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菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/9/7 10:43:59 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


        四十一

 さて秋月喜一郎は、飴屋源兵衞を柔らかに欺(だま)して白状させようという了簡、其の頃お武家が暴(あら)い事をいたすと、町人は却(かえ)って驚いて、云うことも前後致したり、言いたいことも言い兼(かね)て、それがために物の分らんような事が、毎度町奉行所でもあった事でございます。源兵衞は何うして知れたかと思って、顔色(かおいろ)を変え、突いていた手がぶる/″\震える様子ゆえ、喜一郎は笑(えみ)を含みまして、物柔らかに、
秋「いや源兵衞何か心配をして、これを言ってはならんとか、彼(あれ)を言っては他(ほか)役人の身の上にも拘(かゝ)わるだろうと深く思い過(すぐ)して、隠し立てを致すと却って為にならんぞ、定めし上役(うわやく)の者が其の方に折入(おりい)って頼んだ事も有るであろうが、其の者の身分柄にも障(さわ)るような事があってはならんから、これは秋月に言っては悪かろうと、斯う手前が考えて物を隠すと、却って悪い、と云うのは元来(もと/\)お屋敷へ出入(でいり)を致すのには、殿様を大事と心得なければならん、そりゃアまた出入町人にはそれ/″\係りの者もあるから、係り役人を粗末にしろと云うのではないが、素(もと)より手前は上(かみ)の召上り物の御用を達(た)す身の上ではないか、なア」
源「へえ誠にどうも其の、えゝ…何うも私(わたくし)がその、事柄を弁(わきま)えませんものでございまして、唯飴屋風情の者がお屋敷へお出入を致しまして、お身柄のあります貴方様を始め、皆様に直々(じき/\)斯う遣(や)ってお目通りをいたし、誠に有難い事と心得まして、只私はえゝ何うも其の有難くばかり存じますので、へえ自然に申上げます事もその前後(あとさき)に相成ります」
秋「なに有難く心得て、言う事が前後(ぜんご)になるというのは可笑(おか)しい一体何ういう訳で手前は当家の婆(ばゞあ)に斑猫(はんみょう)を捕(と)ってくれろと頼んだか、それを云えというんだ」
源「それはその私(わたくし)が懇意にいたします近辺に医者がございまして、その医者がどうも其の薬を……薬は一体毒なもので、※(「やまいだれ+難」、第3水準1-88-63)(よう)疔(ちょう)根太(ねぶと)腫物(はれもの)のようなものに貼(つ)けます、膏薬吸出しのようなものは、斑猫のような毒が入りませんければ、早く吹切(ふっき)りません、それゆえ欲(ほし)いと申されました事でございまして」
秋「其の人は何処(どこ)の者か」
源「へえ実はその……私(わたくし)が平常(ふだん)心易(こゝろやす)くいたしますから、どうかお前頼んでくれまいかと云われて、私が其の医者を同道いたしてまいりまして、当家の婆(ばゞあ)に頼みましたのでございます」
秋「ムヽウ、其の医者は何処の者だえ、いやさ近辺にいるというが、よもやお抱(かゝ)えの医者ではあるまい、町医か外療(げりょう)でもいたすものかえ」
源「へえ、その……大概その外療をいたしましたり、ま其の風(かぜ)っ引(ぴ)きぐらいを治すような工合(ぐあい)で」
秋「何と申す医者だえ」
源「へい、その誠にその、雑(ざっ)といたした医者で」
秋「雑と致した、そんな医者はありません、名前は何というのだえ」
源「名前はその、えゝ……実はその何でございます、山路と申します」
秋「山路……山路宗庵と云うか」
源「へえ、好(よ)く御存じさまで」
