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我が人生観(わがじんせいかん)05 (五)国宝焼亡結構論


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 金閣寺に放火した犯人が「美に対する嫉妬」と言ったり、「見物にくる人間への反感」と言ったという新聞記事の報道は、犯人がそのとき、そう言ったという事実を伝えているかも知れないが、犯人の本当の心がそれにつくされていると考えるのは速断にすぎるであろう。犯人というものが本当の心を言わないという事ではなく、人間というものが、真実を語ろうと努力している時ですらも、表現が思うようにできなくて、頭の中にあることと相当ヒラキがあるような、自分にとっても甚だ空疎でヘタな説明しかできなかったりしがちなものである。犯人が罪を犯したか否か、というような返答の場合ではない。特に、観念的な事柄の表現に於てである。そして、私のように、それを表現することが商売の人間ですらも、自分の観念を思うように表現するには時間も技術も必要であり、うッかりすれば、人の言葉の借り物となり、自身考えつつあることとは相当ヒラキのある妙なものとなってしまいがちである。
 つまり、美に対する嫉妬、ある階級への反感、というようなことは、その一つを執りあげて言葉の真実を主張するには、微妙にすぎるものである。思考の老練家が、自分の観念を分析した場合でも、このような結論を真実なものと断定して提出することは、一朝一夕の推考ではできがたい。
 まして捕らわれた犯人というものは、真実よりも、虚偽を、虚偽よりも、むしろ虚勢を語り易いものである。彼らが最も真実であると肩をそびやかして語ることを、彼がこう語った、という事実として新聞が報道するのは当然であるが、文士や学者や社会批評家という啓蒙をもって天職とせられるお歴々に至るまでが、これを真実として批評の対象とせられるのは、どうかと思う。
 こういう時には、まず、疑ってかかるものだ。それは、人を疑るからではなくて、こういう場合に想定せられる自分自身を疑らざるを得ないからだ。
 美に対する嫉妬、見物人に対する反感、そういうことを、この犯人が考えたことがなかったというわけではない。そういうことも考えたことがあったであろう。しかしながら、真に彼が火を放った原動力というものは、果してかかる観念的な結論から到達した決断であったか、どうかは疑わしい。
 私は思うに、人々は(立派な文士、学者、社会批評家、美術家をひッくるめて)焼かれた金閣寺という建築物に重点が置かれすぎて、判断に公平を失したのだろうと思う。金閣寺でなくて、もっと名もない建物に放火したのであったら、彼がもっと深遠な放火動機を述べたてても、まるで犯人の言った言葉が「生き物」として扱われるような、変な取扱いをうけることにはならなかったであろう。
 私はこんな青年はザラにいると考えているのである。彼はたぶん変質者で、同居人や、主人筋の人々に愛されず、ひそかな反抗を内攻させて、あげくの放火であったろうと思うが、たまたま彼が金閣寺に住んでいたから、金閣寺に放火するに至ったまでのことである。彼が田中という旧家の使用人であった場合には、田中家に放火したであろう。
 たまたま、このような青年が金閣寺に住んでいたために金閣寺が焼かれただけのことで、金閣寺というものの特性が彼に放火せしめたのではないのである。
 自分を裏切った女の顔に硫酸をブッかける犯人は、裏切ったどの女にも硫酸をブッかける必然性が彼の方にあって、彼女の方にどの男からも硫酸をブッかけられる必然性をもっていたわけではない。
 金閣寺の青年は、寺内の人々への反感に次第に放火を決意するに至ったが、一番溜飲の下るのは、彼らすべてがそれを飯の種にし、彼らの生存の誇りともしている金閣寺そのものに放火することで、反感とか復讐というものが、最も主要なものを対象に選ぶのは、当然なことである。
