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醜婦を呵す(しゅうふをかす)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 16:13:48  点击:  切换到繁體中文

底本: 現代日本文學大系 5 樋口一葉・明治女流文學・泉鏡花集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1972(昭和47)年5月15日
入力に使用: 1987(昭和62)年2月10日初版第13刷
校正に使用: 1987(昭和62)年2月10日初版第13刷

 

村夫子そんぷうしふ、美の女性に貴ぶべきは、其面そのめんの美なるにはあらずして、単に其意そのこゝろの美なるにありと。なんぞあやまれるのはなはだしき。夫子ふうしあながちにしかき道義的誤謬ごびうの見解を下したるは、大早計にも婦人を以て直ちに内政に参し家計を調ずる細君と臆断おくだんしたるに因るなり。婦人と細君と同じからむや、けだし其あひだに大差あらむ。勿論もちろん人の妻なるものも、吾人ごじんが商となり工となり、はた農となるがごとく、女性が此世に処せむと欲して、えらぶ処の、身過みすぎの方便には相違なきも、そはたゞ芸妓げいぎといひ、娼妓しやうぎといひ、矢場女やばをんなといふとひとしく、一個任意の職業たるに過ぎずして、人の妻たるがゆゑに婦人が其本分を尽したりとはいふを得ず。渠等かれらが天命の職分たるや、花の如く、雪の如く、たゞ、美、これをもつて吾人男性に対すべきのみ。
 男子の、花を美とし、雪を美とし、月を美とし、杖を携へて、へうになひて、赤壁せきへきし、松島に吟ずるは、畢竟ひつきやうするにいまだ美人を得ざるものか、あるひは恋に失望したるもののばんむを得ずしてなす、負惜まけをしみ好事かうずに過ぎず。
 玉のかひなは真の玉よりもよく、雪のはだへは雨の結晶せるものよりもよく、太液たいえき芙蓉ふようかんばせは、不忍しのばずはすよりもさらし、これをしからずと人に語るは、俳優やくしやに似たがる若旦那と、宗教界の偽善者のみなり。
 されば婦人は宇宙間に最も美なるものにあらずや、猶且なほかつ美ならざるべからざるものにあらずや。
 心の美といふ、心の美、貞操か、淑徳か、試みに描きて見よ。色黒くまゆ薄く、鼻はあたかもあるが如く、くちびる厚く、まなじり垂れ、ほゝふくらみ、おもてに無数の痘痕とうこんあるもの、ゐのこの如くえたるが、女装して絹地に立たば、たれかこれを見て節婦とし、烈女とし、賢女とし、慈母とせむ。たとひこれが閨秀けいしうたるの説明をなしたるのちも、吾人一片のじやうを動かすを得ざるなり。婦人といへどもまた然らむ。卿等けいらは描きたる醜悪の姉妹に対して、よく同情を表し得るか。恐らくは得ざるべし。
 薔薇ばらには恐るべきとげあり。然れども吾人は其美を愛し、其香を喜ぶ。婦人もしえんにして美、美にして艶ならむか、薄情なるも、残忍なるも、殺意あるもまた害なきなり。
 こゝろみに思へ、糞汁ふんじふはいかむ、その心美なるにせよ、一見すれば嘔吐おうとを催す、よしや妻とするの実用に適するも、たれか忍びてこれを手にせむ。またそれはへいとふべし、然れどもこれを花片はなびらの場合と仮定せよ「木の下はしるなますも桜かな」食物を犯すは同一おなじきも美なるがゆゑに春興たり。なほ天堂に於ける天女エンゼルにして、もしその面貌醜ならむか、濁世だくせい悪魔サタン花顔雪膚くわがんせつぷに化したるものに、嗜好しかうの及ばざるや、はなはだ遠し。
 こひねがはくば、満天下の妙齢女子、卿等けいら務めて美人たれ。其意そのこゝろの美をいふにあらず、肉と皮との美ならむことを、熱心に、忠実に、汲々きふ/\として勤めて時のなほ足らざるをうらみとせよ。読書、習字、算術等、一切すべての科学何かある、たゞ紅粉粧飾こうふんさうしよくの余暇に於て学ばむのみ。琴や、歌や、われはた虫と、鳥と、水の音と、風の声とにこれを聞く、しひて卿等を労せざるなり。
 裁縫は知らざるも、庖丁はうちやうを学ばざるも、卿等が其美を以てすれば、天下にまた無き無上権を有して、抜山蓋世ばつざんがいせの英雄をすら、掌中にろうするならずや、百万の敵も恐るゝに足らず、恐るべきは一婦人いつぷじんといふならずや、そも/\何を苦しんでか、紅粉をいてあくせくするぞ。
 あはれねがはくは巧言、令色、びて吾人に対せよ、貞操淑気を備へざるも、得てよく吾人を魅せしむ。然る時は吾人其恩に感じて、これを新しき床の間に置き、三尺すさつて拝せんなり。もしそれやけに紅粉を廃して、読書し、裁縫し、音楽し、学術、手芸をのみこれこととせむか。女教師となれ、産婆となれ、針妙しんめうとなれ、寧ろ慶庵けいあん婆々ばゞあとなれ、美にあらずしてなんぞ。貴夫人、令嬢、奥様、姫様ひいさまとなるを得むや。ああ、淑女のめんの醜なるは、芸妓、娼妓、矢場女、白首しろくびにだもかざるなり。如何いかんとなれば渠等かれらは紅粉を職務として、婦人の分を守ればなり。たゞ、醜婦の醜を恥ぢて美ならむことを欲する者は、其衷情憐むべし。然れどもの面の醜なるを恥ぢずして、かへつてこれを誇る者、渠等は男性を蔑視するなり、す、常に芸娼妓矢場女等教育なき美人をのゝしる処の、教育ある醜面の淑女を呵す。――如斯かくのごとくふものあり。稚気笑ふべきかな。

(明治三十年八月)




 



底本:「現代日本文學大系 5 樋口一葉・明治女流文學・泉鏡花集」筑摩書房
   1972(昭和47)年5月15日初版第1刷発行
   1987(昭和62)年2月10日初版第13刷発行
入力:小林徹
校正:伊藤時也
2000年9月14日公開
2005年11月23日修正
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