秋「是は殿様のお部屋お秋の方(かた)の父で、お屋敷へまいる事もあるで、存じて居(お)る、其の者に頼まれて、貴様が此処(こゝ)の婆に斑猫を捕(と)れと頼んだのか、薬に用いるなれば至極道理(もっとも)の事だ……当家の主人は居(お)るの、一寸(ちょっと)こゝへ出てくれ」
嘉「はい」
秋「婆も一寸こゝへ」
婆「はい」
 と両人とも秋月喜一郎の前へまいりました。
秋「お前方は何かえ、此の飴屋の源兵衞は前から懇意にいたして居(お)るものかえ、毎度此の飴屋方へも行(ゆ)き、源兵衞も度々(たび/\)此方(こちら)へ参るような事があるかえ」
嘉「いえなに私(わし)が処へお出でなすった事も何もない、私は御懇意にも何(なん)にもしませんが、婆が商いに出ました先でお目にかゝったのが初(はじま)り、それから頼まれましたんで、のうお母(っかあ)」
婆「はい、なに心易くも何とも無(ね)えので、お得意廻りに歩き、商いをしべえと思って籠を脊負(しょ)って出て、お前さま、谷中へかゝろうとする途(みち)で会ったゞね、それから斯ういう理由(わけ)だが婆、何うだかと云うから、ま詰らん小商(こあきな)いをするよりもこれ、一疋虫を捕(つか)めえて六百ずつになれば、子供でも出来る事だから宜かろうと頼まれましたんで」
秋「左様か、源兵衞当家の嘉八という男も婆も手前は懇意じゃア無いと云うじゃアないか」
源「へえ、別に懇意という……なにもこれ親類というわけでも何でもないので」
秋[#「秋」は底本では「源」]「親類かと問やアせん、手前が当家の婆とは別懇だから、山路が手前に斑猫を捕(と)る事を頼んだと只今申したが、然(しか)らば手前は当家の婆は別懇でも何でもなく、通りかゝりに頼んだか山路も何か入用(いりよう)があって毒虫を捕る事を手前に頼んだ事であろうと考えるが、これは誰(たれ)か屋敷の者の中(うち)で頼んだ者でもありはせんか」
源「へえ左様でございますかな」
秋「左様でございますかな、と申して此の方(ほう)が手前に聞くんだ」
源「へえ……どうか真平(まっぴら)御免遊ばして下さいまし、重々心得違で」
秋[#「秋」は底本では「喜」]「只心得違いでは分らん、白状をせんか、此の程御舎弟様が御病気について、大分(だいぶ)夜分お咳(せき)が出るから、水飴を上げたら宜かろうというのでお上屋敷からお勧めに相成って居(お)る、その水飴を上げる処の出入町人は手前じゃから、手前の処で製造して水飴が上(あが)る、其の水飴を召上って若(も)し御病気でも重(おも)るような事があれば、手前が水飴の中へ毒を入れた訳ではあるまいけれども、手前が製した水飴を召上ったゝめに病気が重り、手前が頼んで斑猫を捕(と)らしたという事実がある上は、左様な訳ではなくても、手前が水飴の中へ毒虫でも製し込んで上(かみ)へ上げはせんかと、手前に疑ぐりがかゝる、是は当然の事じゃアないか、なア、決して手前を咎(とが)にはせん、白状さえすれば素々(もと/\)通り出入もさせてやる、此の秋月が刀にかけても手前を罪に落さんで、相変らず出入をさせた上に、お家の大事なれば多分に手当をいたして遣(や)るように、此の秋月が重役等(ら)と申合せて計らって遣(つか)わす、何も怖い事はないから有体(ありてい)に言ってくれ、殿様のお為じゃ、殿様が有難いと心得たら是を隠してはなりませんよ、のう源兵衞」
源「へえ、私(わたくし)が愚昧(ぐまい)でございまして、それゆえ申上げますことも前後(あとさき)に相成ります事でございまして、何かとお疑ぐりを受けますことに相成りましたが、なか/\何う致しまして、水飴の中へ毒などは入れられません、透(す)いて見えます極製(ごくせい)でございますから、へえ、なか/\何う致しまして、其様(そん)なことは……御免遊ばして下さいまし」
 と泣声を出し涙を拭(ぬぐ)う。
秋「何故(なぜ)泣く」
源「私(わたくし)は涙っぽろうございます」