 彼が女の顔に硫酸をブッかけたり、田中家の土蔵に放火したり、野球選手の腕をカミソリで斬ったりする場合であったならば、その場合に応じて、復讐の一念のほかに、その罪を犯すことの社会的な責任とも一応は闘い、結論として、その弁明を得ていたに相違ない。たとえば、このような浮気女をのさばらせると、さらに多くの男が泣くであろう、とか、田中家の財産は代々の罪の集積であり、農民の膏血こうけつをしぼって得られたものであり、それへの反感であった、とか、彼の右腕は世間を欺瞞しているから、というような。
 金閣寺の彼は、対象が国宝の金閣寺であったがために、その特性に応じた責任感と一応は闘い、それに対して、特殊な弁明をも得ていたにすぎないと思うが、彼が罪の意識と闘ううちに、美への嫉妬とか、見物人への反感というようなことを真実なものとして実感していたことも間違ってはいなかろう。硫酸をブッかけた男が、かかる浮気女に社会的に制裁を加える、というような、自分を離れた正義心を実感していたとしても、その真実を疑うことができないのと同様である。
 又、私は、金閣寺が焼失したことについても、新聞に雑誌に、多くの識者が、国家の一大損失であるかのように説き立てることに対しても、まったく賛成していない。
 私はこれに対しては、方丈記の思想や、黄河の二千年前の名論の方に賛成であって、生あるものは滅する、木で造ったものが火に焼けるのは当然だ。火や地震と争うのは愚なことで、今後の人間は鉄とコンクリートで造った家へ移りすんで、木で造ったものは、燃えたり崩れたりするにまかせて一向に差支えない、という考えなのである。私はしかし二千年前の黄河学者ほどヤブレカブレではないのである。
 只見川上流の山岳地帯をダムにすることとなって尾瀬沼一帯の湿原帯が水底に沈むこととなり、日本に、又、世界に、ここだけしかないという植物の繁殖している貴重な文化宝庫を失うことになるについては、政府のやることは文化を無視して目先の企業に走りしからん、という説がある。新聞などの記事によっても、植物博士の肩をもつ調子のものが多いようだ。
 しかし、尾瀬沼地帯を水底に沈めてダムにするという計画は終戦後に始まったものではなくて、戦争前の計画であり、そのころから、珍植物の宝庫を失う可否については、ジャーナリズムの片隅で問題になっていたことであった。
 尾瀬の珍種というものが発見されて何十年もたっているのに、それに対する徹底的な研究を怠っていた植物博士の怠慢の方が、政府の企業よりも、非文化的だと私は考えているのである。たかが十種類ぐらいの植物じゃないか。その生態をトコトンまで究めるに、何十年が短い時間だとは思われない。尾瀬の開発が、世論にのぼってからでも十余年の年月を経ているのに、その責任に対しても特に研究するということがなく、たった十種ぐらいの植物の存在をタテにとって、広大な高原を自分の不急の研究室として原始のままで保存させうるものときめている植物博士の頭の悪さの方が度しがたい。研究室なり、他の山地なりへ移植を試みる努力をしたという話もきいたことがない。よしんば原物の保存ができなくとも、今日は、後世にミイラを残す時代ではなく、昔のミイラを現代に多少とも復元しうる時代なのである。科学的方法によって、たかが十種ぐらいの生態を原型にちかく、後世に伝えるだけの研究に時間の不自由はなかった筈である。あったのは、植物博士の怠慢、否、いたずらに文化、学問の美名を説くのみで、誠意ある研究に不熱心な悪徳あるのみであった。
 私は文化というものを、それが人間の生活を高めることに役立つための根本的なものとして考えているのであるが、尾瀬を開発して日本の生産力を増大させようという政府の企画と、たった十種の植物のためにあたら大面積の高原を自分の不急の研究室に保存しようという植物博士のコンタンと、どっちが文化的であるか、という点については、躊躇なく政府の方を文化的だと判定するものである。他に適当な場所はいくつもあるという説があるが、この狭小な日本の国土で、果して、適当な場所がいくつもあると思っているのであろうか。自分の専門のたった十いくつの植物についての研究も手ぬかりだらけのくせに、専門外のことに、利いた風なことをいうのも滑稽千万であろう。
