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母子叙情(ぼしじょじょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 8:12:25  点击:  切换到繁體中文


 ……かの女は無言で規矩男の手を…………ただそれだけであったけれど……。

 かの女は唐突として規矩男から逃げ、武蔵野のとある往還へ出るまでのかの女は、ほとんど真しぐらに馳けた。その間雑木林の下道のゆるやかな坂を曲り、竹煮草(たけにぐさ)の森のような茂みの傍を通り、仄白い野菊の一ぱい咲いている野原の一片が眼に残り、やがて薄荷草(はっかそう)がくんくん匂って里近くなってきた往還で、かの女はタクシーを拾って、東京の山の手の自宅へ帰って来た。かの女の顔色は女中に見咎(みとが)められる程真青だった。かの女は自分の部屋へ入って半病人のように机の前に坐(すわ)ると「もう逢(あ)わない。もう逢わない」こう独言を云ってから規矩男に簡単な絶交状めいた手紙を書いた。
 その夜、かの女は晩(おそ)く、こんなことを話し合える夫と妻とについて内心不思議がりながら、逸作に規矩男と自分との経過のあらましを話した。
「はははは……。そんなことだったのか、そうかははは……。だけどお蔭で君の一郎熱が近頃余程緩和されてたね。なあに規矩男君にも時々逢うさ。そして一郎熱を緩和しながら、君ももうすこし落着いて仕事にかかりたまえ」
 逸作はこう云って莨(たばこ)に火をつけ、軽く笑い続け乍らかの女をまじまじと視(み)ていたが、
「きみい(君)、規矩男君の許嫁(いいなずけ)や僕に済まないと思わないで、一郎にばかり済まないって面白いなあ……ははは……」
「……その済まなさも私の何処かに漠然と潜んでいたには違いないのよ。でもそれは単なる道徳上の済まなさになるんだから、そんなに強いもんじゃないでしょう。こっちはしんからびりびりッと本能の皮膚にさわって来たのよ、もっともこの問題はむす子を仲介にして始まったんですから、むす子への済まなさが中心になったのがあたり前でしょうけど」
 かの女はそう云って仕舞って、ふっと涙ぐんだ。かの女が何と云い訳しようとも、道徳よりも義理よりも、そしてあんなにも哀切な規矩男への愛情よりも、もっと心の奥底から子を涜(けが)したくなかった母の本能、しかく潔癖に、しかく敏感に、しかく本能的にもより本能的なる母の本能――それには、「むす子に済まない」そんなまだるい一通りな詞が結局当て嵌るべくもないのに、今更かの女は気がついた。むす子の存在の仲介によって発展した事情に於て××××……それを母の本能が怒ったのだ、何物の汚涜(おとく)も許さぬ母性の激怒が、かの女を規矩男から叱駆(しっく)したのだ。


