您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 泉 鏡花 >> 正文

怨霊借用(おんりょうしゃくよう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:21:38  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成7
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1995(平成7)年12月4日
入力に使用: 1995(平成7)年12月4日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 第二十二巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1940(昭和15)年11月20日

 


       一

 婦人は、座のかたわらに人気のまるでない時、ひとりでは按摩あんまを取らないがいと、昔気質むかしかたぎの誰でもそう云う。かみはそうまでもない。あのしもの事を言うのである。ねやでは別段に注意を要するだろう。以前は影絵、うつし絵などでは、巫山戯ふざけたその光景を見せたそうで。――御新姐ごしんぞさん、……奥さま。……さ、お横に、とこれから腰をむのだが、横にもすれば、俯向うつむけにもする、一つくるりと返して、ふわりと柔くまた横にもしよう。水々しいうおは、真綿、羽二重のまないたに寝て、術者はまなばしを持たない料理人である。きぬとおして、肉を揉み、筋をなやすのであるから恍惚うっとりと身うちが溶ける。ついたしなみも粗末になって、下じめも解けかかれば、帯も緩くなる。きちんとしていてさえざっとこの趣。……遊山ゆさん旅籠はたご、温泉宿などで寝衣ねまき、浴衣に、扱帯しごき伊達巻だてまき一つの時の様子は、ほぼ……お互に、しなくってもいが想像が出来る。はだを左右に揉む拍子に、いわゆる青練あおねりこぼれようし、緋縮緬ひぢりめん友染ゆうぜんも敷いて落ちよう。按摩をされるかたは、対手あいてめくらにしている。そこに姿の油断がある。足くびの時なぞは、一応は職業行儀に心得て、太脛ふくらはぎから曲げて引上げるのに、すんなりと衣服きものつまを巻いて包むが、療治をするうちには双方の気のたるみから、かかと摺下ずりさがって褄が波のようにはらりと落ちると、包ましい膝のあたりから、白い踵が、空にふらふらとなり、しなしなとして、按摩の手のうちに糸の乱るるがごとくもつれて、えんなまめかしい上掻うわがい下掻したがい、ただ卍巴まんじともえに降る雪の中をさかし歩行あるく風情になる。バッタリ真暗まっくらになって、……影絵は消えたものだそうである。
 ――聞くにつけても、たしなむべきであろうと思う。――
 が、これから話す、わが下町娘したまちっこのおけいちゃん――いまは嫁して、河崎夫人であるのに、この行為、この状があったと言うのでは決してない。
 問題に触れるのは、お桂ちゃんの母親で、もう一昨年頃故人なきひとの数に入ったが、照降町てりふりちょう背負商しょいあきないから、やがて宗右衛門町の角地面に問屋となるまで、その大島屋の身代八分は、その人の働きだったと言う。体量も二十一貫ずッしりとした太腹ふとっぱらで、女長兵衛とたたえられた。――末娘すえっこで可愛いお桂ちゃんに、小遣こづかい出振だしっぷりが面白い……小買ものや、芝居へ出かけに、お母さんが店頭みせさきに、多人数立働く小僧中僧若衆わかしゅたちに、気は配っても見ないふりで、くくりあごの福々しいのに、円々とした両肱りょうひじ頬杖ほおづえで、薄眠りをしている、一段高い帳場の前へ、わざと澄ました顔して、(お母さん、少しばかり。)黙って金箱から、ずらりと掴出つかみだして渡すのが、てのひらが大きく、慈愛が余るから、……やせぎすで華奢きゃしゃなお桂ちゃんの片手では受切れない、両の掌に積んで、銀貨の小粒なのは指からざらざらとこぼれたと言う。……亡きあとでも、その常用だった粗末な手ぶんこの中に、なおざりにちょっと半紙に包んで、(桂坊へ、)といけぞんざいに書いたものを開けると、水晶の浄土珠数じゅずれん、とって十九のまだ嫁入前の娘に、とはたで思ったのは大違い、粒の揃った百幾顆ひゃくいくつの、皆真珠であった。
 姉娘に養子が出来て、養子の魂を見取ってからは、いきぬきに、時々伊豆の湯治に出掛けた。――この温泉旅館の井菊屋と云うのが定宿じょうやど[#ルビの「じょうやど」は底本では「じやうやど」]で、十幾年来、馴染なじみも深く、ほとんど親類づき合いになっている。その都度秘蔵娘のお桂さんの結綿ゆいわた島田に、緋鹿子ひがのこ匹田ひったしぼりきれ、色の白い細面ほそおもて、目にはりのある、眉の優しい、純下町風俗のを、山が育てた白百合の精のように、袖に包んでいたのは言うまでもない。……