 金閣寺が消失した、文化財の一大損失だというけれども、私もたいがいの国宝建造物は見てまわったが、金閣寺も、銀閣寺も、法隆寺も、決して美しいというようなものではない。歴史とか、美術史とか、そういうものと馴れ合いの上で、色々とツジツマを合せてから、ようやく一応の歴史的な美を納得することができるという性質のものでしかない。
 歴史的な記念物という意味に於ても、建築的にいつでも原型のまま復元できるだけの資料を後世に伝えることはできる筈である。こういう種類のものは、それが正確でありさえすれば、模型で保存するだけでタクサンだ。その原物を見せる手段すらもはばんでいる法隆寺の坊主などが論外であり、文化の為に戦うなら、こういう坊主と徹底的に戦うのが、専門家の専門家たるネウチなのだが、自ら坊主退治に戦うべき本分を忘れて、人が火事退治をしてくれるべきものという他力本願に依存しているから、日本の美学者だの歴史家などというものは、口に文化の美名を説き、金閣寺焼亡、政府の怠慢、妙なことを口走るが、私はどう考えても、政府の怠慢よりも、学者の怠慢、学者の頭の悪さというものではないかと思う。
 金閣寺は観光日本の一大資源、という意味に於ても、私は過去の遺物が観光客をひく一つの理由となりうることを認めはするが、もっと大切なことはホテルとか道路の建設、観光地帯の積極的な公園化の方がより大切で、観光客向きの遺物としての価値からいっては、金閣寺よりも広島や長崎の原バク記念地の方が、どれくらい国際観光客をひきつけるものであるか知れないと考えている。金閣寺の焼亡をなげくよりも、広島、長崎のバク心地を積極的に保存、公園化する計画を実行した方が、千客万来うけあいの観光計画向きなのである。
 終戦後、国際的な資力と科学を動員して、黄河治水を徹底的に完成する、というような計画があったように記憶するが、中国が内戦となって、それも一朝の夢であったらしい。
 私は法隆寺だの金閣寺にくらべて、早川の洪水が暗褐色の防波堤となって一哩も海中に突入している力感あふるる景観に、比較にならない美を感じているものであるが、さらに大黄河の泥シブキをあげて溢れたつ洪水の凄さに至っては、雄大きわまりないものであろうと考えている。
 しかし、この歴史的な怪物を、ついに五千年の人智の苦闘の後に征服する大施設というものは、これこそ真に文化の記念碑であり、我々の努力は、すべて過去の遺跡の如きものを失っても、かような建設のためにささげられなければならないと考えるものである。文化というものは、過去にもとめるよりも、未来にもとめる建設の方が大切なのである。
 すべて人間の生活の敵なるものを征服して、我々の生活を高め、安定させることをもって、文化の正しい目的と考えなければならない。
 ついに大黄河を征服する設備が完成した時には、それは雄大なる設計に於て万里の長城の比ではない。
 金閣寺の焼亡などというものは、美としても、歴史記念物としても、観光資源としても、識者がそろって泣き言をならべたてるほどの実質的なものは、ほとんど少ししか具っていないものだ。水鳥の羽の音に驚き、飛鳥川の洪水に咏歎をもらすたぐいだろうと思うのである。
 大黄河にも及びもつかないが、利根川の水害をなくし、只見川の発電所をつくるぐらいのことは、文句なしに、とりかかるだけの国民的な見解をもちたいものだと思う。文化というものを、そのような積極的な力として見ることを基礎とした上で、再び悠々と古代へ遊びに赴くべきではないかと思うのである。





底本:「坂口安吾全集 09」筑摩書房
   1998(平成10)年10月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第四七巻第一〇号」
   1950(昭和25)年10月1日発行
初出:「新潮 第四七巻第一〇号」
   1950(昭和25)年10月1日発行
入力:tatsuki
校正:花田泰治郎
2006年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」は「/\」で表しました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

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