秋「涙っぽろいと云っても何も泣くことはない、別段仔細は無いから……左様な事は致すまいなれども、また御舎弟様付とお上屋敷の者と心を合せて、段々手前も存じて居ろうが、どうも御舎弟さまを邪魔にする者があると云うのは、御癇癖(ごかんぺき)が強く、聊(いさゝ)かな事にも暴々(あら/\)しくお高声(こうせい)を遊ばして、手打にするなどという烈(はげ)しい御気性、乃(そこ)でどうも御舎弟様には附(つき)が悪いので上屋敷へ諂(へつら)う者も多いが、今大殿様もお加減の悪い処であるから、誠に心配で、万一(もしも)の事でもありはせんか、有った時には御順家督(ごじゅんかとく)で、何うしても御舎弟紋之丞様を直さねばならん、ところがその、此処(こゝ)に婆(ばゞあ)が居っては……他聞を憚(はゞか)ることじゃ……婆が聞いても委(くわ)しいことは分るまいが……、婆嘉八とも暫時(ざんじ)彼方(あっち)へ退(の)いてくれ」
婆「はい」
 と立ってゆく。後(あと)見送りて、
秋「手前も存じて居(お)る通り、只今其の方が申した医者の娘、お秋の方(かた)が儲(もう)けられた菊さまという若様がある、其の方(かた)を御家督に立てたいという慾心から、菊様の重役やお附のものが皆心を合せて御舎弟様を亡(な)き者にせんと……企(たく)むのでは有りはすまいが、重役の者一統心配して居(お)る、御舎弟様は大切のお身の上、万一(まんいち)間違でもあっては公儀へ対しても相済まんことだが、そりゃア手前も心得て居(お)るだろう、只山路が頼んだというと、山路はお秋の方の実父だから、左様なこともありはせんかと私(わし)は疑ぐる、併(しか)し然(そ)うで有るか無いか知れんものに疑念を掛けては済まんけれども、大切のことゆえ有体(ありてい)に云ってくれ、其の方(ほう)御舎弟様を大切に思うなれば云ってくれ、秋月が此の通り手を突いて頼む……な……決して手前の咎めにはせんよ、出入も元々どおりにさせ、また事に寄ったら三人扶持(さんにんふち)か五人扶持ぐらいは、若殿様の御世(およ)になれば私から直々(じき/\)に申上げて、其の方一代ぐらいのお扶持は頂戴さしてやる」
 と和(やわ)らかに言わるゝ程気味が悪うございますから、源兵衞は恐(おそ)る/\首(こうべ)を上げ、
源「へえ、有難う、恐入りますことで、貴方さまのような御重役が、私(わたくし)ごとき町人風情に手を突いてお頼みでございましては、誠に恐入ります、私も実はその、えゝ……始めは驚きましてございますが……実はその、へえ、お立派なお方さまのお頼みでございまして、斑猫てえ虫を捕(と)って水飴の中へ入れてくれろというお頼みでございます、初めは山路というお医者が、何とかいう、えゝ、※(「譽」の「言」に代えて「石」、第3水準1-89-15)石(よせき)とかいう薬を入れて練ったらと云うので練って見ましたが、これは水飴の中へ入れても好(よ)く分りますので、毒虫を煮てらんびきにいたして、その毒気(どくき)を水飴の中へ入れたら、柔(やわら)かになって宜かろうというお頼みで、迂濶(うっか)りお目通りをして其の事を伺い、これは意外な事と存じまして、お断りを申上げましたら、其の事が不承知と申すなら、一大事を明(あか)したによって手打に致すとおっしゃって、刀の柄(つか)へ手を掛けられたので、恟(びっく)り致しまして、否(いや)と云えば殺され、応(うん)と云えば是迄通り出入(でいり)をさせ、其の上多分のお手当を下さるとの事、お金が欲(ほし)くはございませんでしたが、全く殺されますのが辛いので、はいと止(や)むを得ずお受けをいたしました、真平(まっぴら)御免下さいまし」
秋「うむ、宜く言ってくれた、私(わし)も然(そ)うだろうと大概推察致して居った、宜く言ってくれた」
源「えゝ私(わたくし)が此の事を申上げましたことが知れますと、私は斬られます」
秋「いや/\手前が殺されるような事はせん、決して心配するな、あゝ誠に感心、宜く言ってくれた、これ当家の主人」
嘉「はい」
秋「今私(わし)が源兵衞に云った事が逐一(ちくいち)分ったかえ、分ったら話して見るが宜(よ)い」