 四五年の日月が経過した。
 むす子の画業は着々進んでいるらしく、ラントランシジャンとかそう云った手堅い巴里新聞(パリしんぶん)の学芸欄に、世界尖鋭画壇(せかいせんえいがだん)の有望画家の十指の一人にむす子の名前が報じられて来るようになって来た。むす子はその中でも最年少者で唯一の日本人であるだけに、特別の期待の眼を向けられている様子だった。
「まあ一郎が、まあ嘘(うそ)みたいな話ね。でも有難いわ。やっぱり真面目(まじめ)にやって呉(く)れたのね」
 かの女には僥倖(ぎょうこう)という気持と、当然という自信に充(み)ちた気持とが縺(もつ)れ合った。
 芸術という難航の世界、夫をそれに送りつけ、自分もその渦中に在る。つくづくその世界の有為転変を知るかの女は、世間の風聞にもはや動かされなくなっているにしても、しかし、それを通じて風浪の荒い航行中に、少くともかの女のむす子は舵(かじ)を正しく執りつつあるのを見て取った。健気(けなげ)なむす子よ、とかの女は心で繰り返した。
「やっぱり君の子だ」
 夫の逸作は、彼もうれしさを抑え乍ら、はたで鷹揚(おうよう)に見ている態度だった。年少の画学生時代に貧困で巴里留学を遂げられなかった理想の夢を、彼は今やむす子に実現さしている。運命に対する復讐(ふくしゅう)の快さを味わっている。それだけで満足している。
 だのにむす子は真摯(しんし)な爪を磨いて、堅い芸術の鉄壁に一条の穴を穿(うが)ちかけている。彼は僥倖(ぎょうこう)というよりも、これをむす子の本能と見るよりしか仕方がなかった。
「やっぱり君のむす子だ」
 逸作は、はじめかの女にいった言葉の意味と違った感慨をもって同じ言葉を二度云った。
「なにしろ、芸術餓鬼の子だからね」
 するとかの女はからからと笑った。
 芸術餓鬼といわれて、怒りも歓(よろこ)びもしないで、かの女のただ笑うだけである笑いには、寒白いものがあった。
 兄弟の中で、二人までこの道に躓(つまず)いて生命を滅したものを持つかの女は、一家中でこの道に殉ずる最後唯一の人間と見なければならなかった。木の芽のような軟(やわらか)い心と、火のような激情の性質をもった超現実的な娘が、これほど大きくなったむす子を持つまでに、この世に成長したのは不思議である。そして、芸術という正体の掴(つか)み難いものに、娘時代同様、日夜、蚕が桑を食(は)むように噛(か)み入っている。
 逸作には、人間の好みとか意志とかいうもの以上に、一族に流れている無形な逞(たくま)しいものが、かの女を一族の最後の堡塁(ほるい)として、支えているとしか思えなかった。それは既に本能化したものである。盲目の偉大な力である。今や、はね散って、むす子の上に烽火を揚げている。逸作は実に心中讃嘆(さんたん)し度(た)いような気持もあり乍(なが)ら、口ではふだんからかの女に「芸術餓鬼」などとあだ名をつけてからかって居る。


 或る日勤め先から帰って来た逸作がかの女に云った。
「おいおい、この間巴里(パリ)から帰って来た社(逸作の勤め先)の島村君が態々(わざわざ)僕に云いに来たんだ。一郎君によく巴里で逢(あ)いました。実にしっかりやっておいでです。僕が何よりも嬉(うれ)しく思ったのは、一郎君が僕は僕をこんなに暮させていて呉(く)れるあんな親を持って仕合せです。否仕合せと思わなければならないといつも思ってますって、一郎君が云われたことです、とさ」
 かの女は手を合わせて拝み度くなった。それは何処へかわからない、ただ有難い。徒(いたず)らに大きな理想を持っても万人は愚か、自分自身でさえ幸福になり得ない非力な人間が、ともかくもわが子とは云え、一人立派に成長した男子を今や完全な幸福感に置いている――それでまた親の責務の一端が肩から降りた気もするのである。かの女はいつも思っている。こんな生きる責務の重い世の中へ親あればこそ生れ来たった子。この世に出ようという意志が子にあって、自ら進んで出て来たわけでもないものを、親は先(ま)ず本能愛以外の明瞭(めいりょう)な責任観念からも、この世に於ける子の運命の最大責務者とならなければならない。その子に仕合せと一言でも感謝されるまでには、幾多の親の責任感と切実な哀憐(あいれん)が子に送られた結果なのである。そしてそれはまた、子に責任感を十分感じる親の報いられたる幸福でもあらねばならぬ。


