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婦系図(おんなけいず)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:14:54  点击:  切换到繁體中文



     お取膳

       二十四

 その時お妙の言(ことば)というのが、余り案外であったのから、小芳は慌(あわただ)しく銀の小さな吸口を払(はた)いて煙管(きせる)を棄てたのである。
「お医者もお薬も、私だって大嫌いだわ。」
 と至って真面目(まじめ)で、
「まずいものを内服(のま)せて、そしてお菓子を食べては悪いの、林檎を食べては不可(いけな)いの、と種々(いろん)なことを云うんですもの。
 そんな事よりねえ、面白いことをしてお遊びなさいよ。」
 小芳が(まあ。)と云う体で呆れると、お蔦は寂しそうな笑(えみ)を見せて、
「お嬢さん、その貴嬢(あなた)、面白いことが無いんですもの、」と勢(せい)のない呼吸(いき)をする。
「主税さんに逢えば可いでしょう。」
「え、」
「貴女、逢いたいでしょう。」
 二人が黙って瞻(みまも)っても、お妙は目まじろぎもしないで、
「私だって逢いたくってよ。静岡へ行ってから、全く一年になるんですもの、随分だと思うわ、手紙も寄越さないんですもの。私は、あんまりだと思ってよ。
 絵のお清書をする時、硯(すずり)を洗ってくれて、そしてその晩別れたのは、ちょうど今月じゃありませんか。その時の杜若(かきつばた)なんざ、もう私、嬰児(あかんぼ)が描いたように思うんですよ。随分しばらくなんですもの、私だって逢いたいわ。」
 と見る見る瞳にうるみを持ったが、活々した顔は撓(たわ)まず、声も凜々(りんりん)と冴えた。
「それですから、貴女も逢いたかろうと思ってねえ。実は私相談に来たの。もっと早くから、来よう、来ようと思ったんだけれど、極(きまり)が悪いしねえ、それに私見たようなものには逢って下さらないでしょうと思って、学校の帰りに幾度(いくたび)も九段まで来て止したの。
 それでも、あの、築地から来るお友達に、この辺の事を聞いて置いて、九段から、電車に乗るのは分ったの。だけどもねえ、一度万世橋(めがね)で降りてしまって、来られなくなった事があるのよ。
 そのお友達と一所に来ると、新富座の処まで教えて上げましょうッて云うんだけれど、学校でまた何か言われると悪いから、今日も同一(おなじ)電車に乗らないように、招魂社の中にしばらく居たら、男の書生さんが傍(そば)へ来て附着(くッつ)いて歩行(ある)くんですもの。私、斬られるかと思って可恐(こわ)かったわ、ねえ、お臀(しり)の肉(み)が薬になると云うんでしょう、ですもの、危いわ。
 もう一生懸命にここへ来て、まあ、可(よ)かった、と思ってよ。
 あのね、あの、」
 と蓐(とこ)の綴糸(とじいと)を引張って、
「貴女も主税さんも、父さんに叱られてそれでこうしているんだって、可哀相だわ。私なら黙っちゃいないわ、我儘(わがまま)を云ってやるわ。だって、自分だって、母様(かあさん)が不可(いけ)ないと云うお酒を飲んで仕様が無いんですもの。自分も悪いのよ。
 貴女叱られたら、おあやまんなさいよ。そしてね、父さんはね、私や母様の云う事は、それは、憎らしくってよ、ちっとも肯(き)かないけれど、人が来て頼むとねえ、何でも(厭だ。)とは言わないで、一々引受けるの。私ちゃんと伝授を知っているから、それを知らせて上げたいの、貴女が御病気で来られないんなら、小母さん、」
 と隔てなく、小芳の膝に手を置いて、
「小母さんでも可(よ)うござんす。構わないで家(うち)へいらっしゃいよ。玄関の書生さんは婦(おんな)のお客様をじろじろ見るから極(きまり)が悪かったら遠慮は無いわ、ずんずん庭の方からいらっしゃい。
 私がね、直ぐに二階へ連れてって、上げるわ。そうするとねえ、母様がお酒を出すでしょう。私がお酌をして酔わせてよ。アハアハ笑って、ブンと響くような大(おおき)な声を出したら、そしたらもう可いわ。
 是非、主税さんを呼んで下さい。電報で――電報と云って頂戴、可くって。不可(いけな)いとか何とか、父さんがそう云ったら、膝をつかまえて離さないの。そして、お蔦さんが寂(さみ)しがって、こんなに煩らっていらっしゃると云って御覧なさい。あんなに可恐(こわ)らしくっても、あわれな話だと直(じ)きに泣くんですもの、きっと承知するわ。
 そのかわり、主税さんが帰って来たら、日曜に遊びに行(ゆ)くから、そうしたらば、あの……」
 と蓐(とこ)の端につかまって、お蔦の顔を覗くようにして、
「貴女も、私を可厭(いや)がらないで、一所に遊んで頂戴よ。前(ぜん)に飯田町に行きたくっても、貴女が隠れるから、どんなに遠慮だったか知れないわ。」
 もう二人とも泣いていたが、お蔦は、はッと面(おもて)を伏せた。

