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我鬼(がき)

底本: 坂口安吾全集 04
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1998(平成10)年5月22日
入力に使用: 1998(平成10)年5月22日初版第1刷
校正に使用: 1998(平成10)年5月22日初版第1刷

底本の親本: 社会 創刊号
出版社: 鎌倉書房
初版発行日: 1946(昭和21)年9月20日

 

秀吉は意志で弱点を抑へてゐた、その自制は上り目の時には楽しい遊戯である。盛運の秀吉は金持喧嘩せず、心気悠揚として作意すらも意識せられず、長所だけで出来あがつた自分自身のやうであつた。彼は短気であつたが、あべこべに腹が立たなくなり、馬鹿にされ、踏みつけられ、裏切られ、それでも平気で、つまり実質的な自信があつた。家康に卑屈なほどのお世辞を使ひ、北条の悪意のこもつた背信に平然三年間も人事のやうに柳に風、すべては昇運の勢である。けれども、実際は狭量で、変質的に嫉妬深く、小さなことを根にもつて執拗に又逆上的に復讐する男であつた。その気質を家康は知つてゐた。それに対処する方法は、親しんで狎れず、といふことで、一定の距離を置き、その距離を礼節でめる方法だつた。
 朝鮮遠征は一代の失敗だつた。秀吉は信長以上の人物を知らないので、信長のすべてを学んで長をとり短をすてたが、朝鮮遠征も信長晩年の妄想で、その豪壮な想念がまだ血の若い秀吉の目を打つた。それは信長晩年の夢の一つといふだけで、たゞ漠然たる思ひであり、戦場を国の外へひろげるだけのたゞ情熱の幻想であり、国家的な理想とか、歴史的な必然性といふものはない。秀吉は日本を平定して情熱が尚余つてゐたので、往昔ふと目を打たれた信長の幻想を自分のかねての宿志のやうにやりだしたのだが、彼は余勢に乗りすぎてゐた。明とは如何なる国であるか、歴史も地理も知らない。たゞ情熱の幻想に溺れ、根柢的に無計画、無方針であつた。
 遠征に賛成の大名は一人もなかつた。気宇の壮、さういふものへの同感はなほ漠然と残つてゐても、戦乱に倦み疲れてゐた。風俗人情の異る土地を占領しても平穏多幸に統治し得るとは思はれぬ。大名達は恩賞の新領地を旧主の情誼から切離して手なづけるだけでも手をやいてゐる。三成も家康も不満であつた。三成は淀君を通して遠征をやめさせようと試みたが駄目だつた。その三成も家康も、国内事情と思想から割りだした不満はあつたが、明とは如何なる国であるか、やつぱり知つてゐなかつた。
 鶴松が死んだ。五十をすぎ、再び授り得ようとは考へられない子供であつた。秀吉は気絶し、鶴松を思ひだすたび日に幾度となくギャアと泣いて気を失ふ。食事も喉を通らず、たまたま茶碗をとりあげても、鶴松を思ひだすと茶碗をポロリととり落してこぼれた御飯へ顔を突つこみギャアと泣いて俯伏うつぶしてしまふ。
 お通夜の席で秀吉は黙祷の途中にやにはに狂気の如くまげを切つてなきがらにさゝげて泣きふした。つゞいて焼香の家康が黙祷を終つて小束こづかをぬいて大きな手で頭を抑へてヂョリヂョリとやりだしたので一座の面々目を見合せた。各々覚悟をかためて焼香のたびに髷をきる。天下の公卿諸侯が一夜にザンバラ髪になり、童の霊前には髷の山がきづかれた。
 秀吉は翌朝有馬温泉へ発つた。家にゐては思ひだして、たまらない。秀吉が頭を円めて諸国遍歴に旅立つさうだといふ噂が世上に流れた。有馬の滞在三週間、帰城して即日朝鮮遠征のふれをだした。悲しみに気が狂つて朝鮮遠征をやりだしたと大名共まで疑つたほどだ。
