您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 楠山 正雄 >> 正文

家なき子(いえなきこ)01

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:43:28  点击:  切换到繁體中文



     最初(さいしょ)の友だち

 アーサの母親はイギリス人であった、名前をミリガン夫人(ふじん)と言った。後家(ごけ)さんで、アーサは一人っ子であった。少なくとも生きているただ一人の子どもだと考えられていた。なぜというに、かの女はふしぎな事情(じじょう)のもとに、長男をなくした。
 その子は生まれて六月(むつき)目に人にさらわれてしまった。それからどうしたかかいもく行くえがわからなかった。もっともその子がかどわかされたころ、ちょうどミリガン夫人(ふじん)はじゅうぶんの探索(たんさく)をすることのできない境遇(きょうぐう)であった。かの女の夫(おっと)は死にかかっていたし、なによりもかの女自身がひどくわずらって、身の回りにどんなことが起こっているか、まるっきりわからずにいた。かの女が意識(いしき)を取り返したときには、夫は死んでいたし、赤子はいなくなっていた。かの女の実の弟に当たるジェイムズ・ミリガン氏(し)はイギリスはもちろん、フランス、ベルギー、ドイツ、イタリアとほうぼうに子どもを探(さが)させたが、結局(けっきょく)行くえは知れなかった。そうなるとあとつぎの子どもがないので、この人がにいさんの財産(ざいさん)を相続(そうぞく)するつもりでいた。
 ところがやはり、ジェイムズ・ミリガン氏(し)は、にいさんからなにも相続することができなかった。なぜというに、夫人(ふじん)の夫(おっと)の死後七か月目に、夫人の二番目のむすこのアーサが生まれたのであった。
 けれどもお医者たちはこの病身な、ひよわな子どもの育つ見こみはないと言った。かれはいつ死ぬかもしれなかった。その子が死んだ場合には、ジェイムズ・ミリガン氏(し)は財産(ざいさん)を相続(そうぞく)することになるであろう。
 そう思ってかれはあてにして待っていた。
 けれども医者の予言(よげん)はなかなか実現(じつげん)されなかった。アーサはなかなか死ななかった。もう二十度も追っかけ追っかけ、なんぎな病(やまい)という病にかかって、それでも生きていた。そのたんびにこの子を生かしたものは母親の看護(かんご)の力であった。
 最後(さいご)の病は腰疾(ようしつ)(こしの病気)であった。それにはしじゅう板にねかしておくがいいというので、板の上にからだを結(ゆわ)えつけて動けないようにした。けれどそれをそのままうちの中に閉じこめておけば、今度は気鬱(きうつ)と空気の悪いために死ぬかもしれない。
 そこでかの女は子どものためにきれいな、ういて動く家をこしらえてやって、フランスの国じゅうのいろいろな川を旅行しているのであった。その両岸の景色(けしき)は、病人の子どもがねながら、ただ目を開いていさえすれば、目の前に動いて行くのであった。
 もちろんこのイギリスの貴婦人(きふじん)とむすこについて、わたしはこれだけのことを残(のこ)らず、初(はじ)めての日に聞(き)いたのではなかった。わたしはときどきかの女といるあいだに少しずつ細かい話を聞いた。
 わたしが初めの日に聞いたことは、ただこの船の名が白鳥号ということ、それからわたしが部屋(へや)と定められた船室がどんなものであるかということだけであった。
 わたしは高さ七尺(しゃく)(約二メートル)、はば三、四尺(約〇・九~一・二メートル)のかわいらしい船室を一つ当てがわれた。それはなんというふしぎな部屋(へや)におもわれたであろう。部屋のどこにもしみ一つついていなかった。
 その船室に備えつけたたった一つの道具は、衣装(いしょう)戸だなであった。けれどなんという戸だなだろう。寝台(ねだい)とふとんとまくらと毛布(もうふ)とがその下から出て来た。そして寝台についた引き出しには、はけやくしやいろいろなものがはいっていた。いすやテーブルというようなものも少なくともふつうの形をしたものはなかったが、かべに板がぴったりついている、それを引き出すと四角なテーブルといすになった。この小さな寝台(ねだい)にねむることをどんなにわたしは喜(よろこ)んだであろう。生まれて初(はじ)めてわたしはやわらかいしき物をはだに当てた。バルブレンのおっかあのうちのはひじょうに固(かた)くって、いつもあらくほおをこすった。ヴィタリス老人(ろうじん)とわたしはたいていしき物なしでねむった。木賃宿(きちんやど)にあるものは、みんなバルブレンのおっかあのうちのと同様にごりごりしていた。