       二十五

 涙を払って、お蔦が、
「姉さん、私は浮世に未練が出た。また生命(いのち)が惜(おし)くなったよ。皆さんに心配を懸けないで、今日からお医師(いしゃ)にも懸りましょう、薬も服(の)むよ。
 お嬢さん、もう早瀬さんには逢えなくっても、貴女がお達者でいらっしゃいます内は、死にたくはなくなりました。」
 と身をせめて、わなわな震える。
「寒気がするのねえ、さあ、お寝なさいよ、私が掛けて上げましょう。」
 掻巻(かいまき)の襟へ惜気もなく、お妙が袖も手も入れて引くのを見て、
「ああ、勿体ない。そんなになすっては不可(いけ)ません。皆(みんな)がそうじゃないって言いますけれど、私は色のついた痰(たん)を吐きますから、大切なお身体(からだ)に、もしか、感染(うつり)でもするとなりません。」
 覚悟した顔の色の、颯(さっ)と桃色なが心細い。
可(い)いわ!」
「可いわではござんせん。あれ、そして寒気なんぞしませんよ。もう私は熱くって汗が出るようなんです、それから、姉さん、」
 と小芳を見て、
「何ぞ……」
 と云うと、黙って頷(うなず)く。
「来たらね、こんな処でなく、あっちへ行って、お前さん、お嬢さんと。」
「今日は私に任かせておくれ。」
「いいえ、」
不可(いけ)ないよ、私がするんだよ。」
「お嬢さん、ああですもの。見舞に来て、ちょっと、病人を苛(いじ)めるものがあって、」
「無理ばっかり云う人だよ、私に理由(わけ)があるんだから。」
「理由は私にだって有りますよ。あの、過般(いつか)もお前さんに話したろう。早瀬さんと分れて、こうなる時、煙草を買え、とおっしゃって、先生の下すった、それはね、折目のつかない十円紙幣(さつ)が三枚。勿体ないから、死んだらお葬式(とむらい)に使って欲しくって、お仏壇の抽斗(ひきだし)へ紙に包んでしまってある、それを今日使いたいのよ。お嬢さんに差上げて、そして私も食べたいから、」
 とただ言うのさえ病人だけ、遺言のように果敢(はか)なく聞えた。
「ああ、そんならそうおしな。どれ、大急ぎで、いいつけよう。」
戸外(おもて)は暑かろうねえ。」
「何の、お蔦さん。お嬢さんに上げるんだもの、無理にも洋傘(こうもり)をさすものか。」
「角の小間物屋で電話をお借りよ。」
「ああ、知ってるよ。あんまりあらくない中くらいな処が好(よ)かろうねえ。」
「私はヤケに大串が可いけれど、お嬢さんは、」
「ここで皆(みんな)一所に食べるんでなくっちゃ、厭。」
「お相伴しますとも、お取膳とやらで、」
 と小芳が嬉しそうに云う。
「じゃ、私も大きいの。」
「感心、」
 とお蔦が莞爾(にっこり)。
「驚きましたねえ。」
 と立つ。
「御飯も一所よ。」
「あいよ、」
 と框(かまち)を下りる時、褄(つま)を取りそうにして、振向いた目のふちが腫(はれ)ぼったく、小芳は胸を抱いて、格子をがらがら。
「お嬢さん、」
 とお蔦が懐しそうに、
「もともと、そういう約束で別れたんですけれど、私の方へも丸一年……ちっとも便(たより)がないんですよ。
 人が教えてくれましてね、新聞を見ると、すっかり土地の様子が知れるッて言いますから、去年の七月から静岡の民友新聞と云うのを取りましてね、朝起きると直ぐ覗(のぞ)いて、もう見落しはしなかろうか、と隙(ひま)さえあれば、広告まで読みますんですが、ちっとも早瀬さんの事を書いてあったことはありませんから、どうしておいでだか分りません。
 この頃じゃ落胆(がっかり)して、勢(せい)も張合も無いんですけれども、もしやにひかされては見ています。
 たった一度、早瀬さんのことを書いてあったのがござんしてね、切抜いて紙入の中へ入れてありますから、今、お目に掛けますよ。」

