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恐怖城(きょうふじょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-6 9:20:09  点击:  切换到繁體中文


       2

 闊葉樹かつようじゅの原生林はあかや黄の葉に陽が射して、炎のように輝いていた。
 正勝は陽にきらきらと輝きながら散る紅や黄の落ち葉を浴びながら、綱を身体に巻きつけたまま熊笹藪くまざさやぶの中を歩いた。彼のその足音に驚いて、この地方特有の山鳥が枝から枝へと、銀光の羽搏はばたきを打ちながら群れをなして飛んだ。白い山兎やまうさぎ窪地くぼちへ向けてまりのように転がっていったりした。
 しばらくしてから、正勝は道のほうへ出た。しかし、昨日の跡はことごとく落ち葉に埋め尽くされて、ただぎらぎらと火の海のように陽の光に燃え輝いているだけで、猫の額ほどの地面も残ってはいなかった。
 しかし、そこには一つの目標があった。横筋の地肌の暗灰色の幹に、真っ赤なつたが一面に絡みついているのであった。そして、はるかの谷底には暗緑色の椴松とどまつ林帯が広がり、そのこずえの枯枝が白骨のように雨ざれているのだった。
 正勝は崖際がけぎわの一本の幹に自分の身体に巻きつけてある綱の端を結びつけ、紅や黄の落ち葉に埋もれながら谷底へと下りていった。綱に掴まり、岩角や灌木かんぼくに足をかけて、周囲に求むるものを探りながら谷底へ谷底へと下りていった。
 しかし、そこの地形は崖の上の道からの想像とは、ほとんど違っているのだった。道から見たのでは、その崖は道端からすぐ谷底までほとんど一直線的にぐっと岩壁になっているように見えるのだが、崖際から六、七間も下へおりると、そこにはLの字形の岩が突き出ていて雑草が茂り、灌木が伸び、落ち葉に埋もれているのだった。正勝は思いがけぬ足溜あしだまりを得た。思いがけぬ世界を発見した。そして同時に、容易にそこで蔦代の死体を発見したのだった。彼はかえって呆気あっけに取られた。
 正勝はその死体を前にしてしばらく立ち尽くした。それから彼は、落ち葉に埋められかけているその死体に手をかけて、前の姿勢から半分ほども起き返らしてみた。死体には別に、岩角での擦過傷というようなものはなかった。胸から脇腹わきばらにかけて、出血のために着物がべとべとになっているだけであった。彼はさらに、腕や脚を精細に調べてみた。やはり、腕や脚にも擦過傷はなかった。正勝がその路上から投げ込んだままどこの岩角にも突き当たらずに、直接そのLの字形の岩の上の雑草の上に落ちたのに相違なかった。
 それから正勝は、その死体の胴へ自分の身体に巻きつけてある綱の一端を結びつけておいて、下りてきたときの綱に掴まって岸壁を登っていった。そして、崖の上に登り着くと、道の前後を注意深く見た。しかし、普段からあまり人通りのないその道には、夕陽にぎらぎらと輝きながら、紅や黄の葉がばらばらと落ち葉の海の上に散っているだけであった。
 正勝は綱を手繰った。彼のてのひらの皮がけてしまうほどの重さをもって渋りながら、蔦代の死体は崖の上に揚がってきた。正勝はすると、その死体を素早く引っ担いで闊葉樹の原生林の奥深く駆け込んでいった。
 そして、彼はそこの熊笹藪の中に蔦代の死体を隠し、夜の迫るのをじっと待った。

       3

 紀久子は容易に眠れなかった。
