意外なる闖入者――触覚をもった謎の男
私は、夢を見ているのではなかろうかと疑った。
至極古い方法であるが、私は、震える指先で自分の頬をつねった。
(痛い!)
痛ければ、これは夢ではない。いや、そんなことを試みてみないでも、これが夢でないことは、よく分っていたのだ。
夢でないとすれば――近づくあの足音の主は、誰であろうか?
絶対不可侵を誇っていたクロクロ島に、私の予期しなかった人物が、いつの間にか潜入していたとは、全くおどろいたことである。そんな筈はないのだが……。
だが、足音は、ゆっくりゆっくり、階段を下りてくる。私の体は、昂奮のため、火のように熱くなった。
こっとン、こっとン、こっとン!
ついに、階段下で、その足音は停った。
ついで、扉のハンドルが、ぐるっと廻った。
(いよいよ、この室へはいってくるぞ!)
何者かしらないが、はいって来られてはたまらない。私は、扉を内側から抑えようと思って立ち上ろうとした。
だが私は、体の自由を失っていた。
上半身を起そうと思って、床を両手で突っ張ったが、私の肩は、床の上に癒着せられたように動かなかった。
「畜生!」
私は思わずうめいた。うめいても、所詮、だめなものはだめであった。
「あまり、無理なことをしないがいいよ」
とつぜん私の頭の上で、太い声がした。
(あっ、彼奴の声だ。怪しい闖入者の声だ!)
私は歯をくいしばった。
「無理をしないがいいというのに、君は、分らん男だなあ」
闖入者は、腹立たしいほど落着き払っていた。
「き、貴様は、何者か!」
「ふふん、わしの姿を見たいというのか。よし、今そっちへ廻って、わしの姿を、見せてあげよう」
闖入者は、そういうと、また重々しい足を曳きずって私の顔の方へ廻った。
「どうだ、これで、見えるだろうね、わしの姿が……」
見えた!
同時に、私は、愕きのあまり、気が遠くなりかけた。
怪異の姿の人物!
私は、これまで、そのような怪異な姿の人物を見たことがない。だから、何といって、これを説明してよいか分らない。――全身を高圧潜水服と中世紀時代の鎧とをつきまぜたようなもので包んでいる。頭のところには、非常に大きな球状の潜水帽のようなものがある。但し、潜水兜とちがっているのは、その頂天のところに、赤い一本の触角のようなものが出ていて、これがたえず、ぷりぷりと厭な顫動をつづけているのだ。
球形の兜の中にある顔は、どうしたわけか、すこしも見えない。要するに、すこぶる厳重な、そして風変りの潜水服を着ている人間といった方が、早わかりがするであろう。
だがこの怪異な人物は、流暢な日本語を喋るのであった。
「貴様は、誰だ。何者か! 案内もなしに入ってきて、ちゃんと、名乗ったらどうだ」
私は、重ねて叫んだ。
「そんなに、わしの名が聞きたいか。わしには名前はないのだ。しかしそうはいっても、君は本当にしないだろう。では、気のすむようにX大使と称することにしよう。それでは改めて、御挨拶申し上げよう。吾輩は、X大使である。クロクロ島の酋長黒馬博士に、恐悦を申し上げる!」
X大使と名乗る怪異な人物は、すこぶる丁重な挨拶をした。私は、自尊心を傷つけられること、これより甚だしきはなかった。
X大使の試問――地球に資源がなくなったら
「おい、X大使。一体何用あって、無断で、クロクロ島へ闖入したのか。はっきり、わけをいえ」
私は、肺腑をしぼって呶鳴りつけた。
「あははは、そう無理をするなといっているのに、君は分らん男だなあ。その体で、わしに手向うことは出来ないではないか。そうすればわしは、君に代ってこのクロクロ島の実権を握っているようなものだ」
「こいつ、いったな」
「何をいおうと、わしの勝手だ。わしは、わしの欲することを、全部意のままにやるだけのことだ。しかし黒馬博士、わしはまだこのクロクロ島は、ほんの一目見ただけだが、人間業としては、なかなか出来すぎたものだね」
X大使は、お世辞のつもりか、クロクロ島のことをほめあげた。私は、いいがたい口惜しさに黙りこくってただ唇を噛んだ。
「いずれ、クロクロ島の内部は、ゆるゆる拝見するとして、その前に、君に一つ意見を聞いておきたいことがあるんだが、答えてくれるだろうね」
X大使の態度は、俄かに妥協的になってきた。
「答えるかどうかしらんが、早く、それをいってみたまえ」
「うん、いおう。このたび、いよいよ地球の上に捲き起ることとなった第三次世界大戦は、どういう目的とするかね」
X大使は、ふしぎな話題をとらえて、私に質問を発したのである。私はX大使が普通のテロ行為者とはちがって私の生命を断とうとしているのではない様子にほっと胸をなでおろした。