嘉[#「嘉」は底本では「梅」]「なにか仰しゃったようでごぜえますが、むずかしくって少しも分りませんが、若(わけ)え殿様に水飴を甜(な)めさせて、それから殿様にも甜めさせて、それを何ですかえ両方へ甜めさせるような事にして御扶持(ごふち)をくれるんだって」
秋「あはゝゝ分らんか、宜しい、至極宜しい、分らんければ」
嘉「それで何ですかえ、飴屋さんが御扶持を両方から貰って」
秋「宜しい/\、分らん処が妙だ、どうぞな私(わし)が貴様の家(うち)へ来て、飴屋と話をした事だけは極(ごく)内々(ない/\)でいてくれ、宜(よ)いか、屋敷の者に……婆(ばゞあ)が又籠(かご)を脊負(しょ)って、大根や菜などを売(うり)に来た時に、秋月様が入(いら)しったと長家の者に云ってくれちゃア困る、是だけは確(しっ)かと口留をいたして置く、いうと肯(き)かんよ、云うと免(ゆる)さんよ、何処(どこ)から知れても他に知る者は無いのだから、其の儘にしては置かんよ」
嘉「はい……どうか御免を」
秋「いや、云いさえしなければ宜しいのだ」
嘉「いう処じゃアありません、婆さんお前は口がうるせえから」
婆「云うって云わねえって何だか知んねえものそれじゃア誰が聞いても、殿様は己(おれ)ア家(うち)へおいでなすった事はごぜえません、飴屋さんとお話などはなせえませんと」
秋「そんな事を云うにも及ばん、決して云ってはならんぞ」
婆「はい、畏(かしこ)まりました」
秋「源兵衞、毒虫を入れた水飴は大概もう仕上げてあるかの」
源「へえ、明後日(あさって)は残らず出来ます」
喜「明後日(あさって)出来る……よし宜く知らせてくれた辱(かたじけ)ない、源兵衛手前に何(なん)ぞ望みの物を取らしたく思う、持合せた金子も少ないが、是はほんの手前が宅への土産に何ぞ買って行ってくれ、私(わし)が心ばかりだ」
源「何う致しまして、私(わたくし)がこれを戴きましては」
秋「いや/\遠慮をせずに取って置いてくれ、就(つい)てはの、源兵衞大概此の方(ほう)に心当りもある、手前に頼んだ侍の名前は、これ誰が頼んだえ」
源「へえ、是だけは、それを言えば斬ると仰しゃいました、へえ、何うかまア種々(いろ/\)そのお書物(かきもの)の中へ、私(わたくし)にその、血で爪印をしろと仰しゃいましたから、少し爪の先を切りました」
秋「左様か、云っては悪いか、併(しか)し源兵衞斯(こ)う打明けてしまった事じゃから云っても宜かろう」
源「何卒(どうぞ)それだけは御勘弁を」
秋「云えんかえ」
源「へえ、何うもそれは御免を蒙(こうむ)ります」
秋「併し源兵衞、是までに話を致して、依頼者の姓名が云えんと云うのは訝(おか)しい、まだ手前は悪人へ与(く)み致して居(お)るように思われる、手前が云わんなら私(わし)の方で云おうか」
源「へえ」
秋「神原五郎治兄弟か、新役の松蔭かな」
 源兵衞は仰天して、
源「よ好(よ)く御存じさまで」

        四十二

 喜一郎は態(わざ)と笑(えみ)を含みまして、
秋「何うも其辺(そこら)だろうと鑑定が附いていた、ま宜しいが、彼(か)の松蔭並びに神原兄弟の者はなか/\悪才に長(た)けた奴ゆえ、種々(いろ/\)罠をかけて、私(わし)が云ったことを手前に聞くまいものでもないが、手前決して云うな」
源「何う致しまして、云えば直(す)ぐに私(わたくし)が殺されます、貴方様も仰しゃいませんように」
秋「私(わし)は決して云わん、首尾好(しゅびよ)く悪人を見出(みだ)して御当家安堵の想いを為すような事になれば、何うか願って手前に五人扶持も遣(や)りたいの」
源「何う致しまして、悪人へ与(く)み致しました罪で、私(わたくし)はお手打になりましても宜しいくらいで、私は命さえ助かりますれば、御扶持は戴きませんでも宜しゅうございます、お出入りだけは相変らず願います」