       二十六

 お蔦は蓐(しとね)に居直って、押入の戸を右に開ける、と上も下も仏壇で、一ツは当家の。自分でお蔦が守をするのは同居だけに下に在る。それも何となくものあわれだけれども、後姿が褄(つま)の萎(な)えた、かよわい状(さま)は、物語にでもあるような。直ぐにその裳(もすそ)から、仏壇の中へ消えそうに腰が細く、撫肩がしおれて、影が薄い。
 紙入の中は、しばらく指の尖(さき)で掻探さねばならなかったほど、可哀相に大切(だいじ)に蔵(しま)って、小さく、整然(きちん)と畳んで、浜町の清正公(せいしょうこう)の出世開運のお札と一所にしてあった、その新聞の切抜を出す、とお妙は早や隔心(へだてごころ)も無く、十年の馴染のように、横ざまに蓐(とこ)に凭(もた)れながら、頸(うなじ)を伸(のば)して、待構えて、
「ちょいと、どんなことが書いてあって。また掏賊(すり)を助けたりなんか、不可(いけ)ないことをしたのじゃないの。急いで聞かして頂戴な。」
「いいえ、まあ、貴女がお読みなさいまし。」
「拝見な。」
 と寝転ぶようにして、頬杖(ほおづえ)ついて、畳の上で読むのを見ながら、抜きかけた、仏壇の抽斗(ひきだし)を覗くと、そこに仰向けにしてある主税の写真を密(そっ)と見て、ほろりとしながら、カタリと閉めた。懐中(ふところ)へ、その酒井先生恩賜の紙幣(さつ)の紙包を取って、仏壇の中に落ちた線香立ての灰を、フッフッと吹いて、手で撫でる。
 戸外(おもて)を金魚売が通った。
「何でしょう。この小使は、また可訝(おかし)なものじゃないの、」
 とお妙が顔を赤うして云う。新聞に書いたのは(AB(アアベエ)横町。)と云う標題(みだし)で、西の草深のはずれ、浅間に寄った、もう郡部になろうとするとある小路を、近頃渾名(あだな)してAB横町と称(とな)える。すでに阿部郡(ごおり)であるのだから語呂が合い過ぎるけれども、これは独語学者早瀬主税氏が、ここに私塾を開いて、朝からその声の絶間のない処から、学生が戯(たわむれ)にしか名づけたのが、一般に拡まって、豆腐屋までがAB横町と呼んで、土地の名物である。名物と云えば、も一ツその早瀬塾の若いもので、これが煮焼(にたき)、拭掃除、万端世話をするのであるが、通例なら学僕と云う処、粋(いなせ)な兄哥(あにい)で、鼻唄を唱(うた)えばと云っても学問をするのでない。以前早瀬氏が東京で或(ある)学校に講師だった、そこで知己(ちかづき)の小使が、便って来たものだそうだが、俳優(やくしゃ)の声色が上手で落語も行(や)る。時々(いらっしゃい、)と怒鳴って、下足に札を通して通学生を驚かす、とんだ愛敬もので、小使さん、小使さんと、有名な島山夫人をはじめ、近頃流行のようになって、独逸語をその横町に学ぶ貴婦人連が、大分御贔屓(ごひいき)である、と云う雑報の意味であった。
 小芳が、おお暑い、と云いつつ、いそいそと帰って来た。
 話にその小使の事も交って、何であろうと三人が風説(うわさ)とりどりの中へ、へい、お待遠様、と来たのが竹葉。
 小芳が火を起すと、気取気の無いお嬢さん、台所へ土瓶を提げて出る。お蔦も勢(いきおい)に連れて蹌踉(よろよろ)起きて出て、自慢の番茶の焙(ほう)じ加減で、三人睦くお取膳。
 お妙が奈良漬にほうとなった、顔がほてると洗ったので、小芳が刷毛(はけ)を持って、颯(さっ)とお化粧(つくり)を直すと、お蔦がぐい、と櫛を拭(ふ)いて一歯入れる。
 苦労人(くろうと)が二人がかりで、妙子は品のいい処へ粋になって、またあるまじき美麗(あでやか)さを、飽かず視(なが)めて、小芳が幾度(いくたび)も恍惚(うっとり)気抜けのするようなのを、ああ、先生に瓜二つ、御尤(ごもっと)もな次第だけれども、余り手放しで口惜(くやし)いから、あとでいじめてやろう、とお蔦が思い設けたが、……ああ、さりとては……
 いずれ両親には内証(ないしょ)なんだから、と(おいしかってよ。)を見得もなく門口でまで云って、遅くならない内、お妙は八ツ下りに帰った。路地の角まで見送って、ややあって引返(ひっかえ)した小芳が、ばたばたと駈込んで、半狂乱に、ひしと、お蔦に縋(すが)りついて、
「我慢が出来ない。我慢が出来ない。我慢が出来ない。あんな可愛いお嬢さんにお育てなすったお手柄は、真砂町の夫人(おくさん)だけれど、産(う)……産んだのは私だよ。私の子だよ、お蔦さん、身体(からだ)へ袖が触る度(たんび)に、胸がうずいてならなんだ、御覧よ、乳のはったこと。」
 と、手を引入れて引緊(ひきし)めて、わっとばかりに声を立てると、思わず熟(じっ)と抱き合って、
「あれ、しっかりおし、小芳さん、癪(しゃく)が起ると不可(いけな)いよ。私たちは何の因果で、」
 芸者なんぞになったとて、色も諸分(しょわけ)も知抜いた、いずれ名取の婦(おんな)ども、処女(むすめ)のように泣いたのである。