 彼女の耳の底には、正勝の、安心していろ! という言葉が耳鳴りのように付きまとっていた。そして目を閉じると、身体にぐるぐると綱を巻きつけている正勝の姿がその目の前にはっきりと見えるのだった。彼女は目がえて、どうしても眠ることができなかった。彼女の神経は銀針のように鋭敏になって、絹糸のようにおののいているのだった。
 いくつかの部屋を隔てて、遠くのほうから柱時計の一時を打つ音がした。
 紀久子は無意識のうちに、ベッドの上に半身を起こした。彼女の心臓は恐ろしい激しさをもって動悸どうきを打っていた。そして、遠くのほうで何かの足音が遠ざかっていくように、時計の音は微かに――しだいに微かに――微かに微かに、絹糸のように細くなりながら――消えていった。しかし、紀久子の動悸は容易に止まらなかった。いつまでもいつまでも、だくっだくっだくっ……どきどきどき……と、心臓が破れそうになりながら続いた。
 焼け爛れるような痛みと悩みとをその心臓に感じながら、紀久子はじっと部屋の中を見回して、それから静かに夜具を引きかぶった。しかし、彼女はやはり眠ることができなかった。なにかしら恐ろしい幻想が彼女の目の前に立って、彼女の心臓を圧迫しているのだった。父親のベッドにさえ、紀久子はそこに自分の動静をうかがっている者が潜んでいるような気がして、神経をき立てられるのだった。
 どこかで何かぴゅん……とはじける音がした。
 紀久子はまたぱっとベッドの上に胸を浮かした。しかし、自分の横には二間ほど離れて父親のベッドがあり、その上に父親が眠っているだけであった。別に何の変わりもなかった。紀久子はしかし、部屋の中に瞠った目をそのまま閉じてしまうことはできなかった。そして、ぴゅんという音の余韻が耳底に続き、その中で正勝の、安心していろ! という声が聞こえるのだ。いつまでもいつまでも聞こえているのだった。
 しかし、なんでもなかったことが分かると、紀久子はほっと溜息ためいきを一つして静かに夜具を引き被った。彼女の心臓は父親の眠りを妨げはしまいかと思うほど、激しく動悸を打っていた。彼女はぐっと胸を押さえつけて、じっと小さくなっていた。
 するとまた、戸口のほうで金属の触れ合うような音が始まった。
 紀久子は全身の神経を緊張させた。しかし、音はすぐ消えてふたたび、冴えざえしい静寂のうちに返っていった。紀久子は恐怖性錯覚を起こしやすくなっている自分の神経のことを思いながら、その半面では、だれかわたしを連れにきたのではないかしら? と思いながら、無理にも神経を鎮めようとした。
 金属の触れ合うようながつがつという音がまた続いた。夜寒の冴えざえしい空気の中に――隅々までも針の先で突くようにして――しばらく続いた。
 紀久子はまた目を開いた。薄暗い電灯、朦朧もうろうとしている何かの影、父親のベッド、何物をも圧している自分の心臓の動悸を打つ音、とたんに入口のドアが静かに開いて、影が現れた。
 紀久子は無我夢中に、ぱっと薄暗い光の中に起き上がった。彼女の心臓は破れるほど激しく動悸を打ちだした。彼女は叫ぼうとして声が出なかった。叫ぼうとする身構えをもって、彼女はただわなわなと全身を顫わしていた。
 黒い姿は静かに部屋の中へ進んできた。静かに――抜き足差し足で――煙か何かのように――ベッドのほうへ近づいた。紀久子は叫ぼうとする身構えで目を瞠り、唇を極度に顫わせながらじっとその黒い姿を見詰めていた。
 黒い姿はすると、右手を上げて、それを紀久子のほうへ差し伸ばしながら横に振った。黙っていろということの合図らしかった。しかし、紀久子は叫ぼうとするその身構えから、姿勢をさえ崩すことができなかった。彼女の全身の神経は恐怖にわなわなと戦慄せんりつしながらも、針金のように固くなってしまっているのだった。