 わたしはあくる朝早く起きた。一座(いちざ)の連中(れんじゅう)が一晩(ひとばん)どんなふうに過(す)ごしたか知りたかったからである。
 見るとかれらはみんなまえの晩(ばん)入れてやった所にいて、このきれいな小舟(こぶね)はもう何か月もかれらの家であったかのようによくねいっていた。犬たちはわたしが近づくとはね起きたが、ジョリクールは片目(かため)を開いているくせに動かなかった。かえってラッパのような大いびきをかき始めた。
 わたしはすぐにそのわけをさとった。ジョリクールはたいへんおこりっぽかった。かれは一度腹(はら)を立てると、長いあいだむくれていた。いまの場合は、ゆうべわたしがかれを船室に連(つ)れて行かなかったのをおもしろく思わなかったので、わざとふてねをして、ふきげんを示(しめ)していたのであった。
 わたしはなぜかれを甲板(かんぱん)の上に置(お)いて行かなければならなかったか、そのわけを説明(せつめい)することができなかった。それで少なくとも外見だけでも、わたしはかれにすまなかったと感じているふうを見せるために、かれをうでにだいて、なでたりさすったりしてやった。
 初(はじ)めはかれもむくれたままでいたが、まもなく、気が変(か)わりやすい性質(せいしつ)だけに、なにかほかのことに考えが移(うつ)って、手まねで、よし、外へ散歩(さんぽ)に連(つ)れて行くなら、かんべんしてやろうという意を示(しめ)した。
 甲板(かんぱん)をそうじしていた男が、気軽に板をわたしてくれたので、わたしは部下を連(つ)れて野原へ出た。
 犬とかけっこしたり、ジョリクールをからかったり、ほりをとんだり、木登りをしたりして遊んでいるうちに時間がたった。帰ってみると、馬ははこやなぎの木につながれて、すっかり仕度ができていて、小舟(こぶね)はいつでも出発するようになっていた。
 わたしたちがみんな船の上に乗ってしまうと、まもなく船をつないだ大づなは解(と)かれて、船頭はかじを、御者(ぎょしゃ)は手(た)づなを取った。引きづなの滑車(かっしゃ)がぎいぎい鳴って、馬は引き船の道をカッパカッパ歩きだした。
 これでも動いているかと思うはど静(しず)かに船は水の上をすべって行った。そこに聞こえるものは小鳥の歌と、船に当たる水の音、それから馬の首につけたすずのチャランチャランだけであった。
 所どころ水はこい緑色に見えてたいへん深いようであった。そうかと思うと水晶(すいしょう)のようにすみきっていて、水の底(そこ)できらきら光る小石だの、ビロードのような水草をすかして見ることができた。
 わたしが水の中をじっとのぞきこんでいると、だれかがわたしの名前を呼(よ)んだ。それはアーサであった。かれは例(れい)の板に乗せられて運び出されていた。
「きみ、よくねられたかい、野原にねむるよりも」とかれはたずねた。わたしは半分、ミリガン夫人(ふじん)にあいさつするように、ていねいによくねむられたことを話した。
「犬は」アーサが聞いた。
 わたしはかれらを呼(よ)んだ。かれらはジョリクールといっしょにかけて来た。このさるはいつも芝居(しばい)をやらされると思うときするように、しかめっ面(つら)をしていた。
 ミリガン夫人(ふじん)はむすこを日かげに置(お)いて、自分もそのそばにすわった。
「それでは、あちらへ犬とさるを連(つ)れて行ってください。わたしたちは課業(かぎょう)がありますから」とかの女は言った。
 わたしは連中(れんじゅう)を連(つ)れてへさきのほうへ退(しりぞ)いた。
 あの気のどくな病人の子どもに、どんな課業(かぎょう)ができるのだろう。
 わたしはかれの母親が手に本を持って、むすこに課業を授(さずけ)けているのを見た。
 かれはそれを覚(おぼ)えるのがなかなか困難(こんなん)であるらしく見えた。しじゅう母親は優(やさ)しく責(せ)めていたが、同時になかなか手ごわかった。
