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生死卍巴(せいしまんじどもえ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-2 7:41:26  点击:  切换到繁體中文


五人を切った宮川茅野雄

(こうなってはもういけない! 相手を切らなければこっちが切られる)
 で、茅野雄は一躍したが、真っ先立って逼って来た、敵の一人の右の肩を、抜き打ちにカッとぶった切り、悲鳴を耳にした次の瞬間には、左から寄せて来た敵の一人の、左の胴を割っていた。
 日が明るくて鳥が啼いている!
 晴ればれとした曠野には、草花が虹を敷いている。
 が、その虹を蹴散らして、ドッと合わさり、サ――ッと散る、黒々とした物があった。二人の味方を切り仆されて、死に物狂いに狂い立った、丹生川平の男達であった。馳せ寄って茅野雄を引っ包んだり、茅野雄の振る太刀に敵しかねて、退いたりしているのであった。
 四本の腕が空を掴み、四本の脚が草花をむしり、ぬらぬらとした真紅まっかの色が、草と土とを濡らしていたが、これはどうしたことなのであろう? 茅野雄によって切り仆された、二人の男達が傷の痛みに、もがき廻っているのであった。
 その凄惨とした光景の中に、一本の線が空に斜めに、微動しながら浮いていた。上段に冠って敵に向かい、来い! 切るぞ! たおすぞと、構えている茅野雄の刀身であった。空の一所に雲があって、野茨の花が群れているように見えたが、ゆるゆると動いて太陽を蔽うた。と、さながら氷柱のように、白光りをしていた刀身が、にわかに色を変えて桔梗色ききょういろとなった。が、それとても一瞬ひとしきりで、刀身はまたもや白く輝き、柄で蔽われていた茅野雄の額の、陰影かげさえ消えてきょのような眼が、眼前数間の彼方あなた群立むらだち、刀の切っ先を此方こなたへ差し向け、隙があったら一斉に寄せて、打って取ろうとひしめいている、七人の敵を睨んでいた。
 と、茅野雄はギョッとして、七人の敵から眼を放して、グルグルと四方へ眼を配った。
 娘を小脇に引っ抱えた、醍醐弦四郎はどうしたか? ここに思いが至ったからであった。
 十間あまりの左手を、向こうへ走って行く人影がある。
 それこそ醍醐弦四郎で、依然として娘を抱えていた。
「待て! 弦四郎! 逃げるか! 卑怯!」
 茅野雄は怒声を浴びせかけたが、浴びせかけた時には追っかけていた。
 が、茅野雄が追っかけていた時には、七人の男達も追っかけていた。
 と、そのうちの一人であったが、群より離れて素早く走り、茅野雄の背後へ追いつくや、茅野雄の後脳を二つに割るべく、刀を冠って振り下ろした。
 しかし茅野雄に油断があろうか、逼って来た足音でおのずと解った、振り返ったと見るや片手撲りだ、敵の真っ向をあけに染め、その隙にこれも追いついて、前後から切り込んで来た二人の敵の、前の一人を袈裟けさに斃し、引き足もしない同じ位置で、ブン廻るように廻ったが、後ろの一人の腕を落とした。
「待て! 弦四郎!」
 一散に走り、追い詰めるとさっと前へ出て、行く手をやくしたが大音声だ。
「娘を放せ! 切って来い! おのれの味方を五人斃した、茅野雄は汝が敵であろうぞ! 遁しはしまい、拙者も遁さぬ! 逃げても切るぞ来ても切る!」
 ――で、グ――ッと刀を冠った。
 と、その刀と向かい合って、一本の刀が茅野雄の眉間へ、切っ先を向けて宙へ浮かんだ。もういけないと観念をして、小枝を地上へ抛り出し、抜き合わせた醍醐弦四郎の、正眼に構えた刀であった。
 上と下とで二本の刀が、凄じい気合で拍子取っている。刀の切っ先を真直ぐに越して、茅野雄を睨んでいる弦四郎の眼と、刀の柄頭の下を通して、弦四郎を睨んでいる茅野雄の眼とが、互いに相手を射殺そうとしている。
 しばらくは二人とも動かない。
 で、天地が寂然と、にわかに眠ってしまったかのように、二人には感じていなければならない。
 しかしそれにしても弦四郎と一緒に、茅野雄を襲った丹生川平の、九人の男達はどうしたことであろう?