 黒い姿は二つのベッドの中間に立ち止まって紀久子のほうへ向き直り、帽子を取った。そして、その顔を薄い電灯の光線にかざした。正勝だった。
 紀久子は正勝の顔を見ると、打ちのめされたようにしてベッドの上にくずおれた。そして、彼女はもう叫ぶことも動くこともできなかった。ただ、心臓だけが電気仕掛けの機械のように、石像のように固くなった彼女の身体を微かに躍動させていた。
 正勝は向き直って喜平のベッドに近寄り、夜具を引きめくって銀光のものを振り落とした。
「うっ! う……」
 鈍重なうなり声を上げながら喜平は上半身を起こそうとしたが、正勝の掌の中の刃物はふたたび喜平の心臓を目がけて突き刺さった。
「うっ!」
 喜平は鈍く短く唸って、ベッドの上に倒れた。
「あ!」
 紀久子は初めて声を上げた。
 正勝はすると、手を振りながら紀久子のベッドへ寄ってきた。紀久子は叫ぼうとして、また叫ぶことができなくなっていた。正勝は真っ青な顔で紀久子を覗き込んだ。その手には黒く血がついているだけで、刃物は持っていなかった。
「紀久ちゃん! 驚くこたあねえ!」
 正勝は顫える声で言った。顫えるのを固く歯で噛み締めているような声で、彼は鋭く言ったのだ。
「紀久ちゃんの秘密を、秘密を防ぐためなんだ」
 正勝はそう言った。紀久子は唇を動かして何か言おうとしたが、やはり声がどうしても出なかった。
「紀久ちゃんが、こ、こ、この証人になればいいんだ」
「――しょう……」
 紀久子は言葉にはならない声を口にしたが、そのあとがどうしても続かなかった。
「驚くことはねえ!」
「あっ! あっ!……」
「明日の朝、大騒ぎになるに相違ねえから、そ、そ、その時にゃあ紀久ちゃんがいまのことを、はっきりと見た! って言えば、そ、そ、そんでいいんだ」
 正勝はさすがに言葉が整わなかった。
「紀久ちゃん! おれの、おれの言ってるの分かるか?」
「え!」
 紀久子はじっと正勝の顔を見詰めながら言った。
「こ、こ、これは、しかし、おれがやったことにしてはいけねえんだ。紀久ちゃん! 分かる?」
「え!」
「蔦代が、蔦代が、蔦代が殺したことにしねえといけねえのだ」
「蔦代が?……」
 紀久子はそう言ったが、彼女は正勝の言うことが分かっているのではなかった。彼女には何もかもが、全然分からなかった。正勝の顔が自分の前に見えていることさえ、紀久子ははっきりと意識することができないような状態になった。正勝が言っていることの、いかなる意味であるかなど、紀久子は全然消化する力を失っていた。
「紀久ちゃん! 分かるか?」
 正勝はしかし、念を押しながら続けた。彼もまた、沸騰するような心臓の動悸のために苛立いらだっていて、判断力を失っているのだった。
「蔦代が殺したことにするんだ。紀久ちゃんは、蔦代が入ってきて父さんを刺したのだ! って言えばそんでいいんだ。そ、そ、そして、それから、蔦代がわたしのほうへ寄ってきたから、わたしは蔦代を鉄砲で撃ったのだ! って言えばそんでいいんだ。紀久ちゃんはそれで立派に正当防衛になるんだから」
「…………」
 紀久子はやはり黙りつづけていた。黙って、彼女はじっと正勝の顔を見詰めていた。正勝の言っている言葉の意味を、彼女はどうしても消化することができないのだった。
「なんなら蔦代が、紀久ちゃんを追い回したことにしてもいいんだ。紀久ちゃんは逃げ回って、鉄砲のあるところへ行ったので、その鉄砲で思わず蔦代を撃ったことにすればいいんだ。鉄砲には……」
「鉄砲?」
 紀久子は初めて、言葉の形態を備えた言葉を口にした。
「鉄砲でさ。蔦代の身体にある傷は、蔦代の死んだ傷は、鉄砲の傷なんだもの」
「鉄砲?」
 紀久子は呆然ぼうぜんとその言葉を繰り返した。
