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菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/9/7 10:43:59 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


        三十五

 此方(こなた)は例の早四郎が待ちに待った今宵(こよい)と、人の寝静(ねしずま)るを窺(うかご)うてお竹の座敷へやって参り、
早「眠(ねぶ)ったかね/\、お客さん眠ったかえ……居ねえか……約束だから来ただ、※(「巾+廚」、第4水準2-12-1)(かや)の中へ入(ひえ)っても宜(え)いかえ入(ひえ)るよ、入っても宜いかえ」
 と理不尽に※(「巾+廚」、第4水準2-12-1)(かや)を捲(まく)って中へ入り。
早「眠(ねぶ)ったか……あれやア居ねえわ、何処(どけ)え行っただな、私(わし)が来る事を知っているから逃げたか、それとも小便垂れえ行ったかな、ア小便垂れえ行ったんだ、逃げたって女一人で淋しい道中は出来ねえからな、私(わし)ア此の床の中へ入(ひえ)って頭から掻巻(けえまき)を被(かぶ)って、ウフヽヽ屈(つく)なんでると、女子(おなご)は知んねえからこけえ来る、中へお入(ひえ)んなさいましと云ったところで、男が先へ入(ひえ)っていりゃア間(ま)を悪がって入(ひえ)れめえから、小(ちっ)さくなってると、誰もいねえと思ってすっと入(ひえ)って来ると、己(おら)アこゝにいたよって手を押(つか)めえて引入れると、お前(めえ)来ねえかと思ったよ、なに己ア本当に是まで苦労をしたゞもの、だから中(なけ)え入(ひえ)るが宜(え)い、入(ひえ)っても宜(え)いかえと引張込(ふっぱりこ)めば、其の心があっても未(ま)だ年い行かないから間を悪がるだ、屹度(きっと)然(そ)うだ、こりゃア息い屏(こら)して眠(ねぶ)った真似えしてくれべえ」
 と止せば宜(い)いのに早四郎はお竹の寝床の中で息を屏(こら)して居りました。暫(しばら)く経(た)つと密(そっ)と抜足(ぬきあし)をして廊下をみしり/\と来る者があります。古い家(うち)だから何(どん)なに密と歩いても足音が聞えます、早四郎は床の内で来たなと思っていますと、密と障子を開け、スウー。早四郎は障子を開けたなと思っていますと、ぷつり/\と、吊ってありました※(「巾+廚」、第4水準2-12-1)(かや)の吊手(つりて)を切落し、寝ている上へフワリと乗ったようだから、
早「何だこれははてな」
 と考えて居りますと、片方(かたっぽ)では片手で探(さぐ)り、此処(こゝ)ら辺(あたり)が喉笛(のどぶえ)と思う処を探り当てゝ、懐から取出したぎらつく刄物を、逆手(さかて)に取って、ウヽーンと上から力に任せて頸窩骨(ぼんのくぼ)へ突込(つッこ)んだ。
早「あゝ」
 と悲鳴を上げるのを、ウヽーンと※(「宛+りっとう」、第4水準2-3-26)(えぐ)りました。苦しいから足をばた/\やる拍子に襖(ふすま)が外れたので、和尚が眼を覚して、
僧「はゝ、夜這(よばい)が来たな」
 と思いましたから起きて来て見ると、灯火(あかり)が消えている。
僧「困ったな」
 と慌(あわ)てゝ手探りに枕元にある小さな鋼鉄(くろがね)の如意(にょい)を取って透(すか)して見ると、判然(はっきり)は分りませんが、頬被(ほうかぶ)りをした奴が上へ乗(の)しかゝっている様子。
僧「泥坊」
 と声をかける大喝一声(だいかついっせい)、ピイーンと曲者の肝(きも)へ響きます。
曲者「あっ」
 と云って逃げにかゝる所へ如意で打ってかゝったから堪(たま)らんと存じまして、刄物で切ってかゝるのを、胆(たん)の据(すわ)った坊さんだから少しも驚かず、刄物の光が眼の先へ見えたから引外(ひっぱず)し、如意で刄物を打落し、猿臂(えんぴ)を延(のば)して逆に押(おさ)え付け、片膝を曲者の脊中へ乗掛(のっか)け、
僧「やい太い奴だ、これ苟(かりそ)めにも旅籠(はたご)を取れば客だぞ、其の客へ対して恋慕を仕掛けるのみならず、刄物などを以て脅して情慾を遂(と)げんとは不埓至極の奴だ、これ宿屋の亭主は居らんか、灯火(あかり)を早く……」
 という処へ帰って来ましたのはお竹で。
竹「おや何で」
僧「む、お怪我はないか」
竹「はい、私(わたくし)は怪我はございませんが、何でございます」
僧「恋慕を仕掛けた宿屋の忰が、刄物を持って来て貴方に迫り、わっという声に驚いて眼をさまして来ました、早く灯火(あかり)を……廊下へ出れば手水場(ちょうずば)に灯火がある」
 という中(うち)に雇婆(やといばあ)さんが火を点(とぼ)して来ましたから、見ると大の男が乗掛(のッかゝ)って床(とこ)が血みどりになって居ります。
僧「此奴(こいつ)被(かぶ)り物(もの)を脱(と)れ」
 と被っている手拭を取ると、早四郎ではありませんで、此処(こゝ)の主人(あるじ)、胡麻塩交(ごましおまじ)りのぶっつり切ったような髷(まげ)の髪先(はけさき)の散(ちら)ばった天窓(あたま)で、お竹の無事な姿を見て、えゝと驚いてしかみ面(つら)をして居ります。
僧「お前は此の宿屋の亭主か」
五「はい」
竹「何うしてお前は刄物を持って私の部屋へ来て此様(こん)な事をおしだか」
五「はい/\」
 とお竹に向って、
五「あ…貴方はお達者でいらっしゃいますか、そうして此の床の中には誰がいますの」
 と布団を引剥(ひっぱ)いで見ますと、今年二十五になります現在己(おのれ)の実子早四郎が俯伏(うつぷし)になり、血(のり)に染って息が絶えているのを見ますと、五平は驚いたの何(なん)のではございません、真蒼(まっさお)になって、
五「あゝ是は忰でございます、私(わし)の忰が何うして此の床の中に居りましたろう」
僧「何うして居たもないものだ、お前が殺して置きながら、お前はまア此者(これ)が何(ど)の様(よう)な悪い事をしたか知らんが、本当の子か、仮令(たとえ)義理の子でも無闇に殺して済む理由(わけ)ではない、何ういう理由じゃ」
五「はい/\、お嬢さま、あなたは今晩こゝにお休みはございませんのですか」
竹「私はこゝに寝ていたのだが、不図(ふと)起きて洪願寺様へ墓参りに行って、今帰って来ましたので」
五「何うして忰が此処(こゝ)へ参って居りましたろう」