 数年間に巴里のむす子からかの女に宛(あ)てて寄越した手紙は百通以上にもなる。自分の現状を報じ、芸術の傾向を語り、ちょっとした走り書きの旅行便りからも、かの女はむす子がこの稚純晩成質の母である自分を強くし、人生の如何なる現実にも傷まず生きられるよう、しっかりした性根と、抵抗力のある心の皮膚を鍛えしむるよう心懸けている本能的なものが感じられた。
 かの女はそれを読む度に、涙ぐんで笑いながら、
「それは、また、お前がお前自身に対する註文なのじゃないか。親子は共通の弱点を持っている。お前はよくも、そこに気がついた」
 そしてさすがは男の子だ。むす子は孤独の寂しみと、他人の中の苦労によって、見事その弱点を克服しつつある。そして遥(はる)かに母を策動する。いや味ということの嫌いな男の子は、策動するにもわざと感情を見せないで、つけつけ物を云う。かの女を手荒そうに取り扱って、その些細(ささい)な近況からも、実人生の試験をするように細心な見張りを隠しながら、秘(ひそ)かに母の力を培わしている。かの女は、よくむす子と連れ立って巴里の街を歩くときのむす子の態度を思い出した。
「馬鹿だなあ」「僕もう知りませんよ」
 かの女が、ともすれば何事かを空想しながら、車馬轢轆(しゃばれきろく)たる往還を、サインに関らずふらりふらり横切ったり、車道に斜にはみ出したりする迂闊(うかつ)に対して、むす子は、こんな荒い言葉で叱(しか)りながら、両手は絶えず軟くかの女の肩を持ち抱え、幼稚園のこどもにするような労(いたわ)り方をした。
「まるでむら[#「むら」に傍点]だ」そう云って、かの女の顎(あご)に固まった白粉(おしろい)を洋服の袖口(そでぐち)で擦(こす)って呉れたりした。いちばん困ったのは、かの女がよく××××をずり下げることだった。
「一郎さん、だめだめ」かの女は顔を赫(あか)くしながらそういうと、
「ちょっ、こんなお母さんて世界にありますかい。僕絶望しちゃうなあ」そう云いながら、そっと自分の陰にかくまって、カフェの××へ人に見つからぬよう送り込んで呉れた。
 その気持は手紙を通じて年々に変らぬのみか、ますます濃くなって来る。
 
 むす子の手紙の一――今お母さんの手紙受取りました。お母さんが自分の書いたものの世評に(たとえば先々月号の××に載ったような)超然としていると聞いて、すっかり安心しました。自分の中にある汗、垢(あか)、膿(うみ)、等を喜んで恥とせずに出して行くことが出来れば万々です。僕の書いた意味は、それによって受ける反動が、お母さんを苦しめて、ますます苦境に陥れることを心配したので、今となって超然とした、はっきりした態度を持っているお母さんなら心配しません。僕は巴里でお母さんと一緒に居た時も、「世評にくよくよするお母さんが一番嫌だ、ケチくさくって、女くさくって」とよく云いましたね。しかし、その汗や垢が余りくだらないうちは到達だとは云えませんよ。
 兎(と)に角(かく)、そういう心境に到ったということは祝福すべきことです。でも、本当にそうなれましたか?
 すべての自己満足を殺さねばなりません。まだまだお母さんは弱い。うちの者の愛に頼り過ぎるということは自己満足です。お父さんがお母さんに対する愛は大きいですが、お父さんの茫漠性(ぼうばくせい)が、かなりお母さんに害を与えていると思います。お父さんの茫漠性は長所であり短所であると思います。
 真当に今しまって貰わなければ困ります。
 小児性も生れつきでしょうが、やめにして下さい。自分の持っている幼稚なものを許して眺めていることは、デカダンです。自分の持っていないものこそ、務めて摂取すべきです。一度自分のものとなったら、そこから出る不純物、垢は常に排泄(はいせつ)するのです。

 むす子の手紙二――(前略)……お母さんは余りに自分流のカテゴリーを信じようとしすぎるような気がします。だから苦しみ迷うだろうと思います。
 人生はさとるのが目的ではないです。生きるのです。人間は動物ですから。(後略)

 むす子の手紙三――(前略)ですからもうあんな作品を書かないで下さい。僕がお母さんを攻撃するのは、実に悪い半面をたたきつぶすのが僕の愛された子としてのつとめだと思っているからです。(お母さん、あなたは実に好い半面と悪い半面を持っています。第一義的から云ったら好いも悪いもないけれど、僕の知る厳しい人生や芸術に当てはめて見てですよ)
 いくら僕が云っても、わかって呉(く)れなかったら、お母さんは自分の子のいうことさえ耳に入らないということになるのです。
 今読んで打たれているコント・ド・ロートレアモン(本名イジドル・デュカス)作の「マルドロールの唄(うた)」を送ります。お母さんに読んで貰い度(た)いのです。
 お母さんの、僕が不安に思う半面が、それで多少なおされやしないかと希望を持って居ります。(後略)

