您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 泉 鏡花 >> 正文

黒百合(くろゆり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:13:48  点击:  切换到繁體中文



       五十二

「いやもうひさしぶりで癇癪かんしゃくをお起しなすって、こんな心持の可いことはござりません。わたくしゃ変な癖で、大旦那と貴方の癇癪声さえ聞きゃ、ぐっとその溜飲りゅういんの下りますんで。へい、それでわたくしも安心でござります、ついお心持を丈夫にしようとッてさきのように太平楽は並べましたものの、わたくしも涙が出ます、実はこらえておりました。」
 慶造はなさけなさそうに笑いながら、
「大旦那様はそんなにも有仰おっしゃりますまいが、貴方の御病気の様子を奥様がお聞きなすって御覧ごろうじろ、大旦那様の一件で気病きやみでおなくなり遊ばしたようなお優しい、お心弱い方がどんなにお歎きでござりましょう。今じゃあ仏様で、草葉の蔭から、かえって小主公わかだんなをお守りなすっていらっしゃるんで、その可愛い貴方のためにそういう処へ参りました娘なら、地獄だって、魔所だって、きっとお守りなさいましょうから、御心配にゃあ及びますまい。のぞみの黒百合の花を取ってやがて戻って参りましょうが、しかし打遣うっちゃっちゃあおかれません、貴方に御内縁の嬢さんなら、わたくしにゃ新夫人様にいおくさま。いや話は別で、そうかといって見ております訳ではござりません。殊に千破矢様というのがその後へおいでなすったという風説うわさ、白魚の姉御がいった若様なんで、味方の大将を見殺みごろしにはされません。もっとも直ぐにその日、一昨日おとといでござりますな、すくなからぬ係合かかりあいの知事様の嬢さんも、あすこの茶屋まで駈着かけつけましたそうで。あれそれと小田原をやってる処へ、また竜川とかいう千破矢の家の家老が貴方、参ったんだそうで、御主人の安否は拙者がか何かで、昔取った杵柄きねづかだ、腕に覚えがありますから、こりゃ強うがす、覚悟をして石滝へ入ろうとすると、どうでございましょう。四五間しかないそうですが、泥水をって川へ一時に推出して来た、見る間にくいを浸して、早や橋板の上へちょろちょろと瀬が着くさわぎ。大変だという内に、水足が来て足をめたっていうんです。それがためにみんな一雪崩ひとなだれに、引返ひっかえしたっていいますが、もっとも何だそうで、そのさきから風が出て大降になりました様子でござりますな。」
「ああ、その事は昨日きのう知事の内から、道とかいう女中が来て私にいった。ちょいちょい見舞ってくれるんだ、今日もついさきに帰ったから聞いているよ。」
「それからはまるで三日、富山中は真暗まっくらで、むかと思うと滝のように降出します。いや神通が切れた、郷屋敷田圃たんぼ堤防つつみが崩れた、牛のふちから桜木町へ突懸つッかかる、四十物町が少し引くかと思うと、総曲輪がうみだという。それに、間を置いちゃあ大雨ですから市中はいくさです。壁がくずれたり、材木が流れたりしますんですが、幸いまだ家が流れる程じゃあないので、ちょうど石滝の方は橋が出たという噂ですから、どうにか路は歩行あるかれましょう。お目にかかって、いよいと貴方でございます日にゃあ、こっちの嬢さんは御主人なり、一方にゃあ姉御がいった若様もいらっしゃる。どうでございましょう、この辺は水は大丈夫でございますか、もしそれが心配だと貴方ばかりではお目の御不自由、と打遣うっちゃっちゃあ参られませんが。」
「慶造、六十年近くもここに居る荒物屋の婆さんがいうんだ、水には大丈夫だそうだから、私には構わんでも可い。」
 心安く言ったので、慶造は雀躍こおどりをして、
「それじゃあ後髪を引かれねえで、可うがす。お二人の先途を見届けて参りましょう。小主公わかだんなお気を着けなすって、のちともいわず直ぐに、」
 といった。折からの雨はまたしのつかねて、暗々たる空の、殊に黄昏たそがれを降静める。
 慶造は眉を濡らすしずくを払って、さしかざした笠を投出すとひとしく、七分三分にもすそをぐい。
「してこいなと遣附やッつけろ、や、本雨だ、威勢が可いぜえ。」