「……その大島屋のせんの大きいおかみさんが、ごふびんに思召おぼしめしましてな。……はい、ええ、右の小僧按摩を――小一こいちと申したでござりますが、本名で、まだ市名いちなでも、斎号でもござりません、……見た処が余りちっこいので、お客様方には十六と申す事に、師匠も言いきけてはありますし、当人も、左様に人様には申しておりましたが、この川の下流のかまふち――いえ、もし、渡月橋とげつきょうで見えます白糸の滝の下の……あれではござりません。もっとずッと下流になります。――その釜ヶ淵へ身を投げました時、――小一は二十はたちで、従って色気があったでござりますよ。」
「二十にならなくったって、色気の方は大丈夫あるよ。――私が手本だ。」
 と言って、肩を揉ませながら、快活に笑ったのは、川崎欣七郎きんしちろう、お桂ちゃんの夫で、高等商業出の秀才で、銀行員のいい処、年は四十だが若々しい、年齢にちと相違はあるが、この縁組に申分はない。次のつき井菊屋の奥、香都良川添かつらがわぞいの十畳に、もう床は並べて、膝まで沈むばかりの羽根毛はね蒲団ぶとんに、ふっくりと、たんぜんでくつろいだ。……
 寝床をすべって、窓下の紫檀したんの机に、うしろ向きで、紺地に茶のしまお召の袷羽織あわせばおりを、撫肩なでがたにぞろりと掛けて、道中の髪を解放ときはなし、あすあたりは髪結かみゆいが来ようという櫛巻くしまきが、ふっさりしながら、清らかな耳許みみもとかんざし珊瑚さんごが薄色に透通る。……男を知って二十四の、きじの雪が一層あくが抜けて色が白い。眉が意気で、口許に情がこもって、きりりとしながら、ちょっとお転婆に片褄かたづまの緋の紋縮緬もんちりめんの崩れたなまめかしさは、田舎源氏の――名も通う――桂樹かつらぎという風がある。
 お桂夫人は知らぬ顔して、間違って、愛読する……泉の作で「山吹」と云う、まがいものの戯曲を、軽い頬杖で読んでいた。
「御意で、へ、へ、へ、」
 と唯今ただいま御前ごぜんのおおせに、恐入ったていして、肩からずり下って、背中でお叩頭じぎをして、ポンと浮上ったように顔をもたげて、鼻をひこひことった。この謙斎坊さんは、座敷は暖かだし、精を張って、つかまったから、十月の末だと云うのに、むき身しぼり襦袢じゅばん大肌脱おおはだぬぎになっていて、綿八丈の襟の左右へはだけた毛だらけの胸の下から、ひものついた大蝦蟇口おおがまぐち溢出はみださせて、揉んでいる。
「で、旦那だんな、身投げがござりましてから、その釜ヶ淵……これはただ底が深いというだけの事でありましょうで、以来そこを、提灯ちょうちんヶ淵――これは死にます時に、小一が冥途めいどを照しますつもりか、持っておりましたので、それに、夕顔ヶ淵……またこれは、その小按摩に様子が似ました処から。」
「いや、それは大したものだな。」
 くわっ、とただ口を開けて、横向きに、声は出さずに按摩が笑って、
「ところが、もし、顔が黄色膨れの頭でっかち、えらい出額おでこで。」
「それじゃあ、夕顔の方で迷惑だろう。」
「御意で。」
 とまた一つ、ずり下りざまに叩頭おじぎをして、
「でござりますから瓢箪淵ひょうたんふちとでもいたした方がかろうかとも申します。小一の顔色かおつきが青瓢箪を俯向うつむけにして、底を一つ叩いたような塩梅あんばいと、わしども家内なども申しますので、はい、背が低くって小児こども同然、それで、時々相修業に肩につかまらせた事もござりますが、手足は大人なみに出来ております。おおき日和下駄ひよりげたかしいだのを引摺ひきずって、――まだ内弟子の小僧ゆえ、身分ではござりませんから羽織も着ませず……唯今頃はな、つんつるてんの、すそのまき上った手織縞か何かで陰気な顔を、がっくりがっくりと、振り振り、(ぴい、ぷう。)と笛を吹いて、杖を突張つっぱって流して歩行あるきますと、御存じのお客様は、あの小按摩の通る時は、どうやら毛の薄い頭の上を、不具かたわの烏が一羽、お寺の山から出て附いてくと申されましたもので。――心掛ここころがけい、勉強家で、まあ、この湯治場は、お庇様かげさまとお出入でいりさきで稼ぎがつきます。流さずともでござりますが、何も修業と申して、朝も早くから、その、(ぴい、ぷう。)と、橋を渡りましたり、路地を抜けましたり。……それが死にましてからはな、川向うの芸妓屋げいしゃや道に、どんな三味線が聞えましても、お客様がたは、按摩の笛というものをお聞きになりますまいでござります。何のまた聞えずともではござりますがな。――へい、いえ、いえそのままでおよろしゅう……はい。
