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風流仏(ふうりゅうぶつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 10:06:46  点击:  切换到繁體中文



    第九 如是果(にょぜか)

      上 既(すで)に仏体(ぶったい)を作りて未得(みとく)安心(あんしん)

 勇猛(ゆうみょう)精進潔斎怠らず、南無帰命頂礼(なむきみょうちょうらい)と真心を凝(こら)し肝胆(かんたん)を砕きて三拝一鑿(いっさく)九拝一刀、刻み出(いだ)せし木像あり難や三十二相(そう)円満の当体(とうたい)即仏(そくぶつ)、御利益(ごりやく)疑(うたがい)なしと腥(なまぐさ)き和尚様(おしょうさま)語られしが、さりとは浅い詮索(せんさく)、優鈿(うでん)大王(だいおう)とか饂飩(うどん)大王(だいおう)とやらに頼まれての仕事(しわざ)、仏師もやり損じては大変と額に汗流れ、眼中に木片(ききれ)の飛込(とびこむ)も構わず、恐れ惶(かしこ)みてこそ作りたれ、恭敬三昧(きょうけいざんまい)の嬉(うれし)き者ならぬは、御本尊様の前の朝暮(ちょうぼ)の看経(かんきん)には草臥(くたびれ)を喞(かこ)たれながら、大黒(だいこく)の傍(そば)に下らぬ雑談(ぞうだん)には夜の更(ふく)るをも厭(いと)い玉わざるにても知るべしと、評せしは両親を寺参りさせおき、鬼の留守に洗濯する命じゃ、石鹸(シャボン)玉泡沫(ほうまつ)夢幻(むげん)の世に楽を為(せ)では損と帳場の金を攫(つか)み出して御歯涅(おはぐろ)溝(どぶ)の水と流す息子なりしとかや。珠運(しゅうん)は段々と平面板(ひらいた)に彫浮(ほりうか)べるお辰(たつ)の像、元より誰(たれ)に頼まれしにもあらねば細工料取らんとにもあらず、唯(ただ)恋しさに余りての業、一刀(いっとう)削(けずり)ては暫(しばら)く茫然(ぼうぜん)と眼(め)を瞑(ふさ)げば花漬(はなづけ)めせと矯音(きょうおん)を洩(もら)す口元の愛らしき工合(ぐあい)、オヽそれ/\と影を促(とら)えて再(また)一(ひ)ト刀(かたな)、一ト鑿(のみ)突いては跡ずさりして眺(なが)めながら、幾日の恩愛扶(たす)けられたり扶けたり、熱に汗蒸れ垢(あか)臭き身体(からだ)を嫌(いや)な様子なく柔(やさ)しき手して介抱し呉(くれ)たる嬉しさ今は風前の雲と消えて、思(おもい)は徒(いたずら)に都の空に馳(は)する事悲しく、なまじ最初お辰の難を助けて此家(このいえ)を出し其折(そのおり)、留(とど)められたる袖(そで)思い切(きっ)て振払いしならばかくまでの切なる苦(くるしみ)とはなるまじき者をと、恋しを恨む恋の