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赤外線男(せきがいせんおとこ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-25 5:51:43  点击:  切换到繁體中文


     7


 その次の朝のことだった。
 帆村荘六は早く起き出ると、どうした気紛(きまぐ)れか、洋服箪笥からニッカーと鳥打帽子とを取り出して、ゴルフでもやりそうな扮装(ふんそう)になった。
 しかし別にクラブ・バッグを引張(ひっぱ)り出すわけでもなく、細い節竹(ふしだけ)のステッキを軽く手にもつと、外へ飛び出した。忌(いま)わしい第一、第二の犠牲者を、昨日一昨日に送ったとは思えないほど、麗(うらら)かな陽春の空だった。
 彼は先ず、警視庁の大きな石段をテクテク登っていった。
「どうです。何か見付かりましたか」彼は捜査課長の不眠に脹(は)れぼったくなった顔を見ると、斯(こ)う声をかけた。
「駄目です」と課長は不機嫌に喚(わめ)いてから、「だが、昨夜また犠牲が出たんです。今朝がた報(しら)せて来ました」
「なに、又誰かやられたんですか」
「こうなると、私は君まで軽蔑(けいべつ)したくなるよ」
「そりゃ、一体どうしたというのです」帆村は自分でもなにかハッと思いあたることがあるらしく、激しく息を弾(はず)ませながら問いかえした。
「浅草の石浜(いしはま)というところで、昨夜の一時ごろ、男と女とが刺し殺された。方法は同じことです。女は岡見桃枝(おかみももえ)という女で、男というのが……」
「男というのが?」
「深山(みやま)理学士なんだッ。これで何もかも判らなくなってしまった」
 課長は余程(よほど)口惜しいものと見えて、帆村の前も構わず、子供のような泪(なみだ)をポロポロ滾(こぼ)した。
「そうですか」帆村も泪を誘(さそ)われそうになった。「じゃ貴方も深山理学士は大丈夫といいながら、一面では大いに疑っていたんですネ」
「そりゃそうだ。今となって云っても仕方が無いが、ひょっとすると、赤外線男というものは、深山理学士の創作じゃないかと思っていた」
「大いに同感ですな」
「視(み)えもせぬものを視えたといって彼が騒いだと考えても筋道が立つ。――ところが其(そ)の本人が殺されてしまったんだから、これはいよいよ大変なことになった」
「僕は兎(と)に角(かく)、見に行って来ます。あれは日本堤署(にほんつつみしょ)の管内(かんない)ですね」
 課長は黙って肯(うなず)いた。
 警察へ行ってみると、現場(げんじょう)はまだそのままにしてあるということだった。場所を教えて貰(もら)うと、彼は直ぐ警察の門を飛び出した。
 そこから、桃枝の家までは五丁ほどで、大した道程(みちのり)ではなかった。彼は捷径(ちかみち)をして歩いてゆくつもりで、通りに出ると、直ぐ左に折れて、田中町(たなかまち)の方へ足を向けた。震災前(しんさいぜん)には、この辺は帆村の縄張(なわば)りだったが、今ではすっかり町並(まちなみ)が一新(いっしん)してどこを歩いているものやら見当がつかなかった。どこから金を見つけて来たかと思うような堂々たる五階建のアパートなどが目の前にスックと立って、行(ゆ)く手(て)を見えなくした。彼は忌々(いまいま)しそうに舌打ちをして、大田中(おおたなか)アパートにぶつかると、その横をすりぬけようとした。そしてハッと気がついた。
 見ると、アパートの高い非常梯子(ひじょうばしご)に、近所の人らしいのが十四五人も載(の)って、何ごとか上と下とで喚(わめ)きあっているのだ。
「どうしたんです」
 帆村は道傍(みちばた)に立っている人のよさそうな内儀(おかみ)さんに訊(たず)ねた。