     小待合

       二十七

「こうこう、姉(あね)え、姉え、目を開(あ)いて口を利きねえ。もっとも、かっと開いたところで、富士も筑波も見えるかどうだか、覚束ねえ目だけれどよ。はははは、いくら江戸前(めえ)の肴屋(さかなや)だって、玄関から怒鳴り込む奴があるかい。お客だぜ。お客様だぜ。おい、お前(めえ)の方で惣菜は要らなくっても、己(おら)が方で座敷が要るんだ。何を! 座敷が無え、古風な事を言うな、芸者の霜枯じゃあるめえし。」
 と盤台(はんだい)をどさりと横づけに、澄まして天秤(てんびん)を立てかける。微酔(ほろえい)のめ[#「め」に傍点]組の惣助。商売(あきない)の帰途(かえり)にまたぐれた――これだから女房が、内には鉄瓶さえ置かないのである。
 立迎えた小待合の女中は、坐りもやらず中腰でうろうろして、
「全くおあいにくなんですよ。」
 と入口を塞いだ前へ、平気で、ずんと腰を下ろして、
「見ねえ、身もんでえをする度(たんび)に、どんぶりが鳴らあ。腹の虫が泣くんじゃねえ、金子(かね)の音だ。びくびくするねえ。お望みとありゃ、千両束で足の埃(ほこり)を払(はた)いて通るぜ。」
 とあげ膝で、ボコポン靴をずぶりと脱いで、装塩(もりじお)のこなたへボカン。
 声が高いのでもう一人、奥からばたばたと女中が出て来て、推重(おっかさ)なると、力を得たらしく以前の女中が、
「ほんとうにお前さん、お座敷が無いのですよ。」
「看板を下ろせ、」
 と喚(わめ)いて、
「座敷がなくば押入へ案内しねえ、天井だって用は足りらい。やあ、御新規お一人様あ、」
 と尻上りに云って、外道面(げどうづら)の口を尖らす、相好塩吹の面のごとし。
「そっちの姉(あねえ)は話せそうだな。うんや、やっぱりお座敷ござなく面(づら)だ。変な面だな。はははは、トおっしゃる方が、あんまり変でもねえ面でもねえ。」
 行詰った鼻の下へ、握拳(にぎりこぶし)を捻込(ねじこ)むように引擦(ひっこす)って、
憚(はばか)んながらこう見えても、余所行(よそゆ)きの情婦(いろ)があるぜ。待合(まちええ)へ来て見繕いで拵(こしれ)えるような、べらぼうな長生(ながいき)をするもんかい。
 おう、八丁堀のめ[#「め」に傍点]の字が来たが、の、の、承知か、承知か、と電話を掛けねえ。柳橋の小芳さん許(とこ)だ。柏屋(かしわや)の綱次(つなじ)と云う美しいのが、忽然(こつぜん)として顕(あらわ)れらあ。
 どうだ、驚いたか。銀行の頭取が肴屋に化けて来たのよ。いよ、御趣向!」
 と変な手つき、にゅうと女中の鼻頭(はなさき)へ突出して、
「それとも半纏着(はんてんぎ)は看板に障るから上げねえ、とでも吐(ぬ)かして見ろ。河岸から鯨を背負(しょ)って来て、汝(てめえ)ン許(とこ)で泳がせるぞ、浜町界隈(かいわい)洪水だ。地震より恐怖(おっかね)え、屋体骨(やていぼね)は浮上るぜ。」
 女中二人が目配せして、
「ともかくお上んなさいまし、」
「どうにか致しますから。」
「何だ、どうにかする。格子で馴染を引くような、気障(きざ)な事を言やあがる。だが心底は見届けたよ。いや、御案内引[#「引」は小書き]。」
 と黄声(きなこえ)を発して、どさり、と廊下の壁に打附(ぶつか)りながら、
「どこだ、どこだ、さあ、持って来い、座敷を。」
 で、突立って大手を拡げる。
「どうぞこちらへ、」
 と廊下で別れて、一人が折曲(おりまが)って二階へ上る後から、どしどし乱入。とある六畳へのめずり込むと、蒲団も待たず、半股引(はんももひき)の薄汚れたので大胡坐(おおあぐら)。
御酒(ごしゅ)をあがりますか。」
「何升お燗(かん)をしますか、と聞きねえ。仕入れてあるんじゃ追(おッ)つく[#「追つく」は底本では「追っく」と誤記]めえ。」
 女中が苦笑いして立とうとすると、長々と手を伸ばして、据眼(すえまなこ)で首を振って、チョ、舌鼓を打って、
「待ちな待ちな。大夫(たゆう)前芸と仕(つかまつ)って、一ツ滝の水を走らせる、」
 とふいと立って、
「鷲尾の三郎案内致せ。鵯越(ひよどりごえ)の逆落しと遣れ。裏階子(うらばしご)から便所だ、便所だ。」
 どっかの夜講で聞いたそうな。