僧「いや、お前の忰は此の娘(ねえ)さんの所(とこ)へ毎晩来て怪(け)しからんことを云掛け、云う事を肯(きか)んければ、鉄砲で打つの、刄物で斬るのと云うので、娘さんも誠に困って私(わし)へお頼みじゃ、娘さんが墓参りに行った後(あと)へお前の子息(むすこ)が来て、床の中に入って居(い)るとも知らずお前が殺したのじゃ」
五「へえ、あゝー、お嬢さま真平(まっぴら)御免なすって下さいまし、実は悪い事は出来ないもんでございます、忽(たちま)ちの中(うち)に悪事が我子(わがこ)に報いました、斯う覿面(てきめん)に罰(ばち)の当るというのは実に恐ろしい事でございます、私(わたくし)は他に子供はございません、此様(こん)の[#「此様(こん)の」は「此様(こん)な」の誤記か]田舎育ちの野郎でも、唯(たっ)た一粒者(ひとつぶもの)でございます、人間は馬鹿でございますが、私の死水(しにみず)を取る奴ゆえ、母が亡(なくな)りましてから私の丹誠で是までにした唯た一人の忰を殺すというのは、皆(みんな)私の心の迷い、強慾非道の罰でございます」
僧「土台呆れた話じゃが、何ういう訳でお前は我子を殺した」
五「はい、申上げにくい事でございますが、此の甲州屋も二十年前までは可なりな宿屋でございました処が、私(わたくし)は年を老(と)りましても、酒や博奕(ばくち)が好きでございまして、身代を遂に痛め、此者(これ)の母も苦労して亡りました、斯うやって表を張(はっ)ては居りますが、実は苦しい身代でございます、ところが此のお嬢様が先達(せんだっ)て宿賃をお払いなさる時に、懐から出した胴巻には、金が七八十両あろうと見た時は、面皰(にきび)の出る程欲しくなりました、あゝ此の金があったら又一山(ひとやま)興(おこ)して取附く事もあろうかと存じまして、無理に七日までお泊め申しましたが、愈々(いよ/\)明日(みょうにち)お立ちと聞きましたゆえ、思い切って今晩密(そっ)と此のお嬢様を殺して金を奪(と)ろうと企(たく)みました、死骸は田圃伝えに背負出(しょいだ)して、墓場へ人知れず埋めてしまえば、誰にも知れる気遣(きづか)いないと存じまして、忍んで参りました、道ならぬ事をいたした悪事は、忽(たちま)ち報い、一人の忰を殺しますとは此の上もない業曝(ごうさら)しで、実に悪い事は出来ないと知りました、私(わたくし)も最(も)う五十九でございます、お嬢さま何とも申し訳がございませんから、私は死んでしまい、貴方に申訳をいたします」
 と云切るが早いか、出刄庖丁を取って我が咽(のど)に突立てんとするから、
僧「あゝ暫く待ちなさい、まア待ちなさい、お前がこれ死んだからって言訳が立つじゃアなし、命を棄てたって何の足しにもなりゃアせん、嬢さんの御迷惑にこそなれ、宜(よ)いか先非(せんぴ)を悔い、あゝ悪い事をした、唯(たっ)た一人の子を殺したお前の心の苦しみというものは一通りならん事じゃ、是も皆(みな)罰(ばち)だ、一念の迷いから我子を殺し、其の心の苦しみを受け、一旦の懺悔(ざんげ)によって其の罪は消えている、見なさいお嬢様の一命は助かり、お前の子はお嬢様の身代りになったんじゃ、誠に気の毒なは此の息子さん、嬢さん何事も此の息子さんに免じてお前さんも堪弁(かんべん)なさい、何日(いつ)までも仇(あだ)に思っていると却(かえ)ってお前さんの死んだ御家来さんの為にもならん、宜(い)いか、又御亭主は客に対して無礼をしたとか、道楽をして棄置(すておか)れん、親に苦労をかけて堪(たま)らんから殺しましたと云って尋常に八州へ名告(なの)って出なさい、なれども一人の子を私(わたくし)に殺すのは悪い事じゃから髪の毛を切って役所へ持って行(ゆ)けば、是には何か能々(よく/\)の訳があって殺したという廉(かど)で、お前さんに甚(ひど)く難儀もかゝるまいと思う、然(そ)うして出家を遂(と)げ、息子さんの為に四国西国を遍歴して、其の罪滅(つみほろぼ)しをせんければ、兎(と)ても尋常(なみ)の人に成れんぞ」
五「はい/\」
僧「是から陰徳を施し、善事を行うが肝心、今までの悪業を消すは陰徳を積むより他に道はないぞ」
五「有難うございます」
僧「あゝ何うも気の毒な事じゃなア、お嬢さん」

        三十六

 お竹は不思議な事と心の内で忠平の霊に回向をしながら、
竹「ま、私(わたくし)は助かりましたが、誠に思い掛けない事で」
僧「いや/\世間は無常のもので、実に夢幻泡沫で実(じつ)なきものと云って、実は真(まこと)に無いものじゃ、世の人は此の理(り)を識(し)らんによって諸々(もろ/\)の貪慾執心(どんよくしゅうしん)が深くなって名聞利養(みょうもんりよう)に心を焦(いら)って貪(むさぼ)らんとする、是らは只今生(こんじょう)の事のみを慮(おもんぱか)り、旦暮(あけくれ)に妻子眷属(さいしけんぞく)衣食財宝にのみ心を尽して自ら病を求める、人には病は無いものじゃ、思う念慮(ねんりょ)が重なるによって胸に詰って来ると毛孔(けあな)が開(ひら)いて風邪を引くような事になる、人間元来(もと)病なく、薬石(やくせき)尽(こと/″\)く無用、自ら病を求めて病が起(おこ)るのじゃ、其の病を自分手に拵(こしら)え、遂に煩悩という苦悩(なやみ)も出る、之(これ)を知らずに居って、今死ぬという間際の時に、あゝ悪いことをした、あゝせつない何う仕よう、此の苦痛を助かりたいと、始めて其の時に驚いて助からんと思っても、それは兎(と)ても何の甲斐もない事じゃ、此の理(り)を知らずして破戒無慚(むざん)邪見(じゃけん)放逸(ほういつ)の者を人中(じんちゅう)の鬼畜といって、鬼の畜生という事じゃ、それ故に大梅和尚(たいばいおしょう)が馬祖大師(ばそだいし)に問うて如何(いか)なるか是(こ)れ仏、馬祖答えて即心即仏という、大梅が其の言下(ごんか)に大悟(だいご)したという、其の時に悟ったじゃ、此の世は実に仮のものじゃ、只四縁(しえん)の和合しておるのだ、幾らお前が食物(たべもの)が欲しい著物(きもの)が欲しい、金が欲しい、斯ういう田地が欲しいと云った処が、ぴたりと息が絶えれば、何一つ持って行(ゆ)くことは出来やアしまい、四縁とは地水火風(ちすいかふう)、此の四つで自然に出来ておる身体じゃ、仮に四大(地水火風)が和合して出来て居(お)るものなれば、自分の身体も有りはせん、実は無いものじゃ、自然に是は斯うする物じゃという処へ心が附かんによって、我(わが)心があると思われ、我(わが)身体を愛し、自分に従うて来る人のみを可愛がって、宜(よ)う訪ねて来てくれたと悦び、自分に背(そむ)く者は憎い奴じゃ、彼奴(あいつ)はいかんと云うようになる、人を憎む悪い心が別にあるかというに、別にあるものでもない、即仏じゃ、親