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夜泣き鉄骨(よなきてっこつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 6:46:32  点击:  切换到繁體中文



     5


「矢張り、クレーンのスウィッチも、開いています」
 三人の男にさんざん世話をやかせ、漸(ようや)くわしのあとから、クレーンの上まで担(かつ)ぎあげられた政は、モートルの横の、配電盤をひと目見ると、恐(おそ)ろしそうに、そう云った。
「そうか。確(たしか)に、それと間違(まちが)いが無けりゃ、降りることにしよう」
 わし達は、また困難な鉄梯子(タラップ)を、永い時間かかって、一段一段と、下りて行った。
 下まで降りきらない裡(うち)から、残っていた連中は、クレーンの上のスウィッチが開いていたか、どうかについて、尋(たず)ねるのであった。
「政に見て貰(もら)ったがな」わしは一同の顔を、ずッと見廻(みまわ)した。
「クレーンのスウィッチも開いていたよ」
「それじゃ、いよいよあのクレーンは……」そこまで云った職工の一人は、自ら恐(おそ)ろしくなって、言葉を切ってしまった。
「……電気の力で動いたのでは無い、ということになる」とわしは、代りに、云った。
「誰が、動かしたんだッ」
「上って、四方(しほう)に気をつけて見たが、隠れてる人間も居なかった。なァ、源太(げんた)、友三(ともぞう)、雲的(うんてき)」
「そうだ、そうだ」
「もっとも、人間一人で動くようなクレーンじゃない」
「ああ、すると誰が動かしたんだ」
「組長さん。もう我慢が出来なくなった。どうか、ここから出して下せえ」
「俺も、出るッ」
「いや、出ることならぬ」わしは呶鳴(どな)った。「クレーンを動かした者が、判らぬ限り」
「組長さん、そりゃ無理だよ」源太が泣き声を出した。「ありゃ、生きてる人間のせいじゃないんだ」
「なんだとォ――」
「あのクレーンには、何か怨霊(おんりょう)が憑(つ)いていて、そいつがクレーンの上で、泣いたり、クレーンを動かしたりするんだ」
「ああッ――」
 それを聞くと、誰もが、痛いところへ触(さわ)られたように、跳(と)び上って駭(おどろ)いた。
「おお、組長」雲的(うんてき)が云った。「誰かが、外で喚いているようですぜ」
「なに、外で喚いているッ」わしは、予期しないことに吃驚(びっくり)して云った。なるほど、多勢の声で、何やら喚いているのが、遥(はる)かに聞こえるのであった。「じゃ、みんな、外へ出よう」
 一同は、ワッといって、入口の扉(と)の方へ、先を争って駆けだした。ガラガラと、重い鉄扉(てっぴ)が、遠慮会釈(えんりょえしゃく)なく、引き開けられる物音がした。
「おう、組長、大変だア」疳高(かんだか)い声で叫ぶものがある。
 わしは、ギクリとした。
「組長」わしの胸倉(むなぐら)に縋(すが)りついたのは、電纜工場(ケーブルこうじょう)の伍長(ごちょう)をしている男だった。「おせいさんが、大変だッ」
「なに、おせいが、一体どうしたというんだ」
「おせいさんが――」伍長は、苦しそうに言い澱(よど)んだ。「おせいさんが、熔融炉(キューポラ)へ、真逆(まっさかさま)に、飛びこんでしまった」
「熔融炉へ、飛びこんだ、というのかッ」
 わしは、それを聞くなり、おせいの働いていた電纜工場めがけて、矢のように駆け出した。
 わしのあとには、組下のものや、惨事(さんじ)を報(しら)せに来た連中が、バタバタと追いついて来るのであった。
 電纜工場の入口を一歩入ると、凄惨(せいさん)極(きわ)まりなき事件の、息詰まるような雰囲気(ふんいき)が、感ぜられるのだった。皎々(こうこう)たる水銀灯の光の下で仕事をする人々は、技師といわず、職工といわず、場内の一隅(いちぐう)に据えられた、高さ五十尺の太い熔融炉(キューポラ)の周囲(まわり)を取巻いて、一斉に上を見上げていた。熔融炉の側には、松の樹を仆(たお)したような大電纜(だいケーブル)が、長々と横(よこ)わっていたが、これは忘れられたように誰一人ついているものは無かった。
「駄目だァ、何にも見(め)えねえ」
「着物の端も、残っていねえよ」
 そんなことを叫びながら、熔融炉の頂上に昇っていたらしい男工(だんこう)達が、悲痛な面持をして降りて来た。白い手術着を着て駈けつけた医務部(いむぶ)の連中も、形のない怪我人(けがにん)に対して、策の施(ほどこ)しようも無く、皆と一緒に、まごまごしているだけだった。