秋「うむ、承知いたした、一緒に帰ろうか、いや/\途中で他人(ひと)に見られると悪いから、早く行(ゆ)け/\」
源「有難うございます」
 ほっと息を吐(つ)いて、ぶる/\震えながら出て、後(あと)を振返り/\二三丁行って、それからぷうと駈出して向うへ行(ゆ)く様子を見て、
秋「何も駈出さんでも宜さそうなものだ」
 と笑いながら心静かに身支度をいたし、供を呼んで、是から嘉八親子にもくれ/″\礼を陳(の)べて帰られましたが、丁度八月九日のことで、川添富彌という若様附でございます、御舎弟様は夜分になりますとお咳が出て、お熱の差引(さしひき)がありますゆえ、お医者は側に附切りでございます。一統が一通りならん心配で、お夜詰(よづめ)をいたし、明番(あけばん)になりますと丁度只今の午前十時頃お帰りになるのですが、御容態(ごようだい)が悪いと忠義の人は残っている事がありますので、富彌様はお留守勝だから、御新造はお留守を守って、どうかお上(かみ)の御病気御全快になるようにと、頻(しき)りに神信心などを致して居ります。御新造は年三十で名をお村(むら)さんといい、大柄な美(い)い器量の方で、お定(さだ)という女中が居ります。
村「定や/\」
定「はい」
村「あの此処(こゝ)だけを少し片附けておくれ、何だか今年のように用の遅れた事はない、おち/\土用干も出来ずにしまったが、そろ/\もう綿入近くなったので、早く綿入物を直しに遣(や)らなければならない、それに袷(あわせ)も大分(だいぶ)汚れたから、お襟を取換えて置かなければなるまい」
定「左様でございます、矢張(やはり)旦那様がお忙(せわ)しくって、日々(にち/\)御出勤になりましたり、夜もお帰りは遅し、お留守勝ですから夜業(よなべ)が出来ようかと存じますが、何だか矢張(やっぱ)りせか/\致しまして、なんでございますよ、御用が段々遅れに遅れてまいりました」
村「あの今日はお明番(あけばん)だから、大概お帰りだろうとは思うが、一時(いっとき)でも遅れると又案じられて、お上(かみ)がお悪いのではないかと、何だか私は気が落着かないよ、旦那のお帰り前に御飯を戴いてしまおうか」
定「何もございませんが、いつもの魚屋が佳(よ)い鰈(かれい)を持ってまいりました、珍らしい事で、鰈を取って置きました」
村「然(そ)うかえ、それじゃアお昼の支度をしておくれ」
定「畏(かしこ)まりました」
 と是から午飯(ひる)の支度を致して、午飯(ひるはん)を喫(た)べ終り、お定が台所で片附け物をして居ります処へ入って来ましたのは、茶屋町に居りますお縫(ぬい)という仕立物をする人で、好(よ)くは出来ないが、袴(はかま)ぐらいの仕立が出来るのでお家中(かちゅう)へお出入りをいたしている、独り暮しの女で、
縫「御免遊ばして」
定「おや、お縫さん、よくお出掛け……さ、お上(あが)んなさい」
縫「誠に御無沙汰をいたしました、此間(こないだ)は有難う……今日(こんにち)は御新(ごしん)さんはお宅に」
定「はア奥にいらっしゃるよ」
縫「実はたった一人の妹(いもと)で、私(わたくし)が力に思っていました其の者が、随分丈夫な質(たち)でございましたが、加減が悪くって、其方(それ)へ泊りがけに参って居りまして、看病を致してやったり、種々(いろ/\)の事がありまして大分(だいぶ)遅くなりました、尤(もっと)もお綿入でございますから、未(ま)だ早いことは早いと存じまして」
定「出来ましたかえ」
縫「はい、左様でございます」
定「御新造様、あの茶屋町のお縫どんがまいりました」
村「さ、此方(こっち)へお入り」
縫「御免遊ばしまし……誠に御無沙汰をいたしました」
村「朝晩は余程加減が違ったの」
縫「誠に滅切(めっきり)御様子が違いました、お変り様(さま)もございませんで」
村「有難う」
縫「御意に入(い)るか存じませんが、お悪ければ直します」