 そのうちの五人は茅野雄のために、今までに斃されてしまったが、後にまだ四人残っているはずだ。何故茅野雄に切ってかからないのであろう? 茅野雄の手並に驚いて、いずこへともなく逃げたのであろうか? 逃げたと云わなければならないかもしれない。四人ながら一散に大森林の方へ、今や走っているのであるから。
 その大森林の向こうの側に、丹生川平はあるのであった。
 走って行くのは事実であったが、逃げて行くのだとは云われないかもしれない。
 四人バラバラに森林の中へ入ると、四方八方へ駈けめぐって、手に石を拾い取ると、一種の合図めいた調子を取って、老木の幹を叩きつづけたのであるから。
 と、どうだろう、遥か奥から、それに答えでもするかのように、同じ一種の合図めいた、調子を持った木を叩く音が、木精こだまを起こして聞こえてきた。が、もし誰かが森林の奥へ、さらに踏み入って耳を澄ましたならば、一層に森林の奥の方から、同じような音の聞こえてくることに、感付いたことに相違ない。いやいやそういう合図めいた音は、それらの場所から起こるばかりでなく、次から次へ、奥から奥へ、次第次第に送りをなして、丹生川平の郷へまで、伝わり伝わって行くのであった。
 飛騨というような山国にあっては、猛獣や毒蛇や山賊などに、しばしば人は襲われるもので、そういう場合の警報として、いろいろの里や、いろいろの郷や、さまざまの村に住居している、住民達は里別郷別に、木を叩くとか竹法螺たけぼらを吹くとか、枯れ木に火をかけて煙りを上げるとか、そういうことをすることにしていた。
 丹生川平の郷にあっては、木の幹を叩いて警報することが、それに当っているものと見える。
 軽い危険の場合には、それに一致した叩き方をして、森林の中に散在して、枯れ木を採ったり伐木したり、馬を飼ったりしている者を、最初に合図の起こった場所へ、呼び寄せて加勢をさせることに、大体まっているのであったが、重大な危険の場合には、それに一致した叩き方をして、次から次と今のように、丹生川平の郷へまで知らせて、そこから大勢の加勢の者を、呼び寄せることになっていた。
 今や、大危険の警報が、四里に渡る森林の中を縫い入って、丹生川平の郷の方へ、素晴らしい速さで送られて行く。
 名に負う飛騨の大森林である。杉や樫や桧や、なら落葉松からまつというような、喬木が鬱々蒼々と繁って、日の光など通そうとはしない。そうかと思うとばらだの、はぜだの、躑躅つつじだの、もちだのというような、灌木のくさむらが丘のように、地上へこんもりと生えていて、土の色をさえ見せようとしていない。で、ほとんど黄昏たそがれのように、森林の中は暗く寂しく、物恐ろしくさえ眺められた。
 そういう森林に音響の線が、太く素早く走って行く。
 四里ぐらいの道程みちのりまたたく間に、行きついてしまうに相違ない。すると丹生川平から、鉄砲や弓や山刀や槍の、武器をたずさえた郷民達が、大勢大挙して現われ出て、大森林を押し通って、曠野の面へ現われて、弦四郎を助けて宮川茅野雄を、おっ取り囲んで討ち取るであろう。
 とまれ大危険を警報する、調子を持った木を叩く音が、次第次第に、丹生川平の方へ伝わって行く。
 が、もし人が曠野の一所の丘――すなわち醍醐弦四郎や丹生川平の男達が、現われて来た例の丘の、背後へ行って眺めたならば、小枝の侍女達三人が、丹生川平の男達の掠奪の手から遁れたところの、侍女達三人が転んだり起きたり、走ったり仆れたり泣いたり叫んだりして、丹生川平の男達に、小枝が奪われたという知らせを、白河戸郷へ知らせようものと、一里の道程を命がけに、走って行く姿を見たことであろう。
 女の足で走るのであるから、一里と云っても容易なことでは、行くつくことが出来ないであろう。とは云えいずれは行きつくであろう。と、白河戸郷の郷民達は、それこそ鉄砲や弓や山刀や、槍をたずさえて大挙して、白河戸郷から走り出て、一里の曠野を走って来て、茅野雄を助けて弦四郎を、引っ包んで討って取ることであろう。
 侍女達は懸命に走って行く。
 ところで小枝さえだはどうしたであろうか?