       五十三

 開戸から慶造が躍出したのを、拓は縁に出て送ったが、繁吹しぶきを浴びて身を退いて座に戻った、かれは茫然として手をつかぬるのみ。なかばは自分の体のごときお雪はあらず、あまりの大降に荒物屋のばばも見舞わないから、戸を閉め得ず、ともしけることもしないで、渠はただ滝のなかに穴あるごとく、雨の音に紛れて物の音もせぬ真暗まっくらの内に数時間を消した。初更しょこうを過ぎつと覚しい時、わずかに一度やや膝を動かして、机の前に寄ったばかり。三日の内にもかばかり長い間降詰めたのは、この時ばかりであった。おどろおどろしい雨の中に、遠く山を隔てた隣国の都と思うあたり、馳違はせちがう人の跫音あしおと、もののひびき、洪水の急を報ずる乱調の湿った太鼓、人の叫声さけびごえなどがひとしきりひとしきり聞えるのを、奈落の底で聞くような思いをしながら、理学士は恐しい夢を見た。
 こはいかに! 乾坤別有天けんこんべつにてんあり。いずこともなく、天うららかに晴れて、黄昏か、朝か、気すずしくして、仲秋のごとく澄渡った空に、日も月の形も見えない、たとえば深山みやまにして人跡ひとあとの絶えたる処と思うに、東西も分かず一筋およそ十四五町の間、雪のごとく、霞のごとく敷詰めた白い花。と見るとの花のようで、よく山奥の溪間たにあいながれに添うてむれ生ずる、のりうつぎ(サビタの一種)であることを認めた
 時にそよとの風もなく、花はただ静かに咲満ちて、真白まっしろな中に、ここかしこ二ツ三ツ岩があった。その岩の辺りで、折々花が揺れて、さらさらとなびくのは、下を流るる水の瀬が絡まるのであろう、一鳥声せず。
 理学士は、それともなく石滝の奥ではないかと、ふと心着いて恍惚うっとりとなる処へ、吹落す疾風はやて一陣。蒼空あおぞらなかばおおうた黒い鳥、片翼およそ一間余りもあろう[#「あろう」は底本では「あらう」]と思うわしが、旋風つむじを起して輪になって、ばッと落して、そのうつぎの花に翼を触れたと見ると、あッという人の叫声。途端に飜って舞上った時に、粉吹雪こふぶきのごとくむらむらと散って立つ花片はなびらの中から、すっくとあらわれた一個の美少年があった。まくひじを曲げて手首から、垂々たらたらと血が流れるこぶしを握って、まなじりの切上った鋭い目にはッたと敵をにらんだが、打仰ぐ空次第に高く、鷲は早や光のない星のようになって消えた。
 少年は、じっとその勁敵けいてきの逸し去ったのを見定めた様子であったが、そのままなめらかな岩にせなを支えて、仰向あおむけに倒れて、力なげに手を垂れて、いたく疲れているもののようである。
 やや有って、今少年が潜んでいた同じ花の下からそっと出たのはお雪であった。黒髪は乱れてえりもつれ頬にかかり、ふッくりした頬もしし落ちて、すそたもともところどころ破れ裂けて、岩にすがり草をみ、荊棘いばらの中をくぐり潜った様子であるが、手を負うた少年のかいなすがって、懐紙ふところがみきずを押えた、くれないはたちまちその幾枚かを通して染まったのである。
 お雪は見るも痛々しく、目もれたるさまして、おろおろ声で、
「痛みますか、痛みますか。」というのが判然はっきり聞える。
 眠れるか、少年はわずかにそのかしらったが、血はとまらず、おさえた懐紙は手にもたまらず染まったので、花の上に棄てた。一点紅、お雪は口を着けてその疵口きずぐちを吸ったのである。
 唇が触れた時、少年はすずしい目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはってきっと見たが、また閉じて身動きもせず、手は忘れたもののようにお雪がするままに任せていた。
 両人が姿を見ると、我にもあらず、理学士がししむらは動いたのである。

