七
暁の光りと、明け残った半月の光りが、雪のように真白な大地の霜を、静かに照していた。
星浦駅前の砂利だらけの広場に、淡い影法師を落しながら、鼈甲縁の眼鏡をかけた三好がスタスタと遣って来た。とても職工とは見えないスマートな茶縞の背広服に黒い冬オーバーの襟を深く立てて、左脇に四角い新聞紙包みをシッカリと抱えている。
一番汽車に乗るつもりであろう。暗い待合室に這入ったが、まだ時間が早いし、切符売場の窓が
改札口に近い右手の片隅には、青いネルの
その反対側の入口に近い処に、全身を繃帯で真白に包んだ、スバラシク巨大な大入道が、腰をかけていた。その左足には石膏か何か
三好は、あんまり意外千万な人間の姿を見てビックリしたらしく
三好は思わずドキンとした。白い大入道の中味が、生きた人間である事を発見したので……そうしてその眼の光りが、何となく見覚えがあるようで……しかも何かしらニコニコと笑っているような気はいに惹き付けられて、真正面からソーッとその暗い、繃帯の穴を覗き込んでいたが、忽ちハッと全身を
「ウワアッ」
と三好は夢中になって
「ダアッ……ガワガワガワガワ……ウガ――ッ……」
三好の叫び声を聞いた駅夫や駅員と、あとから人力車に乗って来た乗客が二三人、近寄って来たが、あんまり奇妙な光景なので、茫然として入口に突立ったまま見ていた。
その時に白坊主が、三好の耳に鼻の穴を近づけた。カスレた声で囁いた。
「……俺が誰か……わかるか……」
「ウア――ッ……ウワア――ッ……」
と三好は悲鳴を揚げて
「……幽霊だあッ……ウワア――ッ……」
「幽霊じゃない……」
白坊主が底力のある声で云った。
「貴様に焼き殺され損のうた又野たい。死んだ三人の
「ウワーッ。助けてくれ……俺が悪かった。俺が悪かった。十二万円遣る……ホラ……」
三好が投げ出した新聞紙包みが、白坊主の肩を越して、
「ハハハ。十二万円ぐらいじゃ足らん」
白坊主の声がだんだん
「……十二万円ぐらいの事でここまで来はせん。……俺は五体中を
そう云ううちに白坊主は、相手の返事を聞くべく、すこしばかり両手を緩めた。
「ウワ――ッ。違う違う……皆さん。こいつの云う事は皆嘘です。キチガイです。どぞ……どうぞ……助けて下さい。僕を殺しに来ているんです。キチガイ病院から抜け出して……」
「ハハハ……何とでも云え……今度の事件は皆、貴様がたくらんだ事じゃ。戸塚に智恵を附けて、中野学士をそそのかして西村を殺させた。それから俺を
「ウハアッ……違う違う。タ、助けて下さい。皆さん助けて下さい。……コイツはキチガイ……」
「畜生……まだ云うかッ……」
白坊主は三好を抱えたまま腰かけの上に坐り直した。両腕にグッと力を入れ初めた。
「ギャアギャアギャアギャアギャアギャア……」
それは鳥とも
「ギャギャギャギャ、ギイギイギイギイッ……」
往来を通りかかっていた人が皆、走り集まって来たので待合室の中が急に、暗くなった。
その中で三好の左右の肩骨がゴクンゴクンと折れ離れる音がした。
「ダダッ。ガガッ。ギイギイギイ――ッ……」
青鬼のようになった三好の両眼が、
余りの恐ろしさに見物人がドロドロと
「どこだ……どこか……」
「ここです」
「ここで絞め殺されよります」
と店員風の若い男が二人を
「アッ」
と云って棒立ちになった。
その巡査の眼の前の
「酒田さん。私は
「……何だ……又野か……」
巡査はホッとしたらしかった。そうして
「
白坊主の又野は眼を細くしてその光りを仰いだ。嬉しそうな、落付いた声で云った。
「十二万円は私の
そうして気力が尽きたらしく、両手を前に突出したまま、見物人の中央にバッタリと倒おれた。
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年10月22日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:ちはる
2001年3月23日公開
2006年2月22日修正
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