愚痴、吾(われ)から吾を弁(わきま)え難く、恍惚(うっとり)とする所へ著(あらわ)るゝお辰の姿、眉付(まゆつき)媚(なまめ)かしく生々(いきいき)として睛(ひとみ)、何の情(じょう)を含みてか吾(わが)与(あた)えし櫛(くし)にジッと見とれ居る美しさ、アヽ此処(ここ)なりと幻像(まぼろし)を写して再(また)一鑿(ひとのみ)、漸(ようや)く二十日を越えて最初の意匠誤らず、花漬売の時の襤褸(つづれ)をも著(き)せねば子爵令嬢の錦をも着せず、梅桃桜菊色々の花綴衣(はなつづりぎぬ)麗しく引纏(ひきまとわ)せたる全身像惚(ほれ)た眼からは観音の化身(けしん)かとも見れば誰(たれ)に遠慮なく後光輪(ごこう)まで付(つけ)て、天女の如(ごと)く見事に出来上り、吾(われ)ながら満足して眷々(ほれぼれ)とながめ暮(くら)せしが、其夜の夢に逢瀬(おうせ)平常(いつも)より嬉しく、胸あり丈(た)ケの口説(くぜつ)濃(こまやか)に、恋知(しら)ざりし珠運を煩悩(ぼんのう)の深水(ふかみ)へ導きし笑窪(えくぼ)憎しと云えば、可愛(かわゆ)がられて喜ぶは浅し、方様(かたさま)に口惜しい程憎まれてこそ誓文(せいもん)移り気ならぬ真実を命打込(うちこ)んで御見せ申(もうし)たけれ。扨(さて)は迷惑、一生可愛(かわゆ)がって居様(いよう)と思う男に。アレ嘘(うそ)、後先揃(そろ)わぬ御言葉、どうでも殿御は口上手と、締りなく睨(にら)んで打(ぶ)つ真似にちょいとあぐる、繊麗(きゃしゃ)な手首緊(しっか)りと捉(とらえ)て柔(やわらか)に握りながら。打(ぶた)るゝ程憎まれてこそ誓文(せいもん)命掛(かけ)て移り気ならぬ真実をと早速の鸚鵡(おうむ)返し、流石(さすが)は可笑(おか)しくお辰笑いかけて、身を縮め声低く、此(この)手を。離さぬが悪いか。ハイ。これは/\く大きに失礼と其儘(そのまま)離してひぞる真面目(まじめ)顔を、心配相に横から覗(のぞ)き込めば見られてすまし難(がた)く其眼を邪見に蓋(ふた)せんとする平手、それを握りて、離さぬが悪いかと男詞(おとこことば)、後(あと)は協音(きょうおん)の笑(わらい)計(ばか)り残る睦(むつま)じき中に、娘々(むすめむすめ)と子爵の※(「金+肅」、第3水準1-93-39)声(さびごえ)。目(め)覚(さむ)れば昨宵(ゆうべ)明放(あけはな)した窓を掠(かす)めて飛ぶ烏(からす)、憎や彼奴(あれめ)が鳴いたのかと腹立(はらだた)しさに振向く途端、彫像のお辰夢中の人には遙(はるか)劣りて身を掩(おお)う数々の花うるさく、何処(どこ)の唐草(からくさ)の精霊(ばけもの)かと嫌(いや)になったる心には悪口も浮(うか)み来(きた)るに、今は何を着すべしとも思い出(いだ)せず工夫錬り練り刀を礪(と)ぎぬ。