 気絶したままで草の上に、衣裳を崩して仆れていた。
 丹生川平の九人の男達に、掠奪をされてここまで来たが、その九人の男達が、弦四郎を助けて宮川茅野雄を、討って取ろうと心掛けた結果、投げ出した九人の小枝の侍女達は、今やどこにいるであろう。その幾人かは気絶をして、草の上に無残に仆れていたが、その幾人かは自分達の主人の、気絶をしている小枝を囲んで、呼び生かそうと手を尽くしていた。が、その幾人かはこの出来事を、白河戸郷の郷民達へ、知らせようものと叫んだり喚いたり、同じく転んだり起きたりして、曠野の草花を蹴散らして、一所懸命に走っていた。
 そういう悲惨なあわただしい、光景の中に突っ立って、茅野雄は上段に弦四郎は正眼に、刀を構えて睨み合っていた。

騎馬の一団

 危急を知らせる合図の音が――調子を持った木を叩く音が、四里の森林を丹生川平の方へ、矢のように早く伝わって行く。
 と、森林の壁が切れて、向こうに丘が聳えていたが、忽ち丘の頂きの上に、数人の男が現われた。その丘の奥が丹生川平であって、頂きへ現われた男達は、丹生川平の住民達であった。
 眼の前に連らなっている森林の中から、伝わって来た合図の音を聞くと、男達は何やら叫び声を上げたが、丘の頂きから姿を消した。
 と、思う間もないうちに、馬のひづめの音がして、忽然と数十人の騎馬の一団が、丘の頂きへ現われた。
 弓を持っている者、棍棒こんぼうを持っている者、竹槍を小脇に抱えている者、騎馬の一団は一人残らず、各自めいめい得物を持っていたが、その扮装いでたちにはわりがなく、筒袖に伊賀袴を穿いていて、腰に小刀を帯びていた。精悍らしい若者達で、血色もよければ四肢も逞しく、いかにも飛騨という山岳国の、森林の中へ特殊の郷を設けて、生活をしている人間らしかった。
 飛騨と信州とは接近しているので、自然も動物もよく似ていたが、彼らの乗っている馬と来ては、信州駒――わけても木曽駒に似ていて、背丈こそ低く、形こそ小さく、一見貧弱ではあったけれども、脚の強さ息の長さ、険しい山道を上り下りする場合に、決してまろびもせず膝も突かず、また縦横に入り乱れている木々の間を巧みに縫って、はしるに得意な点などにかけては、南部駒よりも、三春駒よりも、遥かに優れているのであった。
 そういう駒に打ち乗って、丹生川平の男達が、今や丘からせ下り、森林の中を突破して、宮川茅野雄と醍醐弦四郎とが、切り合っている曠野の方へ、無二無三に押し出そうとしている。
 いや押し出そうとしているばかりではなくて、事実無二無三に押し出して来て、瞬間に丘を走り下りて、森林の中へ走り込んだ。
 で、その丘のなだらかな斜面は、蹄で蹴られて雲のように、ムラムラと上った砂煙りのために、一時全く蔽われたように見え、啼いていた小鳥の歌声も途絶え、飛び散って咲いていた草の花の、織り物のように鮮麗だった色も、砂煙りの奥へ消え込んでしまった。
 が、その時分には騎馬の一団は、森林の中を走っていた。
 いかに彼らが馬術に達し、熟練を極めていることか! 灌木があれば躍り越し、喬木があれば巡って進み、沼があれば岸を輪なりに馳せ、網の目のように強靱の蔓が数間に渡って張られてあれば、得物で切り払って突破した。当然の所業しわざではあったけれども、何とその所作が敏捷で、かつ自在であることか!
