迫る大危機――敵は黒幕の主
私は、思ったとおりを、元帥に対して、申し述べたのであった。
「米連と欧弗同盟とは、宿敵です。ここへ来て双方刃物をふり上げているのに、今更、どうして手を握れましょう」
元帥は、唇をへの字に結んで、首を大きく、左右へ振った。
「わが判断には、絶対に誤りなしじゃ。それに、ここに信ずべき確証もある」
といって、元帥は、卓子のうえの電文綴の上に、大きな手を置いた。
「どうも仕方がないのだ。狙われるだけの価値があるのじゃ。わが大東亜共栄圏は、三十年来の建設的努力が酬いられて、ついに今日世界の宝庫となるに至ったのだ」
元帥の眉が、ぴくんと動く。
「米連と欧弗同盟とは、戦闘開始の一歩前に、このどんでんがえしの盟約を行ったのである。白人の外交は、いつの世にも、あまりに複雑怪奇である」
「すると、白色人種と有色人種との間に、歴史的な、そして宿命的な戦闘が始まるのですか」
私は、そのように聞かずにはいられなかった。
元帥は、私の鋭い質問に対しては、直接には応えず、
「白色人種だの有色人種だのという区別を考えることが、既におかしいのである。だが、白人の中には、或る利己的な謀略上、そういう考え方を宣伝する悪い奴がいるのだ。われ等有色人種の道義としては、全く想いもよらないことだが、白人の中には、有色人種を今のうちに叩いておかなければ、やがて有色人種のため、白色人種が奴隷になってしまう日が来ると、本気でそう信じている者がいる。そして、今、この誤れる思想が、燎原の火の如く、白人の間にひろがっているのだ。だから、われわれの真の敵は、一般白人にあらずして、今回謀略上このような怪思想の宣伝を始めた黒幕の主こそ、われわれの真の敵である」
「なるほど。その黒幕の主こそ、正しくわれわれの大敵でありますな」
ここに至って、私はようやく、鬼塚元帥のいうことに理解がいったのであった。
ああ、とつぜん確認された意外な大敵! そは、一体何者であろうか。汎米連邦のワイベルト大統領か、或いは又、欧弗同盟のビスマーク将軍か、それとも、また別の怪人物であろうか。
「それで、博士、わが外交陣は、これより懸命の活躍をはじめ、戦争の勃発を、極力おさえるつもりであるが、しかし……」
といって、鬼塚元帥は、しばらく目を瞑じ、
「……しかし、それが不成功に終った暁には、われわれは、大東亜共栄圏の自衛上、武器をとって立ち上らなければならないのだ。そして、世界史始まって以来の最大の死闘が、この地球上に展開されるであろう。そのへんの覚悟は、して置いて貰いたい」
「元帥閣下、よく分りました。貴官のお考えでは、戦闘はいつから始まりますか」
「余の予想では、早ければ、あと二十四時間のちだ」
「え、二十四時間のち?」
私は、おどろいた。戦機は、そのように迫っているのであろうか。
「そして私に対する何か新しい御命令がありますか」
「そのことじゃ、黒馬博士」
と、元帥は、顔を私の方へ近づけ、
「博士は、直ちにクロクロ島へ戻ってもらいたい。そして今後、わが命令を待ち、命令が達したらば、クロクロ島を指揮して、戦線へ出てもらいたい。これを渡しておく。これがわが命令の暗号帳だ」
そういって、鬼塚元帥は、紫色の表紙のついた暗号帳を、私の手に渡した。「分っているだろうが、暗号帳の保管は、特に注意をするように、いいかね」
「は」私は、それを、急ぎ懐中にしまった。
「多分、クロクロ島司令への命令は、一つとして、困難でないものはないであろう。且つ、今日は大西洋に、明日は南氷洋にと、ずいぶんはげしい移動を命ずることであろう。どうか、われわれの大東亜共栄圏のため、粉骨砕身、闘ってもらいたい」
「承知しました。大丈夫です」
「では、すぐさま、クロクロ島へ戻ってもらいたい」
「はい。すぐさま、出発いたします」
「折角、祖国へ戻ってきたのに、何の風情もなく、すぐさま追いかえして、気の毒じゃのう」
「いえ、今は、それどころでは、ありません。いずれ、あの世で、ゆっくりお目にかかりましょう」
「うん、わしも今それをいおうと思っていたところだ」
と、元帥はこたえた。元帥も、今度は、容易ならぬ決心をして居られる。うしろの壁に、一枚の色紙が懸けてある。その文字に、
“戦如風発攻如決河”
とあるのを、私は、大きな感動とともに、二、三度読みかえした。たしかに三略にある名句である。
私は、元帥に別れの挨拶をして、再び魚雷型快速潜水艇にうちのり、急遽、クロクロ島へ引返したのであった。もちろん、オルガ姫を伴って……。
最大速力を出して、クロクロ島までは、四時間で帰りつくことができるはずだった。私はその間、元帥との会見に緊張しすぎた反動で、睡りを催しうつらうつらとしていたが、いつの間にかぐっすり寝込んでしまったらしい。
やがて気がついたときには、オルガ姫が、只ならぬ様子で、しきりに叫んでいるのが、耳に入った。――
「一大事です。クロクロ島が、原位置におりません!」
「ええッ!」私は、わが耳を疑った。それが本当なら、一大変事勃発である!