       二十八

 手水(ちょうず)鉢の処へめ[#「め」に傍点]組はのっそり。里心のついた振られ客のような腰附で、中庭越に下座敷をきょろきょろと[#「きょろきょろと」は底本では「きよろきょろと」と誤記]※(みまわ)したが、どこへ何んと見当附けたか、案内も待たず、元の二階へも戻らないで、とある一室(ひとま)へのっそりと入って、襖際(ふすまぎわ)へ、どさりとまた胡坐(あぐら)になる。
 女中が慌(あわただ)しく駈込んで、
「まあ、どこへいらっしゃるんですか。」
 と、たしなめるように云うと、
「ここにいらっしゃら。ははは、心配するな。」
「困りますよ。隣のお座敷には、お客様が有るじゃありませんか。」
「構わねえ、一向構わねえ。」
「こちらがお構いなさいませんでも、あちら様で。」
可(い)いじゃねえか、お互(たげえ)だ。こんな処へ来て何も、向う様だって遠慮はねえ。大家様の隠居殿の葬礼(ともれい)に立つとってよ、町内が質屋で打附(ぶつか)ったようなものだ。一ツ穴の狐だい。己(おら)あまた、猫のさかるような高い処は厭だからよ。勘当された息子じゃねえが、二階で寝ると魘(うな)されらあ。身分相当割床と遣るんだ。棟割(むなわり)に住んでるから、壁隣の賑(にぎや)かなのが頼もしいや。」
不可(いけ)ませんよ、そんなことをお言いなすっちゃ、選好(えりこの)んでこのお座敷へいらっしゃらないだって、幾らでも空いてるじゃありませんか。」
「空いてる! こう、たった今座敷はねえ、おあいにくだと云ったじゃねえか。気障(きざ)は言わねえ、気障な事は云わねえから、黙って早く燗(つ)けて来ねえよ。」
 いいがかりに止むを得ず、厭な顔して、
「じゃ、御酒を上るだけになすって下さいよ、お肴(さかな)は?」
「肴は己(おら)が盤台にあら。竹の皮に包んでな、斑鮭(ぶちじゃけ)の鎌ン処(とこ)があるから、そいつを焼いて持って来ねえ。蔦ちゃんが好(すき)だったんだが、この節じゃ何にも食わねえや、折角残して帰(けえ)っても今日も食うめえ。」
 と独言(ひとりごと)になって、ぐったりして、
媽々(かかあ)に遣るんじゃ張合(はりええ)が無え。焼いて来ねえ、焼いて来ねえ。」
 女中は、気違かと危(あやぶ)んで、怪訝(けげん)な顔をしたが、試みに、
「そして綱次さんを掛けるんですか。」
「うんや、今度はこっちがおあいにくだ。ちっとも馴染(なじみ)でも情婦(いろ)でもねえ。口説きように因っちゃ出来ねえ事もあるめえと思うのよ。もっとも惚れてるにゃ惚れてるんだ。待ちねえ、隣の室(へや)で口説いてら、しかも二人がかりだ。」
「ちょっと、」
 と留めて姉さんは興さめ顔。
「こっちは一人だ、今に来たら、お前(めえ)も手伝って口説いてくんねえ。何だ、何だ、(と聞く耳立てて)純潔な愛だ。けつのあいたあ何だい。」
 と、襖(ふすま)にどしんと顔(つら)を当てて、
「蟻の戸渡(とわたり)でいやあがらあ、べらぼうめ。」
「やかましい!」
 隣の室(へや)から堪りかねたか叱咤(しった)した。
「地声だ!」
「あれ、」
 と女中が留めようとする手も届かず、ばたりめ[#「め」に傍点]組が襖を開けると、いつの間に用意をしたか、取って捨てた手拭の中から腹掛を出た出刃庖丁。
「この毛唐人めら、汝(うぬ)、どうするか見やあがれ。」
 あッと云って、真前(まっさき)に縁へ遁(に)げた洋服は――河野英吉。続いて駈出そうとする照陽女学校の教頭、宮畑閑耕(みやばたかんこう)の胸(むな)づくし、釦(ぼたん)が引(ひっ)ちぎれて辷(すべ)った手で、背後(うしろ)から抱込んだ。
「そ、そこに泣いていらっしゃるなア大先生の嬢様でがしょう。飯田町の路地で拝んで、一度だが忘れねえ。此奴等(こいつら)がこの地獄宿へ引張込んだのを見懸けたから、ちびりちびり遣りながら、痴(こけ)の色ばなしを冷かしといて、ゆっくり撲(なぐ)ろうと思ったが、勿体なくッて我慢ならねえ。酒井さんのお嬢さん、私(わっし)がこうやっている処を、ここへ来て、こン唐人打挫(ぶっくじ)いておやんなせえ、お打(ぶ)ちなせえ、お打ちなせえ。
 どうしてまたこんな処へ。……何、八丁堀へおいでなすって。ええ、お帰んなさる電車で逢ったら、一人で遠歩きが怪しいから、教師の役目で検(しら)べるッて、……沙汰の限りだ。
 むむ、此奴等、活かして置くんじゃねえけれど、娑婆の違った獣(けだもの)だ、盆に来て礼を云え。」
 と突飛ばすと、閑耕の匐(のめ)った身体(からだ)が、縁側で、はあはあ夢中になって体操のような手つきでいた英吉に倒れかかって、脚が搦(から)んで漾(ただよ)う処へ、チャブ台の鉢を取って、ばらり天窓(あたま)から豆を浴びせた。惣助呵々(からから)と笑って、大音に、
「鬼は外、鬼は外――」


