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我が人生観(わがじんせいかん)03 (三)私の役割


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 私は、弟子というのも好きではない。私は誰の弟子でもなかったが、誰の先生になりたいとも思わない。
 第一、弟子というものが、先生に似たら、もう、落第だ。半人前にもなれやしない。自分に似たものを見るのは、つらい。
 しかし、芥川賞の選者をひきうけてから、責任を感じているので、なるべく同人雑誌に目を通すだけの殊勝な心を起すようになった。私が人のためにしてあげられることは、それだけだ、と、なさけない限度を心得ているからである。
 芥川賞の委員会で、佐藤春夫さん、岸田国士さんの選者ぶりが、一番私にはおもしろい。お二人ともリリックな、その作品の幅は狭い方々だが、選者としての目が非常にひろいのが、好ましいのである。佐藤さんの弟子はたいがい先生に似ておらず、非常に雑多であるが、選者としての佐藤さんも、まことに不偏不党、目がひろい。
 岸田さんときては、いつの委員会でも、みんなうまい、実に小説が上手だ、どれといって、実に、こまった、と云って、常にことごとく感心して選ぶのに悩みぬいていらッしゃる。素質ある芸術家は、他人のどんな小さな素質にも感心するのが当然で、岸田さんの素質のすぐれていることを証しているのだろうと私は思う。
 芥川賞にはもれても、立派な素質がある人は世間の目にもれないようにしてやりたい、ということ、それだけの義務はつくしてあげたいということは、ハッキリ考えているのだから、弟子になりたいなどと私のところへ押しかけてくる必要は毛頭ないのだ。弟子である必要はない。よい作品を書く人を世にだすことは、私のささやかな仕事の一つと思っているから。私は弟子を愛さない。よい素質とよい作品を愛すだけだ。
 私のところへ原稿を送ってよこして、批評をサイソクするのも、やめなさい。返事がなければ、落第だと思うべし。しかし、私に会いに来たもうな。すでに書いたように、私は人に会いたくないのだ。会っても、なんの役にたつような教師の資格をもった人間でもない。私から学びたければ、私の書いたものをよんで、自分勝手に会得することだ。
 私は誰にも会わないが、素質ある人を見出すことを忘れてはいないのだから。そして、私に似ているものを、よろこびはしないのだから。
 三島由紀夫をなぜ芥川賞にしないのか、と云って、私のところへ抗議をよこした人がある。事情を知らない人々には、まことに尤もな抗議であるから、この機会に釈明に及んでおくが、三島君は芥川賞復活当時、すでに多くの職業雑誌に作品をのせ、立派に一人前に通用していたから、すでに既成作家と認め、芥川賞をやるに及ばぬ、という意見に全員一致していたからである。
 私が意外の感にうたれたのは、戦後派賞という戦後派の人を選者にした賞で、島尾君が賞をうけたのは、それはそれでよろしいのだが、次席として、三島君の名を明記するに至っては、私は呆れはてた。
 選者に人を得ないのだ。人の作品の選をするということは、子供にはできない。戦後派などという特別の美の規準があるとでも考えているような子供の目で、大らかな芸術を正しく認定するようなことができるものではない。選者の多くは、例の文化人、ウヌボレ屋のヒマ人の、共産党又は批評家的なるもののたぐいであるから、なんの怖れも知らない。
 責任をもって人を推す、選をする、ということは、省れば怖しいことでもある。
 私は、しかし、それが人のために私のしてあげられる唯一のことだと覚悟をきめて、正しく責任をつくしたいと念じ、とにかく私は私情によって左右されない自分にいくらかたのみがあったので引きうけた。引きうけたからには、良いものを見のがすことがないように、もらった雑誌はガリ版ずりでも生原稿でも、事情の許すかぎり読むように努力しているのである。
 コチコチの一方的な偏見でしか物が見られない少年やウヌボレ屋のヒマ人に、選などはできないものだ。自分の弟子や流派に私情をもつ人にも選者の資格はないと私は思う。芸術はもっと大らかな大きなもので、小さな自己への怖れを知る人でなくては、物の正しい姿を認定することはできない。
 選の狂いというものは、あるのが自然かも知れないが、戦後派賞のような、とんでもない狂い方というものは、あんまり頓狂すぎて、箸にも棒にもかかりやしない。芸術は一面に偏見でもあるが、さればといって、ホッテントットやブシュメン族を人間代表に、次席にアリアン族を選ぶというような当の失し方は許されるものではない。
 戦後派の連中は、若くして戦争や冷めたい現実にもみぬかれ、年に似ぬ大きな良識をそなえているかも知れぬと、私はひそかに買い被っていた。彼らの偏倚は外面だけの歪みで、内には大きな良識があるのだろうと期待をいだいていたのであった。
 まるで、もう、コチコチの文化人、ウヌボレ屋のヒマ人の、生活をもたない文化無頼漢である。
 いくら、なんでも、とにかく、大らかな心を忘れたもうな。自分の生活の中から、ハッキリした自分の言葉を選び、自分の言葉で物を言うことを覚えたまえ。
 私のところへ、ダンスしましょう、といって誘いにきた女子大学生は、まだしも、君らよりは大らかであろう。自分の生活も、もっているのだ。君らは自分の生活も持っていない。常に一席ぶちたがるけれども、ウヌボレ屋の大ヒマ人にすぎないのである。
 芸術だけは、自由人のものでありたいと思う。芸術の世界でだけは、流派や徒党を失いたいものである。
 もっと世間を怖れたまえ。庶民や市井人というものの、つつましい、無力ではあるが、地道に自分の生活をいとなむ人の、目や魂を怖れるがよい。
 天下の政治を質問する大学の先生よりも、イヤア、どうも、ヘッヘッヘ、という市井人の方がはげしい批評をなしていることを知りたまえ。
 こむずかしい屁理窟を知らない市井人は、自分たちだけの目で、ちゃんと三島由紀夫というものを認めている。君たちは屁理窟に通じ、屁理窟からの借り物の目で物を見て、自分の目で物を見ることを知っていない。つまり、生活人でなく、ヒマ人だからだ。
 一席弁じようと心あせったり、世の中を啓蒙しようというような、ウヌボレ屋のヒマ人に、良識あるはずもなく、選者たるの資格もない。
 私はグウタラで、ヒネクレ根性で、交際ギライの偏執狂であるが、しかし、私は、自分のつくすべき役割への責任を知り、人のために、自分でつくせる奉仕はつくしたいという心の正しい位置をつきとめている。そして交際ギライという殻の中から出はしないが、殻の中に隠れたままなしうる最善をなしたいという善意と努力は忘れないつもりだ。
 私は自分を省て、選者たる資格はあると思ったのだ。選者をひきうけるとき、考えたあげく、自信を得て、やることにした。私が人のためにつくせるものは、それぐらいだ、という自信によって。
 私としては、よくつとめている方である。私のようなナマケモノが、むかしは、もらった同人雑誌など、頁をめくったこともなかったのに、今では、一応、たいがい目を通しているのだもの。ほかでもない。私が人のためにつくしてあげられるのは、ただ、それぐらいのことだけだから。
 まったくのところ、私が社会人として、責任をつくしているのは、それだけだよ。税金もおさめなければ、選挙にも行きやしない。





底本:「坂口安吾全集 09」筑摩書房
   1998(平成10)年10月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第四七巻第八号」
   1950(昭和25)年8月1日発行
初出:「新潮 第四七巻第八号」
   1950(昭和25)年8月1日発行
入力:tatsuki
校正:花田泰治郎
2006年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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