 むす子の手紙四――(前略)僕はいわゆる××と芸術と云うものの間に大きな溝があると思うのです。芸術家にとっては芸術というものしかなく、それは道徳的でも非道徳的でもないのです。
 これからの芸術家は芸術を信ずるので、××を信ずるものではないと思うのです。芸術家として××よりもっと科学的な××××だって信じ切ることは出来ないのです。芸術家が自分の眼の前に××よりも優れた芸術の姿が見えないのは、意気地のない貧弱な芸術家としか思えないのです。××より崇高な芸術が見えたら、それがすぐ××だなんて××のような理窟を云い出したら、僕は逃げ出しちゃいます。其処から又××にこだわり出して仕舞うのです。一口に云えば芸術家には人の作った××などはいらないのです。××を通して芸術を見たり、××的精神をもった生活から、果してよく芸術が生れるでしょうか。 
 アンドレ・ジードなんか一生××と戦って来たではないですか。
 今まで人間として又芸術家として××を持っていなかったものは、歴史的にないでしょう。それは勿論(もちろん)社会制度、つまりトラディションのためだったらしい。偉い芸術家はみんな最後まで××に拘泥してはいないように思うのです。彼等の芸術はあまりに大きくて、××は姿を完全に消しているのです。(略)
 芸術家は飽くまでも革命家でなければならない。創造でなければならない。ここで××の科学性を引き出されるかも知れませんが、××の科学的理窟は××を汚すものなのではないでしょうか。お母さんが僕に曾(かつ)て小さい時説明して呉れたことは、もっと抜道なくベルグソンが彼のエヴォリューション・クレアートリスに説いています。万物は創造しつつ常に変形しているということです。(略)
 芸術家は芸術のみしか信じないでいいのです。芸術量の少いものが××や×××に行けばいいのです。お母さん、あなたはそんなに芸術家でいながら何をくよくよと迷っているのです。(然(しかし)し茲(ここ)にはっきり云って置くことは、××を打ち壊せということではないのです。良き社会人としての生活には、××は立派な意義や生命を持っているのです。×××の意義もそこにあるのです。すべての人の幸福のために戦うと云うところにあれら[#「あれら」に傍点]の意義はあるのです)
 しかし芸術家となった以上、そこにいわゆる社会人のおつとめ[#「おつとめ」に傍点]以外、もっと大変な芸術というすべてのモラルやカテゴリーや時代を超越したものにぶつかって行くのです。
 ジードは人間として×××になったけれど、彼の芸術までを×××に渡そうとはしません……(略)
 美のための美はいけない。
 芸術は××も×××美も何にもない処の、切実な現実を現わすのです。(略)
 この手紙を書いて仕舞って我ながら驚いたのです。何故ならお母さんの本当のところは××思想を解している。あの天地間の闊達無碍(かったつむげ)な超越的な思想からすれば、今更僕が以上のような手紙を書かなくてもいいわけなのです。こんな煩雑なことを誰がさせるのですか。お母さん、やっぱりあなたがさせるのです。お母さんはあんな立派な思想を研究し了解し得る素質を持っているくせに、お母さんの個人的にそれに添わない幼稚な到らない処が残っているのです。で、ともすれば子の僕にさえ、ただの××だなとお母さんを思わせ、こんな手紙も書かせるのです。お母さんの一方は余り偉過ぎます。一方は余り偉くなさ過ぎます。生憎(あいにく)なことには偉くない方がお母さん自身にも他にも多く働き掛けるのです。両方がよく調和した時がお母さんの本当の完成を見る時なのです。(後略)