村「大層好(よ)く出来ました、誠に結構……お前のは仕立屋よりか却(かえ)って着好(きい)いと旦那も仰しゃってゞ、誠に好く出来ました、大分色気も好くなったの」
縫「これは何でございます、お洗い張を遊ばしましたら滅切りお宜しくなりました、尤(もっと)もお物が宜しいのでございますから、はい仕立栄(したてばえ)がいたします」
村「久しく来なかったの」
縫「はいなんでございます、直(じき)に大門町にいる妹(いもと)ですが、平常(ふだん)丈夫でございましたが、長煩(ながわずら)いを致しましたので、手伝いにまいりまして、伯母が一人ございますが、其の伯母は私(わたくし)のためには力になってくれました、長命(ながいき)で八十四で、此の間死去(なくな)りましたが、あなた其の歳まで眼鏡もかけず、歯も好(よ)し、腰も曲りませんような丈夫でございましたが、月夜の晩に縁側で裁縫(しごと)を致して居りましたが、其処(そこ)へ倒れたなり、ぽっくり死去(なくな)りましたので、それゆえ種々(いろ/\)取込んで……お小袖(こそで)ですから間に合わん気遣いはないと存じまして、御無沙汰をいたしました、今年は悪い時候で、上方辺は大分水が出たという話を聞きました、お屋敷の大殿様も若殿様もお加減がお悪いそうで」
村「あゝ誠にお長引きで」
縫「私(わたくし)は毎(いつ)も然(そ)う申しますので、伯母が死去(なくな)りましても悔(くや)むことはない、これ/\のお屋敷の殿様が御病気で、お医者の五人も三人も附いて、結構なお薬を召上り、お手当は届いても癒(なお)る時節にならなければ癒らんから、くよ/\思う事はないと申して、へえ」
村「何分未(ま)だお宜しくないので、実に心配しているよ、夜分はお咳が出ての」
縫「然(そ)うでございますか、それはまア御心配でございますね、併(しか)しまだお若様でいらっしゃいますから、もう程無(ほどの)う御全快になりましょう」
村「御全快にならなくっちゃア大変なお方さまで、一時(いっとき)も早くと心配しているのさ」
縫「えゝ御新造様え、こんな事をお勧め申すと、なんでございますが、他(わき)から頼まれて、余(あんま)りお安いと存じまして持って出ましたが、二枚小袖の払い物が出ましたので、ま此様(こん)な物を持って出たり何かして、済みませんが、出所(でどこ)も確かな物ですから、お目にかけますが、それに八丈の唐手(もろこしで)の細いのが一枚入って居ります、あとは縞縮緬(しまちりめん)でお裏が宜しゅうございます、お平常着(ふだんぎ)に遊ばしても、お下着に遊ばしても」
村「私は古着は嫌いだよ」
縫「左様でございましょうが、出所(でどころ)が知れているものですから」
村「じゃア出してお見せ」
縫「畏(かしこ)まりました」
 とお次(つぎ)から包を持ってまいり、取出して見せました。唐手の縞柄は端手(はで)でもなく、縞縮緬は細格子(ほそごうし)で、色気も宜うございます。
村「大層好(よ)い縞だの」
縫「誠に宜うございます」
村「これは何(ど)の位というのだえ」
縫「これで先方(むこう)じゃア最(もう)少し値売(ねうり)をしたいように申して居りますが、此の書付でと申すので」
村「二枚で此の値段書(ねだんがき)では大層に安い物だの」
縫「へい、お安うございます、貴方お裏は新しいものでございます」
村「何ういう訳で此(こ)れを払うというのだえ」
縫「先方(むこう)はよく/\困っているのでございます」
村「丈(たけ)や身巾(みはゞ)が違うと困るね」
縫「左様ならお置き遊ばしては何うでございます、一日ぐらいお置きあそばしても宜しゅうございます」
村「余(あんま)り縞柄が好(よ)いから、欲しいような心持もするから、置いてっておくれ」
縫「左様でございますか、じゃア私(わたくし)が今日の暮方までに参りませんければ、明朝伺いに上ります」
村「では後(あと)で好(よ)く※(「てへん+僉」、第3水準1-84-94)(あらた)めて見よう」