「いいえ」とかの女は最後(さいご)に言った。「アーサ、あなたはまるで覚(おぼ)えていません」
「ぼく、できません。お母さま、ぼく、ほんとにできないんです」とかれは泣(な)くように、言った。「ぼく病気なんです」
「あなたの頭は病気ではありません。アーサ、病人だからといって、だんだんばかになるような子をわたしは好(す)きません」
 これはずいぶん残酷(ざんこく)なようにわたしには思われた。けれどかの女はあくまで優(やさ)しい親切な調子で言った。
「なぜ、あなたはわたしにこんな情(なさ)けない思いをさせるでしょう。あなたが習いたがらないのが、どんなにわたしには悲しいかわかるでしょう」
「ぼく、できません、お母さま、ぼくできないんです」こう言ってかれは泣(な)きだした。
 けれどもミリガン夫人(ふじん)は子どものなみだに負かされはしなかった。そのくせかの女はひじょうに感動して、ますます悲しそうになっていた。
「わたしもけさあなたをルミや犬たちと遊ばせてあげたいのだけれど、すっかりお話を覚(おぼ)えるまでは遊ばせることはできません」こう言ってかの女は本をアーサにわたして、一人置(お)き去りにしたまま向こうへ行った。
 わたしの立っていた所までかれの泣(な)き声(ごえ)が聞こえた。
 あれほどまでに愛(あい)しているらしい母親がどうしてこのかわいそうな子どもにこれほど厳格(げんかく)になれるのであろう。アーサの覚(おぼ)えられないのは病気のせいなのだ。かの女は優(やさ)しいことば一つかけないではいってしまうのであろうか。
 しばらくたってかの女はもどって来た。
「もう一度二人でやってみましょうね」とかの女は優しく言った。
 かの女は子どものわきにこしをかけて、本を手に取って、『おおかみと小ひつじ』というお話を読み始めた。アーサはその読み声について文句(もんく)をくり返した。
 三度初(はじ)めからしまいまで読み返して、それから本をアーサに返して、あとは一人で習うように言いつけて、船の中にはいってしまった。
 わたしはアーサのくちびるの動くのを見た。
 かれはたしかにいっしょうけんめい勉強していた。
 けれどもまもなく目を本からはなした。かれのくちびるは動かなくなった。かれの目はきょろきょろとあてもなく迷(まよ)ったが、本にはもどって来なかった。
 ふとかれの目はわたしの目を見つけた。
 わたしは課業(かぎょう)を続(つづ)けてやるようにかれに目くばせした。かれは注意を感謝(かんしゃ)するように微笑(びしょう)した。そしてまた本を読み始めた。けれどもまえのようにやはりかれは考えを一つに集めることができなかった。かれの目は川のこちらの岸から向こう岸へと迷(まよ)い始めた。ちょうどそのとき一羽(わ)のかわせみが矢のように早く船の上をかすめて、青い光をひらめかしながら飛んだ。
 アーサは頭を上げてその行くえを見送った。鳥が行ってしまうと、かれはわたしのほうをながめた。
「ぼく、これが覚(おぼ)えられない」とかれは言った。「でもぼく、覚(おぼ)えたいんだ」
 わたしはかれのそばへ行った。
「この話はそんなにむずかしくはありませんよ」とわたしは言った。
「うん、むずかしい。……たいへんむずかしいんだ」
「ぼくにはずいぶん易(やさ)しいと思えますよ。あなたのお母さまが読んでいらっしゃるときに聞いていて、ぼくはたいてい覚(おぼ)えました」
 かれはそれを信(しん)じないように微笑(びしょう)した。
「言ってみましょうか」
「できるもんか」
「やってみましょうか。本を持っていらっしゃい」
 かれはまた本を取り上げた。わたしはその話を暗唱(あんしょう)し始めた。わたしはほとんど完全(かんぜん)に覚(おぼ)えていた。
「やあきみ、知っているの」
「そんなによくは知りません。けれどこのつぎのときまでには、一つもちがえずに言えるでしょう」
「どうして覚(おぼ)えたの」
「あなたのお母さまが読んでいらっしゃるあいだ、ぼくは聞いていました。ただいっしょうけんめいに、そこらの物を見向したりなんぞせずに、聞いていたのです」
 かれは顔を赤くした、そして目をそらした。
「ぼくもきみのようにやってみよう」とかれは言った。「けれど一々のことばをどうしてそう覚(おぼ)えたか、言って聞かしてくれたまえ」
