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熱海温泉で秀吉の苛立つ様を思ひ描いてことさら逗留を延してゐた秀次は、小さな鬱を散ずるあまり大きな敵を自ら作つた後悔に苦しんだ。彼は自ら秀吉を敵と思はねばならなかつた。すべてを悪意に解釈して、それを憎まねばならなかつた。然し彼は秀吉の冷めたい心、その怖ろしい眼の色を知つてゐた。彼はその眼を思ひだして、いはれなく絶望せずにゐられなかつた。
彼が関白の格式で公式に太閤を招待する饗宴がまだ延び延びになつてゐた。そしてやうやく定められた饗宴の当日に使者がきて、訪問中止を伝へた。世上では秀次が秀吉を殺さなければ、秀吉が秀次を殺すであらうと噂され、秀次の計画が裏をかゝれたのだと取沙汰した。然し世上の流説は秀次の身辺ではさらに激烈な事実であつた。彼の侍臣は常に彼にさゝやいた。殺さなければ、殺される。然し、秀次は応じなかつた。彼は小心な才子であり、自己の限界を知つてゐた。秀吉を殺しても天下はとれぬ。太閤あつての関白であり、太閤あつての味方であつた。彼は侍臣のさゝやきに、また世上の流説にとりまかれ、然し、ひそかに、殺さなければ殺されないと必死に希つてゐるのであつた。
彼は絶望しなかつた。絶望してはならないのだ。日を改めて秀吉を招待する。彼は必死であつた。殺さない、それを秀吉に分らせたい。もし秀吉が疑つたら、彼は気違ひになりさうだ。そして秀吉が疑ることを考へると殺したいほど憎かつた。秀吉の数日の滞在を慰めるための催しも、饗宴の食物も、彼は一々指図した。彼は心をこめてゐた。熱中した。そして苛立つ毎日に人を殺したくなるのであつたが、太閤がそれを好まぬことを知ると、それも我慢するのであつた。
秀吉は饗宴に応じ、連日のもてなしに満足したが、異変にそなへて部屋々々には武器をかくした秀吉の軍兵たちがつめてゐた。三日目の夜、狂言の舞台を移すために人足達が立騒いだとき、町の人々はたうとうやつたと考へた。
秀吉は名護屋で能の稽古をはじめた。人見知りせずやりたてる流儀であるから長足の進歩をとげ、秀吉自身も案外な上達ぶりであつた。得意想ふべし、暇さへあれば稽古に余念がなく、天覧に供し、大名に見せ、妻妾侍女に見せ、果は京都の町家の女子衆も一人あまさず悩殺してやらうといふので一般に公開して見物させ、頻りの興行、ほめる者には即座に着てゐる着物まで脱いでくれてやる。彼の「芸術」への情熱と没入は言ふまでもなく余技であり趣味であり冗談ごとですらあつたのに、所詮うぬぼれは自尊心で、秘められた凋落の不安と自信の喪失は、冗談ごとのうぬぼれにいはれのない奇妙ないのちをこめてゐた。
大坂城で能の興行が行はれ、秀次も招ぜられて出席した。秀吉の仕舞は喝采をあびたが、もとめに応じて立上つた秀次の演技は更に満座の嘆賞をさらつた。秀次は特別仕舞に巧者であり、我流の秀吉や武骨な大名どもに比べれば雲泥のみがきのかゝつた芸だつた。太閤の不満と嫉妬と憎しみはかきたてられ、その眼の底に隠しきれずに氷つてゐた。つゞいて織田信雄がもとめられて演じたが、信雄は信長の遺子であり、怖れを知らぬ青年の頃は家康と結んで秀吉と戦ひ、後に厭まれて秋田へ流され、家門の尊貴のみによつては自立し得ざる力の世界、現実の冷めたさを見つめてきた。今は召されて秀吉のお伽衆の一人であつたが、彼の心は卑屈にゆがみ、浮世の悲しさが
秀次ははからざる秀吉の嫉妬と憎悪に心が消えた。この招待の返礼に、そして太閤の意外な憎悪のつぐなひのために、善美のかぎりの饗宴へ招きたいと思つた。秀吉も承諾したので、あれこれ指図して待ちかまへると、当日になつて、今日はだめだが、明日にしようといふ。その日になると、又、明日だ、と言ふ。その明日も
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秀吉は大度寛容の如くであるが、実際は小さなことを根にもつて執拗な、逆上的な復讐をする人だつた。千利久も殺した。蒲生家も断絶させた。切支丹禁教も二隻の船がもとだつた。その最後の逆上までに長い自制の道程があり、その長さ苦しさだけ逆上も亦強かつた。
秀吉は大義名分を愛す男であつた。彼は自分の心を怖れた。秀頼への愛に
彼は突然世上の浮説を根拠にして秀次の謀叛に誓問の使者をたて、釈明をもとめた。秀次はその要求に素直であつた。直ちに斎戒沐浴し白衣を着け神下しをして異心の存せざる旨誓紙を書いた。彼は必死であつた。生きねばならぬ一念のみが全部であつた。彼は現世の快楽に執着した。その執着の一念であつた。
