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城崎を憶ふ(きのさきをおもう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:05:21  点击:  切换到繁體中文


 まだ羽織はおりない。手織縞ておりじまちやつぽいあはせそでに、鍵裂かぎざき出來できてぶらさがつたのを、うでくやうにしてふえにぎつて、片手かたてむかうづきにつゑ突張つツぱつた、小倉こくらかひくちが、ぐたりとさがつて、すそのよぢれあがつた痩脚やせずねに、ぺたんこともゆがんだとも、おほきな下駄げた引摺ひきずつて、前屈まへかゞみに俯向うつむいた、瓢箪へうたん俯向うつむきに、出額おでこしりすぼけ、なさけらずことさらにいたやうなのが、ピイロロロピイと仰向あふむいていて、すぐ、ぐつたりとまた俯向うつむく。かぎなりにまちまがつて、みづおとのやゝこえる、ながれはやはしすと、またみちれた。突當つきあたりがもうすぐ山懷やまふところる。其處そこ町屋まちやを、うま沓形くつがた一廻ひとまはりして、振返ふりかへつたかほると、ひたひかくれてくぼんだ、あごのこけたのが、かれこれ四十ぐらゐなとしであつた。
 うか/\と、あとを歩行あるいたはう勝手かつてだが、かれ勝手かつて超越てうゑつした朝飯前あさめしまへであらうもれない。ふえむねひゞく。
 わたし欄干らんかんたゝずんで、かへりを行違ゆきちがはせて見送みおくつた。おなじやうに、あるひかたむき、また俯向うつむき、さてふえあふいでいた、が、やがて、みちなかば、あとへ引返ひきかへしたところで、あらためてつかるごと下駄げたとゞめると、一方いつぱう鎭守ちんじゆやしろまへで、ついたつゑを、ちやう小脇こわきひきそばめてげつゝ、高々たか/″\仰向あふむいた、さみしいおほきあたまばかり、屋根やねのぞ來日くるひみね一處ひとところくろいて、影法師かげぼふしまへおとして、たからかにふえらした。
 ――きよきよらツ、きよツ/\きよツ!
 八千八谷はつせんやたにながるゝ、圓山川まるやまがはとともに、八千八聲はつせんやこゑとなふる杜鵑ほとゝぎすは、ともに此地このち名物めいぶつである。それも昨夜さくや按摩あんまはなした。其時そのときくち眞似まねたのがこれである。れいの(ほぞんかけたか)をへんでは、(きよきよらツ、きよツ/\)とくらしい。
 ひとこゑふえおとすと、按摩あんまは、とぼ/\と横路地よころぢはひつてえた。
 つゞいて其處そことほつたが、もうえない。
 わたし何故なぜか、ぞつとした。
 太鼓たいこおとの、のびやかなあたりを、早足はやあしいそいでかへるのに、途中とちうはしわたつてきしちがつて、石垣いしがきつゞきの高塀たかべいについて、つかりさうにおほきくろもんた。立派りつぱもん不思議ふしぎはないが、くゞりあふつたまゝ、とびら夥多おびたゞしくけてる。のぞくと、やまさかひにした廣々ひろ/″\としたにはらしいのが、一面いちめん雜草ざつさうで、とほくにちひさく、こはれた四阿あづまやらしいものの屋根やねえる。みづかげもさゝぬのに、四阿あづまやをさがりに、二三輪にさんりん眞紫まむらさき菖蒲あやめおほきくぱつといて、すがつたやうに、たふれかゝつたたけさをも、いけ小船こぶねさをさしたやうに面影おもかげつたのである。
 ときたびに、色彩いろきざんでわすれないのは、武庫川むこがはぎた生瀬なませ停車場ていしやぢやうちかく、むかあがりのこみちに、じり/\としんにほひてて咲揃さきそろつた眞晝まひる芍藥しやくやくと、横雲よこぐも眞黒まつくろに、みねさつくらかつた、夜久野やくのやま薄墨うすずみまどちかく、くさいた姫薊ひめあざみくれなゐと、――菖蒲しやうぶむらさきであつた。
 ながめてが、やがてこゝろまで、うつろにつて、あツとおもふ、ついさきに、またうつくしいものをた。ちやうひとみはなして、あとへ一歩ひとあし振向ふりむいたところが、かは曲角まがりかどで、やゝたか向岸むかうぎしの、がけうち裏口うらぐちから、いはけづれるさま石段いしだん五六段ごろくだんりたみぎはに、洗濯せんたくものをしてむすめが、あたかもほつれくとて、すんなりとげた眞白まつしろうでそらざまなのが睫毛まつげかすめたのである。
 ぐらり、がたがたん。
「あぶない。」
「いや、これは。」
 すんでのところ。――つこちるのでも、身投みなげでも、はつときとめる救手すくひては、なんでも不意ふいはう人氣にんきつ。すなはち同行どうかう雪岱せつたいさんを、いままでかくしておいた所以ゆゑんである。
 わたしんだいしの、がけくづれかゝつたのを、苦笑くせうした。あまりの不状ぶざまに、むすめはうが、やさしかほをぽつと目瞼まぶたいろめ、ひざまでいて友禪いうぜんに、ふくらはぎゆきはせて、紅絹もみかげながれらしてつた。
 さるにても、按摩あんまふえ杜鵑ほとゝぎすに、かしもすべきこしを、むすめいろちようとした。わたしみづかいきどほつてさけあふつた。――なほこゝろざ出雲路いづもぢを、其日そのひ松江まつえまでくつもりの汽車きしやには、まだ時間じかんがある。わたしは、もう一度いちど宿やどた。
 すぐまへなるはしうへに、頬被ほゝかぶりした山家やまが年増としまが、つとひらいて、一人ひとりひとのあとをとほつた、わたしんで、げて、「おほき自然薯じねんじようておくれなはらんかいなア。」……はおもしろい。あさまだきは、旅館りよくわん中庭なかには其處そこ此處こゝを、「おほきな夏蜜柑なつみかんはんせい。」……親仁おやぢ呼聲よびごゑながらいた。はたらひと賣聲うりごゑを、打興うちきようずるは失禮しつれいだが、旅人たびびとみゝにはうたである。
 みなぎるばかりひかりつて、しかかるい、川添かはぞひみち二町にちやうばかりして、しろはしえたのが停車場ていしやばから突通つきとほしのところであつた。はしつめに、――丹後行たんごゆき舞鶴行まひづるゆき――すみ江丸えまる濱鶴丸はまづるまる大看板おほかんばんげたのは舟宿ふなやどである。丹後行たんごゆき舞鶴行まひづるゆき――つてたばかりでも、退屈たいくつあまりに新聞しんぶんうらかへして、バンクバー、シヤトルゆきにらむがごとき、じやうのない、他人たにんらしいものではない。――あしうへをちら/\と陽炎かげろふに、そでかもめになりさうで、はるかいろ名所めいしよしのばれる。手輕てがる川蒸汽かはじようきでもさうである。や、そのあしなかならんで、十四五艘じふしごさう網船あみぶね田船たぶねいてた。
 どれかが、黄金わうごん魔法まはふによつて、ゆき大川おほかは翡翠ひすゐるらしい。圓山川まるやまがはおもていま、こゝに、の、のんどりとなごやはらいだくちびるせて、蘆摺あしずれにみぎはひくい。たゝずめば、あたゝかみづいだかれた心地こゝちがして、も、水草みづくさもとろ/\とゆめとろけさうにすそなびく。おゝ、澤山たくさん金魚藻きんぎよもだ。同町内どうちやうない瀧君たきくんに、ひとたはらおくらうかな、……水上みなかみさんはおほきをして、二七にしち縁日えんにち金魚藻きんぎよもさがしてく。……
 わたしうみそらた。かゞやごときは日本海につぽんかいなみであらう。鞍掛山くらかけやま太白山たいはくざんは、いれずみ左右さいうゑがいて、來日くるひみねみどりなす額髮ひたひがみ近々ちか/″\と、おもほてりのするまで、じり/\と情熱じやうねつ呼吸いきかよはす。ゆるながれ浮草うきぐさおびいた。わたしれなかつたのは、れるのをいとつたのでない、なみおそれたのでない。圓山川まるやまがははだれるのをはゞかつたのであつた。
 城崎きのさきは――いまかくごとうかぶ。