「鉄砲でさ。それに、鉄砲にはいつでも弾丸が込もっていて、隣の部屋にかかっていることになっているんだから」
「正勝ちゃん!」
 紀久子は低声ながら、叫ぶようにして言った。
「紀久ちゃん! 大きな声をしちゃいけねえ!」
 正勝は押しつけるように鋭く言った。
「わたしを助けて……」
「おれの言っているのが分からないのか? おれは自分のためにばかりやっているのじゃねえんだ。いいか、蔦代が殺したことにして、蔦代がそのうえに紀久ちゃんまで殺そうとして追い回したから、紀久ちゃんは鉄砲のある部屋へ逃げていって、そこに弾丸を込めたままかけてある鉄砲を取って思わず撃ってしまったことにすれば、それでいいんだ。それで紀久ちゃんは立派な正当防衛になって、罪にはならねえから」
「…………」
「紀久ちゃん! 分かったかい?」
「え!」
 紀久子は微かにうなずいた。
「それじゃ、こ、こ、これからおれがその準備をするから、支度が出来上がるまで、紀久ちゃんは動いちゃいけねえ。支度ができてから、その寝巻のままで起きて、隣の部屋へ行って鉄砲を撃つんだよ。そして、そこに、みんなが、鉄砲の音を聞いて集まってくるまで、じっとして立ってれば、それで何もかも済むのだ。いいか? それで分かったな?」
「え!」
 紀久子は軽く頷いた。
「それじゃ、おれが支度するまで、寝ていてくれ」
 正勝がそして静かに、抜き足をして部屋を出ていった。
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   第四章

       1

 暗黒の中に、不気味な沈黙がしばらく続いた。死のような夜更けの酷寒に締めつけられてみ割れる木材の鳴き声が、冷気を伴ってときどきぴゅんぴゅんとかすかに聞こえてくるだけだった。そして、紀久子は泥沼の底のような不気味な沈黙の中に、歯の根も合わないまでにふるおののいていた。
 やがて、正勝は蔦代の死骸しがいを抱えて入ってきた。そして、正勝は薄い電灯の下に二つの影を引きながら、蔦代の死骸を喜平の死骸のそばへ持っていった。
「紀久ちゃん!」
 正勝は低声こごえにそう呼びながら、蔦代の死骸を喜平の死骸の横に並べた。
「紀久ちゃん! こっちの段取りが終わるまで、紀久ちゃんは寝床の中へ入っていてくれ」
 しかし、紀久子はほとんど意識を失っているように、ただわなわなと身を顫わしているばかりだった。
「紀久ちゃん! 寝床の中へ入っていてくれ。でないと、段取りができないから」
 正勝は紀久子のベッドへ近寄りながら、繰り返した。
「紀久ちゃんが寝床の中へ入ってるところへ、蔦が短刀でりつけてくるようにするんだから、寝床の中へ入っていてくれったら」
 そして、正勝はそのベッドの夜具をめくり、紀久子の胸を軽く押した。紀久子は胸を押されて、初めて意識を取り戻したようにしてベッドの中に潜り込んだ。
「紀久ちゃん! そして、おれのとおりに動いてくれ。でないと、蔦が斬りつけていくときの足の運びやなんかの具合が分かんねえから」
 正勝はそう言って、ふたたび二つの死骸の傍へ戻っていった。そして、正勝は死骸にしゃがみ込んで、そこに落ちていた短刀を取り、まずそれを蔦代のを押し開いてその中に握らせた。