父が娘を殺して金子を奪(と)ろうとした時の心は実に此の上もない極重悪人なれども、忽(たちま)ち輪回応報(りんえおうほう)して可愛い我子を殺し、あゝ悪い事をしたと悔悟(かいご)して出家になるも、即ち即心即仏じゃ、えゝ他人を自分の身体と二つあるものと思わずに、欲しい惜しいの念を棄てゝしまえば、争いもなければ憤(おこ)る事もない、自他の別を生ずるによって隔意(かくい)が出来る、隔意のある所から、物の争いが出来るものじゃ、先方(むこう)に金があるから取ってやろうとすると、先方(むこう)では私(わし)の物じゃから遣(や)らん用を勤めたら金を遣るぞ、勤めをして貰うのは当然(あたりまえ)だから、先方(さき)へくれろ、それを此方(こっちゃ)で只取ろうとする、先方(さき)では渡さんとする、是が大きゅうなると戦争(いくさ)じゃ、実に仏も心配なされて西方極楽世界阿弥陀仏を念じ、称名(しょうみょう)して感想を凝(こら)せば、臨終の時に必ず浄土へ往生すと説給(ときたま)えり、南無阿弥陀仏/\」
 圓朝が此様(こん)なことを云ってもお賽銭(さいせん)には及びません、悪くすると投げる方があります。段々と有難い事を彼(か)の宗達という和尚さんが説示(ときしめ)したからお竹も五平を恨む念は毛頭ありません。
竹「お前此の金が欲しければ皆(みん)な上げよう」
五「いえ/\金は要(い)りません、私(わたくし)は剃髪(ていはつ)して罪滅しの為に廻国(かいこく)します」
 というので剃刀(かみそり)を取寄せて宗達が五平をくり/\坊主にいたしました。早四郎の死骸は届ける所へ届けて野辺の送りをいたし、後(あと)は他人へ譲り、五平は罪滅しのため四国西国へ遍歴に出ることになり、お竹は是より深い事は話しませんが、
「私(わたくし)は粂野美作守の家来渡邊という者の娘で、弟は祖五郎と申して、只今は美作国(みまさかのくに)へまいって居ります、弟にも逢いたいと存じますし、江戸屋敷の様子も聞きたし、弟もお国表へまいって家老に面会いたし、事の仔細が分りますれば江戸屋敷へまいる筈(はず)で、何(ど)の道便りをするとは申して居りましたが、案じられてなりませんから、家来の忠平という者を連れてまいる途(みち)で長く煩いました上、遂に死別(しにわか)れになりまして、心細い身の上で、旅慣れぬ女のこと、どうか御出家様私を助けると思召(おぼしめ)し、江戸までお送り遊ばして下さいますれば、何(ど)の様(よう)にもお礼をいたしましょう、お忙しいお身の上でもございましょうが、お連れ遊ばして下さいまし」
 と頼まれて見ると宗達も今更見棄てる事も出来ず、
宗「それは気の毒なことで、それならば私(わし)と一緒に江戸まで行(ゆ)きなさるが宜(よ)い私(わし)は江戸には別に便(たよ)る処もないが、谷中の南泉寺へ寄って已前(いぜん)共に行脚(あんぎゃ)をした玄道(げんどう)という和尚がおるから、それでも尋ねたいと思う、ま兎も角もお前さんを江戸屋敷まで送って上げます」
 と云うので漸(ようよ)うの事にて江戸表へまいりましたが、上屋敷へも下屋敷へもまいる事が出来んのは、予(かね)てお屋敷近い処へ立寄る事はならんと仰せ渡されて、お暇(いとま)になった身の上ゆえ、本郷春木町の指物屋岩吉方へまいり、様子を聞くと、岩吉は故人になり、職人が家督(あと)を相続して仕事を受取って居りますことゆえ、迚(とて)も此処(こゝ)の厄介になる事は出来ません。仕方がないので、どうか様子を下屋敷の者に聞きたいと谷中へ参りますと、好(い)い塩梅に佐藤平馬(さとうへいま)という者に会って、様子を聞くと、平馬の申すには、
平「弟御(おとゝご)は此方(こっち)へおいでがないから、此の辺にうろ/\しておいでになるはお宜しくない、全体お屋敷近い処へ入らっしゃるのは、そりゃアお心得違いな事で、ま貴方は信州においでゞ、時節を待ってござったら御帰参の叶(かな)う事もありましょう、御舎弟も春部殿も未だ江戸へはお出(いで)がない、仮令(たとえ)御家老に何(ど)んなお頼みがありましても無駄な話でございます」
 と撥付(はねつ)けられ、
竹「左様なら弟は此方(こちら)へまいっては居りませんか」
平「左様、御舎弟は確(たしか)にお国においでだという話は聞きましたが、多分お国へ行って、お国家老へ何かお頼みでもある事でございましょう、併(しか)し大殿様(おおとのさま)は御病気の事であるが、事に寄ったら御家老の福原様(ふくはらさま)が御出府(ごしゅっぷ)になる時も、お暇になった者を連れてお出(いで)になる筈がないから、是は好(よ)い音信(たより)を待ってお国にお出(いで)でございましょう、殿様は御不快で、中々御重症だという事でございまして、私共(わたくしども)は下役ゆえ深い事は分りませんが、此のお屋敷近い処へ立廻るはお宜しくない事で」
 という。此の佐藤平馬という奴は、内々(ない/\)神原五郎治四郎治の二人から鼻薬をかわれて下に使われる奴、提灯持(ちょうちんもち)の方の悪い仲間でございますから、斯(か)く訳の分らんように云いましたのは、お竹にお屋敷の様子が聞かしたくないから、真実(まこと)しやかに云ってお屋敷近辺へ置かんように追払(おっぱら)いましたので、お竹はどうも致方(いたしかた)がない、旧来馴染の出入町人の処へまいりましても、長く泊っても居(お)られません、又一緒にまいった宗達も、長くは居(い)られません理由(わけ)があって、或時お竹に向い、
宗「私(わし)は何うしても美濃の南泉寺へ帰らんければならず、それに又私は些(ち)と懇意なものが有って、田舎寺に住職をしている其の者を尋ねたいと思うが、貴方は是から何処(どこ)へ参らるゝ積りじゃ」
竹「何処へも別にまいる処もありませんが、お国へまいれば弟が居ります、成程御家老も弟を連れて、お出(いで)は出来ますまい、御帰参の叶う吉左右(きっそう)を聞くそれまではお国表にいる事でございましょうから、私(わたくし)もどうかお国へ参りとうございます」
宗「併(しか)しどうも女一人では行(ゆ)かれんことで、何ともお気の毒な事だ、じゃアまア美作の国といえば是(こ)れ百七八十里隔(へだ)った処、私(わし)が送る訳にはいかんが、今更見棄てることも出来ないが、美濃の南泉寺までは是非行(ゆ)かんければならん、東海道筋も御婦人の事ゆえ面倒じゃ、手形がなければならんが、何うか工風(くふう)をして私がお送り申したいが、困った事で、兎に角南泉寺まで一緒に行(ゆ)きなさい、彼方(あっち)の者は真実があって、随分俗の者にも仏心(ぶっしん)があってな、寺へ来て用や何(なん)かするからそいらに頼んだら美作の方へ用事があってまいる者があるまいとも云えぬ、其の折に貴方を頼んでお国へ行(ゆ)かれるようだと私も安心をします、私は坊主の身の上で、婦人と一緒に歩くのは誠に困る、衆人(ひと)にも見られて、忌(いや)な事でも云われると困る、けれども是も仕方がないから、ま行(ゆ)きなさるが宜(よ)い、私は本庄宿(ほんじょうじゅく)の海禅寺(かいぜんじ)へ寄って一寸(ちょっと)玄道という者に会って、それから又美濃まで是非行(ゆ)きますから御一緒にまいろう、それには木曾路の方が銭が要らん」