 わたしはそれをどう説明(せつめい)していいかわからなかった。そんなことを考えてみたことはなかった。けれどやれるだけは説明してみた。
「このお話はなんの話でしょう」とわたしは言った。「ひつじのことでしょう。ねえ、だからなにより先にぼくはひつじのことを考えました。それからひつじはなにをしているか考えます。『多くのひつじは安全なおりの中で住んでいました』というのだから、ひつじがおりの中で安心して転(ころ)がってねむっているところが見えてきます。そういうふうに目にうかべると忘(わす)れません」
「そうだそうだ」とかれは言った。「ぼくは見えるよ。黒いひつじだの、白いひつじだの、おりも、格子(こうし)も見える」
「ひつじの番をするのはなんですか」
「犬さ」
「ひつじがおりの中にいて番をしないですむとき、犬はなにをするでしょう」
「なんにも仕事はない」
「では犬はねむってもいいでしょう。ですから、『犬はねむっていました』と言うのです」
「そうだ。わけはない」
「ええ、わけはないのですとも、今度はほかのことに移(うつ)ります。では犬といっしょに番をするのはだれです」
「ひつじ飼(か)いさ」
「その犬やひつじ飼いは、ひつじがだいじょうぶだと思うとなにをしていたでしょう」
「犬は、ねむっていたのさ、ひつじ飼いは、遠くのほうへ行って、ほかのひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいた」
「あなたはそれが見えますか」
「ええ」
「どこにいます」
「にれの木のかげに」
「一人ですか」
「いいえ、近所のひつじ飼(か)いといっしょに」
「そらひつじやおりや犬やひつじ飼いのことを考えてごらんなさい。それができれば、このお話の初(はじ)めのほうは暗唱(あんしょう)ができるでしょう」
「ええ」
「やってごらんなさい」
「多くのひつじは安全なおりの中におりましたから、犬はみなねむっていました。ひつじ飼いも大きなにれの木のかげに、近所のひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいました。――覚(おぼ)えていた、覚(おぼ)えていた、まちがいはなかった」
 アーサは両手を打ってさけんだ。
「あともそういうふうにして覚えたらどうです」
「そうだな、きみといっしょにやればきっと覚えられる。ああ、お母さまがどんなに喜(よろこ)ぶだろう」
 アーサはやがてお話残(のこ)らずを心の目にうかべるようになった。わたしはできるだけ一々の細かい話を説明(せつめい)した。かれがすっかり興味(きょうみ)を持ってきたときに、わたしたちはいっしょに文句(もんく)をさらった。そして十五分あとでは、かれはすっかり卒業(そつぎょう)いていた。
 やがて母親は出て来たが、わたしたちがいっしょにいるのでふきげんらしかった。かの女はわたしたちが遊んでいたと思った。けれどアーサはかの女に口をきかせるいとまをあたえなかった。
「ぼく、覚(おぼえ)えました」とかれはさけんだ。「ルミが教えてくれました」
 ミリガン夫人(ふじん)は、びっくりしてわたしの顔を見た。けれどかの女がわけを問うさきに、アーサは『おおかみと小ひつじ』のお話を暗唱(あんしょう)しだした。わたしはミリガン夫人の顔を見た。かの女の美しい顔は微笑(びしょう)にほころびた。そのうちわたしはかの女の目になみだがうかんだと思った。けれどかの女はあわててむすこのほうをのぞきこんで、そのからだに両うでをかけた。かの女が泣(な)いていたかどうか確(たし)かではなかった。
「ことばには意味がないのだから、目に見える事がらを考えなければいけないのです。ルミはぼくにふえをふいているひつじ飼(か)いだの、犬だのひつじだの、それからおおかみだのを考えさせてくれました。おまけにひつじ飼いのふいていた節(ふし)まで聞こえるようになりました。お母さま、ぼく、歌を歌ってみましょうか」
 こう言ってかれは、イギリス語の悲しいような歌を歌った。
 今度こそミリガン夫人(ふじん)はほんとうに泣(な)いていた。なぜならかの女が席(せき)を立ったとき、わたしはアーサのほおがかの女のなみだでぬれているのを見た。そのとき夫人(ふじん)はわたしのそばに寄(よ)って、わたしの手を自分の手の中におさえて、優(やさ)しくしめつけた。
「あなたはいい子です」とかの女は言った。