「なんですか、どうも気味の悪い話なんでござんすよ」と内儀さんは細い眉(まゆ)を顰(しか)めると、赤い裏のついた前垂(まえだれ)を両手で顔の上へ持っていった。「あのアパートの五階に人が死んでいるんだって云いますよ。そういえば、このごろ、近所の方が、何だか莫迦(ばか)に臭(くさ)い臭(くさ)いと云ってましたが、その死骸(しがい)のせいなんですよ。まあ、いやだ」
 内儀さんは、ゲッゲーッと地面へ唾(つば)をはいた。
「じゃ、よっぽど永く経(た)った死骸なんですネ」
「そうなんだそうですよ。開けてみると、押入れの中にそれがありましてネ、もう肉も皮も崩れちゃって、まッ大変なんですって。着物を一枚着ているところから、女の、それも若いひとだってぇことが判ったって云いますよ」
「ナニ、若い女の屍体?」帆村はドキンと胸を打たれた。そうだ、今日は探しに歩こうと思っていたあの女の屍体かも知れない。日数が経っているところから云っても、これは見遁(みのが)せないぞと、心の中で叫んだ。
「そこは、その女の人の借りている室なんですか」
「いいえ、そうじゃないですよ。あすこは潮(うしお)さんという若い学生さんが一人で借りているんです。ところが潮さん、この頃ずっと見えないそうで……」
「その潮さんというのは、若(も)しや背丈の大きい、そうだ、五尺七寸位もある人でしょう」
「よく知ってますね」と内儀さんは、はだけた胸を掻(か)き合(あ)わせながら云った。「ちょいといい男ですわヨ、ホッホッホ」
 帆村は苦笑した。
「あらッ、向うから潮さんが帰ってきちゃったわ」
「えッ」と帆村は駭(おどろ)いて、内儀さんの視線の彼方を見た。
「まア大変顔色がわるいけれど、あの人に違いない……」
 その言葉の終らないうちに、帆村は向うから飄々(ひょうひょう)とやってくる潮らしき人物の袂(たもと)を抑(おさ)えていた。
「潮君」
「呀(あ)ッ」
 青年は帆村の手をヒラリと払って、とッとと逃げ出した。帆村はもう必死で、このコンパスの長い韋駄天(いだてん)を追駈(おいか)けた。そして横丁を曲ったところで追付いて、遂(つい)に組打ちが始まった。そのとき青年の懐中(ふところ)から、コロコロと平べったい丸缶(まるかん)のようなものが転げ出て、溝(みぞ)の方へ動いていった。
「ああ――それは……」
 と青年の腕が伸びようとするところを、帆村は懸命に抑えて、うまく自分の手の内に収めた。そこへバラバラと警官と刑事とが駈けつけたので、帆村は間違われて二つ三つ蹴られ損(ぞん)をしただけで助かった。彼が手に入れたものは一巻のフィルムだった。それも十六ミリの小さいものだった。
 ああ、フィルムといえば、身許不明の轢死(れきし)婦人のハンドバッグに、フィルムの焼(や)け屑(くず)があったではないか。
 帆村は、深山理学士と情婦の桃枝との殺害場所を点検すると、大急ぎで日本堤署へ引かえした。その頃には、本庁からも予審判事が駈けつけていたが、もう何事も観念したものと見え、潮十吉という青年は、墓場から婦人の死骸を掘りだして遁(に)げたことを白状していた。しかし婦人が何者であるか、彼との関係はどうなのであるかについては中々口を緘(つぐ)んで語らなかった。フィルムのことは意外にも、深山理学士の室から奪ったものだと告白したが、事務室から千二百円の大金を盗んだことは極力(きょくりょく)否定した。
 あとは本庁で調べることとし、意気昂然(いきこうぜん)たる老判事は、潮十吉と帆村とを伴(ともな)って、警視庁へ引上げた。
 今朝の不機嫌をどこかへ落してしまった大江山捜査課長の前に、帆村探偵は手に入れた一巻のフィルムを置いて、いろいろと打合わせをした。
「じゃ、午後の五時に、本庁の第四映画検閲室(けんえつしつ)で試写ということにするのですね」
「そう決めましょう。じゃ万事(ばんじ)よろしく」捜査課長は、何が嬉しいのか、帆村の手をギュッと握った。

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