 と御出家は奢(おご)らんから、寒くなってから木曾路を引返し本庄宿へまいりまして、婦人ではあるけれどもこれ/\の理由(わけ)だ、と役僧にお竹の身の上話をして、其の寺に一泊いたし、段々日数(ひかず)を経てまいりましたが、元より貯え金は所持している事で、漸(ようや)く碓氷を越して軽井沢(かるいざわ)と申す宿(しゅく)へまいり、中島屋(なかじまや)という宿屋へ宿(やど)を取りましたは、十一月の五日でござります。

        三十七

 木曾街道でも追分(おいわけ)沓掛(くつがけ)軽井沢などは最も寒い所で、誰(たれ)やらの狂歌に、着て見れば綿がうすい(碓氷)か軽井沢ゆきたけ(雪竹)あって裾(すそ)の寒さよ、丁度碓氷の山の麓(ふもと)で、片方(かた/\)は浅間山の裾になって、ピイーという雪風で、暑中にまいりましても砂を飛(とば)し、随分半纒(はんてん)でも着たいような日のある処で、恐ろしい寒い処へ泊りました。もう十一月になると彼(あ)の辺は雪でございます、初雪でも沢山降りますから、出立をすることが出来ません、詮方(せんかた)がないから逗留(とうりゅう)という事になると、お竹は種々(いろ/\)心配いたしている。それを宗達という和尚さまが真実にしてくれても何とのう気詰り、便りに思う忠平には別れ、弟(おとゝ)祖五郎の行方は知れず、お国にいる事やら、但(たゞ)しは途中で煩(わずら)ってゞもいやアしまいか、などと心細い身の上で何卒(どうぞ)して音信(たより)をしたいと思っても何処(どこ)にいるか分らず、御家老様の方へ手紙を出して宜(よ)いか分りませんが、心配のあまり手紙を出して見ました。只今の郵便のようではないから容易には届かず、返事も碌に分らんような不都合の世の中でございます。お竹は過越(すぎこ)し方を種々思うにつけ心細くなりました、これが胸に詰って癪(しゃく)となり、折々差込みますのを宗達が介抱いたします、相宿(あいやど)の者も雪のために出立する事が出来ませんから、多勢(おおぜい)囲炉裡(いろり)の周囲(まわり)へ塊(かたま)って茫然(ぼんやり)して居ります。中には江戸子(えどっこ)で土地を食詰(くいつ)めまして、旅稼ぎに出て来たというような職人なども居ります。
○「おい鐵(てつ)う」
鐵「えゝ」
○「からまア毎日(めいにち)/\降込められて立つことが出来ねえ、江戸子が山の雪を見ると驚いちまうが、飯を喰う時にずうと並んで膳が出ても、誰も碌に口をきかねえな」
鐵「そうよ、黙っていちゃア仕様がないから挨拶(えゝさつ)をして見よう」
○「えゝ」
鐵「挨拶(えゝさつ)をして見ようか」
○「しても宜(い)いが、きまりが悪いな」
鐵「えゝ御免ねえ……へえ……どうも何でごぜえやすな、お寒いことで」
△「はア」
鐵「お前(めえ)さん方は何ですかえ、相宿のお方でげすな」
△「はア」
鐵「何を云やアがる……がア/\って」
○「手前(てめえ)が何か云うからはアというのだ、宜(い)いじゃアねえか」
鐵「変だな、えゝゝ毎日(めえにち)膳が並ぶとお互(たげえ)に顔を見合せて、御飯(おまんま)を喰ってしまうと部屋へ入(へい)ってごろ/\寝るくれえの事で仕様がごぜえやせんな、夜になると退屈(てえくつ)で仕様が有りませんが、なんですかえお前(まえ)さん方は何処(どこ)かえお出でなすったんでげすかえ」
△「私(わし)はその大和路の者であるが、少し仔細あって、えゝ長らく江戸表にいたが、故郷(こきょう)忘(ぼう)じ難(がた)く又帰りたくなって帰って来ました」
鐵「へえー然(そ)うで……其方(そちら)のお方はお三人連で何方(どちら)へ」
□「私(わし)は常陸(ひたち)の竜(りゅう)ヶ崎(さき)で」
鐵「へえ」
□「常陸の竜ヶ崎です」
鐵「へえー何ういう訳で此様(こん)な寒い処へ常陸からおいでなさったんで」
□「種々(いろ/\)信心がありまして、全体毎年(まいねん)講中(こうじゅう)がありまして、五六人ぐらいで木曾の御獄様(おんたけさま)へ参詣(さんけい)をいたしますが、村の者の申し合せで、先達(せんだつ)さんもお出(いで)になったもんだから、同道してまいりやした、実は御獄さんへ参るにも、雪を踏んで難儀をして行(ゆ)くのが信心だね」
鐵「へえー大変でげすな、御獄さんてえのは滅法けえ高(たけ)え山だってね」
□「高いたって、それは富士より高いと云いますよ、あなた方も信心をなすって二度もお登りになれば、少しは曲った心も直りますが」
鐵「えへゝゝゝ私(わっち)どもは曲った心が直っても、側から曲ってしまうから、旨く真直(まっすぐ)にならねえので……えゝ其方(そちら)においでなさる方は何方(どちら)で」
 此の客は言葉が余程鼻にかゝり、
×「私(わし)は奥州仙台(しんでい)」
鐵「へえ…仙台(しんでい)てえのは」
×「奥州で」
鐵「左様でがすか、えゝ衣を着てお頭(つむり)が丸いから坊さんでげしょう」
×「いしやでがす」
鐵「へ何ですと」
×「医者(いしや)でがす」
鐵「石工(いしや)だえ」
×「いゝや医道(いどう)でがす」
鐵「へえー井戸掘にア見えませんね」
×「井戸掘ではない、医者(いしゃ)でがす」
鐵「へえーお医者で、私(わっち)どもはいけぞんぜえだもんだから、お医者と相宿になってると皆も気丈夫でごぜえます、些(ちっ)とばかり薄荷(はっか)があるなら甜(な)めたいもんで」
×「左様な薬は所持しない、なれども相宿の方に御病気でお困りの方があって、薬をくれろと仰しゃれば、癒(なお)る癒らないは、それはまた薬が性(しょう)に合うと合わん事があるけれども、盛るだけは盛って上げるて」
鐵「へえー、斯う皆さんが大勢寄って只茫然(ぼんやり)していても面白くねえから、何か面白(おもしれ)え百物語でもして遊ぼうじゃアありやせんか、大勢寄っているのですから」