     道 子

       二十九

 夫の所好(このみ)で白粉(おしろい)は濃いが、色は淡い。淡しとて、容色(きりょう)の劣る意味ではない。秋の花は春のと違って、艶(えん)を競い、美を誇る心が無いから、日向(ひなた)より蔭に、昼より夜、日よりも月に風情があって、あわれが深く、趣が浅いのである。
 河野病院長医学士の内室、河野家の総領娘、道子の俤(おもかげ)はそれであった。
 どの姉妹(きょうだい)も活々して、派手に花やかで、日の光に輝いている中に、独り慎ましやかで、しとやかで、露を待ち、月にあこがるる、芙蓉(ふよう)は丈のびても物寂しく、さした紅も、偏(ひと)えに身躾(みだしなみ)らしく、装った衣(きぬ)も、鈴虫の宿らしい。
 いつも引籠勝(ひっこもりがち)で、色も香も夫ばかりが慰むのであったが、今日は寺町の若竹座で、某(なにがし)孤児院に寄附の演劇があって、それに附属して、市の貴婦人連が、張出しの天幕(テント)を臨時の運動場にしつらえて、慈善市(バザア)を開く。謂(い)うまでもなく草深の妹は先陣承りの飛将軍。そこでこの会のほとんど参謀長とも謂(いつ)つべき本宅の大切な母親が、あいにく病気で、さしたる事ではないが、推(お)してそういう場所へ出て、気配り心扱いをするのは、甚だ予後のために宜(よろ)しからず、と医家だけに深く注意した処から、自分で進んだ次第ではなく、道子が出席することになった。――六月下旬の事なりけり。
 朝涼(あさすず)の内に支度が出来て、そよそよと風が渡る、袖がひたひたと腕(かいな)に靡(なび)いて、引緊(ひきしま)った白の衣紋着(えもんつき)。車を彩る青葉の緑、鼈甲(べっこう)の中指(なかざし)に影が透く艶やかな円髷(まるまげ)で、誰にも似ない瓜核顔(うりざねがお)、気高く颯(さっ)と乗出した処は、きりりとして、しかも優しく、媚(なまめ)かず温柔(おっとり)して、河野一族第一の品。
 嗜(たしなみ)も気風もこれであるから、院長の夫人よりも、大店向(おおだなむき)の御新姐(ごしんぞ)らしい。はたそれ途中一土手田畝道(たんぼみち)へかかって、青田越(ごし)に富士の山に対した景色は、慈善市(バザア)へ出掛ける貴女(レディ)とよりは、浅間の社へ御代参の御守殿という風があった。
 車は病院所在地の横田の方から、この田畝を越して、城の裏通りを走ったが、突(つっ)かけ若竹座へは行くのでなく、やがて西草深へ挽込(ひきこ)んで、楫棒(かじぼう)は島山の門の、例の石橋の際に着く。
 姉夫人は、余り馴れない会場へ一人で行くのが頼りないので、菅子を誘いに来たのであったが、静かな内へ通って見ると、妹は影も見えず、小児(こども)達も、乳母(ばあや)も書生も居ないで、長火鉢の前に主人(あるじ)の理学士がただ一人、下宿屋に居て寝坊をした時のように詰らなそうな顔をして、膳に向って新聞を読んでいた。火鉢に味噌汁の鍋(なべ)が掛(かか)って、まだそれが煮立たぬから、こうして待っているのである。
 気軽なら一番(ひとつ)威(おど)かしても見よう処、姉夫人は少し腰を屈(かが)めて、縁から差覗いた、眉の柔(やわらか)な笑顔を、綺麗に、小さく畳んだ手巾(ハンケチ)で半ば隠しながら、
「お一人。」
「やあ、誰かと思った。」
 と髯(ひげ)のべったりした口許(くちもと)に笑(わらい)は見せたが、御承知の為人(ひととなり)で、どうとも謂(い)わぬ。
 姉夫人は、やっぱり半分(なかば)隠れたまま、
「滝ちゃんや、透(とおる)さんは。」
母様(かあさん)が出掛けるんで、跡を追うですから、乳母(ばあや)が連れて、日曜だから山田(玄関の書生の名)もついて遊びです。平時(いつも)だと御宅へ上るんだけれど、今日の慈善会には、御都合で貴女も出掛けると云うから、珍らしくはないが、また浅間へ行って、豆か麩(ふ)を食わしとるですかな。」
「ではもう菅子さんは参りましたね。」
先刻(さっき)出たです。」
 なぜ待っててくれないのだろう、と云う顔色(かおつき)もしないで、
「ああ、もっと早く来れば可(よ)うござんした。一所に行って欲しかったし、それに四五日お来(み)えなさらないから、滝ちゃんや透さんの顔も見たくって、」
 と優しく云って本意(ほい)なそう。一門の中(うち)に、この人ばかり、一人(いちにん)も小児を持たぬ。