 と、一団が雁行がんこうをなした。馬の首が前方を走っているところの、他の馬の尻に触れそうなほどにも、接近をして走っておりながらも、前の馬の走る邪魔をしない。
 と、一団が鶴翼かくよくをなした。宏大な森林を横へ拡がり、横隊をなして走らせて行く。無数の障碍物しょうがいぶつを持ちながら、その障碍物を巧みにけて、互いに呼び合うことによって、一定の間隔をいつも保ち、疾風のように走って行く。
 一匹の馬がつまずいて、乗り手が逆様さかさまに落ちようとした。しかしその時にはもう一人の乗り手が、いち早く横手へ走って来ていて、落ちかかった乗り手を手を延ばして支えた。
 やがて一団は集合したままで走った。
 彼らの走って行った後に、何が残されているだろう? 踏みにじられた無数の草花と、蹄で掘られた無数の小穴と、蹴殺された幾匹かの野兎と、折られた木の枝と散らされた葉と、崩された沼の岸とであった。
 一所から彼らの一団の、姿が見えなくなった時には、遥かの前方の一所に、彼らの一団が見えていた。
 得物の触れ合う金属性の音と、絶えず叫んでいる警戒の声と、馬のいななきと蹄の音とが、一つにかたまった雑音が、一所で起こって消えた時には、既に遥かの前方で、同じ雑音が起こっていた。
 不意に彼らの一団の上に、華やかな光が輝いた。空を蔽うていた森林が切れて、そこから日の光が落ちて来たからである。と、彼らの一団の中で、雪のように白く輝く物があったが、それは三頭の白馬であった。
 しかし瞬間にの一団は、輝かしい日の光の圏内から消えて、暗い寂しい物恐ろしい、森林の奥へ消え込んだ。
 こうして無二無三に走って行く。
 この勢いで走ったならば、四里の道程みちのりなどは一時間はんとき足らずで、走り抜けてしまうことであろう。
 そうして曠野へ現われたならば、醍醐弦四郎に力を添えて、宮川茅野雄を打って取って、小枝を奪うことであろう。
「オ――イ! オ――イ! オ――イ! オ――イ!」
 しかしこういう呼び声を上げて、白河戸郷の長の娘の、小枝の侍女達の命限りに、曠野を転んだり起きたりして、道程一里の白河戸郷の方へ、小枝が怨敵丹生川平の者に、誘拐かどわかされたということを、告げるために走って行っていることに、一方留意をしなければならない。
「オ――イ! オ――イ! オ――イ! オ――イ!」
 侍女達は懸命に走って行く。
 一人の侍女がまた転んだ。と、衣裳の裾が乱れて、白いはぎが現われた。恥かしいとも思わずに、あらわな脛で立ち上ると、あらわな脛でその侍女は走った。
 もう一人の侍女が地に仆れた。その瞬間に握ったのでもあろう、起き上った時に右の手に、野茨のいばらの花を握っていた。枝も一緒に握ったものと見えて、その枝のとげに刺されたらしく、指から生血がにじみ出ていた。しかし彼女は夢中だと見えて、枝つきの野茨を捨てようともせずに、血を流したままでひた走った。
 と、もう一人の侍女が仆れた。仆れた所に石があったと見える、それで後脳を打ったと見える、仆れたままで悲鳴を上げて、両手で後脳を抱えるようにして、ゴロゴロと地上を転がった。が、それでも飛び起きると、解けて乱れてバラバラになった、長い髪を背後うしろへなびかせたままで、先へ先へとひた走った。
「オ――イ! オ――イ! オ――イ! オ――イ!」
 呼びながら侍女達は走って行く。
 こうして半里は走ったであろう、侍女達はすっかり疲労した。
 飛騨という山国へ別天地を創って、そこに住んでいる女達である。都会の華奢きゃしゃな女などとは、体格においても著しく強く、曠野や山道を走ることにかけても、遥かに勝れてはいるのであったが、お嬢様の小枝を丹生川平の者に、誘拐されようとした時に、女ながらも命限りに、丹生川平の若者達と、争って充分疲労つかれていた。その上に半里の道程を、死に物狂いに走って来たのである。疲労切ったのは当然と云えよう。