医「それも宜うがすが、ま能(よ)く大勢寄ると阿弥陀の光りという事を致します、鬮引(くじびき)をして其の鬮に当った者が何か買って来るので、夜中でも厭(いと)いなく菓子を買(けえ)に行(い)くとか、酒を買(けえ)に行(ゆ)くとかして、客の鬮を引いた者は坐ってゝ少しも動かずに人の買って来る物を食(しょく)して楽しむという遊びがあるのです」
鐵「へえーそれは面白(おもしれ)えが、珍らしい話か何かありませんかな」
医「左様でげす、別に面白い話もありませんですな」
鐵「気のねえ人だな何か他に」
○「手前(てめえ)出て先へ喋(しゃべ)るがいゝ」
鐵「喋るたって己(おれ)ア喋る訳には行(ゆ)かねえ、何かありませんかな、お医者さまは奥州仙台だてえが、面白(おもしろ)え怖(おっか)ねえ化物(ばけもの)が出たてえような事はありませんかな」
医「左様で別に化物が出たという話もないが、奥州は不思議のあるところでな」
鐵「へえー左様でござえやすかな」
医「貴方は何ですかえ、松島見物にお出(いで)になった事がありますかえ」
鐵「いや何処(どこ)へも行ったことはねえ」
医「松島は日本三景の内でな、随分江戸のお方が見物に来られるが此のくらい景色の好(よ)い所はないと云ってな、船で八百八島を巡り、歌を詠(えい)じ詩を作りに来る風流人が幾許(いくら)もあるな」
鐵「へえー松島に何か心中でもありましたかえ」
医「情死などのあるところじゃアないが、差当(さしあた)って別にどうも面白い話もないが、医者は此様(こん)な穢(きたな)い身装(みなり)をして居てはいけません、医者は居(い)なりと云うて、玄関が立派で、身装が好(よく)って立派に見えるよう、風俗が正しく見えるようでなければ病者(びょうしゃ)が信じません、随って薬も自(おのず)から利かんような事になるですが、医者は頓知頓才と云って先(ま)ず其の薬より病人の気を料(はか)る処が第一と心得ますな」
鐵「へえー何ういう……気を料る処がありますな」
医「先年乞食が難産にかゝって苦しんでいるのを、所の者が何うかして助けて遣りたいと立派な医者を頼んで診(み)て貰うと、是はどうも助からん、片足出ていなければ宜(よ)いが、片手片足出て首が出ないから身体が横になって支(つか)えてゝ仕様がない、細かに切って出せば命がないと途方に暮れ、立合った者も皆(み)な可愛そうだと云っている処へ通りかゝったのが愚老でな」
鐵「へえ……それからお前さんが産(うま)したのかえ」
医「それから療治にかゝろうとしたが、道具を宅(たく)へ置いて来たので困ったが、此処(こゝ)が頓智頓才で、出ている片手を段々と斯う撫でましたな」
鐵「へえ」
医「撫でている中(うち)に掌(て)を開けました」
鐵「成程」
医「それから愚老が懐中から四文銭を出して、赤児(あかご)の手へ握らせますと、すうと手を引込(ひっこ)まして頭の方から安々(やす/\)と産れて出て、お辞儀をしました」
鐵「へえ咒(まじない)でげすか」
医「いや乞食の児(こ)だから悦んで」
鐵「ふゝゝ人を馬鹿にしちゃアいけねえ、本当だと思ってたのに洒落者(しゃれもん)だね、田舎者だって迂濶(うっかり)した事は云えねい……えゝ其方(そちら)の隅においでなさるお方、あなたは何ですかえ、矢張お医者さまでごぜえやすか」
僧「いや、私(わし)は斯ういう姿で諸方を歩く出家でござる」
鐵「えゝ御出家さんで、御出家なら幽霊なぞを御覧なすった事がありましょう」
僧「幽霊は二十四五度(たび)見ました」
鐵「へえ、此奴(こいつ)あ面白(おもしれ)え話だ、二十四五度……ど何(ど)んなのが出ました」
僧「種々(いろ/\)なのが出ましたな、嫉妬(やきもち)の怨霊は不実な男に殺された女が、口惜(くちおし)いと思った念が凝(こ)って出るのじゃが、世の中には幽霊は無いという者もある、じゃが是はある」
鐵「へえ、ど何んな塩梅(あんばい)に出るもんですな」
僧「形は絵に描(か)いたようなものだ、朦朧(ぼんやり)として判然(はっきり)其の形は見えず、只ぼうと障子や襖(からかみ)へ映ったり、上の方だけ見えて下の方は烟(けむ)のようで、どうも不気味なものじゃて」
鐵「へえー貴方の見たうちで一番怖いと思ったのはどういう幽霊で」
僧「えゝ、左様さ先年美濃国(みののくに)から信州の福島在の知己(しるべ)の所へ参った時の事で、此の知己は可(か)なりの身代で、山も持っている者で、其処(そこ)に暫(しばら)く厄介になっていた、其の村に蓮光寺(れんこうじ)という寺がある、其の寺の和尚が道楽をしていかん彼(あれ)は放逐せねばならんと村中が騒いで、急に其の和尚を追出すことになったから、お前さん住職になってくれないかと頼まれましたが、私(わし)は住職になる訳にはゆかん、行脚(あんぎゃ)の身の上で、併(しか)し葬式でもあった時には困ろうから、後住(ごじゅう)の定(きま)るまで暫くいて上げようと云うんで、其の寺に居りました」
鐵「へえー」
僧「すると私(わし)の知己(しるべ)の山持の妾が難産をして死んだな」
鐵「へえー」
僧「それがそれ、ま主人(あるじ)が女房に隠して、家(うち)にいた若い女に手を附け、それがま懐妊したによって何時(いつ)か家内の耳に入ると、悋気深(りんきぶか)い本妻が騒ぐから、知れぬうちに堕胎(おろ)してしまおうと薬を飲ますと、ま宜(い)い塩梅に堕(お)りましたが、其の薬の余毒(よどく)のため妾は七転八倒の苦しみをして、うーんうんと夜中に唸(うな)るじゃげな」
鐵「へえー此奴(こいつ)ア怖(こわ)えなア」
僧「怨みだな、斯う云う事になったのも、私(わたし)は奉公人の身の上相対(あいたい)ずくだから是非もないが、内儀(おかみ)さんが悋気深いために私(わし)に斯ういう薬を飲ましたのじゃ、内儀さんさえ悋気せずば此の苦しみは受けまい、あゝ口惜(くや)しい、私(わたし)は死に切れん、初めて出来た子は堕胎(おろ)され、私も死に、親子諸共に死ぬような事になるも、内儀さんのお蔭じゃ、口惜(くやし)い残念と十一日の間云い続けて到頭死にました、その死ぬ時な、うーんと云って主人の手を握ってな」
鐵「へえ」
僧「目を半眼にして歯をむき出し、旦那さま私(わたくし)は死に切れませんよ」
○「やア鐵う、もっと此方(こっち)へ寄れ……気味が悪い、どうもへえー成程……そこを閉めねえ、風がぴゅー/\入るから……へえー」
僧「気の毒な事じゃが、仕方がない、そこで私(わし)がいた蓮光寺へ葬りました、他に誰も寺参りをするものがないから、主人が七日までは墓参りに来たが、七日後は打棄(うっちゃ)りぱなしで、花一本供(あ)げず、寺へ附届(つけとゞけ)もせんという随分不人情な人でな」
○「へえー酷(ひど)い奴だね、其奴(そいつ)ア怨まア、直(すぐ)に幽的(ゆうてき)が出ましたかえ」
