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このニコヨンというものが生活戦線の最低線のように考えられているが、すぐにニコヨンはもらえないものだそうだ。窓口に並んではじめの一ヵ月はニコマルと称し二百円しかもらえない。二ヵ月目か三ヵ月目にやっとニコヨンちょうだいできる定めだそうで、アブレればそれまで、これだけで一家は支えられない。女房が子供の世話をみながら内職してどうやらその日その日をくらすことができた。
虎二郎がニコヨンになって何事に最も苦しんだかというと、新聞がよめないことだ。新聞を購読する金は彼にもないが、相棒のニコヨンにもない。新聞が読めない時はどうするかという人生案内の指南をあおぐわけにもいかないので、ハタとこまった。
「なア、お竹。物は相談だが、お前、新聞配達にならねえか」
「あれは子供のアルバイトだよ。いくらにもなりゃしないよ」
「それじゃア、ウチのガキを」
「まだ六ツじゃないか」
「六ツじゃいけねえかなア。それじゃア……」
と言葉をきったが、それじゃア仕方がないとあきらめたワケではない。それじゃア一ツ拙者がなろうと考えたのである。ニコヨンにまで落ちぶれて貧乏のあげく人生案内を読むことも書くこともできなくては生きているカイがない。そこで彼は新聞の販売店へでかけて行った。販売店のオヤジは世の中には物の道理の分らない奴がいるものだとつくづく呆れたのである。
「新聞配達は子供のアルバイトだよ」
「大人の配達だって、ないわけじゃアなかろう」
「東京のように広い区域があってだな。どこのウチも新聞をよんで、新規に別の新聞も読みたいような心得の人間がウジャ/\いるところには大人の配達もいるかも知らねえ。オレんところなんざア、できれば犬に配達させたいと思ってるんだ」
「いいんだよ。つまりオレを大人と思うからいけねえ。オレを子供と思いなよ」
「給料をきいておどろくな。一時間が十円、三十分以下は切りすてだから、朝晩二十円ずつだぜ。田舎のガキにしちゃア高給だが、やっぱり志願者は少い方だ」
「一日四十円か。一ヵ月が千二百円。アブレないから確実だなア。どうだろうね。オレは日に十五時間配達するから百五十円ずつくれねえかなア」
「朝晩の定まった時間内にキチンと配達するから新聞てえんだ」
「どうも、こまったな。じゃア、こうしよう。夜の八時に毎日ここへくるから、諸新聞を読ましてもらいてえな」
「オレの店は新聞を売る店だ。タダで新聞を読まれちゃ商売にならねえや。タダで見せてくれるウチを探してよめ」
人生案内が読めなくては書くハリアイもない。石にかじりついても新聞を購読できるような身分にならなくちゃいけないと思ったが、そんな遠大なことを考えたって、この差し当っての悩みは救われない。
彼はつくづく世の定めを呪いまた嘆いたのである。人生の実際の悩みというものは、どうも筆にならない性質のものらしい。人生案内へ投書するために新聞が読みたいのであるが貧乏で買うことができない。新聞販売店のオヤジは自分が日に十五時間働くと云っても雇ってくれない。この悩みを解決して下さいと書けばこれは偽らぬ煩悶であるが、こんなくだらない悩みは書きたくない。しかし、くだらない悩みとはまことにもってのほかで、自分にとってはカケガエのない切ない悩みであるが、投書家の見識をもってすれば確かにくだらぬ悩みであるから仕方がない。紅血や熱涙したたるような大物でなければならないものだ。
「なア、お竹。物は相談だが、お前、料理店へ奉公しねえかなア。ハリ紙を見たから聞いてみたんだが、これは一流の料理店だ。何百人も宴会できる大広間からコヂンマリした四畳半まで何十と部屋のある大店だ。通いでも住み込みでも三度の食事は店でたべて衣裳ももらって給料は五千円。ほかにチップがあるから一万円ぐらいになるそうだ。とにかく人間は貧乏じゃアいけねえ。金をもうける工夫をして、そのまた上にも工夫をして着々ともうけなくちゃアいけねえな。そうだろう」
「子供の世話を見ることができないじゃないか」
「それはオレがみるとしよう」
「じゃアお前さんは働かないつもりかい」
「イヤ。そうじゃない。子供の面倒を見ながら内職をやる。お前の内職は、なんだ」
「目の前でやってるじゃないか。針仕事だよ」
「そういうこまかいものはいけない。オレの考えでは、子供をつれて川なぞへ行って、魚をつる。ヤマメやアユならいい金になる。雨がふっても、アブレるときまったものではない」
「私が働いて一万円になる口があるなら結構な話だけどさ。大の男がウチでブラブラして子供の食べ物や小便の面倒まで見るのはあさましい図だよ。ニコヨンでもお前さんが働いてる方が世間の人にもテイサイがいいよ」
「お前が働いてなにがしの資本ができてしかる後にオレが商売でもはじめるようになればテイサイは立派なものだ。テイサイてえものは後々の物だよ。今はテイサイなんぞ云ってられやしないよ。なんでもいいから、もうけることをやらなくちゃアいけない」
「先様で使ってくれるなら働かないものでもないよ。私だって貧乏はウンザリしてるよ」
「それでなくちゃアいけねえ。これを人生案内てえんだ。人生のこういう時にはこういうものだということを、天下にオレぐらい深く心得ている人物はめッたにいやしない。ずッとそれを研究してきたカイがあった。オレが人生案内してやるから親舟にのった気持でオレにまかしときゃアいいんだよ」
お竹は以前食堂に働いていた女である。支那ソバを売りこみに出入りしていた虎二郎に見染められて一しょになったが、当時は虎二郎の支那ソバも全盛時代で、お竹にしてもこの人ならと当時は思ったのである。お竹はちょッと渋皮のむけた女だ。虎二郎とは十も年がちがってまだ二十八。ちょッとつくれば相当見られる女であるから、当人の身にしても、この貧乏ぐらしでこのまま老いこむのは残念な気持はつよい。
料理店へ願いでてみると、三日間のお目見得ののち、上々の首尾でめでたく採用ということになった。
人生案内(じんせいあんない)
作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语
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