 是をお世話いたせば幾許(いくら)か儲かるのだから先ず気に入ったようだとお縫は悦んで帰ってしまう、後(あと)でお定を呼んで、
村「手伝っておくれ、解(ほど)いて見よう、綿は何様(どん)なか」
 と段々解いて見ると。不思議なるかな襟筋(えりすじ)に縫込んでありました一封の手紙が出ました。
村「おや、定や」
定「はい」
村「此様(こん)な手紙が出たよ」
定「おや/\襟ん中から奇態でございますね、何うして」
村「私にも分らんが、何ういう訳で襟の中へ……訝(おか)しいの」
定「女物の襟へ手紙を入れて置くのは訝しい訳でございますが、情夫(いろおとこ)の処へでも遣るのでございましょう」
村「だってお前それにしても襟の中へ……訝しいじゃアないか」
定「左様でございますね、開けて御覧遊ばせよ、何と書いてあるか」
村「無闇に封を切っては悪かろう」
定「これを貴方の物にして、此の手紙を開けて御覧なすって、若(も)し入用(にゅうよう)の手紙なれば先方(むこう)へ返したって宜(い)いじゃア有りませんか」
村「本当に然(そ)うだね、封が固くしてあるよ、何と書いてあるだろう」
定「お禁厭(まじない)でございますか知らん、随分お守(まもり)を襟へ縫込んで置く事がありますから、疫病除(やくびょうよけ)に」
村「父上様まいる菊よりと書いてある、親の処へやったんで」
定「だって貴方親の処へ手紙をやるのに、封じを固くして襟の中へ縫付けて置くのは訝(おか)しゅうございますね、尤(もっと)も芸者などは自分の情郎(いろおとこ)や何かを親の積りにして、世間へ知れないようにお父様(とっさま)/\とごまかすてえ事を聞いて居りますよ」
村「開けて見ようかの」
定「開けて御覧遊ばせよ」
村「面白いことが書いてあるだろうの」
定「屹度(きっと)惚気(のろけ)が種々(いろ/\)書いてありましょうよ」
 悪いようだが封じが固いだけに、尚(な)お開けて見たくなるは人情で、これから開封して見ますと、女の手で優しく書いてあります。
村「…文(ふみ)して申上(もうしあげ)※[#「まいらせそろ」の草書体、426-5]…、極(きわ)っているの」
定「へえ、それから」
村「…益々御機嫌能(よく)御暮(おくら)し被成候(なされそうろう)御事(おんこと)蔭ながら御嬉(おんうれ)しく存じ上(あげ)※[#「まいらせそろ」の草書体、426-7]」
定「定文句(じょうもんく)でございますね、併(しか)し色男の処へ贈る手紙にしちゃア改(あらたま)り過ぎてるように存じますね」
村「然(そ)うだの、左候(さそうら)えば私(わたくし)主人松蔭事ス……神原四郎治と申合せ渡邊様を殺そうとの悪だくみ……おや」
定「へえ……何ういう訳でございましょう」
村「黙っていなよ、……それのみならず水飴の中へ毒薬を仕込み、若殿様へ差上候よう両人の者諜(しめ)し合せ居り候を、図らず私(わたくし)が立聞致し驚き入り候」
定「呆れましたね、誰でございますえ」
村「大きな声をおしでないよ、世間へ知れるとわるいわ……一大事ゆえ文に認(したゝ)め差上候わんと取急ぎ認め候え共、若(も)し取落し候事も有れば、他(た)の者の手に入(い)っては尚々お上(かみ)のために相成らずと心配致し、袷(あわせ)の襟[#「襟」は底本では「縫」]へ縫込み差上候間、添書(そえしょ)の通りお宅にてこれを解き御覧の上渡邊様方に勤め居り候御兄様(おあにさま)へ此の文御見せ内々(ない/\)御重役様へ御知らせ下され候様願い上(あげ)※尚(な)[#「まいらせそろ」の草書体、427-1]、申上度事(もうしあげたきこと)数々有之(これあり)候え共取急ぎ候まゝ書残し※[#「まいらせそろ」の草書体、427-2]おお目もじの上委(くわ)しく可申上候(もうしあげべくそうろう)、芽出度(めでたく)かしく、父上様兄上様、菊…と、……菊というのは何かの、彼(あ)の新役の松蔭の処に奉公していた女中は菊と云ったっけかの」
定「私(わたくし)は存じませんよ」