僧「私(わし)も可愛そうじゃアと思うた、斯ういう仏は血盆地獄(けっぽんじごく)に堕(おち)るじゃ、早く云えば血の池地獄へ落るんじゃ」
○「へえー」
僧「斯ういう亡者(もうじゃ)には血盆経(けっぽんきょう)を上げてやらんと……」
○「へえー……けつ……なんて……けつを……棒で」
僧「いや血盆経というお経がある、七日目になア其の夜(よ)の亥刻(こゝのつ)[#「亥刻(こゝのつ)」はママ、「子刻(こゝのつ)」か「亥刻(よつ)」であるかの判別付かず]前じゃったか、下駄を履(は)いて墓場へ行(ゆ)き、線香を上げ、其処(そこ)で鈴(りん)を鳴(なら)し、長らく血盆経を読んでしもうて、私(わし)がすうと立って帰ろうとすると」
○「うん、うん」
僧「前が一面乱塔場(らんとうば)で、裏はずうと山じゃな」
○「うん/\」
僧「其の山の藪の所が石坂の様になって居(い)るじゃ、其の坂を下(お)りに掛ると、後(うしろ)でぼーずと呼ぶじゃて」
○「ふーん、これは怖(こわ)えな、鐵もっと此方(こっち)へ寄れ、成程お前さんを呼んだ」
僧「何も私(わし)に怨みのある訳はない、縁無き衆生(しゅじょう)は度(ど)し難(がた)しというが、私(わし)は此の寺へ腰掛ながら住職の代りに回向(えこう)をしてやる者じゃ、それを怨んで坊主とは失敬な奴じゃと振向いて見た、此方(こちら)の勢(いきおい)が強いので最(も)う声がせんな」
○「へえー度胸が宜うごぜえやすな、強いもんだね、始終死人の側にばかりいるから怖くねえんだ、うーん」
僧「それから又行(ゆ)きにかゝると、また皺枯(しわがれ)た声で地(じ)の底の方でぼーずと云うじゃて」
○「早桶(はやおけ)を埋(うめ)ちまった奴が桶の中でお前さんを呼んだのかね」
僧「誰だと振向いた」
○「へえ……先方(せんぽう)で驚いて出ましたか、穴の中から」
僧「振向いて見たが何(な)んにも居ないから、墓原(はかはら)へ立帰って見たが、墓には何も変りがない、はて何じゃろうと段々探すと、山の根方の藪ん中に大きな薯蕷(やまいも)が一本あったのじゃ、之(これ)が世に所謂(いわゆる)坊主/\山の芋(いも)じゃて」
○「何の事(こっ)た、人を馬鹿にして、併(しか)し面白(おもしれ)え、何か他に、あゝ其方(そっち)にいらっしゃるお侍さん、えへゝゝ、旦那何か面白(おもしろ)えお話はありませんか」
侍「いや最前から各々方(おの/\がた)のお話を聞いていると、可笑(おか)しくてたまらんの、拙者も長旅で表向(おもてむき)紫縮緬(むらさきちりめん)の服紗包(ふくさづゝみ)を斜(はす)に脊負(しょ)い、裁着(たッつけ)を穿(は)いて頭を結髪(むすびがみ)にして歩く身の上ではない、形は斯(かく)の如く襤褸袴(ぼろばかま)を穿いている剣道修行の身の上、早く云うと武者修行で」
○「これはどうも、左様ですか、武者修行で、へえー然(そ)う聞けばお前さんの顔に似てえる」
侍「何が」
○「いえ、そら久しい以前(あと)絵に出た芳年(よしとし)の画(か)いたんで、鰐鮫(わにざめ)を竹槍で突殺(つッころ)している、鼻が柘榴鼻(ざくろッぱな)で口が鰐口で、眼が金壺眼(かなつぼまなこ)で、えへゝゝ御免ねえ」
侍「怪(け)しからん事をいう、人の顔を讒訴(ざんそ)をして無礼至極」
○「なに、お前さんは左様(そん)なでもねえけれども、些(ちっ)と似てえるという話だ」
侍「貴公らは江戸のものか、職人か」
○「へえ」
侍「成程」
○「旦那、皆(みんな)は嘘っぺいばかしでいけませんが、何(なん)ぞ面白(おもしろ)え話はありませんかね」
侍「貴公(あんた)先にやったら宜かろう」
○「私(わっち)どもは好(い)い話が無(ね)えんで、火事のあった時に屋根屋の徳(とく)の野郎め、路地を飛越し損(そく)なやアがって、どんと下へ落ると持出した荷の上へ尻餅を搗(つ)き、睾丸(きんたま)を打ち、目をまわし、嚢(ふくろ)が綻(ほころ)びて中から丸(たま)が飛出して」
侍「然(そ)ういう尾籠(びろう)の話はいけんなア」
○「それから乱暴勝(らんぼうかつ)てえ野郎が焚火(たきび)に※(「火+共」、第3水準1-87-42)(あた)って、金太(きんた)という奴を殴る機(はず)みにぽっぽと燃えてる燼木杭(やけぼっくい)を殴ったから堪(たま)らねえ、其の火が飛んで金太の腹掛の間へ入(へい)って、苦しがって転がりやアがったが、余程(よっぽど)面白うござえました」
侍「其様(そん)な事は面白くない」
○「そんなら旦那何ぞ面白え話を」
侍「先刻(せんこく)から空話(そらばなし)ばかり出たので、拙者の話を信じて聞くまいから、どうもやりにくい」

        三十八

 向座敷(むこうざしき)にてぽん/\と手を打ち、
宗「誰(たれ)も居ぬかな」
下婢「はい」
 此の座敷に寝ているのは渡邊お竹で、宗達が看病を致して居りますので、
婢「お呼びなさいましたかえ」
宗「一寸(ちょっと)こゝへ入ってくれ」
婢「はい」
宗「序(ついで)に水を持って来ておくれ、病人がうと/\眠附(ねつ)くかと思うと向座敷で時々大勢がわアと笑うので誠に困る」
婢「誠にお喧(やかま)しゅうござりやしょう」
宗「其処(そこ)をぴったり閉めておくれ」
婢「畏(かしこ)まりやした」
 と立って行って大勢の所へ顔を出しまして、
「どうかあの皆さん相宿の方に病人がありやすから、余(あんま)り大(でけ)え声をして、わア/\笑わないように、喧しいと病人が眠り付かねえで困るだから、静(しずか)になさえましよ」
侍「はい/\宜しい……病人がいるなら止しましょう」
○「小声でやってくだせえ、皆(みんな)は虚(そら)っぺえ話(ばなし)で面白くねえ、旦那が武者修行をした時の、蟒蛇(うわばみ)を退治(たいじ)たとか何とかいう剛(きつ)いのを聞きたいね」
侍「左様さ拙者は是迄恐ろしい怖いというものに出会った事はないが、※(「鼬」の「由」に代えて「吾」、第4水準2-94-68)鼠(のぶすま)に両三度出会った時は怖いと思ったね」
○「ど何処(どこ)で」
侍「南部(なんぶ)の恐山(おそれざん)から地獄谷の向(むこう)へ抜ける時だ」
○「へえー名からして怖(おっか)ねえね恐山地獄谷なんて」