       三十

 姉夫人の、その本意無げな様子を見て、理学士は、ああ、気の毒だと思うと、この人物だけにいっそ口重になって、言訳もしなければ慰めもせずに、希代にニヤリとして黙ってしまう。
 と直ぐ出掛けようか、どうしようと、気抜のした姿うら寂(さみ)しく、姉夫人も言(ことば)なく、手を掛けていた柱を背(せな)に向直って、黒塀越に、雲切れがしたように合歓(ねむ)の散った、日曜の朝の青田を見遣った時、ぶつぶつ騒しい鍋の音。
 と見ると、むらむらと湯気が立って、理学士が蓋(ふた)を取った、がよっぽど腹(おなか)が空いたと見えて、
「失礼します。」と碗を手にする。
「お待ちなさいまし、煮詰りはしませんか。」
 と肉色の絽(ろ)の長襦袢(ながじゅばん)で、絽縮緬(ちりめん)の褄(つま)摺(す)る音ない、するすると長火鉢の前へ行って、科(しな)よく覗(のぞ)いて見て、
「まあ、辛うござんすよ、これじゃ、」
 と銅壺(どうこ)の湯を注(さ)して、杓文字(しゃもじ)で一つ軽く圧(おさ)えて、
「お装(つ)け申しましょう、」と艶麗(あでやか)に云う。
「恐縮ですな。」
 と碗を出して、理学士は、道子が、毛一筋も乱れない円髷の艶(つや)も溢(こぼ)さず、白粉の濃い襟を据えて、端然とした白襟、薄お納戸のその紗綾形(さやがた)小紋の紋着(もんつき)で、味噌汁(おつけ)を装(よそ)う白々(しろしろ)とした手を、感に堪えて見ていたが、
「玉手を労しますな、」
 と一代の世辞を云って、嬉しそうに笑って、
「御馳走(とチュウと吸って)これは旨(うま)い。」
「人様のもので義理をして。ほほほ、お土産も持って参りません。」
 その挨拶もせずに、理学士は箸(はし)もつけないで、ごッくごッく。
「非常においしいです。僕は味噌汁と云うものは、塩が辛くなきゃ湯を飲むような味の無いものだとばかり思うたです。今、貴女、干杓(ひしゃく)に二杯入れたですね。あれは汁を旨く喰わせる禁厭(まじない)ですかね。」
「はい、お禁厭でございます。」
 と云った目のふちに、蕾(つぼみ)のような微笑(ほほえみ)を含んでいたから。
「は、は、は、串戯(じょうだん)でしょう。」
「菅子さんに聞いて御覧なさいまし。」
「そう云えば貴女、もうお出掛けなさらなければなりますまいで。」
「は、私はちっとも急ぎませんけれど、今日は名代(みょうだい)も兼ねておりますから、疾(はや)く参ってお手伝いをいたしませんと、また菅子さんに叱言(こごと)を言われると不可(いけ)ません――もうそれでは、若竹座へ参っております時分でしょうね。」
「うんえ、」
 頬ばった飯に籠って、変な声。
「道寄をしたですよ。貴女これからおいでなさるなら、早瀬の許(とこ)へお出でなさい、あすこに居ましょうで。」
「しますと、あの方も御一所なんですか。」
「一所じゃないです。早瀬がああいう依怙地(いこじ)もんですで。半分馬鹿にしていて、孤児院の義捐(ぎえん)なんざ賛成せんです。今日は会へも出んと云うそうで。それを是非説破して引張出すんだと云いましたから、今頃は盛に長紅舌を弄(ろう)しておるでしょう、は、はは、」
 と調子高に笑って、厭(いや)な顔をして、
「行って見て下さらんか。貴女、」
「はい、」
 となぜか俯向(うつむ)いたが、姉夫人はそのまましとやかに別れの会釈。
「また逢違いになりませんように、それでは御飯を召食(めしあが)りかけた処を、失礼ですが、」
「いや、もう済んだです。」
 その日は珍らしく理学士が玄関まで送って出た。
 絹足袋の、静(しずか)な畳ざわりには、客の来たのを心着かなかった鞠子の婢(おさん)も、旦那様の踏みしだいて出る跫音(あしおと)に、ひょっこり台所(だいどこ)から顔を見せる。
「今日は、」
 と少し打傾いて、姉夫人が、物優しく声をかける。
「ひゃあ、」と打魂消(うったまげ)て棒立ちになったは、出入(ではい)りをする、貴婦人の、自分にこんな様子をしてくれるのは、ついぞ有った験(ためし)が無いので。
 車夫が門外から飛込んで来て駒下駄を直す。
「AB横町でしたかね。あすこへ廻りますから、」
「へい、へい、ペロペロの先生の。」と心得たるものである。