 こゝに希有けうことがあつた。宿やどにかへりがけに、きやくせたくるまると、二臺三臺にだいさんだい俥夫くるまやそろつて鐵棒かなぼう一條ひとすぢづゝげて、片手かたてかぢすのであつた。――煙草たばこひながらくと、土地とちかずおほいぬが、くるま吠附ほえつれかゝるのを追拂おひはらふためださうである。駄菓子屋だぐわしや縁臺えんだいにも、船宿ふなやど軒下のきしたにも、蒲燒屋かばやきや土間どまにも成程なるほどたが。――ふうちに、とびかゝつて、三疋四疋さんびきしひき就中なかんづく先頭せんとうつたのには、停車場ていしやばぢかると、五疋ごひきばかり、前後ぜんごからびかゝつた。しつしつしつ! 畜生ちくしやう畜生ちくしやう畜生ちくしやう俥夫くるまや鐵棒かなぼう振舞ふりまはすのを、はしつてたのである。
 いぬどもの、みゝにはて、きばにはみ、ほのほき、黒煙くろけむりいて、くるまともはず、ひとともはず、ほのほからんで、躍上をどりあがり、飛蒐とびかゝり、狂立くるひたつて地獄ぢごく形相ぎやうさうあらはしたであらう、とおもはず慄立よだてたのは、さく十四年じふよねん五月ごぐわつ二十三日にじふさんにち十一時じふいちじ十分じつぷん城崎きのさき豐岡とよをか大地震おほぢしん大火たいくわ號外がうぐわいると同時どうじであつた。
 地方ちはう風物ふうぶつ變化へんくわすくない。わけてたゞ一年いちねん、ものすごいやうにおもふのは、つきおなつきはたゞ前後ぜんごして、――谿川たにがはたふれかゝつたのもほとんおな時刻じこくである。むすめ其處そこ按摩あんま彼處かしこに――
 大地震おほぢしんを、あのときすでに、不氣味ぶきみ按摩あんま豫覺よかくしたるにあらざるか。しからば八千八聲はつせんやこゑきつゝも、生命せいめいだけはたすかつたらう。きぬあらひしむすめも、みづはだこがすまい。
 當時たうじ寫眞しやしんた――みやこは、たゞどろかはらをかとなつて、なきがらのごとやまあるのみ。谿川たにがはながれは、おほむかでのたゞれたやうに……寫眞しやしんあかにごる……砂煙すなけむり曠野くわうやつてた。
 くさも、あはれ、廢屋はいをくあと一輪いちりんむらさき菖蒲あやめもあらば、それがどんなに、とおもふ。

 ――いまは、やなぎめぐんだであらう――城崎きのさきよ。

大正十五年四月




 



底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:米田進
2002年5月8日作成
2003年5月18日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。

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