侍「此処(こゝ)は一騎打(いっきうち)の難所(なんじょ)で、右手(めて)の方(ほう)を見ると一筋(ひとすじ)の小川が山の麓(ふもと)を繞(めぐ)って、どうどうと小さい石を転がすように最(い)と凄(すさ)まじく流れ、左手(ゆんで)の方(かた)を見ると高山(こうざん)峨々(がゞ)として実に屏風を建てたる如く、誠に恐ろしい山で、樹(き)は生茂(おいしげ)り、熊笹が地を掩(おお)うている、道なき所を踏分け/\段々下(お)りて来たところが、人家は絶(たえ)てなし、雨は降ってくる、困ったことだと思い、暫く考えたが路(みち)は知らず、深更(しんこう)に及んで狼にでも出られちゃア猶更と大きに心配した、時は丁度秋の末(すえ)さ、すると向うにちら/\と見える」
○「へえー、出たんでござえやすか、狼の眼は鏡のように光るてえから、貴方がうんと立止って小便(ちょうず)をなすったろう」
侍「なに、小便(ちょうず)などを為(し)やアせん」
○「それから」
侍「これは困ったものじゃ、彼処(あすこ)に誰か焚火(たきび)でもして居るのじゃアないかと思った」
○「成程山賊が居て身ぐるみ脱いでけてえと、お前さん引(ひっ)こぬいて斬ったんで」
侍「まゝ黙ってお聞き、そう先走られると何方(どっち)が話すのだか分らん、山賊が団楽坐(くるまざ)になっていたのではない、一軒の白屋(くずや)があった」
○「へえー山ん中に……問屋(といや)でしょう」
侍「なに茅屋(あばらや)」
○「え、油屋(あぶらや)」
侍「油屋じゃアない、壊れた家をあばらやという」
○「確(しっ)かりした家は脊骨屋(せぼねや)で」
侍「そう先走っては困る、其家(そこ)へ行って拙者は武辺修行(ぶへんしゅぎょう)の者でござる、斯(か)かる山中(さんちゅう)に路(みち)に踏み迷い、且(かつ)此の通り雨天になり、日は暮れ、誠に難渋を致します、一樹(いちじゅ)の蔭を頼むと云って音ずれると、奥から出て来た」
○「へえー肋骨(あばらぼね)が出て、歯のまばらな白髪頭(しらがあたま)の婆(ばゞあ)が、片手に鉈(なた)見たような物を持って出たんだね、一つ家(や)の婆で、上から石が落ちたんでげしょう」
侍「然(そ)うじゃアない、二八余りの賤女(しずのめ)が出たね」
○「それじゃア気が無(ね)え、雀が二三羽飛出したのかえ」
侍「賤女(しずのめ)」
○「えゝ味噌汁(おつけ)の中へ入れる汁の実」
侍「汁の実じゃアない、二八余り十六七になる娘が出たと思いなさい」
○「へえー家(うち)に居たんだね、容貌(おんな)は好(よ)うごぜえやしたろうね、容貌(おんな)は」
侍「そんな事は何うでも宜しいが、能(よ)く見ると乙(おつ)な女さ」
○「へえー、おい鐵、此方(こっち)へ寄れ、ちょいと見ると美(い)い女だが、能く見ると眇目(めっかち)で横っ面(つら)ばかり見た、あゝいう事があるが、矢張(やっぱり)其の質(たち)なんでしょう」
侍「足下(そっか)が喋ってばかり居っては拙者は話が出来ぬ」
○「じゃア黙ってますから一つやって下せえ」
侍「それから紙燭(しそく)を点(つ)けて出て来て、お武家さま斯様な人も通らん山中(やまなか)へ何うしてお出でなさいました、拙者は武術修業の身の上ゆえ、敢(あえ)て淋しい処を恐れはせぬが如何にも追々夜(よ)は更けるし、雨は降って来る、誠に難渋いたすによって一泊願いたいと云うと、何事も行届(ゆきとゞ)きません、召上る物も何もございませんし、着せてお寐(ね)かし申す物もございません、それが御承知なれば見苦しけれども御遠慮なくお泊り遊ばせと、親切な女で汚い盥(たらい)へ谷水を汲んで来て、足をお洗いなさいというので足を洗いました」
○「へえー其の娘の親父か何かいましたろう」
侍「親父もいない、娘一人で」
○「へえー……母親(おふくろ)もいませんか」
侍「そう喋っては困りますな」
○「もう云いません、それから」
侍「ところが段々聞くと両親もなく、只一人斯(かゝ)る山の中に居って、躬(みずか)ら自然薯(じねんじょ)を掘って来るとか、或(あるい)は菌(きのこ)を採(と)るとか、薪(たきゞ)を採るとか、女ながら随分荒い稼ぎをして微(かす)かに暮しておるという独身者(ひとりもの)さ、見れば器量もなか/\好(よ)い、色が白くて目は少し小さいが、眉毛が濃い、口元が可愛らしく、髪の毛の光艶(つや)も好(よ)し、山家(やまが)に稀(まれ)な美人で」
○「へえー、ふう成程」
侍「何とも云やアしない、まア黙ってお聞き」
○「へえ」
侍「拙者は修業の身の上で、好い女だとは思いましたけれど、猥(いや)らしい事を云い掛けるなどの念は毛頭ない」
○「それは何年頃(いつごろ)の事ですか」
侍「丁度五年以前(あと)の事で」
○「あなたは幾歳(いくつ)だえ」
侍「其様(そん)な事を聞かなくとも宜(よ)い、三十九才じゃ」
○「老けているね……五年以前(あと)、じゃア未(ま)だア壮(さかり)な時でごぜえやすな」
侍「左様」
○「へえ、それから何うしました」
侍「拙者の枕元へ水などを持って来て、喉(のど)が渇いたら召上れと種々(いろ/\)手当をしてくれる、蕎麦掻(そばがき)を拵(こしら)えて出したが、不味(まず)かったけれども、親切の志有難く旨く喰いました」
○「蕎麦粉は宜うごぜえやしたろうが、醤油(したじ)が悪かったに違(ちげ)えねえ、ぷんと来るやつで、此方(こっち)の醤油(したじ)を持って行(ゆ)きたいね」
侍「何を云っている」
○「へえ、それから」
侍「娘は向うの方へ一人で寝る、時は丁度秋の末の事、山冷(やまびえ)でどうも寒い、雨はばら/\降る」
○「成程/\うん/\」
侍「娘は何うしたか何時(いつ)までも寝ないようで」
○「うん(膝へ手を突き前へ乗出し)それから」
侍「拙者に夜具を貸してしまい、娘は夜具無しで其処(そこ)へごろりと寝ているから、どうも其方(そなた)の着る物を貸して、此の寒いのに其方が夜具無しで寝るような事じゃア気の毒じゃ、風でも引かしては宜しくないというと、いえ宜しゅうございます、なに宜しい事はない、掛蒲団(かけぶとん)だけ持って行ってください、拙者は敷蒲団をかけて寝るから、いゝえ何う致しまして、それならば旦那さま恐入りますが、貴方のお裾(すそ)の方へでも入れて寝かしてくださいませんかと云った」
○「へえー、ふう鐵もっと此方(こっち)へ出ろ、面白い話になって来た、旦那は真面目になってるが、能(よ)く見ると助平そうな顔付だ、目尻が下(さが)ってて、旨く女をごまかしたね、中々油断は出来ねえ、白状おしなさい」
侍「ま、黙ってお聞きなさい、苟(かりそ)めにも男女(なんにょ)七才にして席を同じゅうせずで、一つ寝床へ女と一緒に寝て、他(ひと)に悪い評でも立てられると、修行の身の上なれば甚だ困ると断ると、左様ならば御足(おみあし)でも擦(さす)らして下さいましと云った」
○「へえー、女の方で、えへ/\、矢張(やっぱり)山の中で男珍らしいんで、えへ/\/\成程うん」