村「松蔭の家(うち)にいた女中が殺されたような事を聞いたから、旦那様に聞いてもお前などは聞かんでも宜(よ)い事だと仰しゃるから、別段委(くわ)しくお聞き申しもしなかったが、是は容易な事ではないよ」
 と申している処へ一声(ひとこえ)高く、玄関にて、
僕「お帰りい」
村「旦那がお帰り遊ばした」
 と慌(あわ)てゝお玄関へ出て両手を支(つか)え、
村「お帰り遊ばしまし」
定「お帰り遊ばせ」
富「あい、直(すぐ)に衣服(きもの)を着換えよう」
村「お着換遊ばせ、定やお召換だよ、お湯を直(すぐ)に取って、さぞお疲れで」
富「いやもう大きに疲れました、ハアーどうも夜眠(ね)られんでな、大きに疲れました、眠(ねむ)れんと云うのは誠にいかんものだ」
 是から衣服(きもの)を着替えて座蒲団の上に坐ると、お烟草盆に火を埋(い)けて出る、茶台に載せてお茶が出る。
村「毎日/\お夜詰(よづめ)は誠にお苦労な事だと、蔭ながら申して居りますが、貴方までお加減がお悪くなると、却(かえ)ってお上(かみ)のお為になりませんから、時々は外村(とむら)様とお替り遊ばす訳にはまいりませんので」
富「いや、外村と代っているよ」
村「今日(こんにち)の御様子は如何(いかゞ)で」
富「少しはお宜しいように見受けたが、どうもお咳が出てお困り遊ばすようだ」
定「御機嫌宜しゅう、お上は如何でございます」
富「あい、大きに宜しい、定まで心配して居(お)るが、どうも困ったものじゃ」
村「早速貴方に申上げる事がございます、茶屋町の縫がまいりまして」
富「うん」
村「彼(かれ)が払い物だと云って小袖(こそで)を二枚持ってまいりましたから、丈(たけ)は何うかと存じまして、改める積りで解きましたところが、貴方襟(えり)の中から斯様(こん)な手紙が出ました、御覧遊ばせ」
 と差出すを受取り、
富「襟の中から、はて」
 と披(ひら)いて読み下し、俄(にわか)に顔色を変え、再び繰返し読直して居りまする内に、何と思ったか、
富「定」
定「はい」
富「茶屋町の裁縫(しごと)をいたす縫というものは何かえ、彼(あれ)は亭主でも有るのか」
定「いえ、亭主はございません、四年已前(あと)に死去(なくな)りまして、子供もなし、寡婦暮(やもめぐら)しで、只今はお屋敷やお寺方の仕事をいたして居りますので、お召縮緬(めしちりめん)の半纒(はんてん)などを着まして、芝居などへまいりますと、帰りには屹度(きっと)お茶屋で御膳や何か喫(た)べますって」
富「其様(そん)な事は何うでも宜(よ)い、御新造松蔭の家(うち)にいた下婢(おんな)は菊と云ったっけの」
村「私(わたくし)は名を存じませんが、其の下女が下男と不義をいたして殺されたという話を聞きましたから、只今考えて居りますので」
富「只松蔭とのみで名が分らんと、他(ほか)にない苗字でもなし、尤も神原四郎治は当家の御家来と確かに知れている、その四郎治と心を合せる者は大藏の外にはないが、先方(さき)の親の名が書いてあると調べるに都合も宜しいが、ス……これ定、其の茶屋町の縫という女を呼びに遣(や)れ、直(すぐ)に……事を改めていうと胡乱(うろん)に思って、何処かへ隠れでもするといかんから、貴様一寸(ちょっと)行って来い、先刻(さっき)の衣服(きもの)の事について頼みたい事がある、他に仕立物もある、置いてまいった衣服二枚を買取るに都合もあるから、旦那様もお帰りになり、相談をするからと申してな、それに旨い物が出来たで、馳走をしてやる、早く来いと申して、直(すぐ)に呼んでまいれ」
定「じゃア私(わたくし)がまいりましょうか」
富「却(かえ)って貴様の方が宜かろう、女は女同志で、此の事を決していうな」
定「何う致しまして、決して申しは致しません」
 と急いで出てまいりました。

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