您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 坂口 安吾 >> 正文
石の思ひ(いしのおもい)


          ★

 私の冷めたさの中には、父の冷めたさの外に母からの冷めたさがあつた。私の母方は吉田といふ大地主で、この一族は私にもつながるユダヤ的な鷲鼻をもち、母の兄は眼が青かつた。母の兄はまつたくユダヤの顔で、日本民族の何物にも似てゐなかつた。この鷲鼻の目の青い老人は十歳ぐらゐの私をギラ/\した目でなめるやうに擦り寄つてきて、お前はな、とんでもなく偉くなるかも知れないがな、とんでもなく悪党になるかも知れんぞ、とんでもない悪党に、な、と言つた。私はその薄気味悪さを呪文のやうに覚えてゐる。
 私の母は継娘に殺されようとし、又、持病で時々死の恐怖をのぞき、私の子供の頃は死と争つてヒステリーとなり全く死を怖れてゐる女であつたが、年老いて、私と和解して後は凡そ死を平然と待ちかまへてゐる太々ふてぶてしい老婆であつた。私には死を突き放した太々しさは微塵もなく、凡そ死を怖れる小心だけが全部の私の思ひなのだが、私は然し、母から私へつながつてゐる異常な冷めたさを知つてゐる。
 私の母は凡そ首尾一貫しない女で、非常にケチなくせに非常に豪放で、一銭を惜しむくせに人にポン/\物をやり、一枚の瀬戸物を惜しむ反面、全部の瀬戸物をみんな捨てゝ突然新調したりする、移り気とも違ひ、気分屋とも違ふ、惜しむ時と捨てる時と心につながりがないので、惜しむ時はケチで、捨てる時は豪快で、その両方を関係させずに平然としてゐられる女であつた。人に気前よく物を呉れてやる時にも別に相手の人に愛情はないので、それはそれだけで切り離されてをり、二度目を当にしてももう連絡はないので、今度はひどくケチな反面を見せられてウンザリさせられたりするのである。人のことなど考へてやしないのだ。何でも当然と思つて受け入れる。どうでもいゝやと底で思ひ決してゐるからで、凡そ根柢的に冷めたい人であつた。私の家には書生がたくさんゐた。今は社長だの重役だの市長だの将軍だのになつてゐるが、みんな親父の人柄はのみこめても、母の人柄は今でも怪物のやうにわけが分らなく思つてゐる。本当は微塵も甘さがない。そのくせ疑ることも知らない。なんでもそのまゝ受け入れる。
 かういふ茫洋たる女だからめつたに思ひつめて憎んだりしないが、二人の継娘と私のことだけは憎んだので、かういふ女に憎まれては、子供の私がほと/\難渋したのは当然であり、私は小学校のときから、家出をしようか自殺しようか、何度も迷つたことがあつた。私が本来ヒネクレた上にもヒネクレたのは当然で、私は小学校の時から一文の金も貰へず何も買つて貰へないので、盗みを覚えた。中学へ行つても一文の小遣ひも貰へない。私は物を持ちだして売り、何でも通帳で買つてヂャン/\人にやつた。欲しくない物まで買つた。私が使ふ為でなく人にやるためだ。人に物をやるのは人に愛されたい為ではなく、母を嘆かせるためで、母に対する反抗からであつた。したがつて、私の胸の真実は常にはりさけるやうであつた。
 私は小学校の時から近眼であつたが、中学へはいつたときは眼鏡なしでは最前列へでても黒板の字が見えない。私の母は眼鏡を買つてくれなかつた。私は眼が見えなくて英語も数学も分らなくなり、その真相が見破られるのが羞しくて、学校を休むやうになつた。やうやく眼鏡を買つて貰へたので天にも昇る心持で今度は大いに勉強しようと思つたのに、私が又不注意でどういふわけだか黒眼鏡を買つてしまつたのだ。私は決して黒眼鏡を買つたつもりではないので、こればかりは今もつて分らない。多分眼鏡屋が間違へたのだと思ふ。私は黒眼鏡だとは知らずにかけて学校へ行つた。友達がめづらしがつてひつたくり買つたその日、眼鏡がこはれてしまつた。
 元より私は再び買つてもらへる筈がないのは分りきつてをり、幸ひ、黒眼鏡であつた為友人達は元々私は目が悪くないのに伊達でかけてきたのだらうと考へて、翌日から眼鏡なしでも買つて貰へないせゐだと思はれないのが幸せであつた。私は仕方がないので本格的に学校を休んで、毎日々々海の松林でねころんでゐた。そして私は落第した。然し私は学校を休んでゐても別に落第する必要はなかつたのだ。私は然し母を嘆かせ苦しめ反抗せずにゐられないので、わざ/\答案に白紙をだしたのである。先生が紙をくばる。くばり終ると私は特に跫音あしおと高く道化た笑ひを浮べて白紙の答案をだす。みんな笑ふ。私は英雄のやうな気取つた様子でアバヨと外へ出て行くが、私の胸は切なさで破れないのが不思議であつた。
 私が落第したので私の家では私に家庭教師をつけた。医科大学の秀才で、金野巌といふ人で、盛岡の人であつた。然し、私が眼鏡がなくて黒板の字が見えないから学校へ行かないといふことは金野先生も知らないし、意地つ張りで見栄坊の私はそれを白状することが出来ないので、相変らず毎日学校を休み、天気の良い日は海の松林で、雨の日は学校の横手のパン屋の二階でねころんでゐた。そして学校を追ひだされたのである。そして私は東京の中学へ入学したが、母と別れることができる喜びで、そして、たぶん東京では眼鏡を買ふことができ、勉強することが出来る喜びで、希望にかゞやいてゐた。私は然し母と別れてのち母を世の誰よりも愛してゐることを知つた。

上一页  [1] [2] [3] [4] [5] 下一页  尾页

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

发表评论】【加入收藏】【告诉好友】【打印此文】【关闭窗口

相关文章

私は海をだきしめてゐたい(わたしはうみをだきしめていたい)
我が人生観(わがじんせいかん)08 (八)安吾風流譚
我が人生観(わがじんせいかん)07 (七)芥川賞殺人犯人
我が人生観(わがじんせいかん)06 (六)日大ギャング
我が人生観(わがじんせいかん)05 (五)国宝焼亡結構論
我が人生観(わがじんせいかん)04 (四)孤独と好色
我が人生観(わがじんせいかん)03 (三)私の役割
我が人生観(わがじんせいかん)02 (二)俗悪の発見
我が人生観(わがじんせいかん)01 (一)生れなかった子供
狼園(ろうえん)
老嫗面(ろううめん)
流浪の追憶(るろうのついおく)
夜長姫と耳男(よながひめとみみお)
欲望について(よくぼうについて)
由起しげ子よエゴイストになれ(ゆきしげこよエゴイストになれ)
幽霊と文学(ゆうれいとぶんがく)
矢田津世子宛書簡(やだつせこあてしょかん)
模範少年に疑義あり(もはんしょうねんにぎぎあり)
未来のために(みらいのために)
水鳥亭(みずとりてい)
街はふるさと(まちはふるさと)
牧野さんの死(まきのさんのし)
牧野さんの祭典によせて(まきのさんのさいてんによせて)
本郷の並木道(ほんごうのなみきみち)
勉強記(べんきょうき)