 とうとう侍女達は草の上へ坐って、慟哭の声を上げ出した。もう一寸も歩けないのであった。
 慟哭をしている侍女達を巡って、曠野は広く物寂しく、しかし草の花や灌木の花に、華やかに飾られて拡がっていて、その草の花の間から、また灌木の花の間から、兎や野猫や黄鼬てんなどが、いぶかしそうに顔を覗かせ、侍女達の方を窺った。それらの物の上にあるのは、晴れた六月の蒼い空と、燃えている六月の太陽とで、鳶らしい鳥や烏らしい鳥や、鷹らしい鳥や野鳩らしい鳥が、そういう地上の悲惨事などには、関係かかわりがないというように翼を揮ってけてもいた。
 走って行く力はなくなっていたが、声を上げる力は残っていた。
 で侍女達は慟哭しながら、
「オ――イ! オ――イ! オ――イ! オ――イ!」と、呼んだ。
 悲しみに充ちた声であった。曠野にはいつの場合でも、微風が渡っているものである。その微風に乗りながら、その悲しい侍女達の声は、遠くへ送られて行くようであった。
 とはいえ半里をへだてている、白河戸郷の郷へまでは、送られて行くものとは思われない。
 しかし侍女達は呼びつづけた。
 と、行く手に小さい林が、青葉を光らせて立っていたが、その林から四人の若者が、姿を現わして小走って来た。
 小枝の一行が花野の景色の、美しさに魅せられて丹生川平の方へ、うかうかとして彷徨さまよって行って、久しく経っても帰って来ないのに、不安を感じて様子を見に来た、白河戸郷の郷民達であった。
 四人の若者は走り寄って来た。
「や、これはどうしたのだ※(感嘆符疑問符、1-8-78)
「お前方お嬢様のお腰元ではないか※(感嘆符疑問符、1-8-78)
「お嬢様はどうした※(感嘆符疑問符、1-8-78) 小枝様はどうした」
「泣いていてはいけない! 訳をお云い!」
 慟哭しながら、「オ――イ! オ――イ!」と、呼んでいる侍女達を介抱しながら、四人の白河戸郷の若者達が、わしく訊ねたのはこのことであった。

姦策

 白河戸郷の若者達が、四人来てくれたということは、侍女達にとっては救いであった。
 しどろもどろに侍女達は云った。
誘拐かどわかされましてござります」
「お嬢様も! 朋輩ほうばいも! 向こうの方で!」
「丹生川平の人達に!」
 もうこれだけで充分であった。
 侍女達の言葉を耳に入れるや、白河戸郷の若者達は、血相を変えて躍り上った。
 そうして口々に叫び合ったが、すぐに手筈が行なわれた。
 まず一人の若者であったが、白河戸郷の方へまっしぐらに走った。危急を白河戸郷へ報告して、加勢を求めるためであろう。
 二人の若者は腰刀を抜くや、小枝が誘拐しに遭ったという、その方角へ疾風のように走った。
 残った一人の若者は、侍女達の介抱にとりかかった。

 が、一方、宮川茅野雄と、醍醐弦四郎とはどうしたか?
 茅野雄は上段に弦四郎は正眼に、構えをつけたままで睨み合っていた。
 その横では気絶をしているらしい、小枝を侍女達が介抱しているし、幾人かの侍女達は気絶をしてもいた。
 構えをつけながらも弦四郎は、恐怖を感ぜざるを得なかった。
(思ったよりも素晴らしい剣技だ。尋常に闘ったら俺の方が負ける)
 茅野雄の剣技の勝れているのに、弦四郎は恐怖を感じたのであった。
(どうしたらよかろう? どうしたらよかろう?)
 ――と、すぐに一つの考えが浮かんだ。
(丹生川平の奴原が、俺を見捨て走り去った。が、精悍の彼らである。よもや逃げて行ってしまったのではあるまい。丹生川平へ事件を知らせて、加勢を呼びに行ったのであろう。……おッ、そう云えば音が聞こえる。危急を伝える合図の音が! 拍子を取った木叩きの音が!)
