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母子叙情(ぼしじょじょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 8:12:25  点击:  切换到繁體中文



 かの女と逸作は、バスに乗った。以前からかの女は、ずっと外出に自動車を用いつけていたのだが、洋行後は時々バスに乗るようになった。窓から比較的ゆっくり街の門並の景色も見渡して行けるし、三四年間居ない留守中に、がらりと変った日本の男女の風俗も、乗合い客によって、手近かに観察出来るし、一ばん嬉(うれ)しいのは、何と云っても、黒い瞳(ひとみ)の人々と膝(ひざ)を並べて一車に乗り合わすことだった。永らく外国人の中に、ぽつんと挟って暮した女の身には、緊張し続けていた気持がこうしていると、湯に入ってほごれるようだった。右を見ても左を見ても、日本人の顔を眺められるのは、帰朝者だけが持つ特別の悦(よろこ)びだった。
 わけてかの女のように、一人むす子と離れて来た母親に取って、バスは、寂寥(せきりょう)を護(まも)って呉(く)れる団欒的(だんらんてき)な乗りものだった。この点では、電車は、まだ広漠とした感じを与えた。
 バスは、ときどき揺れて、呟(つぶや)き声や、笑い声を乗客に立てさせながら、停留場毎に几帳面(きちょうめん)に、客を乗り降りさせて行く。山の手から下町へ向う間に二つ三つ坂があって、坂を越すほど街の灯は燦き出して来る。そして、これが最後の山の手の区域と訣(わか)れる一番高い坂へ来て、がくりと車体が前屈(まえかが)みになると、東京の中央部から下町へかけての一面の灯火の海が窓から見下ろせる。浪のように起伏する灯の粒々(つぶつぶ)やネオンの瞬きは、いま揺り覚まされた眼のように新鮮で活気を帯びている。かの女は都会人らしい昂奮(こうふん)を覚えて、乗りものを騎馬かなぞのように鞭(むちう)って早く賑(にぎ)やかな街へ進めたい肉体的の衝動に駆られたが、またも、むす子と離れている自分を想(おも)い出すと、急に萎(しお)れ返り、晴々しい気持の昂揚(こうよう)なぞ、とても長くは続かなかった。
 バスはMの学生地区にさしかかった。五六人の学生が乗り込んだ。帽子の徽章(きしょう)をみると、かの女のむす子が入っていた学校の生徒たちである。なつかしいと思うよりも、困ったものが眼の前に現われたといううろたえた気持の方が、かの女の先に立った。年頃に多少の違いはあろうが、むす子の中学時代を彷彿(ほうふつ)させる長い廂(ひさし)の制帽や、太いスボンの制服のいでたちだけでも、かの女の露っぽくふるえている瞼(まぶた)には、すでに毒だった。かの女は顎(あご)を寒そうに外套(がいとう)の襟の中へ埋めた。塩辛(しおから)い唾(つば)を咽喉(のど)へそっと呑(の)み下した。
 かの女のむす子はM地区の学校を出て、入学試験の成績もよく、上野の美術学校へ入った。それから間もなく逸作の用務を機会に、かの女の一家は外遊することになった。
 在学中でもあり、師匠筋にあたる先生の忠告もあり、かの女ははじめ、むす子を学校卒業まで日本へ残して置く気だった。
「ええ、そりゃそうですとも、基礎教育をしっかり固めてから、それから本場へ行って勉強する。これは順序です。だからあたしたち、先へ行ってよく向うの様子を見て来てあげますから、あんたも留守中落着いて勉強していなさい。よくって」
 かの女は賢そうにむす子にいい聞かせた。それでむす子もその気でいた。
 ところが、遽(あわただ)しい旅の仕度が整うにつれ、かの女は、むす子の落着いた姿と見較(みくら)べて憂鬱(ゆううつ)になり出した。とうとうかの女はいい出した。「永くもない一生のうちに、しばらくでも親子離れて暮すなんて……先のことは先にして――あんたどう思います」逸作は答えた。「うん、連れてこう」
 親たちのこの模様がえを聞かされた時、かなり一緒に行き度(た)い心を抑えていたむす子は「なんだい、なんだい」と赫(あか)くなって自分の苦笑にむせ[#「むせ」に傍点]乍(なが)ら云った。そして、かの女等は先のことは心にぼかしてしまって、人に羨(うらや)まれる一家揃(そろ)いの外遊に出た。
 足かけ四年は、経(た)った。かの女の一家は巴里にすっかり馴染(なじ)んだ。けれども、かの女達はついに日本へ帰らなくてはならない。
 その時かの女は歯を喰(く)いしばって、むす子を残すことにした。むす子は若いいのちの遣瀬(やるせ)ない愛着を新興芸術に持ち、新興芸術を通して、それを培(つちか)う巴里の土地に親しんだむす子は、東洋の芸術家の挺身隊(ていしんたい)を一人で引受けたような決心の意気に燃えて、この芸術都市の芸術社会に深く喰い入っていた。今更、これを引離すことは、勢い立った若武者を戦場から引上げさすことであり、恋人との同棲から捩(も)ぎ外(はず)すことだった。(巴里のテーストはもはやむす子の恋人だった。)それを想像するだけで、かの女は寒気立った。むす子にその思い遣(や)りが持てるのは、もはやかの女自身が巴里の魅力に憑(つ)かれている証拠だった。
 ふだん無頓着(むとんちゃく)をよそおっている逸作も、このときだけは、妙に凄(すご)い顔付きになっていった。
「巴里留学は画学生に取っていのちを賭(か)けてもの願いだ。それを、おれは、青年時代に出来なかった。だから、おれの身代りにも、むす子を置いて行く」
 だが、こう筋立った逸作の言葉の内容も、実は、かの女やむす子と同じく巴里に憑かれた者の心情を含んでいた。人間性の、あらゆる洗練を経た後のあわれさ、素朴さ、切実さ――それが馬鹿らしい程小児性じみて而(しか)も無性格に表現されている巴里。鋭くて厳粛で怜悧(れいり)な文化の果てが、むしろ寂寥を底に持ちつつ取りとめもない痴呆(ちほう)状態で散らばっている巴里。真実の美と嘆きと善良さに心身を徹して行かなければいられない者が、魅着し憑かれずにはいられない巴里(パリ)――だが、そこからは必ずしも通俗的な獲物は取り出せないのだ。むす子がどれ程深く喰(く)い入りそこから取り出すであろう芸術も、それをあの賢夫人やその他多くの世間人達がむす子に予言するような、いわゆる偉い通俗の「出世社会」に振りかざし得ようとの期待は、親もむす子も持たなかった。置く者も置かれる者も、慾や、見栄や、期待ではなかった。もっとせっぱ[#「せっぱ」に傍点]詰ったあわれ[#「あわれ」に傍点]なあわれ[#「あわれ」に傍点]な心の状態だった。
 所詮(しょせん)、かの女はむす子と離れて暮さねばならなかった。

  うつし世の人の母なるわれにして
  手に触(さや)る子の無きが悲しき。

 むす子が巴里の北のステイションへ帰朝する親たちを送って来て、汽車の窓から、たしない小遣いの中で買ったかの女への送別品のハンケチを、汽車の窓に泣き伏しているかの女の手へ持ち添えて、顔も上げ得ず男泣きに泣いていた姿を想(おも)い出すと、彼女は絶望的になって、女ながらも、誰かと決闘したいような怒りを覚える。
 だが、その恨みの相手が結局誰だか判らないので、口惜しさに今度は身体が痺(しび)れて来る。

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