秀吉は秀次の性格を知つてゐた。こざかしい男であるが、小心で、己れを知り、秀吉の愛に飢えてゐるのだ。五人の使者から身の毛もよだつ神下しの状景をきゝ一念こらして誓紙に真心をこめてみせる秀次の様子をきくと、彼はほろりと涙もろくなるのであつた。彼は誓紙を手にとると唐突に亢奮して膝をたて感動のためにふるへてゐた。彼は誓紙を侍臣に示して、関白の忠義のまごゝろは見とゞけた。これを見よ、世上の浮説は笑ふべきかな。血は水よりも濃し。まして誠意誠実の関白に異心のあらう筈はない。口さがない百万人の人の言葉はどうあらうとも、一人の肉身の心の中は信じなければならぬものよ。そなたらもこれを今後の
けれどもすでに使者を立て異心なきあかしを求めた秀吉は心の堰を切つてゐた。誓紙を握つてホロリとする秀吉は、切られた堰の激しさがその激しさの切なさ故に自らむせぶ心の影のくるめきに過ぎなかつた。一週間。その時間が切られた堰の逆上的な奔騰に達するまでの時間であつた。五人の使者がでた。使者の一人は戦場名うての豪傑の大名だつた。喚問に応じなければその場で秀次の首をはねる役だつた。さうすれば彼もその場で腹を切らねばならぬ。豪傑も慌てゝゐた。道の途中に知人のまんじゆう屋があつた。そこへ馬を寄せて形見の小袖をやり家族へ遺書を托して馬を急がせた。然し秀次は素直に応じた。豪傑は又まんじゆう屋の店へ寄り、さつきは失礼、いやどうも今日は天気のまぶしいこと、豪傑は汗をふいた。
秀次は登城する、秀吉は会はなかつた。もはや会ふにも及ばずと口上を伝へ、即刻高野へ登山すべしと云ふ。秀次は観念して直ちに剃髪、袈裟をつけて泊りを重ねて高野へ急ぐ。切腹の使者があとを追つた。
秀吉の一生の堰が一時にきられた。奔流のしぶきにもまれて彼のからだがくる/\流れた。耳もきこえず、目も見えず、たつた一つのものだけが残つてゐた。秀頼。秀頼。秀頼。彼は気違ひだつた。秀次の愛妾達とその各々の子供達三十余名が大八車につみこまれ三条河原にひきだされて芋のやうに斬り殺され、河原の隅に穴がほられて、高野から運び下された秀次の死骸と合せて投げこまれて、石が一つのせられた。その石には悪逆塚と
秀吉は子供の頃を考へる。彼は悪童であつた。放恣であつた。然し、そのころが、今よりも大人のやうな気がするのだ。何かの鞭を怖れてゐた。怖れのために控えてゐたが、やりたいことはやつてゐた。秀吉は悟らないのだ。人間は子供の父になることによつて、子供よりも愚な子供になることを。
秀次を殺してみたが、秀次よりも大きな影がさらに行く手にたちこめてゐた。家康の影であつた。それは全く影だつた。つかまへることができないのだ。秀次の身体といのちは彼の我意と憎しみが掴んで引裂くことができた。然し、家康の影は、彼の
秀吉は病床に伏し、枯木のやうに痩せ、しなびてゐた。骨をつゝむ皺だらけの皮のほかに肉があるとも見えなかつたが、不思議に心が澄んでゐた。たゞ妄執の一念だけが住んでゐた。
五大老、五奉行に誓紙をかゝせ、神明に誓ひ、秀頼への忠誠、違背あるまじきこと、血判の血しぶきは全紙に飛びちり、ぽた/\落ちた。それを棺に入れ、抱いて眠るつもりであつた。肉の朽ち白骨と化すごとく、紙も亦土に還るであらう。
秀吉は病床の枯木の骨を抱き起させ、前田利家の手をとり、おしいたゞいて、大納言、頼みまするぞ、頼みまするぞ。利家はたつた一人の親友だつた。枯木のうちに、不思議に涙はあるものだつた。
秀吉はふと目をひらいた。もつと大きな目をひらくために努力してゐるやうだつた。そして突然顔が目だけであるやうに大きくうつろな穴をあけた。古いすゝけた紙のやうに濁つて鈍く光つてゐた。朝鮮の兵隊たちを、あとはよく聞きとることが出来なかつた。殺すな、と言つたやうだつた。そして眼がだんだん閉ぢた。秀吉は死んでゐた。
底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「社会 創刊号」鎌倉書房
1946(昭和21)年9月20日発行
初出:「社会 創刊号」鎌倉書房
1946(昭和21)年9月20日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年5月5日作成
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