侍「どうも様子が訝(おか)しい、変だと思った」
○「なに先で思っていたんでしょう」
侍「それから拙者は此方(こっち)の小さい座敷に寝ていると、改めて又枕元へ来てぴたりと跪(ひざまず)いて」
○「其の女が蹴躓(けつまず)きやアがったんで」
侍「蹴躓いたのではない、丁寧に手を突いて、先生私(わたくし)は何をお隠し申しましょう、親の敵(かたき)を尋ねる身の上でございます」
○「うん、其の女が…成程」
侍「敵は此の一村(ひとむら)隔(お)いて隣村に居ります、僅(わずか)に八里山を越すと、現に敵が居りながら、女の細腕で討つことが出来ません、先方は浪人者で、私(わたくし)の父は杣(そま)をいたして居りましたが、山界(やまざかい)の争い事から其の浪人者が仲裁(なか)に入り、掛合(かけあい)に来ましたのを恥(はず)かしめて帰した事があります、其の争いに先方(さき)の山主(やまぬし)が負けたので、礼も貰えぬ所から、それを遺恨に思いまして、其の浪人が私の父を殺害(せつがい)いたしたに相違ないという事は、世間の人も申せば、私も左様に存じます、其の傍(そば)に扇子(せんす)が落ちてありました、黒骨の渋扇(しぶせん)へ金で山水が描(か)いて有って、確(たしか)に其の浪人が持って居りました扇子(おうぎ)で見覚えが有ります、どうか先生を武術修行のお方とお見受け申して、お頼み申しますが、助太刀をなすって敵(かたき)を討たして下さいませんか、始めてお泊め申したお方に何とも恐入りますが、助太刀をなすって本意を遂げさせて下されば、何(ど)の様な事でも貴方のお言葉は背きません、不束(ふつゝか)な者で、迚(とて)もお側にいるという訳には参りませんが、御飯焚(ごはんたき)でもお小間使いでも、お寝間の伽(とぎ)でも仕ようという訳だ」
○「へえー、此奴(こいつ)ア矢張(やっぱり)然(そ)ういう事があるんでげしょう、へえー、なア……鐵やい、左官の松(まつ)の野郎が火事の時に手伝って、それから御家様(ごけさま)の処(とけ)え出入(でへえ)りをし、何日(いつ)か深い訳になったが、成程然ういう事がありましょう、それから何うしました」
侍「然(そ)ういう訳なれば宜しい、助太刀をして慥(たし)かに本意を遂げさせて遣ろうと受合うと、女は悦んで、あゝ有難う草葉の蔭において両親も嘸(さぞ)悦びましょうと、綺麗な顔で真に随喜の涙を流した」
○「へえー芋売(いもがら)見たような涙を」
侍「なに有難涙(ありがたなみだ)を」
○「へえ成程それから何うしました」
侍「ところで同衾(ひとつ)に寝たんだ」
○「へえー甚(ひど)いなア……成程、鐵ウもっと前へ出ろ、大変な話になって来た」
 向座敷で手をぽん/\と打つと、又候(またぞろ)下女がまいって、
下婢「皆さんお静かになすって、なるたけわア/\云わねえように願います」
○「へえ/\……それから何うしました、先生」
侍「いや止そう」
○「其処(そこ)まで遣って止すてえ事はありません、お願(ねげ)えだから後(あと)を話しておくんなせえ」
侍「病人があると云うから止そう」
○「だって先生、こゝで止(や)めちゃア罪です」
侍「こゝらで止める方が宜かろう」
○「落話家(はなしか)や講釈師たア違(ちげ)えます」
侍「此処(こゝ)が丁度宜(い)い段落(きりどこ)だ」
○「おい、よ話しておくんねえな/\」
侍「困るな…すると其の女にこう□□[#底本2字伏字]められた時には、身体(しんたい)痺(しび)れるような大力(だいりき)であった」
○「へえー、それは化物だ、面白い話だね、それから」
侍「もう止そう」
○「冗談じゃアない、これで止(や)められて堪(たま)るものか……皆さん誰か一つ旦那に頼んでおくんなせえな、是から面白(おもしろ)え処なんで、今止められちゃア寝てから魅(うな)されらア」
侍「やるかなア」
○「うん成程、其の女が貴方の顔をペロ/\甜(な)めたんで」
侍「なに甜めるものか、うーんと振解(ふりほぐ)して、枕元にあった無反(むそり)の一刀を引抜いて、斬付けようとすると、がら/\/\と家鳴(やなり)震動がした」
○「ふうん」
侍「ばら/\/\表へ逃げる様子、尚(なお)追掛けて出ると、這(こ)は如何に、拙者が化(ばか)されていたのじゃ、茅屋(あばらや)があったと思う処が、矢張(やっぱり)野原で、片方(かた/\)はどうどうと渓間(たにま)に水の流れる音が聞え、片方は恐ろしい巌石(がんせき)峨々(がゞ)たる山にして、ずうっと裏手は杉や樅(もみ)などの大樹(だいじゅ)ばかりの林で、其の中へばら/\/\と追込んだな」
○「へえー成程、狐(きつね)狸(たぬき)は尻(けつ)を出して何かに見せると云うが、貴方それから何うしました」
侍「追掛けて行って、すうと一刀浴(あび)せると、ばたり前へ倒れた…化物が…拙者も疲れてどたーり其処(そこ)へ尻餅を搗(つ)いた」
○「成程是は尤(もっと)もです、痛(いと)うござえましたろう、其処に大きな石があったんで」
侍「なに石も何もありゃアせん、余計な事を云わずに聞きなさい」
○「な何の化物でげす」
侍「善(よ)く善く其の姿を見ると、それが伸餅(のしもち)の石に化(か)したのさ」
○「へえ、何故だろうなア」
侍「だから何うしてもちぎる訳にいかん」
○「冗談じゃアない、真面目な顔をして嘘ばっかり吐(つ)いてる、皆(みん)な嘘(そら)っぺい話(ばなし)でいけねえ、己(おれ)のは本当だ、此の中(うち)に聞いた人もあるだろう、何(なん)の話さ、大変だな、己ア江戸の者だ、谷中の久米野美作守様の屋敷へ出入の職人だったが、其処(そこ)に大変な悪人がいて、渡邊様てえ人を斬って、其の上に女を連れて逃げたは、えゝ何とかいう奴だっけ、然(そ)うよ、春部梅三郎よ、其奴(そいつ)は甚(ひど)い奴で、重役の渡邊織江様を斬殺(きりころ)したんで、其の子が跡を追掛(おっか)けて行くと、旨く言いくろめて、欺(だま)して到頭連出して、何とかいう所だっけ、然う/\、新町河原(しんまちがわら)の傍(わき)で欺(だま)し討(うち)に渡邊様の子を殺して逃げたというんだが、大騒ぎよ、八州が八方へ手配りをしたが、山越(やまごし)をして甲府へ入(へい)ったという噂で」
鐵「止しねえ/\、うっかり喋るな、冗談じゃアねえぜ、若(も)し八州のお役人が、是(こ)れは何う云う訳だ、他人に聞いたんでと云っても追付(おッつ)くめえ」
 と一人が止めるのを、一人の男が頻(しき)りに知ったふりで喋って居ります。

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