 朝鮮軍は鉄砲を持たないから戦争は一方的で京城まで抵抗らしい抵抗もなく平地を走るやうなものであつたが、明の援軍が到着すると、さうはいかない。対峙して一進一退、戦局は停頓する。日本海軍は朝鮮海軍の亀甲戦術に大敗北、京城への海路輸送の制海権を失つたから、釜山航路がひとつだけ、こゝへ陸揚げして陸路京城へ運送するには車が足りない馬が足りない人手が足りない。日本軍の過ぎるところ掠奪暴行、威令は行はれず、統治管理の方針がないので、人民は逃避して、畑には耕す者がなく、町々の家屋には人影がなく、徴発の食糧も人手もなかつた。全軍栄養失調で、太平洋の孤島へ進出した日本軍と同じこと、冬があるだけ苦痛が一つ多かつた。
 始めのうちは名護屋へつめて戦果に酔つてゐた秀吉も、一度京坂の地へ引きあげると、もう名護屋へ戻る気がしなかつた。西の空を思ひだしても不快であつた。
 秀頼が生れた。
 生れた秀頼をいつぺん捨子にして拾ひあげるのは長生きの迷信で、拾つた子供だから俺の子供ではない、そもじもさう思はねばならぬと淀君へ宛てゝくどく手紙をかく秀吉であつた。閻魔をだますに余念もなく、子への盲愛が他の一切の情熱に変つた。
 秀吉の切望は秀次の関白を秀頼に譲らせたいといふことだ。生れたばかりの秀頼を秀次の娘(これも生れたばかり)と許婚の約をむすばせる。そのとき秀次は熱海に湯治の最中であつた。そこへ使者がきて秀吉の旨を伝へたが、勝手にするがいゝさ、秀次は陰気な顔をそむけたばかりで、却つて帰洛の予定を延して旅寝の陰鬱な遊興に沈湎した。
 京大坂で豪華な日夜をくりひろげてゐる秀吉は、然し凋落の跫音あしおとに戦いてゐた。朝鮮出兵の悔恨が、虚勢の裏側で暗い陰をひろげてゐる。その結末の収束と責任と暗い予感が虫のやうに食ひこんでゐた。たゞ成行にまかせて成算も見透しも計画すらもないこと、彼はそれを誰に咎められることもなく怖れる必要もなかつたが、何物かに、怖れずにゐられなかつた。それが先づぬきさしならぬ凋落であつた。
 如何にして秀頼に関白を譲らせるか。勢運の秀吉は我慾を通す必要がなく、人々がおのづから我慾をみたしてくれたが、凋落の秀吉は我慾と争ひ、否応なく小さな自分を見つめなければならなかつた。自制の鎖は断ち切れようとし、我慾の中に明滅する小さな自分の姿に怖れた。然し、秀吉の小さな惨めな人間をさらに冷めたく凝視してゐる一人の青年がゐたのだ。秀次であつた。
 秀次は関白になることなどは考へてゐなかつた。彼は秀吉の養子のうちで最も秀吉に愛されてをらず、十七の年には長久手の合戦に家来を置き去りに逃げ延びて、秀吉の怒りにふれて殺す命を助けてもらつた。小器用でこざかしくて性格的に秀吉の反撥を買ふ。彼はおど/\と育ち、彼と秀吉との接触は彼の長所がいつも反撥され憎まれることであり、性格以外に深い根柢のないものだつた。学問すらも、教養すらも、性格的に反撥され、反撥する秀吉自体の教養は秀次を納得させるものではなかつた。秀次は秀吉の小さな人間だけを相手におど/\と育ち、天下者の貫禄に疑ひを持ち、その卑小さを蔑んだ。
 鶴松が死ぬ。秀吉はもはや実子の生れる筈がないと思つた。彼の愛する養子秀秋は暗愚であつた。秀吉は利巧者より愚か者が好きであり、その偏向は家来に就ても同様で、豪傑肌の愚直な武骨者が好きなのだ。さすがに天下の関白に暗愚な秀秋を据えかねて秀次に与へたのだが、成行のすべてが秀吉に満足なものではなかつたのである。
 はからざる関白となり、天下の諸侯公卿は昨日と変つて別の如くに拝賀する。秀次は現実の与へる自分の姿を見出した。自分の心も見出した。その現実は秀吉の与へてくれたものだつたが、現実から育つ心に過去はない。彼は関白秀次であつた。