 かの女はむす子が曾て、あれだけの感情家である自分の感傷を一言も手紙に書いて来たためしのないのを想(おも)い出しながら、書きかけの原稿紙にいつかこんな字を書いていた。
 むす子は厳しい、母は弱い。
母は女で、むす子は男で。――
「そりゃ、なんだい」
と逸作が笑いながら覗(のぞ)いて行った。
 あとでかの女はまた書いた。
 母は女で、むす子は男、むす子は男、むす子は男、男、男、男――男だ男だと書いていると、其処に頼母(たのも)しい男性という一領土が、むす子であるが為に無条件に自分という女性の前に提供された。凡(およ)そ女性の前に置かれる他の男性的領土――夫、恋人、友人、それらのどれ一つが母に与えられたむす子程の無条件で厳粛清澄な領土であり得ようか。かの女はそれを何に向って感謝すべきか。また自分よりも逞(たくま)しい骨格、強い意志、確乎(かっこ)とした力を備えた男性という頼母しい一領土が、偶然にも自分に依(よ)ってこの世界に造り出された。その生命の策略の不思議さにも、かの女はつくづくうたれて仕舞うのである。
 かの女と逸作が用事の外出から帰って来ると、取次のものが少し興奮した調子で、
巴里(パリ)の坊っちゃんのお知合いの画家がいらっしゃいました。なにしろ東京駅へ着き立てに直(す)ぐ来られたので、鞄(かばん)もそのまま持っていられました」
 かの女の胸に、すぐそれが巴里前衛画派中今は世界的大家であるK・S氏であることが判明した。
「一人で? それとも奥さんと………」
「女の方もご一緒でした」K・S氏は新婚旅行の筈(はず)である。
 取次のものは、K・S氏が携帯した巴里のむす子からの紹介状を差し出した。
 それには態(わざ)と公式めいた簡潔な文で、先頃お知らせしたK・S氏をよろしくと書いてあった。
「で、その方達をどうしたのよ」
「よく運転手にそう云ってTホテルへお送りさしときました。只今(ただいま)、ご主人も奥さまもお留守のことをよく申し上げて」
 何となく機嫌のよくなった逸作が、持前(もちまえ)の癖を出して若者を揶揄(からか)いかけた。
「よく申し上げたとはどうかと思うね。辛うじて申し上げた程度だろう。なにしろ初等科のフランス語ではね」
「いえ、お二人とも英語でお話しでした。ですから僕も久し振りに英語のおさらいだと思って雄弁にやりました」若者は笑いながら舌で唇を嘗(な)めた。
 この上取次を揶揄う材料もなくなり、逸作は今度は、K・S氏の日本画壇への紹介方法について直ぐに考え出した。
「彼、展覧会をするような作品を持って来ただろうか」
 かの女は、
兎(と)に角(かく)今夜は銀座でも見せてあげて、日本食を上げましょう。直ぐホテルへ電話かけてあげて下さい」
「よし、君は新夫人に花でも持って行ってあげたらいい」
 かの女は早速着物を着換えた。K・S氏は巴里画壇の大家の中でも、特にむす子に親しくして呉れている人であり、先輩というより、兄分といった程に寛(くつろ)いでむす子が交際(つきあ)っていることは、かの女によく知れていた。それ程むす子に与えられている知遇に親が報いてやるための奔走はもちろんのことながら、もし自分がむす子の母として、K・S氏に悪い印象を与えるような婦人であったら、K・S氏が今後むす子に対する思惑(おもわく)にも影響しまいものでもない。わけて女である新夫人も一緒にいることではあり、これは十分心遣いが要るとかの女は思った。母思いのむす子は、母の前では母に厳しく、母の陰では母が自慢であった。どんなにか、なつかしさに熱して、母を讃(たた)え、母をこの画家夫妻に立派に話しているかも判らない。かの女は身づくろいをしながら、どうかむす子がK・S氏の脳裡に与えているむす子の母の像を、自分は裏切り度(た)くないものだと、しきりに念じた。
 傲岸不屈(ごうがんふくつ)の逸作も、同じようなことを感じているらしく、珍しく自分の方から、かの女の支度を促しに来ながら云った。
「いやになっちゃう。子供が世話になってる人というと、何だか急所を掴(つか)まえられているようで、一目置いちまう。人間もから[#「から」に傍点]意気地がなくなっちゃう」