      下 堅く妄想(もうそう)を捏(でつ)して自覚妙諦(みょうたい)

 腕を隠せし花一輪削り二輪削り、自己(おの)が意匠の飾(かざり)を捨て人の天真の美を露(あら)わさんと勤めたる甲斐(かい)ありて、なまじ着せたる花衣脱(ぬが)するだけ面白し。終(つい)に肩のあたり頸筋(くびすじ)のあたり、梅も桜も此(この)君の肉付(にくづき)の美しきを蔽(おお)いて誇るべき程の美しさあるべきやと截(た)ち落(おと)し切り落し、むっちりとして愛らしき乳首、是(これ)を隠す菊の花、香も無き癖(くせ)に小癪(こしゃく)なりきと刀急(せわ)しく是も取って払い、可笑(おかし)や珠運(しゅうん)自ら為(し)たる業(わざ)をお辰(たつ)の仇(あだ)が為(し)たる事の様(よう)に憎み今刻み出(いだ)す裸体(はだかみ)も想像の一塊(いっかい)なるを実在(まこと)の様に思えば、愈々(いよいよ)昨日は愚(おろか)なり玉の上に泥絵具(どろえのぐ)彩りしと何が何やら独り後悔慚愧(ざんき)して、聖書の中へ山水天狗楽書(やまみずてんぐらくがき)したる児童が日曜の朝字消護謨(じけしゴム)に気をあせる如(ごと)く、周章狼狽(ろうばい)一生懸命刀(とう)は手を離れず、手は刀を離さず、必死と成(なっ)て夢我(むが)夢中、きらめく刃(やいば)は金剛石の燈下に転(まろ)ぶ光きら/\截切(たちき)る音は空(そら)駈(かく)る矢羽(やばね)の風を剪(き)る如く、一足退(すさ)って配合(つりあい)を見(み)糺(ただ)す時は琴(こと)の糸断えて余韵(よいん)のある如く、意(こころ)糾々(きゅうきゅう)気昂々(こうこう)、抑(そ)も幾年の学びたる力一杯鍛いたる腕一杯の経験修錬(しゅれん)、渦(うず)まき起って沸々(ふつふつ)と、今拳頭(けんとう)に迸(ほとばし)り、倦(うむ)も疲(つかれ)も忘れ果て、心は冴(さえ)に冴(さえ)渡る不乱不動の精進波羅密(しょうじんはらみつ)、骨をも休めず筋をも緩めず、湧(わ)くや額に玉の汗、去りも敢(あえ)ざる不退転、耳に世界の音も無(なく)、腹に饑(うえ)をも補わず自然(おのず)と不惜身命(ふじゃくしんみょう)の大勇猛(だいゆうみょう)には無礙(むげ)無所畏(むしょい)、切屑(きりくず)払う熱き息、吹き掛け吹込(ふっこ)む一念の誠を注ぐ眼の光り、凄(すさ)まじきまで凝り詰むれば、爰(ここ)に仮相(けそう)の花衣(はなごろも)、幻翳(げんえい)空華(くうげ)解脱(げだつ)して深入(じんにゅう)無際(むさい)成就(じょうじゅ)一切(いっさい)、荘厳(しょうごん)端麗あり難き実相美妙(みみょう)の風流仏(ふうりゅうぶつ)仰ぎて珠運はよろ/\と幾足うしろへ後退(あとずさ)り、ドッカと坐(ざ)して飛散りし花を捻(ひね)りつ微笑(びしょう)せるを、寸善尺魔(すんぜんしゃくま)の三界(さんがい)は猶如(ゆうにょ)火宅(かたく)や。珠運さま珠運さまと呼声(よびごえ)戸口にせわし。


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    第十 如是本末究竟等(にょぜほんまつくきょうとう)

      上 迷迷迷(めいめいめい)、迷(まよい)は唯識所変(ゆいしきしょへん)ゆえ凡(ぼん)