 わたしがこのちょいとした出来事を長ながと書くにはわけがある。ゆうべまではわたしも宿(やど)なしのこぞうで、一座(いちざ)の犬やさるたちを連(つ)れて、船のそばへやって来て、病人の子どもをなぐさめるだけの者であった。けれどこの課業(かぎょう)のことから、わたしは犬やさるから引きはなされて、病人の子どもの相手(あいて)になり、ほとんど友だちになったのである。
 もう一つ言っておかなければならないことがある。それはずっとあとで知ったことであるが、ミリガン夫人(ふじん)は実際(じっさい)このむすこの物覚(ものおぼ)えの悪いこと、もっと正しく言えばなにも物を覚えないことを知って、ふさぎきっていた。病人の子ではあっても、勉強はさせておきたいと夫人は思った。それには病気が長びくだろうから、いまのうち物を習う習慣(しゅうかん)をつけておいて、いつか回復(かいふく)したとき、むだになった時間を取り返すことができるようにしたいと考えたのであった。
 ところがその日までもかの女はそれが思うようにならないでいた。アーサはけっして勉強することをいやだとは言わなかったが、注意と熱心(ねっしん)がまるでがけていた。書物を手にのせればいやとは言わずに受け取った。手は喜(よろこ)んでそれを受け取ろうとして開いたが、心はまるで開かなかった。ただもう機械(きかい)のように動いて、しいて頭におしこまれたことばを空(くう)にくり返しているというだけであった。
 そういうわけでむすこに失望(しつぼう)した母親の心には、絶(た)え間(ま)のない物思いがあった。
 だから、アーサがいまたった半時間でお話を覚(おぼ)えて、一時をちがえず暗唱(あんしょう)して聞かせるのを聞いたとき、かの女のうれしさというものはなかった。それはもっともなわけであった。
 わたしはいま思い出しても、この船の上で、ミリガン夫人(ふじん)やアーサと過(す)ごしたあのじぶんが、少年時代でいちばんゆかいなときであったと思う。
 アーサはわたしに熱(あつ)い友情(ゆうじょう)を寄(よ)せていた。わたしのほうでもわざとでなしに、また気のどくという同情(どうじょう)からでなしに、しぜんとかれを兄弟のように思っていた。二人はけんか一つしたことはなかった。かれにはかれのような身分にありがちないばったところはみじんもなかった。わたしのほうも少しもひけめは感じなかった。またひけめを感じなければならないなどと思ったことすらなかった。
 これはきっとわたしが子どもで、世の中を知らないためであったろう。しかしそれにはたしかに、ミリガン夫人(ふじん)の行(ゆ)き届(とど)いた親切のおかげもあった。かの女はたいてい自分の子どものようにしてわたしに話しかけた。
 それにこの船の旅がわたしにはじつにおもしろかった。一時間とたいくつしたこともなければ、つかれたと思うこともなかった。朝から晩(ばん)までわたしの心はいつも充実(じゅうじつ)しきっていた。
 鉄道ができて以来(いらい)、フランス南部地方の運河(うんが)を見に来る人もなければ、知る人すらないようになったが、でもこれはやはりフランス名物の一つであった。
 わたしたちはローラゲーのヴィーフランシュから、アヴィニオンヌまで行って、アヴィニオンヌからノールーズの岩まで行った。ノールーズにはこの運河の開鑿者(かいさくしゃ)であるリケの記念碑(きねんひ)が、大西洋(たいせいよう)に注ぐ水と地中海(ちちゅうかい)に落ちる水とが分かれる分水嶺(ぶんすいれい)の頂(いただき)に建(た)てられてあった。
 それからわたしたちは水車の町であるカステルノーダリを下って、中世の都会であったカルカッソンヌへ、それから貯水溝(ちょすいこう)のめずらしいフスランヌの閘門(こうもん)(船を高低の差のある水面に上げたり下ろしたりするしかけのある水門)をぬけてベジエールに下った。
 おもしろい所ではわたしたちはたいそうゆっくり船を進めた。けれど景色(けしき)がつまらなくなると馬は引き船の道を早足にとっとっとかけた。
 いつどこでとまって、いつまでにどこまでへ着かなければならないということもなかった。毎日同じ決まった食事の時間に露台(ろだい)の上に集まって、静(しず)かに両岸の景色(けしき)をながめながら食事をした。日がしずむと船は止まった。日がのぼると船はまた動き出した。