 弦四郎は丹生川平に住んで、十日の日数をけみしていた。で、そういう合図の方法の、あるということも知っていたし、そういう方法で合図されるや、丹生川平の郷民たちが、得物を持って馬に乗って、一瞬の間に加勢をするべく、押し出して来るということをも、郷民達に聞いて知っていた。
一時間はんときあまり待ってやろう。加勢の勢の来るのを待って、茅野雄を処分してやろう)
 ――で、弦四郎は刀を引くやスッと背後うしろへ身を退け、刀を鞘へ納めてしまった。
「さて、宮川氏、ごらんの通りでござる。拙者、刀を納めてござる。貴殿にも刀をお納めなさるがよろしい」
 こう云うと弦四郎はトホンとしたような、不得要領の笑い方をしたが、
「まずご免、あやまります。少しく悪ふざけが過ぎましたようで。が、拙者は道化者なので、こういうことも大好きでござる。と云うこういう事というのは、突然に深夜の江戸の町で、貴殿に切ってかかったり、飛騨の山中の峠道で、妙な矢文を貴殿へ送ったり、また今日のようなこんな恰好で、貴殿と太刀打ちを致したりする。こういうことを云っているのでござる。……アッハッハッ、変わった性質でな。……とは云えもはや飽き飽きしました。かような悪ふざけには飽き飽きしました。で、中止といたします。貴殿にもご中止なさるがよろしい」
 訳の解らないことを云い出した。
 これにはさすがの宮川茅野雄も、度胆を抜かれざるを得なかった。
(何という事だ! 何という武士だ!)
 ――で、茅野雄も後へ引いた。
 とは云え茅野雄には弦四郎の態度や、云った言葉に合点の行かない、曖昧のところのあるのを感じて、油断をしようとはしなかった。
 しかし弦四郎は暢気のんきそうに、刀を鞘へ納めてしまうと、両手を胸へ組んでしまって、ブラリブラリと歩き出した。
 で、茅野雄も不審ながら、自分ばかりが物々しく、抜いた刀を持っていることが、不恰好のように思われて来た。
 で、刀を鞘に納めた。
 と、見て取った弦四郎は、一つニタリと含み笑いをしたが、
「高原の景色は美しゅうござるな」
 こう云って四辺あたりを見るようにした。
「……」――しかし茅野雄は黙っていた。
「綺麗な草の花をしとねとして、美しい婦人方が仆れております」
「さよう!」と、茅野雄ははじめて云った。
「貴殿や貴殿の輩下の者が、誘拐し参った女達でござる」
「いかにも」と、今度は弦四郎が云った。
「誘拐して参った女達でござる」
「何故そのようなよくないことをなされる?」
 茅野雄は怒りを加えたらしい。病気上りの、痩せて蒼い頬の辺りへ紅潮をさせ、少し窪んだ鋭い眼に――いつもは学究らしい穏かさと、叡知とを湛えているのであったが――憎悪の光を漲らせて、弦四郎の眼を追いながら睨んだ。
 そう茅野雄にたしなめられて、かつは鋭く睨められたが、根が浮世を目八分に見ている、身分不詳の弦四郎には、こたえるところが少なかったらしい。
 例によってトホンとした不得要領の、一種の笑いを笑ったが、
「そう宮川氏云われるものではござらぬ。な、只今も拙者は申した。ちとどうも悪ふざけが過ぎましたようで。女子誘拐しの一件も、その悪ふざけの一つでござる」
 しかしこのように云って来て、急に弦四郎は咎めるように云った。
「たしか貴殿におかれては、丹生川平という別天地へ、おいでなされるはずでありましたな」
(おや)とそれを聞くと茅野雄は思った。
(どうしてそんなことを知っているのであろう?)