 下碑(げじょ)が是非御来臨(おいで)なされというに盗まれべき者なき破屋(あばらや)の気楽さ、其儘(そのまま)亀屋(かめや)へ行けば吉兵衛待兼顔(まちかねがお)に挨拶して奥の一間へ導き、扨(さて)珠運(しゅうん)様、あなたの逗留(とうりゅう)も既に長い事、あれ程有(あり)し雪も大抵は消(きえ)て仕舞(しまい)ました、此頃(このごろ)の天気の快(よ)さ、旅路もさのみ苦しゅうはなし其道(そのみち)勉強の為(ため)に諸国行脚(あんぎゃ)なさるゝ身で、今の時候にくすぶりて計(ばか)り居らるるは損という者、それもこれも承知せぬでは無(なか)ろうが若い人の癖とてあのお辰(たつ)に心を奪(うばわ)れ、然(しか)も取残された恨(うらみ)はなく、その木像まで刻むと云(いう)は恋に親切で世間に疎(うと)い唐土(もろこし)の天子様が反魂香(はんごんこう)焼(たか)れた様(よう)な白痴(たわけ)と悪口を叩(たた)くはおまえの為を思うから、実はお辰めに逢(あ)わぬ昔と諦(あき)らめて奈良へ修業に行(いっ)て、天晴(あっぱれ)名人となられ、仮初(かりそめ)ながら知合(しりあい)となった爺(じい)の耳へもあなたの良(よい)評判を聞せて貰(もら)い度(た)い、然し何もあなたを追立(おいたて)る訳ではないが、昨日もチラリト窓から覗(のぞ)けば像も見事に出来た様子、此(この)上長く此地に居(いら)れても詰りあなたの徳にもならずと、お辰憎くなるに付(つけ)てお前可愛(かわゆ)く、真から底から正直におまえ、ドッコイあなたの行末にも良様(よいよう)昨夕(ゆうべ)聢(しか)と考えて見たが、何(どう)でも詰らぬ恋を商買(しょうばい)道具の一刀に斬(きっ)て捨(すて)、横道入らずに奈良へでも西洋へでも行(ゆか)れた方が良い、婚礼なぞ勧めたは爺が一生の誤り、外に悪い事仕(し)た覚(おぼえ)はないが、是(これ)が罪になって地獄の鉄札(てっさつ)にでも書(かか)れはせぬかと、今朝(けさ)も仏様に朝茶上(あげ)る時懺悔(ざんげ)しましたから、爺が勧めて爺が廃(よ)せというは黐竿(もちざお)握らせて殺生(せっしょう)を禁ずる様(よう)な者で真に云憎(いいにく)き意見なれど、此(ここ)を我慢して謝罪(わび)がてら正直にお辰めを思い切れと云う事、今度こそはまちがった理屈ではないが、人間は活物(いきもの)杓子定規(しゃくしじょうぎ)の理屈で平押(ひらおし)には行(ゆか)ず、人情とか何とか中々むずかしい者があって、遠くも無い寺参(まいり)して御先祖様の墓に樒(しきみ)一束手向(たむく)る易(やす)さより孫娘に友禅(ゆうぜん)を買(かっ)て着(きせ)る苦しい方が却(かえっ)て仕易(しやす)いから不思議だ、損徳を算盤(そろばん)ではじき出したら、珠運が一身二一添作(にいちてんさく)の五も六もなく出立(しゅったつ)が徳と極るであろうが、人情の秤目(はかりめ)に懸(かけ)ては、魂の分銅(ふんどう)次第、三五(さんご)が十八にもなりて揚屋酒(あげやざけ)一猪口(ひとちょく)が弗箱(ドルばこ)より重く、色には目なし無二無三(むざん)、身代(しんだい)の釣合(つりあい)滅茶苦茶(めちゃくちゃ)にする男も世に多いわ、おまえの、イヤ、あなたの迷(まよい)も矢張(やっぱり)人情、そこであなたの合点(がてん)の行様(ゆくよう)、年の功という眼鏡(めがね)をかけてよく/\曲者(くせもの)の恋の正体を見届た所を話しまして、お辰めを思い切(きら)せましょう。先(まず)第一に何を可愛(かわゆ)がって誰(たれ)を慕(した)うのやら、調べて見ると余程おかしな者、爺の考(かんがえ)では恐らく女に溺(おぼ)れる男も男に眩(くら)[#「眩」は底本では「呟」]む女もなし、皆々手製の影法師に惚(ほれ)るらしい、普通(なみなみ)の人の恋の初幕(しょまく)、梅花の匂(におい)ぷんとしたに振向(ふりむけ)ば柳のとりなり玉の顔、さても美人と感心した所では西行(さいぎょう)も凡夫(ぼんぷ)も変(かわり)はなけれど、白痴(こけ)は其女の影を自分の睛(ひとみ)の底に仕舞込(しまいこん)で忘れず、それから因縁あれば両三度も落合い挨拶(あいさつ)の一つも云わるゝより影法師殿段々堅くなって、愛敬詞(あいきょうことば