 秀次は大名を相手に将棋をさすにも、関白と思つてわざと負けるのではあるまいな、さうでない誓言をとり、それから将棋をさしはじめる。一応人の心はよく分り、特に秀吉の小さな自我に虐げられ痛めつけられた人の不満はよく分つた。彼はそれらの犠牲者達に、たとへば戦功がありながら鬼才を憎まれて恩賞のない黒田如水に自分の所領から三千石の沐浴料をさいてやつたり、不運不遇の大小名に秀吉の間違ひを修正する意味で黄金を与へたり領地をやつたりする。彼は秀吉の小さな欠点を修正して、それとは別なところにある秀吉の大きさよりも、自分を大きく感じて満足した。彼はいにしえの武将の書き残したもの逸事などから、秀吉にない素質を見ると大袈裟に感動し、つまらぬ武将の一面を賞讃して秀吉への否定をたのしんでゐた。その秀吉への反逆は憎悪と軽蔑で表されてゐたが、内心は秀吉の大きな影に圧倒せられ、力量の完全なる敗北感と、そして偉大なる魂に甘へる心、秀吉の大きな慈愛の抱擁と認められ愛され賞讃されたい悲しい秘密でみたされてゐた。彼すらも悲しい秘密に気付くことは稀だつた。そして秀吉への対立感と、秀吉の小さな自我への軽蔑によつて、憎み否定し満足してゐた。
 文事や風流への傾倒にも秀吉を修正する満足があつた。然し人々は彼が秀吉の小さな欠点を修正して満足し、それとは別のところにある大きな秀吉を不当に抹殺してゐる小ざかしさを憐れみ蔑んだ。そして秀吉への修正的な好意を受ける大名達は喜ぶよりも煙たがり、内心はうるさがつてゐるのであつた。
 秀頼が淀君の腹に宿つたときから、秀次はその宿命に暗い陰のさしたことをすでに漠然と戦いてゐた。彼は秀吉の外征すらも自分に対する陥穽がその本当の意味ではないかと疑つた。彼が異国に執着するのはそこへ自分を封ずるためであり、ていよく日本から追ひだすためだと考へる。それは筋の立たない妄想であつたが、人の企みは首尾一貫筋を要するものではなく、偶発し、事態の変に応じて育つものである。時々遠征から戻つてきて祗候する大名達は彼が老齢の太閤に変つて遠征軍の指揮を引受けて申出ることをほのめかしたが、そこが秀吉の思ふ壺だと考へた。然し、実際の心情は現実の快楽に執着しすぎ、戦野の労苦に堪へる心がなかつたのだ。その言訳の妄想だつたが、俺が異国へ行く、あとの日本は親子水入らずさ、悪魔的な陰鬱な笑ひをもらす秀次には、憎悪と裏切りの快感だけが心の底に埃のやうにつもつてゐた。
 彼の心は連日の深酒と荒淫で晴れ間のない空の如くに陰鬱であつた。諸国の美女をあつめても心は晴れず、魂は沈みこむばかりであつた。不健康は顔にあらはれ、面色は黄濁し、小皺がつもり、口が常にだらしなく開き、顔の長さが顎から下へ延びて垂れてゐるやうな様子であつた。眼だけが陰気に光つてゐた。彼は生きた人体の解剖に興味を持ち、孕み女の生き腹をさき、盲人をやにはに斬つてうろたへぶりをたのしみ、死ぬ人間の取りみだしたけたゝましさ見ぐるしさに沈鬱な魂をわづかに波立たせた。食事の飯に砂粒があつたといふので料理人をひきだして口中へ砂をつめて血を吐くまで噛ませ、貴様は砂が好きなさうな、もそつと噛め、俯伏すのを引起して片腕をスポリと斬落して、どうぢや、命が助かりたいか、ハイ、助かりたうござります、左様か、然らばかうしてとらせる、残る片腕をスパリと斬落す、どうぢや、まだ、助かりたいか、料理人はクワッと眼を見開いて、馬鹿野郎、貴様の口は鮟鱇に似て年中だらしなく開いてゐるから砂があるのは当り前だ。秀次は気違ひのやうにその首を斬落した。

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