十五
その夜のことである。
馬琴は薄暗い
始め筆を
「あせるな。そうして出来るだけ、深く考えろ。」
馬琴はややもすれば走りそうな筆をいましめながら、何度もこう自分にささやいた。が、頭の中にはもうさっきの星を砕いたようなものが、川よりも早く流れている。そうしてそれが刻々に力を加えて来て、否応なしに彼を押しやってしまう。
彼の耳にはいつか、
頭の中の流れは、ちょうど空を走る銀河のように、
「根かぎり書きつづけろ。今
しかし光の
この時彼の王者のような眼に映っていたものは、利害でもなければ、愛憎でもない。まして
× × ×
その間も茶の間の
弱
「お
やがてお百は、針へ髪の油をつけながら、不服らしくつぶやいた。
「きっとまたお書きもので、夢中になっていらっしゃるのでしょう。」
お路は眼を針から離さずに、返事をした。
「困り者だよ。ろくなお金にもならないのにさ。」
お百はこう言って、伜と嫁とを見た。宗伯は聞えないふりをして、答えない。お路も黙って針を運びつづけた。
底本:「日本の文学 29 芥川龍之介」中央公論社
1964(昭和39)年10月5日初版発行
初出:「大阪毎日新聞」
1917(大正6)年11月
入力:佐野良二
校正:伊藤時也
2000年4月15日公開
2004年1月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
- この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。
「てへん+発」 129-上段-3