 死んでいる掌は筋がっていて、それを押し開いて握らせるのが容易でない代わり、一度握ってしまうと機械のようにその掌に固く固く支えていた。そこで、正勝は蔦代の死体を抱き起こした。抱き起こしておいて蔦代の手の甲をその上から握り、自分の力でその短刀を喜平の胸の傷口へ突き刺した。喜平の胸の血が蔦代の青白い手に、赤黒くべっとりとついた。そして、正勝はその手を胸から抜き取らせると、今度は蔦代の死体を右手に支えながら左の手で喜平の死体を半起こしにして、二つの死体を組みつかせるようにした。蔦代の死体の胸には喜平の胸の傷口の血糊ちのりがべっとりとつき、蔦代の手の短刀が喜平の咽喉部いんこうぶに触れた。そこで正勝は、喜平の死体をベッドの上にどんと倒し、ふたたび蔦代の手の甲を握って喜平の咽喉部に短刀を突き刺した。今度は傷口へそれを突っ込むようなわけにはいかなかった。短刀はわずかに突っ立ったばかりで、つかが蔦代の掌の中から突き出た。
「紀久ちゃん! 起きてくれ。ベッドの上へ、半分ばかり身体からだを起こしてくれ。いまはじめて気がついたように、身体を半分起こしてくれ」
 正勝はそう言いながら、ベッドの横の血溜ちだまりに蔦代の足を立たして、その足を血に染めた。
「紀久ちゃん! こっちから斬りつけていくような恰好かっこうで紀久ちゃんのほうへ寄っていくから、おれが動けって言うまでそのままにしていてくれ」
 そして、正勝は蔦代の死体をその後ろから抱き支えて、足音を忍ばせるように小刻みに足を運ばせながら右手の短刀を振りかざして、紀久子のベッドへ接近していった。
 紀久子はベッドの上に上半身を起こして、顫え戦きながらまゆを寄せていたが、正勝が蔦代の右手を振り上げて近寄るにつれ、静かに静かにベッドから滑り下りた。
「紀久ちゃん! そのままでいてくれ。蔦が短刀で斬りつけたようにするから、そこへ寄っていくまでは動かねえでいてくれ」
 そして、正勝は接近していった。紀久子は眉を寄せながらも、そのままじっとしていた。紀久子のベッドへもはや三尺(約一メートル)ばかりのところで、正勝は蔦代の手の中の短刀をひと振り強く紀久子に向けて振りかざした。
「あっ!」
 紀久子は低声で叫んでベッドの上からぱっと床の上に飛び下りたが、その瞬間に、短刀から飛んだ血糊は紀久子の寝巻の肩へ、牡丹ぼたんの花の模様のように広がった。そして、蔦代の手の余勢はベッドの夜具の上にばたりと落ちた。同時に、血糊は夜具の上にも赤黒い模様を描いた。
「紀久ちゃん! 今度は逃げてくれ!」
 正勝は蔦代の手を取って振り上げさせながら、紀久子を促した。
「この部屋をひと回り逃げ回って、それから次の部屋へ逃げ込んでくれ」
 正勝はそして、蔦代の死骸をその後ろから抱き、蔦代の足が床の上に印す血の足跡を踏まないように注意深く大股おおまたに脚を開いて、不恰好な足構えで紀久子を追い回した。
「紀久ちゃん! それくらいでもう次の部屋へ行ってくれ。そして、ついでにそこの血を少し踏んでいってくれ」
 正勝はそう言って、なおも不恰好な足構えで蔦代の死骸を抱えながら、紀久子を追い回した。紀久子は言われるままに、血糊を踏みつけて鮮やかな足跡を印しながら、次の部屋の戸口のほうへ逃げていった。
「そして、次の部屋へ行ったら、鉄砲のかかっている下へ逃げていってくれ」
 次の部屋の戸口にまで追い詰めておいて、正勝は立ち止まりながら言った。
「そして、鉄砲の下へ行ったらいちばん下の鉄砲を取って、それで向き直ってくれ」
 正勝は、すぐにも倒れようとする蔦代の死体を必死になって抱き支えながら言った。紀久子はドアを押し開いて、次の部屋へ走り込んでいった。
「鉄砲だ! 鉄砲を取って!」
 正勝は紀久子に続いて入りながら、低声に言った。
「いちばん下の?」
 紀久子は初めて、そう顫える声で言いながら、猟銃を取った。
「それを蔦の胸の傷口に当てて……待てよ。その前に、大事なことを忘れている。待っていてくれ」
 正勝はそう言いながら、蔦代の死体を静かにそこに倒しておいて寝室へ戻っていった。
