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化鳥(けちょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:20:43  点击:  切换到繁體中文



     第五

またかほしてまどからかはた。さつきは雨脚あめあししげくつて、宛然まるで薄墨うすゞみいたやう、堤防どてだの、石垣いしがきだの、蛇籠じやかごだの、中洲なかずくさへたところだのが、点々ぽつちり/\彼方此方あちらこちらくろずんでて、それで湿しめつぽくツて、くらかつたからえなかつたが、すこれてたからものゝれたのがみんなえる。
とほくのはう堤防どてした石垣いしがきなかほどに、置物おきもののやうになつて、かしこまつて、さるる。
このさるは、だれ持主もちぬしといふのでもない、細引ほそびき麻繩あさなは棒杭ばうくひゆわえつけてあるので、あの、占治茸しめぢたけが、腰弁当こしべんたう握飯にぎりめし半分はんぶんつたり、ばつちやんだの、乳母ばあやだのがたもと菓子くわしけてつたり、あか着物きものる、みいちやんの紅雀べにすゞめだの、あを羽織はおり吉公きちこう目白めじろだの、それからおやしきのかなりやの姫様ひいさまなんぞが、みんなで、からかいにつては、はなたせる、手拭てぬぐひかむせる、水鉄砲みづてつぽうびせるといふ、きな玩弄物おもちやにして、其代そのかはりなんでもたべるものをけてやるので、たれといつて、きまつて、世話せわをする、飼主かひぬしはないのだけれど、さるゑることはありはしなかつた。
時々とき/″\悪戯いたづらをして、その紅雀べにすゞめ天窓あたま※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)むしつたり、かなりやを引掻ひつかいたりすることがあるので、あの猿松さるまつては、うつかり可愛かあいらしい小鳥ことり手放てばなしにして戸外おもてしてはけない、たれ見張みはつてでもないと、危険けんのんだからつて、ちよい/\なはいてはなしてつたことが幾度いくたびもあつた。
はなすがはやいか、さる方々はう/″\かけずりまはつて勝手放題かつてはうだい道楽だうらくをする、夜中よなかつきあかるときてらもんたゝいたこともあつたさうだし、ひと庖厨くりやしのんで、なべおほきいのと飯櫃めしびつ大屋根おほやねつてあがつて、手掴てづかみべたこともあつたさうだし、ひら/\とあをいなかからあかきれのこぼれてる、うつくしいとりたもと引張ひつぱつて、はるかにえるやまゆびさして気絶きぜつさしたこともあつたさうなり、わたしおぼえてからも一度いちどたれかが、なはつてやつたことがあつた。其時そのときはこの時雨榎しぐれえのきえだ両股ふたまたになつてるところに、仰向あをむけ寝転ねころんでて、からすあしつかまへた、それからふごれてある、あのしめぢたけつた、沙魚はぜをぶちまけて、散々さんざ悪巫山戯わるふざけをした揚句あげくが、はしつめ浮世床うきよどこのおぢさんにつかまつて、ひたひ真四角まつしかくはさまれた、それで堪忍かんにんをして追放おつぱなしたんださうなのに、けてると、また平時いつもところ棒杭ぼうぐひにちやんとゆわへてあツた。蛇籠ぢやかご[#「ぢや」はママ]うへの、石垣いしがきなかほどで、うへ堤防どてにはやなぎ切株きりかぶがあるところ
またはじまつた、此通このとほりにさるをつかまへて此処こゝしばつとくのはだれだらう/\ツて、ひとしきりさわいだのをわたしつてる。
で、このさるには出処しゆつしよがある。
それ母様おつかさん御存ごぞんじで、わたしにおはなしなすツた。
八九年まへのこと、わたしがまだ母様おつかさんのおなかなかちつさくなつて時分じぶんなんで、正月、春のはじめのことであつた。
いまたゞひろなか母様おつかさんと、やがて、わたしのものといつたら、この番小屋ばんこや仮橋かりばしほかにはないが、その時分じぶんこのはしほどのものは、やしきにはなかひとツの眺望ながめぎないのであつたさうで、いまいちひとはるなつあきふゆ遊山ゆさんる、桜山さくらやまも、桃谷もゝたにも、あの梅林ばいりんも、菖蒲あやめいけみんな父様とつちやんので、頬白ほゝじろだの、目白めじろだの、山雀やまがらだのが、このまどから堤防どてきしや、やなぎもとや、蛇籠じやかごうへるのがえる、その身体からだいろばかりがそれである、小鳥ことりではない、ほんとうママ可愛かあいらしい、うつくしいのがちやうどこんな工合ぐあひ朱塗しゆぬり欄干らんかんのついた二階にかいまどからえたさうで。今日けふはまだおいひでないが、かういふあめつてさみしいときなぞは、其時分そのころのことをいつでもいつておかせだ。

