您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 岡本 かの子 >> 正文

母子叙情(ぼしじょじょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 8:12:25  点击:  切换到繁體中文


「さあ、とうとう、やって来た」
 満腹するとすっかり子供に返ってしまって、誰とでもじゃれて遊びたい仔犬(こいぬ)のように、さっきから身体中に弾力の渦巻を転々さして、興味の眼を八方に向け放っていたむす子は、そういって、おかしさに堪え兼ねるように肩を慄(ふる)わして笑った。
 さっき室内噴水のそばに席を取っていた男女の一群が、崩れかかるようにして寄って来た。
 額に捲髪(カール)のあるロザリが先に立って、その次に男と腕を組んで、少し狡(ず)るそうな美しい娘のエレンが、気取って済ましてついて来た。その後に牛のような青年がまた一人いた。
 かの女は、すっかりうれしくなって、全く子供の遊び友達を迎える気持で、彼等の席をつくった。 
 どっちも緑の褶(ひだ)が樺色(かばいろ)に光る同じ色の着物を着ていたジュジュとエレンは、むす子の左右に坐(すわ)った。そして、捲髪(カール)のロザリをかの女自身の右の並びに置き、自分の左側には小ザッパリした青年を隔てに置いて、その向うに牛のような男を坐らした。
 牛のような青年は、女がたくさんいるテーブルに、同性とタブって並ばされたので、無意識にも手持無沙汰(てもちぶさた)らしく、ときどきかの女とロザリと並んでいるのを少し乗り出して横眼で見た。しかし彼女の気持からは、その男は垢(あか)っぽい感触を持ってるので、なるべく一人垣を隔てた向うへどうしても置きたかった。
 そんな末梢的(まっしょうてき)なショックはあっても、来た男女に対してかの女は、全部的の好意と親しみを平等に持って仕舞った。鬼であれ蛇であれ、むす子の相手になって呉(く)れるものに、何で好感を持たずにいられようか。大家族の総領娘として育ったかの女には、いざというとき、こんな大ふうな呑(の)み込んだ度胸が出た。
「イチローさん、この方たちになんでも好きな飲みものでも取ってあげなさい」
 むす子がかの女の言付けを取次ぐと、めいめいおとなしく軽いアルコール性の飲みものを望んだ。
 遠慮の幕一重を距(へだ)てながら、何か共通の気分にうち溶けたい願いが、めいめいの顔色に流れた。そして夜ふかしで腫(はれ)ぼったくなっためいめいの眼と眼を見合しては、飲みものの硝子(ガラス)の縁に薄く口を触れさしていた。折角、口が綻(ほころ)びかけていたジュジュも、仲間の一人に入り混ってしまうと、通り一遍の遊び女になってしまって、ただ、空疎な微笑を片頬(かたほお)に装飾するに過ぎなかった。
 ちょっと広間の周囲の空気からは、ここはエアポケットに陥ったように感ぜられつつある。数分間のうちにかの女は、この群の人々とむす子との間に対蹠(たいせき)し、或は交渉している無形な電気を感じ取った。
 かの女の隣にいる小ざっぱりした芸術写真師は、見かけだけ快く、内容はプーアなので、むす子に案外嘗(な)められているのかも知れない。牛のような青年は、巨獣が小さい疵(きず)にも悩み易(やす)いように、常に彼もどろんとした憂鬱(ゆううつ)に陥っている。それでむす子は、何か憐愍(れんびん)のような魅力をこの男に感ずるらしい――。
 むす子は男性に対しては感受性がこまかく神経質なのに、女性に対しては割り合いに大ざっぱで、圧倒的な指揮権を持っていた。
 女たちは、何かいうにも、むす子に対して伏目になり、半分は言訳じみた声音で物を云った。それに対してむす子は、何等情を仮さないと云った野太い語調で答えた。それは答えるというよりも、裁く態度だ。裁判官の裁きの態度よりも、サルタンの熱烈で叱責的(しっせきてき)な裁き方だ。そういえば、かの女は思い起したことがある。日本にいる時から、この子供は女性から一種の怯(おび)えをもって見られていた。かの女の周囲に往来する夫人や娘たちは云った。