 紀久子は猟銃を手にして激しく心臓を弾ませながら、そこにわなわなと、真夜中の冷気に顫えていた。
 正勝は喜平の死体を抱えて、ふたたび戻ってきた。そして、その死体をそこのくまの皮の上へどんと倒した。同時に、寝室からそこへ運んでくるまで寝巻の端で押さえられていた喜平の胸の傷口からは、ふたたびどくどくと血がいて流れた。
「蔦の傷口からは血はもう出ねえから、こうしておかねえと?」
 正勝はそう言って、そこの熊の皮の上に多量の血が流れ落ちるのを待った。紀久子も黙って心臓をまれながら、じっとそれを見詰めていた。
「紀久ちゃん! 場合によっちゃ、あん時、蔦がおれたちと一緒に帰ったかどうかってことが問題になるかもしれねえが、そん時、どうしようかな? 途中までは一緒に来て、途中から逃げたのでそのままにしておいたことにするかな?」
 しかし、紀久子はそれにはなにも答えなかった。彼女はただ目だけを光らせて、呆然ぼうぜんとして正勝の顔を見詰めていた。
「停車場から、おれたちが蔦を一緒に連れて帰ったのを敬二郎くんが知っているのだから、とにかくどこまでか一緒に帰ったことにしておかないと具合が悪いな。牧場の近くまで馬車で一緒に来て、牧場の門のところで降ろしたらそのまままたどこかへ姿を隠してしまったことにするか?」
「…………」
「蔦があなたのお父さんに恨みを持っていたってことは、蔦のおれへの手紙を見ても分かる。だから……」
「…………」
「おれたちが無理に連れ戻って、門のところで降ろしてしまってからおれはいっさいなにも知らなかったことにしておこう。紀久ちゃんは紀久ちゃんで、その場の都合でなんとでも申し立てればいいさ。とにかく、おれは門のところまで一緒に来てそこで降ろしたから、あとはいっさい知らねえことにする。蔦の手紙も証拠の一つとして見せる必要はあるだろうが、あとで読んだことにするから。それでいいね」
正勝まっかちゃんがいいと思うんなら……」
「そんな手筈てはずにしておこうじゃないか」
 正勝はそして、喜平の死骸にしゃがみ込んだ。
「これくらいでもういいだろう」
 つぶやきながら、正勝はふたたび喜平の胸の傷口をその寝巻の端で押さえ、寝室へと入っていった。
「これで段取りは終わったわけだ」
 正勝はそう言いながら戻ってきて、蔦代の死骸を抱き起こした。
「蔦がこの部屋まで、短刀を振り上げながら紀久ちゃんを追いかけてきたわけなんだ。そこで紀久ちゃんは正当防衛として、その鉄砲を取って蔦を撃ち倒したというわけなんだ。おれがこうして押さえているから、紀久ちゃんは蔦の傷口に銃先つつさきをつけて撃ってくれ」
 正勝はそう言って蔦代の死骸を直立させ、その手を振り上げさせた。
「紀久ちゃんは、鉄砲を撃てるだろう?」
「撃てるわ」
「それじゃ、銃口を傷口へつけて引金を引いてくれ。そして、紀久ちゃんが鉄砲を撃ったら、おれはすぐこの部屋を逃げ出していくから、だれかが鉄砲の音を聞きつけてこの部屋さ入ってくるまで、紀久ちゃんは大変なことをしたというような顔をしてこの部屋から動かねえでいればいいんだ。おれは真っ先に入ってこないで、なにかこう、都合のいいようにこしらえるから」
 正勝は蔦代の死骸の横に立って、その銃口を傷口のところへ持っていった。
「それじゃ!」
「いい?」
「いいよ」
 瞬間! 銃声は轟然ごうぜんと窓ガラスを震わして鳴り響いた。
 正勝は手早く蔦代の死骸を熊の皮の上の血溜りの上へ、ちょうどその傷口のところがつくように倒しておいて、戸外へと駆け出していった。

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