとこんな風じゃありませんか、というような訊き方が、最大公約数的に適中していても、真実からはズレている場合が起り易いと思われるのである。私は医師、特に内科の診断を乞う場合、診断をうけながら、甚しくその不安を感じるのが例である。医師がある種の予期をもつ場合、患者はそれに対して敏感であり、その結果として不安をもつ者と、同化する者と二つの型がありうるのかも知れない。そして同化する型が、催眠術的な関係に類似するように思われる。又、町医者などには、催眠術的な説得法を診察にとりいれている例が少くはない。私自身はその方法に不安を感じ、そういう医師から遠ざかるのが例であるが、人によってはそれが効き目を現すかも知れないから、一概に否定することはできない。
 邪教の要素というものは、一見健全な実生活に於ても活用せられて、怪しまれずに通用していることが多いものだ。三流の教祖のような低脳な大臣もいる。学者もいる。
 特に私が邪教に関聯して思うことは、先にも述べたが、検事の訊問とか、判事の判決とか、法律上のことで、法の運用というものは、最も常識的で、健全でなければならないものだ。けれども、易者的、町医者的な、予期や、牽強附会から絶縁するということは、なかなか人間の為しがたいところである。しかし、法を運用する者は、自分が「ナマ」の人間であってはならぬこと、感情なく、ただ過不足なく判断する機械のようなものだということを忘れて仕事に当ってはいけないだろう。邪教的な要素と最も絶縁されたものでなければならないのである。
「チャタレイ夫人の恋人」を告発した検事長なる人の言説を見ると、すでに感情的であるだけでも、法を運用する者としては落第していると私は思った。感情というものは、目隠しするもので、広い視野を失し、中正を失するものだ。仕事の上の説話に当ってこういう感情的な表現や放言をするようでは、法律家の資格はない。これが「長」と名のつく法の運用者であるから、なさけない。伊藤整の方が、よほど冷静で中正を失くしていない。法に対処した態度に於て、アベコベの結果を見せている。「チャタレイ夫人の恋人」がいかように裁かれるにしても、告発者の感情的な態度は、法律によっては許されても、人間によっては許されないものと知るべきであろう。
 私は法を運用する人々は最も邪教の要素から絶縁される必要があると思うから、法の運用にからまる邪教的な要素というものが、甚しく気にかかる。そして、その観点から、検事の訊問ぶりや、論告や、判事の判決の具体的な例をとって、巷談で扱ってみたいということも考えていた。けれども検事の訊問というものは、垣間見るわけにもいかないから、適切な例を知ることができない。
 犯罪というものは、ぬきさしならぬ物的証拠をあげるということが却々なかなかできないもののようだ。いきおい状況判断によって裁判せざるを得なくなる場合が多いようだ。物的証拠があがらなければ無罪放免という公式論を一概にふりまわすわけにはいくまい。
 しかし状況判断ということになると、易者や町医者の鑑定ぶりに近づくことになるから、巷談師が気がかりになるのである。
 民事裁判の場合などでも、原告被告の人柄とか、判事の私生活との類似とかというようなことから、微妙な傾斜が起りはじめる危険がありそうに思われる。人間である限り、最善をつくしたツモリでも、誤審はさけがたいに相違ない。巷談師は、そういう例を、法律的にではなく、人間的に観察してみたいと考えていたのである。しかし、それは記事を見ただけでは分らない。訊問の現場や法廷に居て逐一見物した上でないとダメであるから、無性者の巷談師には実現不可能であった。三鷹事件などは特に見たかったのだが、あんなにシバシバ法廷がひらかれるのでは、田舎住いの私には、とてもコマメに通勤ができない。だから、本当にやってみたいと思ったことは、永久にやれそうもない運命にある。なぜなら、持って生れた無性者の根性がなおる見込みはないからである。

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