 雨でも降(ふ)ると、わたしたちは船室の中にはいって、勢(いきお)いよく燃(も)えた火を取り巻(ま)いてすわる。病人の子どもがかぜをひかないためであった。そういうとき、ミリガン夫人(ふじん)はわたしたちに本を読んで聞かせたり、画帳を見せたり、美しいお話をして聞かせたりした。
 それから夜、晴れた日には、わたしには一つ役目があった。船が止まったときわたしはハープをおかに持って下りて、少し遠くはなれた木のかげにこしをかける。それから木のえだのしげった中にかくれて、いっしょうけんめいにひいたり、歌を歌ったりするのである。静(しず)かな晩(ばん)など、アーサは、だれがひいているか見えないようにして、遠くの音楽を聞くことを好(この)んだ。そこでわたしがアーサの好(す)きな曲をひくと、かれは「アンコール」(もっと)と声をかける。それでわたしは同じ曲を二度くり返してひくのである。
 それはバルブレンのおっかあの炉(ろ)ばたに育ち、ヴィタリス老人(ろうじん)とほこりっぽい街道(かいどう)を流浪(るろう)して歩いたいなか育ちの少年にとっては思いがけない美しい生活であった。
 あの気のどくな養母(ようぼ)がこしらえてくれた塩(しお)のじゃがいもと、ミリガン夫人(ふじん)の料理番(りょうりばん)のこしらえるくだもの入りのうまいお菓子(かし)やゼリーやクリームやまんじゅうと比(くら)べると、なんというそういであろう。
 あのヴィタリス親方のあとからとぼとぼくっついて、沼(ぬま)のような道や、横なぐりの雨や、こげつくような太陽の中を歩き回るのと、この美しい小舟(こぶね)の旅と比べては、なんというそういであろう。
 料理(りょうり)はうまかった。そうだ、まったくすばらしかった。腹(はら)も減(へ)らないし、くたびれもしないし、暑すぎもせず、寒すぎもしなかった。けれどほんとうに正直なことを言えば、わたしがいちばん深く感じたのは、この夫人(ふじん)と子どもの、めずらしい親切と愛情(あいじょう)であった。
 二度もわたしはわたしの愛(あい)していた人たちから引きはなされた。最初(さいしょ)はなつかしいバルブレンのおっかあから、それからヴィタリス親方から、わたしは犬とさるといっしょに空腹(くうふく)で、みじめなまま捨(す)てられた。
 そこへ美しい夫人(ふじん)がわたしと同じ年ごろの子どもを連(つ)れて現(あらわ)れた。わたしをむかえて、まるでわたしが兄弟ででもあるようにあつかってくれた。
 たびたびわたしはアーサが寝台(ねだい)に結(ゆわ)えつけられて、青い顔をしてねむっているところを見ると、わたしはかれをうらやんだ。健康(けんこう)と元気に満(み)ちたわたしが、かえって病人の子どもをうらやんだ。
 それはわたしがうらやむのは、この子を引き包(つつ)んでいるぜいたくではなかった。美しい小舟(こぶね)ではなかった。それはかれの母親であった。ああ、どのくらいわたしは自分の母親を欲(ほ)しがっているだろう。
 かれの母はいつでもかれにキッスした。そして、かれはいつでもしたいときに、両うでにかの女をだくことができた。その優(やさ)しい夫人(ふじん)の手はたまたまわたしに向けられることもあっても、わたしからは思い切ってそれにさわり得(え)ないのではないか。わたしは自分にキッスしてくれる母親、わたしがキッスすることのできる母親を持たないことを悲しいと思った。
 あるいはいつかまたわたしもバルブレンのおっかあには会うことがあるかもしれない。それはどんなにかうれしいことであろう。でもわたしはもうかの女を母親と呼(よ)ぶことはできない。なぜならかの女はわたしのほんとうの母親ではないのだから。
 わたしは独(ひと)りぼっちだった。わたしはいつでも独りぼっちでいなければならない……だれの子どもでもないのだ。
 わたしはもうこの世の中は、そうなんでも思うようになる所でないことを知るだけに大きくなっていた。それでわたしは母親もないし、家族もないから、友だちでもあればどんなにうれしいだろうと思っていた。だからこの小舟(こぶね)に来て、わたしは幸福であった。ほんとうに幸福であった。けれど、ああ、それは長く続(つづ)けることはできなかった。わたしがまたむかしの生活に返る日はおいおいに近づいていた。


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告