「そんなことは常識の範囲で、誰でも知っていることだ。それはつまり、資源問題だ。汎米連邦にしろ欧弗同盟国にしろ、自己の領土内の資源では足りないから、足りない資源を得るため相手国を攻略しようというのだ。こんなことは、私に聞くまでもない話だ」
と私は、極めて平明にのべた。
「ふむ、やっぱりそうか」
と、X大使は声だけで肯き、
「そこで次の質問になるが、第三次世界大戦の結果、仮りに汎米連邦が欧弗同盟国を征服してヨーロッパとアフリカを自分の手におさめたとする。さて、そうしたことによって、この資源不足問題は、解決するだろうか。君はどう思う?」
X大使の質問は、この方が本題だったらしい。事実私は、この質問には、答えることをちょっと躊躇しないわけに行かなかったが、さりとて答えないでいることは、相手に軽蔑され、こっちの弱みになることだと思ったので、私はついにいった。
「そりゃ、解決するさ。勝者と敗者とができて、勝者は敗者のもっていた資源を利用する」
「あははは、そんな子供だましの答は御免蒙る。なるほど、一応解決するように見えるさ、見えることは見えるが、勝者は敗者のもっていた資源を奪って使うといっても、敗者は全然亡くなったのではない。敗者といえども人間には相違ないので、ちゃんと生きているのだ。やっぱり喰わねばならない。しかも勝者も敗者も、人間であるからには、年と共に人口が殖えていく、だからいくら戦争をしてみても、資源の足りないことは、ついに蔽いがたい。つまり、人間の欲望を充たすためには、地球の資源では不足だという時代になっているのだ。そう思わないかね」
X大使は、すこぶる筋のとおったことをいったのには、私も内心、畏敬の念をおこさずにはいられなかった。しかし、ここで、この無礼者に負けてしまってはならない。
「まあ、そういう風にも考えられる。しかし、まだ、いろいろやってみることがある」
「もちろん、やってみることはあるだろう。空中窒素の固定のように、空中から資源をとるのもいい。海水から金を採るのもいいだろう。海底を掘って鉱脈を探すのもいい。しかしやっぱり足りなくなる日が来るのだ。そのときはどうするつもりか」
「どうするかといって、いろいろやってみても資源がこれ以上出てこないということになれば、やむを得ないさ、仕方がないと、諦めるより外ない」
「諦めるより外ない。そりゃ本当かね、口では諦めるといっても、実際足りなきゃ人類は困るよ。喰べられなければ、生きてゆけないではないか。そこでどういう新手をうつつもりか」
X大使は、さかんに私を追いつめる。そんなことを聞くつもりなら、なにもクロクロ島を破って、私に聞くよりも、他に政治家はたくさんいるのに……。
「地球で解決がつかなきゃ、それまでだ。それとも外に名案があるのかね」
と私は、逆に大使に質問した。
すると大使は、
「私には云う資格がない。いや、ありがとう。そんなところで、諦めていると聞いて、わしは安心した。やあ、大きにお邪魔をした。いずれそのうち、また君のところへやってくるよ」
「えっ! 君は、帰るのか」
「どうして。用がすめば帰るさ。用があれば、又やってくるさ」
「おい、身勝手なことをいうと、許さんぞ。待て!」
X大使は、室を悠々と出ていく。私は、その後に、すっくと立ち上った。私の気分はすでに癒っていた。そしてふしぎにも、ちゃんと立ち上れた。しかし、まだ少しふらふらする足を踏みしめて、あとを追いかけた。
X大使は、階段をのぼっていく。私はその後を追いかけた。手を伸ばせば届くほどの距離でありながら、X大使は、すこしずつ私より先を歩いている。
階段は、もうX大使の頭のところで、つかえている。私は、かなわぬまでも、ここでX大使を追いつめて、せめて足でも捕えて、曳き摺りおろしたい考えだった。
ところがX大使は、なおも悠々と、階段の上にのぼっていく。私は懸命に追いかけた。そして、ついに大使の足を捕えた。
が、なんたる不思議! 私の手は、階段の上の防水扉にいやというほどぶっつかった。見れば、X大使の姿は、そこになかった。有るのは防水扉だけであった。
といって、防水扉は、決して開いたわけではなかった。もし防水扉が開けば、海水が、どっと下におちてくるだろう。しかし、只の一滴の海水も階段の上から降ってこなかった。だから防水扉は絶対に開かなかったのだ。しかもX大使の体は消えてしまったのだ。恰も大使の体は防水扉を透過して、クロクロ島の外に出た――と、そうとしか考えられないのであった。
怪また怪!
私は、階段に取り縋ったまま、大戦慄の末、全身にびっしょり汗をかいた。
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