「どうも、お気の毒でしたが」工場長が、わしの傍へ近づくと、興奮した語調で云った。「気がついたときは、おせいさんが、もう熔融炉(キューポラ)の、殆んど頂上まで、昇っていたんです。でも、それと気がついて、(停めろ、下りろ)と、下から叫びましたが、何も聞えない風で、アレヨ、アレヨと云っているうちに、火焔(かえん)の中へ飛びこまれたようなわけで……」
 わしは、云うべき言葉もなかった。
「おせいさんは、覚悟の自殺を、やったらしいですよ。どうした訳か判りませんが」この工場の組長が、続いて口を挟(はさ)んだ。
 そこへ、ドヤドヤと皆(みんな)を掻(か)きわけて、前へ、飛び出した者があった。
「ああ、死んじまった。おせいさん、俺を残して、何故死んでしまったのだ」
 気が変になったように喚いているのは、クレーン係の政だった。
「オイ、政。どこへ行くんだ」政に追い縋(すが)っているのは、雲的(うんてき)や源太だった。
「おお、おせいちゃん。おれも、直ぐ行くよォ――」
「おい、待てと云ったら」
 政は、恐ろしい力を出して、源太を投げとばすと、呀(あ)ッという間に、熔融炉(キューポラ)の梯子の上へ、ヒラリと飛び上った。
 工場の人々は、まだ生々(なまなま)しい惨事のあとに続いて、どんなことが起ろうとしているかを、早くも悟(さと)って、戦慄(せんりつ)の悲鳴をあげた。
「早く、あの男を捉(つかま)えろ!」
「引ずり下ろせ、あいつは死ぬつもりだぞ!」
「誰か、助けてえ――」
 わしは、身体を動かした。邪魔になる人を押しのけて、熔融炉(キューポラ)の梯子の下まで来たときに、一足早く、雲的の奴が、梯子(はしご)に手をかけていた。
「うぬッ」
 わしは、雲的を、つきとばした。
「わしが助ける」
 鉄梯子に掴(つかま)って、上を見ると、政は、気息奄々(きそくえんえん)たる形であるが、早くも半分ばかりの高さまで登っていた。わしは、ウンと、腰骨に力を入れると、トントンと、手拍子と足拍子と合わせて、梯子をスルスルと攀(のぼ)っていった。見る見る政とわしとの距離は、短縮されて行った。もう一息で、政の身体に手が届くというところで、わしはツルリと、左足を滑らせた。ワッという溜息(ためいき)が、下の方から、聞えてきた。もう余すところは、五六尺しかない。ワンワン、ガヤガヤと、焦燥(もどかし)そうな群衆の声が聞える。わしは、速力(スピード)をグッと速めた。
 気が気じゃなく、上を見ると、政はすでに熔融炉(キューポラ)の縁(ふち)から上へ、上半身を出している。機会(チャンス)は、今を措(お)いて、絶対に無い。しかしわしの手は、まだ三尺下にしか届かない。
 ワンワン、ガヤガヤの声も、耳に入らなくなった。
 政は身体を、くの字なりに、ぐっと曲げていよいよ飛びこむ用意をした。
「やッ!」
 懸声諸共(かけごえもろとも)、わしは、身体を宙に浮かせて、左手(ゆんで)をウンと、さしのべると、ここぞと思う空間を、グッと掴んだ。――
 手応えはあった。
 工場の屋根が、吹きとぶほど大きな歓声が、ドッと下の方から湧きあがった。
 だが、こっちは、右手一本で、熔融炉の鉄梯子を握りしめ、全身を宙に跳ねあげたもんだから、左手(ゆんで)に政の足首を握った儘(まま)、どどッと、下へ墜(お)ちていった。右手を放しては、こっちが、たまらない。ガンと、横腹(よこばら)を、鉄梯子(てつばしご)に打ちつけたがそのとき、幸運にも右脚が、ヒョイと梯子に引懸った。
(しめたッ)
 と思った瞬間、頭の上からバッサリ、熱くて重いものが、わしを、突き墜(おと)すように、落ちてきた。そして、呀(あ)ッという間に、ヌラヌラと、顔や腕を撫でて、下へ墜落していった。それは、政の身体だった。辛うじてわしが掴んだ政の身体だった。(これを離しては……)と私は懸命に怺(こら)えたが、その恐ろしい重力に勝つことが出来ず、遂(つい)にツルリと、わしの指の間から脱けて、あいつの身体は、ヒラヒラと風呂敷のように、コンクリートの床を目懸けて、落ちていった。いや、全(まった)く、政の身体は風呂敷のように、舞いながら、墜ちて行ったのだった。わしは、どうしたものか、急に笑いたくなって、クッ、クッ、ウフウフと、鉄梯子に、しがみついた儘(まま)、暫くは、動くことが出来ない程だった。

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