「イチローさんは、何だか女の気持を見抜いているような眼をした子供さんね。子供さんでも、あのお子さんに何か云われると、仕舞いに泣かされちまうわ。怖いわ」
 そう云いながら、彼女達は家へ来るとイチローさんイチローさんとしきりに探し求めた。
 なぜだろうか。それはかの女にも原因があるのではないかと、かの女は考えた。
 かの女は、むす子が頑是ない時分から、かの女の有り剰(あま)る、担い切れぬ悩みも、嘆きも、悲しみも、恥さえも、たった一人のむす子に注ぎ入れた。判っても、判らなくても、ついほかの誰にも云えない女性の嘆きを、いつかむす子に注ぎ入れた。頑是ない時分のむす子は、怪訝(けげん)な顔をして「うん、うん」と頷(うなず)いていた。そしてかの女の泣くのを見て、一緒に泣いた。途中で欠伸(あくび)をして、また、かの女と泣き続けた。
 稚純な母の女心のあらゆるものを吹き込まれた、このベビー・レコードは、恐らく、余白のないほど女心の痛みを刻み込まれて飽和してしまったのではあるまいか。この二十歳そこらの青年は、人の一生も二生もかかって経験する女の愛と憎みとに焼け爛(ただ)らされ、大概の女の持つ範囲の感情やトリックには、不感性になったのではあるまいか。そう云えば、むす子の女性に対する「怖いもの知らず」の振舞いの中には、女性の何もかもを呑み込んでいて、それをいたわる心と、諦(あきら)め果てた白々しさがある。そして、この白々しさこそ、母なるかの女が半生を嘆きつくして知り得た白々しさである。その白々しさは、世の中の女という女が、率直に突き進めば進むほど、きっと行き当る人情の外れに垂れている幕である。冷く素気なく寂しさ身に沁(し)みる幕である。死よりも意識があるだけに、なお寂しい肌触りの幕である。女は、いやしくも女に生れ合せたものは、愛をいのちとするものは、本能的に知っている。いつか一度は、世界のどこかで、めぐり合う幕である。むす子の白々しさに多くの女が無力になって幾分諛(へつら)い懐しむのには、こういう秘密な魔力がむす子にひそんでいるからではあるまいか。そしてこの魔力を持つ人間は、女をいとしみ従える事は出来る。しかし、恋に酔うことは出来ない。憐(あわ)れなわが子よ。そしてそれを知っているのは母だけである。可哀相(かわいそう)なむす子と、その母。
「サヴォン・カディウム!」とエレンが、小さい鋭い声で反抗した。
 むす子はエレンが内懐から取出して弄(もてあそ)び始めようとしたカルタを引ったくって取上げて仕舞ったのである。
「サヴォン・カディウム! サヴォン・カディウム!」ロザリも、おとなしいジュジュまでが立ちかかって手を出した。
 むす子は可笑(おか)しさを前歯でぐっと噛(か)んで、女たちの小さい反抗を小気味よく馬耳東風に聞き流すふりをしている。
「何ですの。サヴォン・カディウムって」とかの女はちょっと気にかかって左隣の芸術写真師に訊(き)いた。
「ママンにサヴォン・カディウムを訊かれちゃった」明朗な写真師の青年は、手柄顔に一同に披露した。
 女たちは、タイラントに対する唯一の苛めどころが見付かったというように、
「さあ、ママンに話そうかな、話すまいかな」と焦(じ)らしにかかった。
「ひょっとしてそれがむす子の情事に関する隠語ではあるまいか」こういう考えがちらりと頭に閃(ひらめ)くと、かの女は少し赫(あか)くなった。
「訊かない方がよかった」「しかし訊き度(た)い」「何でもないじゃないか」とむす子はフランス語で女たちを窘(たしな)めて置いて、今度はかの女に日本語でいった。
「カディウム・サヴォンというシャボンの広告が町の方々に貼(は)ってあるでしょう。あれについてる子供の顔が僕に似てるというんです。随分僕を子供っぽく見てるんですね」
 それから、むす子は女たちの方を向いて同じ意味の事をフランス語でいって、付け足した。
「こうママンに説明したんだが、誰か異議があるか」
 女たちは詰らない顔をした。かの女も詰らない顔をした。