)を執着(しゅうじゃく)の耳の奥で繰り返し玉い、尚(なお)因縁深ければ戯談(じょうだん)のやりとり親切の受授(うけさずけ)男は一寸(ちょっと)行(ゆく)にも新著百種の一冊も土産(みやげ)にやれば女は、夏の夕陽(ゆうひ)の憎や烈(はげ)しくて御暑う御座りましたろと、岐阜団扇(ぎふうちわ)に風を送り氷水に手拭(てぬぐい)を絞り呉(く)れるまでになってはあり難さ嬉(うれ)しさ御馳走(ごちそう)の瓜(うり)と共に甘(うま)い事胃の腑(ふ)に染渡(しみわた)り、さあ堪(たま)らぬ影法師殿むく/\と魂入り、働き出し玉う御容貌(ごきりょう)は百三十二相(そう)も揃(そろ)い御声(おんこえ)は鶯(うぐいす)に美音錠(びおんじょう)飲ましたよりまだ清く、御心(ごしん)もじ広大無暗(むやみ)に拙者(せっしゃ)を可愛(かわゆ)がって下さる結構尽(づく)め故(ゆえ)堪忍ならずと、車を横に押し親父(おやじ)を勘当しても女房に持つ覚悟極(き)めて目出度(めでたく)婚礼して見ると自分の妄像(もうぞう)ほど真物(ほんもの)は面白からず、領脚(えりあし)が坊主(ぼうず)で、乳の下に焼芋の焦(こげ)た様(よう)の痣(あざ)あらわれ、然も紙屑屋(かみくずや)とさもしき議論致されては意気な声も聞(きき)たくなく、印付(しるしつき)の花合(はなあわ)せ負(まけ)ても平気なるには寛容(おおよう)なる御心(おこころ)却(かえ)って迷惑、どうして此様(このよう)な雌(めす)を配偶(つれあい)にしたかと後悔するが天下半分の大切(おおぎり)、真実(まこと)を云(いえ)ば一尺の尺度(ものさし)が二尺の影となって映る通り、自分の心という燈(ともしび)から、さほどにもなき女の影を天人じゃと思いなして、恋も恨(うらみ)もあるもの、お辰めとても其如(そのごと)く、おまえの心から製(こしら)えた影法師におまえが惚(ほ)れて居る計(ばか)り、お辰の像に後光まで付(つけ)た所では、天晴(あっぱれ)女菩薩(にょぼさつ)とも信仰して居らるゝか知らねど、影法師じゃ/\、お辰めはそんな気高く優美な女ならずと、此爺(このじい)も今日悟って憎くなった迷うな/\、爰(ここ)にある新聞を読(よ)め、と初(はじめ)は手丁寧後は粗放(そほう)の詞(ことば)づかい、散々にこなされて。おのれ爺(じじい)め、えせ物知(ものしり)の恋の講釈、いとし女房をお辰めお辰めと呼捨(よびすて)片腹痛しと睨(にら)みながら、其事(そのこと)の返辞はせず、昨日頼み置(おき)し胡粉(ごふん)出来て居るかと刷毛(はけ)諸共(もろとも)に引※(「怨」の「心」に代えて「手」、第4水準2-13-4)(ひきもぐ)ように受取り、新聞懐中して止むるをきかず突(つ)と立(たっ)て畳ざわりあらく、馴(なれ)し破屋(あばらや)に駈戻(かけもど)りぬるが、優然として長閑(のどか)に立(たて)る風流仏(ふうりゅうぶつ)見るより怒(いかり)も収り、何はさておき色合程よく仮に塗上(ぬりあげ)て、柱にもたれ安坐(あんざ)して暫(しばら)く眺(なが)めたるこそ愚(おろか)なれ。吉兵衛の詞(ことば)気になりて開く新聞、岩沼令嬢と業平侯爵(なりひらこうしゃく)と題せる所をふと読下せば、深山(みやま)の美玉都門(びぎょくともん)に入(いっ)てより三千の※(「石+武」、第4水準2-82-42)※(「石+夫、第4水準2-82-31)(ぶふ)に顔色なからしめたる評判嘖々(さくさく)たりし当代の佳人岩沼令嬢には幾多の公子豪商熱血を頭脳に潮(ちょう)して其(その)一顰一笑(いっぴんいっしょう)を得んと欲(ほっ)せしが預(かね)て今業平(いまなりひら)と世評ある某侯爵は終(つい)に子爵の許諾(ゆるし)を経て近々結婚せらるゝよし侯爵は英敏閑雅今業平の称空(むな)しからざる好男子なるは人の知所(しるところ)なれば令嬢の艶福(えんぷく)多い哉(かな)侯爵の艶福も亦(また)多い哉(かな)艶福万歳羨望(せんぼう)の到(いたり)に勝(たえ)ず、と見る/\面色赤くなり青くなり新聞紙引裂(ひきさき)捨(す)て何処(いづく)ともなく打付(うちつけ)たり。

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