     第六

いまではそんなたのしい、うつくしい、花園はなぞのがないかはり、まへ橋銭はしせん受取うけとざるいてある、このちいさなまどからふうがはりないぬしゝだの、奇躰きたいきのこだの、不思議ふしぎさるだの、まだ其他そのたひとかほをしたとりだの、けものだのが、いくらでもえるから、ちつとは思出おもひでになるトいつちやあ、アノ笑顔わらひがほをおしなので、わたしもさうおもつてせいか、ひとがあるいてとき片足かたあしをあげたところ一本脚いつぽんあしとりのやうでおもしろい、ひとわらふのをるとけだものおほきなあかくちをあけたよとおもつておもしろい、みいちやんがものをいふと、おや小鳥ことりさへづるかトさうおもつてをかしいのだ。で、なんでもおもしろくツてをかしくツて吹出ふきださずにはられない。
だけれどいましがたも母様おつかさんがおいひのとほり、こんないゝことをつてるのは、母様おつかさんわたしばかりでうして、みいちやんだの、吉公きちこうだの、それから学校がくかうをんな先生せんせいなんぞにをしへたつてわかるものか。
ひとまれたり、られたり、後足うしろあしすなをかけられたり、いぢめられてさいなまれて、熱湯にえゆませられて、すなあびせられて、むちうたれて、あさからばんまで泣通なきどほしで、咽喉のどがかれて、いて、えてしまいさうになつてるところを、ひと高見たかみ見物けんぶつされて、おもしろがられて、わらはれて、なぐさみにされて、うれしがられて、血走ちばしつて、かみうごいて、くちびるやぶれたところで、口惜くやしい、口惜くやしい、口惜くやしい、口惜くやしい、畜生ちくしやうめ、けだものめ、ト始終しじうさうおもつて、五ねんも八ねんたなければ、真個ほんとうわかることではない、おぼえられることではないんださうで、おなくんなすつた、父様おとつさんトこの母様おつかさんとがいても身震みぶるひがするやうな、そうママいふひどいめに、くるしい、いたい、くるしい、つらい、惨刻ざんこくなめにつて、さうしてやう/\おわかりになつたのを、すつかりわたしおしへてくだすつたので。わたしはたゞかあちやん/\てツて母様おつかさんかたをつかまいたり、ひざにのつかつたり、針箱はりばこ引出ひきだしぜかへしたり、ものさしをまはしてたり、縫裁おしごと衣服きもの天窓あたまからかぶつてたり、しかられてしたりしてて、それでちやんとをしへていたゞいて、それをばおぼえてわかつてから、なんでもとりだの、けだものだの、くさだの、だの、むしだの、きのこだのにひとえるのだからこんなおもしろい、結構けつかうなことはない。しかしわたしにかういふいゝことををしへてくだすつた母様おつかさんは、とさうおもときふさぎました。これはちつともおもしろくなくつてかなしかつた、勿体もつたいないとさうおもつた。
だつて母様おつかさんがおろそかにいてはなりません。わたしがそれほどのおもひをしてやう/\おまへをしへらるゝやうになつたんだから、うかつにいててはばちがあたります。人間にんげん鳥獣てうぢゆう草木さうもくも、混虫類こんちゆうるゐみんなかたちこそかはつててもおんなじほどのものだといふことを。
トかうおつしやるんだから。わたしはいつもをついてきました。
で、はじめのうちうしてもひととりや、けだものとはおもはれないで、やさしくされればうれしかつた、しかられるとこはかつた、いてると可哀想かあいさうだつた、そしていろんなことをおもつた。そのたびにさういつて母様おつかさんにきいてるトなにみんなとりさへづつてるんだの、いぬえるんだの、あの、さるくんだの、ぶるいをするんだのとちつともちがつたことはないツて、さうおつしやるけれど、矢張やつぱりさうばかりはおもはれないで、いぢめられていたり、でられてうれしかつたりしい/\したのを、其都度そのつど母様おつかさんをしへられて、いまじやあモウなんともおもつてない。
そしてまだ如彼あゝれてはさむいだらう、つめたいだらうと、さきのやうにあめれてびしよ/\くのをるとどくだつたり、つりをしてひとがおもしろさうだとさうおもつたりなんぞしたのが、此節このせつじやもうたゞへんきのこだ、めういぬしゝ王様わうさまだと、をかしいばかりである、おもしろいばかりである、つまらないばかりである、ツともないばかりである、馬鹿ばか々々しいばかりである、それからみいちやんのやうなのは可愛かあいらしいのである、吉公きちかうのやうなのはうつくしいのである、けれどもそれは紅雀べにすゞめがうつくしいのと、目白めじろ可愛かあいらしいのと些少ちつとちがひはせぬので、うつくしい、可愛かあいらしい。うつくしい、可愛かあいらしい。

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