「サヴォン・カディウム!」今度はかの女が突然、むす子に向ってこう呼びかけた。それは確にこの場の打切りになった感興の糸目を継ぐために違いなかったが、かの女は無意識に叫び出して仕舞ったのである。そこにはもう、何も彼も忘れて、子供をからかえる素朴な母になって、春の一夜を過したいかの女が在るばかりだった。
 すると憂鬱に黙っていた牛のような青年が、何を感じたか、むっつりした声で怒鳴った。
「ママン、万歳!」
「この男はアルトゥールと云って、独逸(ドイツ)が混ってるフランス人ですがね」
とむす子は日本語がみんなに判らぬのを幸い、かの女に露骨に説明した。
「いい思いつきを持ってる店頭建築の意匠家ですがね。何か感激したものを持たないと決して仕事をしないのです。つまり恋なのですが、随分七難かしい恋愛を求めてるんです。僕のみるところでは、姉とか母とかの愛のようなものを恋愛によそえて求めてるようなのですが、当人は飽くまでもただの恋愛だといって頑張ってるんです。西洋人の中には随分独断の奴が多いのです。自分の考えていることを一々実際にやってみて、行き詰って額をぶつけてからでないと承知しないのです。このアルトゥールもその一人ですが、そんな理ですから、また、この男くらい恋愛を簡単に女に投げかけてみて、そして深刻に失敗した奴も少いでしょう。つまり、こいつぐらい恋愛の場数を踏みながら、まだ恋愛の一年生にとまっている奴も少いでしょう」
「じゃ、一郎はもう卒業生なの」
「まあ、黙って。そこで、おかしい事があるんです。このアルトゥールがどこで女に失敗するかというと、その熱心さがあんまり気狂い染(じ)みているというんです。ここにいるロザリもエレンも、一度はその気狂い染みた恋愛の相手になったのですが、女たちの話を訊(き)くと、甘えて卑(へ)り下ってしようがないというんです。恋人を実際生活の上でほんとの女神扱いにするんだそうです。希臘神話(ギリシアしんわ)に出て来るようなへんな着物を拵(こしら)えて女に着せて、バラの冠を頭に巻かして自分はその傍に重々しく坐(すわ)っている。まあ、そんな調子です」
「それから奇抜なのは、そういう恋愛を得た時、この男のインスピレーションは高められて、しっしと、引受けた店頭建築の意匠を捗(はかど)らせて見事な仕事をするのですが、出来上った店頭装飾建築には、一々そのときの恋人の名前をつけるんです。エレンのポーチとか、ロザリのアーチとか。そして、その完成祝いには恋人の女神を連れて来て初入店の式をさせるのです。その希臘神話風の服装で」
「女は、殊に西洋人の女は、決してそういう扱いを嫌いなわけではありません。大好きです。それで、暫時は有頂天になっていますが、結局は空虚の感じに堪えられなくなるというんです。なぜでしょう」
「それは総てを与えても、結局は男が女に与うべきものを与えないからでしょう」かの女は即座に答えた。エゴイズムの男。そして自分でもそのエゴイズムに気がつかない男。かの女の結婚生活の前半の嘆き苦しみの原因もまた、そこに在ったのではなかったか……。
「そうでしょうか、そうかも知れませんね」
「パパとアルトゥールとまるっきり違うけど……私思い出したわ。ほらあんた子供のとき、パパと新しく出来た船のお客に二人だけで呼ばれてって、二三日ママと訣(わか)れてたことがあったでしょう。帰って来て、矢庭にママにぶら下がって泣き出したね。何故だか人中でパパと暮すと、とても寂しくてやり切れないって……」
 むす子は遠い過去の実感に突き当って顔が少し赫(あか)くなったのを、ビールを口へ持って行って和めた。
「パパは、はやりっ子になりたてでしたね。あの時分、世間だの仕事だのが珍しくって面白くって堪(たま)らない一方だったんですね……あの時分からみると、パパは生れ代ったような人になりましたね」
「ほんとうに、あなたにも私にも勿体(もったい)ないようなパパ……今のようなパパだと、昔のことなんか気の毒で云えないね」こう云い乍(なが)らかの女は、仕事の天分ばかりあって人間同志の結び目を知らないで恋人に逃げられてばかりいるアルトゥール青年を、悲喜劇染みた気持で見返した。