絶望のクロクロ島――名状しがたい大戦慄
どこへ行ってしまったか、クロクロ島!
「あのとおり堅牢なクロクロ島だ。また、あのとおりすばらしい戦闘力をもったクロクロ島だ。そのクロクロ島が、まるで、煙のように消え去るとは、合点がいかない」
私の心は、じりじりしてきた。
(よし、このうえはオルガ姫にたよらず、自分の手で捜してみよう)
私は、スイッチを切りかえると、自ら操縦のハンドルを握った。
それから私は、透過望遠鏡に目をあてた。この透過望遠鏡というのは、一種の電子望遠鏡で水中はもちろん水上であれ空中であれ、すっかり透過されて見え、その視界距離も零距離から五百キロメートルの遠方まで、どこでも手にとるように見えるというすばらしい光学器械である。私は、この透過望遠鏡を目に当てたまま、そこら中をぐるぐる廻った。
二時間あまりというものを、私は夢中になって、探しまわったのであった。或るときは、海底の軟泥の中をかきわけ、また或るときは、山のような巌床のうえへ匐いあがり、そうかと思うと、急に水面に浮かびあがり、いろいろと力のかぎりをつくして展望したのであった。――だがついに私の得たものは、はげしい疲労と、真暗な絶望とだけであった。
クロクロ島は、どこへいったか、影も形もないのである。
「ああ、――」
私は、ハンドルを握って仰臥したまま、長大息した。
どうしたのであろう、わがクロクロ島よ。このときぐらい私は血の通った生きた人間を恋しく思ったことはない。傍にいるオルガ姫は、なにごとであれ私の命令を忠実にまもる部下ではあったが、惜しいことに、彼女は人造人間だから、話しかけて、相談するわけにはいかなかった。
「ああ、話相手がほしい。すこしぐらい変でもいい、生きている人間の話相手がいてくれたら……」
私は、なんだか、めまいを覚えた。不安の影が、黒い翼をぐんぐんひろげて、私の体を包んでしまおうとする。このまま私は、深海に死んでいくのではないかと、心ぼそさが、こみあげてきた。私は思わずも、ハンドルを握りしめた。そして、誰も聞いていないのに、大きなこえを出して口から出まかせに、わけのわからぬことを喚きたてた。
絶望だ! 絶望だ!
そんなことを、どのくらい続けていたか、私はよく憶えていない。
その間にも、私の操縦する潜水艇は、どこをどう、うろついたのかも全く知らない。
気のついたときには、私は、あやめもわかぬ暗闇の中にいた。
「おや」
と思った私は、耳を澄ました。
だが、何の物音も聞えなかった。――光も音もない世界へ、私は放りこまれていたのである。
しかしこのとき、もう私は、かなりの落着きをとりかえしていた。
「オルガ姫!」
私は、暗闇に向って、助手の名を呼んだ。
返事がない。
「オルガ姫!」
私は、更に声を大きくして叫んだ。
だが、その応答はなかったのである。
(こいつは、いかん。何ということだ!)
事態は重大化した。一大変事が起ったのである。どこにいても、すぐ返事をして飛んでくるはずのオルガ姫が、私の傍から離れ去ったのだ。
クロクロ島は、影を消すし、横に寝ているはずのオルガ姫まで、どこかへ行ってしまった。なにがなんだか、さっぱりわけがわからない。
私は、ふと気がついて、両手を伸ばして、あたりをさぐった。
「なんにもない。ハンドルもないのだ」
一大事だ。私はいつの間にか、極秘の潜水艇の外に出ていたのである。
私は、そっと両手をついて、頭をあげた。
「おッ、起きあがれるぞ!」
私は起き上った。だが、そこにも、次の大きなおどろきが待っていた。私の足の下に、踏んでいるはずの大地が感ぜられないのであった。
(足の裏が、無感覚になったのであろう)
そう思いながら跼んで、足の下をさぐった。このときぐらい、私が愕いたことはない。足の下には、なんにもない。床もなければ、大地もない。それは全く、空っぽの空間だけがあったのである。
名状しがたい大戦慄が、私の背中を、匐いのぼった。怪また怪!
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >> 尾页