       三十一

 早瀬は、妹が連れて父の住居(すまい)へも来れば病院へも二三度来て知っているが、新聞にまで書いた、塾の(小使)と云う壮佼(わかいもの)はどんなであろう。男世帯だと云うし、他に人は居ないそうであるから、取次にはきっとその(小使)が出るに違いない、と籠勝(こもりがち)な道子は面白いものを見もし聞(きき)もしするような、物珍らしい、楽しみな、時めくような心持(ここち)もして、早や大巌山が幌(ほろ)に近い、西草深のはずれの町、前途(さき)は直ぐに阿部の安東村になる――近来(ちかごろ)評判のAB横町へ入ると、前庭に古びた黒塀を廻(めぐ)らした、平屋の行詰った、それでも一軒立ちの門構(もんがまえ)、低く傾いたのに、独語教授、と看板だけ新しい。
 車を待たせて、立附けの悪い門をあければ、女の足でも五歩(いつあし)は無い、直(じ)き正面の格子戸から物静かに音ずれたが、あの調子なれば、話声は早や聞えそうなもの、と思う妹の声も響かず、可訝(おかし)な顔をして出て来ようと思ったその(小使)でもなしに、車夫のいわゆるぺろぺろの先生、早瀬主税、左の袖口の綻(ほころ)びた広袖(どてら)のような絣(かすり)の単衣(ひとえ)でひょいと出て、顔を見ると、これは、とばかり笑み迎えて、さあ、こちらへ、と云うのが、座敷へ引返(ひっかえ)す途中になるまで、気疾(きばや)に引込んでしまったので、左右(とこう)の暇(いとま)も無く、姉夫人は鶴が山路に蹈迷(ふみまよ)ったような形で、机だの、卓子(テイブル)だの、算を乱した中を拾って通った。
 菅子さんは、と先ず問うと、まだ見えぬ。が、いずれお立寄りに相違ない。今にも威勢の可い駒下駄の音が聞えましょう。格子がからりと鳴ると、立処(たちどころ)にこの部屋へお姿が露(あらわ)れますからお休みなさりながらお待ちなさい、と机の傍(わき)に坐り込んで、煙草(たばこ)を喫(の)もうとして、打棄(うっちゃ)って、フイと立って蒲団を持出すやら、開放(あけはな)しましょう、と障子を押開(おっぴら)いたかと思うと、こっちの庭がもうちっとあると宜(よろ)しいのですが、と云うやら。散らかっておりまして、と床の間の新聞を投(ほう)り出すやら。火鉢を押出して突附けるかとすれば、何だ、熱いのに、と急いでまた摺(ずら)すやら。なぜか見苦しいほど慌(あわただ)しげで、蜘蛛(くも)の囲(す)をかけるように煩(うるさ)く夫人の居まわりを立ちつ居つ。間には口を続けて、よくいらっしゃいました、ようこそおいで、思いがけない、不思議な御方が、不思議だ、不思議だ、と絶(たえ)ず饒舌(しゃべ)ったのである。
「まあ、まあ、どうぞ、どうぞ、」
 とその中(うち)に落着いた夫人もつい、口早になって、顔を振上げながら、ちと胸を反(そ)らして、片手で煙を払うような振(ふり)をした。
 早瀬はその時、机の前の我が座を離れて、夫人の背後(うしろ)に突立(つった)っていたので、上下(うえした)に顔を見合わせた。余り騒がれたためか、内気な夫人の顔(かんばせ)は、瞼(まぶた)に色を染めたのである。
 と、早瀬は人間が変ったほど、落着いて座に返って、徐(おもむろ)に巻莨(まきたばこ)を取って、まだ吸いつけないで、ぴたりと片手を膝に支(つ)いた、肩が聳(そび)えた。
夫人(おくさん)、貴女はこれから慈善市(じぜんし)へいらしって、貧者(びんぼうにん)のためにお働きなさるんですねえ。」
 と沈んで云う。
 顔を見詰められたので、睫毛(まつげ)を伏せて、
「はい、ですが私はただお手伝いでございます。」
「お願いがございます。」
 と匐(のめ)るがごとく、主税がはたと両手を支いた。
 余り意外な事の体に、答うる術(すべ)なく、黙って流眄(ながしめ)に見ていたが、果しなく頭(こうべ)も擡(もた)げず、突いた手に畳を掴(つか)んだ憂慮(きづかわ)しさに、棄ても置かれぬ気になって、
「貴下、まあ、更(あらた)まって何でございますの。」
 とは云ったが、思入った人の体に、気味悪くもなって、遁腰(にげごし)の膝を浮かせる。
「失礼な事を云うようですが、今日の催(もよおし)はじめ、貴女方のなさいます慈善は、博くまんべんなく情(なさけ)をお懸けになりますので、旱(ひでり)に雨を降らせると同様の手段。萎(な)えしぼんだ草樹も、その恵(めぐみ)に依って、蘇生(いきかえ)るのでありますが、しかしそれは、広大無辺な自然の力でなくっては出来ない事で、人間業(わざ)じゃ、なかなか焼石へ如露(じょろ)で振懸けるぐらいに過ぎますまい。」

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