 K・S氏は思ったより若く、才敏な紳士であった。身なりも穏当な事務家風であった。しかし、神経質に人の気を兼ねて、好意を無にすまいと極度に気遣いするところは、世俗に臆病(おくびょう)な芸術家らしいところがあった。若夫人はわきに添って素直に咲く花のように如才なく、微笑を湛(たた)えていた。
 ホテルから早速案内した銀座の日本料理屋では、畳に切り込んであるオトシ[#「オトシ」に傍点]に西洋人夫妻と逸作は足を突込み、かの女一人だけ足を後へ曲げて坐(すわ)って、オトシ[#「オトシ」に傍点]の上の食台に向っていた。窓からは柳の梢越(こずえご)しに、銀座の宵の人の出盛りが見渡された。
「イチロは、私たちが旅行に出かける前の晩も、私のうちへ送別に来て、夜遅くまで話して行って呉(く)れました」
 K・S氏はまず何事より、むす子の話こそ、両親への土産という察しのよさを示して、頻(しき)りにむす子のことを話した。
 K・S氏は何度も繰り返して「彼はとても元気です」
 箸(はし)をあやしげに操っていた若い夫人が傍から、
「イチロ、ふふふ」と笑った。
 かの女はぎょっとして、むす子に何か黙笑によって批判される行動でもあったのかと胸をうたれた。そして夫人の笑の性質によって、それが擯斥(ひんせき)されるべきものであったのか看(み)て取りたく思った。だが、かの女が夫人を凝視したとき、夫人はもう俯向(うつむ)いて、箸で吸物椀(すいものわん)の中を探っていた。
「一郎が何かいたしましたの」
 かの女は思わず声高になった。
 すると、K・S氏が懸念を速かに取消すように簡略に話して呉れた。
「私たちが結婚して間近い頃でした。イチロが来たので、ビールを飲みながら夜遅くまで芸術論を闘わせました。一口に巴里(パリ)の新しい画派を抽象派(アプストレー)と云いますが、その中で個人個人によって、随分主張傾向は違っているのです。まあそういったことに就(つ)いての議論ですな。するうち、イチロは眠くなって椅子(いす)によりかかったまま眠って仕舞いました。私たちは日本の美術家に敬意を表して、私たちのベッドを譲りました。つまり彼を二人で運んでベッドへ寝かせてやり、私たちはソファや椅子を並べて寝たわけですな」
 かの女は「まあ」と云った。
「まだ先があるんです。朝、彼は眼を覚ましました。勝手が違ったところにいるので、彼は妙な顔をしていました。しかし、一部始終が判ると、彼は真面目(まじめ)な顔を作って云いました。どうも君たちの新婚の夢を妨げて相済まんと。それから帰って行きました」  
 ここで、夫人はまた、「イチロ、ふふふふ」と、かの女の顔を見て好意の籠(こも)った笑いを贈った。
 かの女は、再び「あ」と云って笑いに誘われた。逸作は、むす子の仕方を想像して、健気(けなげ)な奴と云った表情で笑っている。
 しかし、かの女は笑いに巻き締められるような想(おも)いが胸に泛(うか)んだ。自分がともすれば誤解を受け易い性質から、強い味方が出来ると思う一方、強い敵の出来る厄介な運命に引きかえて、むす子は到るところで愛され、縦横に振舞って、到るところで自由な天地が構えられる。何という無造作な生活力だろう。わが子ながら嫉(ねた)ましく小憎い。だがしかし、彼は見た通りの根からの無造作や自然で、果して今日のような生き方が出来ているだろうか。いや、あれにはあれだけの苦労があって、いまも底には随分辛(つら)いものをも潜めているのではあるまいか。そういう悲哀の数々が自ずと泌(し)み出るので、たとえ、縦横に振舞い、闊達(かったつ)に処理するようでも、人の反感を買わないのではあるまいか。一郎はずっと幼時、かの女が病弱であったある一時期、小児寄宿舎にやられていた。そこで負けず嫌いな一郎は友達と喧嘩(けんか)するときよく引掻(ひっか)くので「猿」というあだ名をつけられていると聞いて「男の子やもいとけなけれど人中に口惜(くちを)しきこと数々あらん」とかの女は切なく詠(うた)ったこともあった。子供のときの苦労は身につく。しかし、その苦労を生(なま)で出さずに、いのちの闊色(かっしょく)にしたところは、わが子ながらあっぱれである。やっぱり根に純枠で逞(たくま)しいものを持って生れついて呉れたせいであろうか。

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