「あの青年はどういう育ちの人」
「さあ、そいつはまだ聞きませんでしたが、ときどき打っても叩(たた)いても自分の本当の気持は吐かないという依估地(いこじ)なところを見せることがありますよ。そして僕がそれをそういってやっても、はっきりは判らないらしいんです。つまり単純な天才なんですね。そこへ行くとパパは話せる。あんな天才生活時代の前生涯と、今のプライヴェート生活のような親密な性情と両面持っている……」
 かの女とむす子がプライヴェートな会話に落ちこんでいると見たらしく、アルトゥールは非常に軽快なアクセントで、他の連中に講演口調で喋(しゃべ)っていた。
「白のニッケル、マホガニー材、蝋色(ろういろ)の大理石、これだけあれば、俺はどんな感情でも形に纏(まと)めてみせるね。どんな繊細な感情でもだぞ」
「恋愛はその限りに非(あら)ずか」
 芸術写真師は傍から揶揄(からか)った。
「そんなことはない」とアルトゥールは写真師を噛(か)むように云ったが、すぐ興醒(きょうざ)め声になっていった。
「だが恋愛に関する限り、たとえば、嫉妬(しっと)だとか憎みだとかいうものは、生活に暇があって感情を反芻(はんすう)する贅沢(ぜいたく)者たちの取付いている感情だ。おれたち忙しい人間は感情は一渦紋で、収支決算をつけて、決して掛勘定にしとかない。感情さえ現金(キャッシュ)払いだ。現実から現実へ飛び移って行くんだ。嫉妬だとか、憎みだとかいうものは、感情に前後の関係を考える歴史趣味だ」
 アルトゥールの云うこととは別の中味は、もう二重になっていて、云ってる意味と違ったものを隠しているようだった。心に臆(おく)したものがあって、そういう他人と深い交渉をつける膠質の感情は、はじめからこの男には芽も無いらしい。
 大広間一面のざわめきが精力を出し切って、乾き掠(かす)れた響を帯び、老芸人の地声のように一定の調子を保って、もう高くも低くもならなくなった。天井に近く長い二流三流の煙の横雲が、草臥(くたび)れた乳色になって、動く力を失っている。
 靠(もた)れ框(がまち)の角の花壺(はなつぼ)のねむり草が、しょうことなしに、葉の瞼(まぶた)を尖(さき)の方から合せかけて来た。
 壁の前に、左の腕にナフキンをかけて彫刻のように突立っているギャルソンの頭が、妙に怪物染みて見える。
「みんな、この子と仲好くしてやって下さいね」かの女はグループを見廻(みまわ)してそういった。
「たのみますよ」
 時に、かの女のいるテーブルの反対側の広間から、俄(にわか)に鬨(とき)の声が挙って、手擲弾(てなげだん)でも投げつけたような音がし出した。かの女はぴくりとして怯(おび)えた。同じくびっくりした壁の前のギャルソンは、急いでその方へ駆けて行ったが、すぐ一抱えにクラッカーの束を持って来て、テーブルの上へ投げ出した。
 謝肉祭(カルナヴァル)
 もう、そのとき、クラッカーを引き合って破裂させる音は、大広間一面を占領し、中から出た玩具の鳴物を鳴らす音、色テープを投げあうわめき、そしてそこでも、ここでも、※々(きき)として紙の冠(かぶ)りものを頭に嵌(は)めて見交し合う姿が、暴動のように忽(たちま)ち周囲を浸した。
「おかあさん、何? 角笛(ホーン)、これ代えたげる冠りなさい」
 うねって来る色テープの浪。繽紛(ひんぷん)と散る雪紙の中で、むす子は手早く取替えて、かの女にナポレオン帽を渡した。かの女は嬉(うれ)しそうにそれを冠った。ジュジュ以外のものも、銘々当った冠りものを冠った。ジュジュには日本の毛毬(けまり)が当った。
 活を入れられて情景が一変した。広間は俄(にわか)に沸き立って来た。新しい酒の註文にギャルソンの駆(は)せ違う姿が活気を帯びて来た。
 かの女はすっかりむす子のために、むす子のお友達になって遊ばせる気持を取戻し、ただ単純に投げ抛(う)ったりしているジュジュの手毬(てまり)を取って、日本の毬のつき方をして見せた。

上一页  [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告