 そうした貴方様、勉強家でござりました癖に、さて、これが療治にかかりますと、希代にのべつ、坐睡いねむりをするでござります。古来、しゅうとめの目ざといのと、按摩の坐睡は、遠島ものだといたしたくらいなもので。」
 とぱちぱちぱちと指をはじいて、
「わしども覚えがござります。修業中小僧のうちは、またそのねむい事が、大蛇を枕でござりますて。けれども小一のははげしいので……お客様の肩へつかまりますと、――すぐに、そのこくりこくり。……まず、そのために生命いのちを果しましたような次第でござりますが。」
「何かい、歩きながら、川へおっこちでもしたのかい。」
「いえ、それは、身投みなげで。」
「ああ、そうだ、――こっちが坐睡をしやしないか。じゃ、客から叱言こごとが出て、親方……その師匠にでも叱られたためなんだな。」
「……不断の事で……師匠もあらためて叱言を云うがものはござりません。それに、晩も夜中も、坐睡ってばかりいると申すでもござりませんでな。」
「そりゃそうだろう――朝から坐睡っているんでは、半分死んでいるのもおんなじだ。」
 と欣七郎は笑って言った。
「春秋の潮時でもござりましょうか。――大島屋の大きいおかみが、半月と、一月、ずッと御逗留ごとうりゅうの事も毎度ありましたが、その御逗留中というと、小一の、持病の坐睡がまた激しく起ります。」
「ふ――」
 と云って、欣七郎はお桂ちゃんの雪の頸許えりもとに、くすぐったそうな目をった。が、夫人は振向きもしなかった。
「ために、主な出入場でいりばの、御当家では、方々のお客さんから、叱言が出ます。かれこれ、大島屋さんのお耳にも入りますな、おかみさんが、可哀相な盲小僧だ。……それ、十六七とばかり御承知で……肥満こえふとって身体からだおおきいから、小按摩一人肩の上で寝た処で、蟷螂かまぎっちょが留まったほどにも思わない。冥利みょうりとして、ただで、おあしは遣れないから、肩で船をいでいなと、毎晩のように、お慈悲で療治をおさせになりました。……ところが旦那。」
 と暗い方へ、黒い口を開けて、一息して、
「どうも意固地いこじな……いえ、不思議なもので、その時だけは小按摩が決して坐睡をいたさないでござります。」
「その、おかみさんには電気でもあったのかな。」
「へ、へ、飛んでもない。おかみさんのおそばには、いつも、それはそれは綺麗な、お美しいお嬢さんが、大好きな、小説本を読んでいるのでござります。」
「娘ッ子が読むんじゃあ、どうせろくな小説じゃあるまいし、碌な娘ではないのだろう。」
勿体もったいない。――香都良川には月がある、天城山あまぎやまには雪が降る、井菊の霞に花が咲く、と土地ではやしましたほどのお嬢さんでござりますよ。」
「按摩さん、按摩さん。」
 と欣七郎が声を刻んだ。
「は、」
「きみも土地じゃ古顔だと云うが。じゃあ、その座敷へも呼ばれただろうし、療治もしただろうと思うが、どうだね。」
「は、それが、つい、おうわさばかり伺いまして、お療治はいたしません、と申すが、此屋こちら様なり、そのお座敷は、手前同業の正斎と申す……河豚ふぐのようではござりますが、腹に一向の毒のない男が持分に承っておりましたので、この正斎が、右の小一の師匠なのでござりまして。」
「成程、しかし狭い土地だ。そんなに逗留をしているうちには、きみなんか、その娘ッ子なり、おかみさんを、途中で見掛けた――いや、これは失礼した、見えなかったね。」
「旦那、口幅くちはばっとうはござりますが、目で見ますより聞く方がたしかでござります。それに、それお通りだなどと、途中で皆がひそひそ遣ります処へ出会いますと、ぷんとな、何とも申されません匂が。……温泉から上りまして、梅の花をその……ぎますようで、はい。」
 座には今、その白梅よりやや淡青うすあおい、春のすももかおりがしたろう。
 うっかり、ぷんと嗅いで、
不躾ぶしつけ。」
 と思わずしゃべった。
「その香のさと申したら、通りすがりの私どもさえ、しなにものを着換えましてからも、身うちが、ほんのりとさわやいで、一晩、極楽天上の夢を見たでござりますで。一つ部屋で、お傍にでも居ましたら、もう、それだけで、生命いのちも惜しゅうはござりますまい。まして、人間のしいなでも、そこは血気ちのけの若いやつでござります。死ぬのは本望でござりましたろうが、もし、それや、これやで、釜ヶ淵へおっぱまったでござりますよ。」
 お桂のちょっと振返った目と合って、欣七郎は肩越に按摩を見た。
「じゃあ、なにかその娘さんに、かかり合いでもあったのかね。」

[1] [2] [3] [4] [5] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告