「さよう」としかし茅野雄は云った。
「拙者、丹生川平へ参る。が、どうしてご存知かな?」
 それには返事はしなかったが、弦四郎は次のように云って笑った。
「丹生川平の郷民達は、貴殿を歓迎なさるまいよ」
「何故な?」と、茅野雄はけげんそうに云った。
「必ずや歓迎をいたしましょう」
「駄目々々」といよいよ嘲笑ったが、曠野の上に仆れている、丹生川平の郷民達の、死骸を弦四郎は指差した。
「貴殿、この者達を殺したではないか」
「悪漢ゆえに殺してござる」
「貴殿はここにいる令嬢姿の乙女を、遮二無二助けようとなされたではないか」
「不幸の誘拐されの乙女だからよ」
「何にもご存知ないからじゃよ」
 ここで弦四郎は皮肉に笑った。
「で拙者、お知らせいたそう。……貴殿が討って取られたところの、仆れている五人の若者達こそ、丹生川平の郷民達なのでござるよ!」
「何を馬鹿な! そのようなことが!」
「貴殿が助けようとなされた乙女は、丹生川平の郷民達にとっては、讐敵にあたる白河戸郷の、郷の長の娘の小枝さえだという乙女で」
「…………」
「そこでもう一言云うことがござる。聞いたら胸が潰れるでござろう。――拙者は目下丹生川平におります。とこう云うのがその一つでござる! 丹生川平の郷の長の、宮川覚明殿に依頼されて小枝を奪いに来たものでござる。とこう云うのがその二つでござる。……しかるに貴殿におかれては、丹生川平の郷民達を、このように討ってお取りになり、小枝を奪おうとした上、拙者の仕事の邪魔をなされた。……何の貴殿が丹生川平へ、これからおいでになろうとも、丹生川平の郷民達が、歓迎などをいたしましょうぞ。その証拠は……」と云いながら、弦四郎は頭を背後うしろへ巡らすと、背後に連らなり聳えている、大森林を眺めやった。と、ドッと云う大勢の鬨の声が、その大森林の中から起こって、ムラムラと騎馬の一団が、大森林の中から現われて来た。
「その証拠こそあれでござる!」
 こう云うや弦四郎は身をひるがえして、騎馬の一団の走って来る方へ、脱兎のようにひた走ったが、走りながらも茅野雄へ云った。
「貴殿を討って取ろうとして、丹生川平の郷民達が、押し出して来たのでござりますぞ!」
 それから刀をひっこ抜くと、騎馬の一団の走る方へ、高々と上げて差し招いた。
「方々ようこそ参られた! ご助勢くだされ! ご助勢くだされ! あそこに立っている侍こそは、怨敵白河戸郷に味方をする、なにがしという痴漢しれものでござる! 拙者が小枝を奪おうとしたのを、邪魔をいたしたそのあげくに、丹生川平のあたら若者を、五人がところ討ち取ってござる! 早々討ってお取りくだされ!」
 こう叫ぶと弦四郎は二度も三度も、けしかけるように刀を揮った。

乱闘

 敵は一人と見てとって、心にあなどりを覚えたからであろう、丹生川平の郷民達は、遠くから茅野雄をとりこめて、ぶすまにかけて射仆いたおそうとはしないで、馬をあおると大勢が一度に、茅野雄にドッと襲いかかった。
 郷民達の叫喚、馬の蹄の音、打ち振る得物の触れ合う音、その得物の閃めく光、馬の蹄に蹴上げられて、煙りのように立つ茶色の砂塵、――それらのものが茅野雄を巡って、茅野雄を埋没させようとした。
 こうなっては茅野雄は声を上げて、いかに弁解をしたところで、相手に受け入れられる望みはなく、虐殺されるばかりであった。
(戦って逃げるより仕方がない!)