       五十四

 しばらくするとお雪は帯の端を折返して、いつも締めている桃色の下〆したじめを解いて、一尺ばかり曳出ひきだすと、手を掛けたきぬは音がして裂けたのである。
 そのきれきずを巻いて、放すと、少年はほとんど無意識のごとく手を曲げて胸にもたらして咽喉のどのあたりへ乗せたが、疲れてすやすやとねむった様子。顔のあたり、肩のあたり、はらはらと、来て、白くたまって、また入乱れて立つは、風に花片はなびらが散るのではない、さきに大鷲がうつぎの森の静粛を破って以来、絶えず両人ふたりの身のあたりに飛交う、花の色と等しい、小さな、数知れぬ蝶々で。
 お雪は双の袂の真中まんなかを絞って持ち、留まれば美しい眉をひそめる少年の顔の前を、絶えず払い退け、払い退けする。その都度死装束しにしょうぞくとして身装みなりを繕ったろう、清い襦袢じゅばんくれないの袂は、ちらちらと蝶の中に交って、あれば、おのが肩を打ち、且つ胸のあたりを払っていたが、たちまち顔をしかめて唇を曲げた。二ツ三ツ体をったがあわただしい、我を忘れて肌を脱いだ、単衣ひとえせなこぼづる、雪なすはだえにももつるるくれない、そののあたりからも袂からも、むらむらとして飛んだのは、くだんの白い蝶であった。
 我身なかばはその蝶にしたるかと、お雪は呆れ顔をして身内を見たが、にわかに色を染めてそッと少年を見ると、目を開かず。
 お雪はほっと息をいて、肌を納めようとした手を動かすにいとまなく、きゃッといって平伏した。声に応じて少年はかッぱとね起きて押被おっかぶさり、身をもってお雪をかばう。娘の体は再び花の中にうずもれたが、やや有ってあらわれた少年のせなには、すさまじい鈎形かぎがたに曲ったくちばしが触れた。大鷲は虚を伺って、とこうのすきなく蒼空から襲いきたったのであった。
 倒れながらきっとそのおもてを上げると、翼で群蝶を掻乱かきみだして、白いけぶりの立つ中で、鷲はさっと舞い上るのを、血走った目にみつめながら少年はと立った。思わず胸に縋るお雪の手を取ってたすけながら、行方をにらむと、谷を隔ててはるかに見えるのは、杉ともいわず、とちともいわず、ひのきともいわず、二抱ふたかかえ三抱みかかえに余る大喬木だいきょうぼくがすくすく天をさして枝を交えた、矢来のごとき木間このま々々には切倒したと覚しき同じほどの材木が積重なって、よこたわって、深森のうちおのずからこみちを造るその上へ、一列になって、一ツ去れば、また一ツ、前なるが隠るれば、後なるが顕れて、ほとんど間断なく牛が歩いた。いずれも鼻頭はなづらにおよそ三間あまりの長綱をつけて、姿形も森の中に定かならず、牛曳うしひきと見えるのが飛々に現れて、のッそり悠々として通っていたのであるが、今くだんの大鷲が、風を起して一翼に谷を越え、その峰ある処、件の森の中へあからさまに入ったと思うと、牛は宙に躍って跳狂はねくるうのが、一ツならず、二ツならず、咄嗟とっさかんまなこを遮って七ツ数えるとんだ。
「しっかりしねえ、もう可いぜ。」といって、少年は手を放した。
 お雪は血の気を失った顔を、恐る恐る上げて仰いだが、少年を見るとひとしくふるわした。
「あらまたお背中を、ちょいと大変でございますよ。」
「可いッてことよ、こればかしが何だ。」といったが、あわれ身を支えかねたか、またどっさりと岩に腰を掛ける。
 お雪は失心のていで姿を繕うこともせず。両膝を折って少年の足許あしもとひざまずいて、
「この足手纏あしてまといさえございませねば、貴方お一方はおたすかり遊ばすのに訳はないのでございます。」
 と、いう声も身も顫えたのである。

 << 上一页  [11] [12] [13] [14] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告