 とは云え相手は大勢であり、ことにはことごとく騎馬であった。徒歩かちで刀を揮ったところで、駆け仆されるのがおちであった。
(一人叩っ切って馬を奪ってやろう)
 馬の前脚をもろに立てて、茅野雄をその馬の脚のもとに、乗り潰そうと正面から、逼って来た一騎の郷民があった。
 乗りかけられたらそれまでである。何のむざむざ乗りかけられよう。見て取った茅野雄は横筋違よこすじかいに、さながら矢のように素走ったが、擦れ違いざまに馬の脚へ、一刀サッと浴びせかけた。
 いななきの声がしたかと思うと、ドッと横仆しに馬が仆れ、乗っていた敵がとんぼ返って落ちた。
 と、その仆れた馬の胴へ、他の馬がつまずいて乗ってきた敵が不覚にも、ズルズルと馬背ばはいすべり落ちた。
 と、その馬の背の辺りへ、手甲てっこう穿めた二本の腕が、素早くかかったと思ったが、その時には一人の旅よそおいをした武士が、既に馬背に乗っていた。
 そうしてその次の瞬間には、丹生川平の郷民達の群から、数間先を走っていた。
 他ならぬ宮川茅野雄である。
 驚き周章あわてた大勢の声が、ひとしきり背後で聞こえたかと思うと、すぐに弦音つるおとが高く響いた。
 丹生川平の郷民達が、茅野雄を射って取ろうとして、半弓を数人で射かけたのである。
 しかし彼らは周章ていた。で、狙いが狂ったものと見えて、走って行く茅野雄の左右と頭上を、空しく征矢そやは貫いた。
 が、その次の瞬間には、大勢の追って来る蹄の音が、茅野雄の後から聞こえてきた。と思う間もあらばこそであった。走って行く茅野雄の右と左へ、馬の首が数頭現われたが、見る見る茅野雄を追い抜いて、数間の先へ現われた。次々に数を増して来る。
 茅野雄は武術の一通りには、達していることは達していたが、馬術は精妙とは云われなかった。
 これに反して丹生川平の、郷民達と来た日には、生活から来る必要として、充分に馬術に達していた。曠野を自在に駆けることも、森林の中を縦横無尽に、走り廻ることも出来るのであった。
 で、今も茅野雄を追い抜いて、その前方へ現われて、茅野雄の行く手をやくしたのである。
 こうなっては茅野雄は仕方がなかった。がむしゃらに前面の敵に向かって、切り散らして逃げるより方法がない。
 しかし茅野雄は考えた。
(ここは曠野で隠れ場所がない。どこまで逃げてもまる見えだ。また追いつかれて扼されるであろう。これはどうしても林の中か、森の中へ駆け込んで、身を隠さなければ仕方がない)
 で、背後を振り返って見た。
 曠野を仕切って壁のように、連らなっている大森林があった。
(あの森林の中へ入ってやろう)
 で、茅野雄は突嗟の間に、手綱をしぼると馬を廻し、一散に後へ引っ返した。
 その行く手には馬に乗った、丹生川平の郷民達が、得物を揮って群がっていたが、駈けて来る茅野雄の必死の姿に、気を呑まれたか道をひらいた。で、茅野雄は駆け抜けた。
 と、これはどうしたのであろう、ドッと背後から大勢の者の、笑う声が聞こえてきたではないか。
 こういう危急の場合にも、笑われて見れば気持が悪い。そこで茅野雄は振り返って見た。
 丹生川平の郷民達が、遥かの後方にたむろしていて、茅野雄の方を指さして、笑っているのが見てとれた。
(何故あいつらは笑っているのだ? 何故俺を追っかけて来ないのだ?)
 とは云え彼ら丹生川平の、郷民達から云う時には、笑うべきことに相違なかった。
 というのは大森林の奥所おくどにあたって、丹生川平があるのであるから。
(あの可哀そうな旅の武士は、自然に一人で俺達の郷へ、いじめられるために駆けて行く)
 で、指さしをして笑ったのであった。
 そういうことを茅野雄は知らない。
 で、馬を走らせた。
 しかしその時背後の方にあたって、忽然鬨の声がわき起こったので、振り返らざるを得なかった。
 何を茅野雄は見たであろう?
 丹生川平の郷民達の群へ、一団の人数が襲いかかって、凄まじい戦いを演じている。
 白河戸郷の郷民達が、ようやくこの時駈けつけて来て、丹生川平の郷民達へ、殺到したに他ならなかった。
 しかし茅野雄その人にとっては、そんな事情は解らなかった。
(この隙に森林の中へ入り、危険から遁れることにしよう)
 で、いよいよ馬をあおって、森林の方へ駈けて行ったが、間もなく姿が見えなくなった。
 森林が茅野雄を呑んだのである。

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