您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 泉 鏡花 >> 正文

二、三羽――十二、三羽(に、さんば――じゅうに、さんば)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:15:28  点击:  切换到繁體中文

底本: 鏡花短篇集
出版社: 岩波文庫、岩波書店
初版発行日: 1987(昭和62)年9月16日


底本の親本: 鏡花全集 第二十七卷
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年10月

 

引越しをするごとに、「すずめはどうしたろう。」もう八十いくつで、耳が遠かった。――その耳をじっと澄ますようにして、目をうっとりと空をながめて、火桶ひおけにちょこんと小さくいて、「雀はどうしたろうの。」引越しをするごとに、祖母のそうつぶやいたことを覚えている。「祖母おばあさん、一所いっしょに越して来ますよ。」当てずッぽに気安めを言うと、「おお、そうかの。」と目皺めじわを深く、ほくほくとうなずいた。
 そのなくなった祖母は、いつもほとけの御飯の残りだの、洗いながしのお飯粒まんまつぶを、小窓に載せて、雀を可愛かわいがっていたのである。
 私たちの一向いっこうに気のない事は――はれて雀のものがたり――そらで嵐雪らんせつの句は知っていても、今朝もさえずった、と心にめるほどではなかった。が、すくなからず愛惜あいじゃくの念を生じたのは、おなじ麹町こうじまちだが、土手三番町どてさんばんちょうすまった頃であった。春も深く、やがて梅雨つゆも近かった。……庭に柿の老樹が一株。遣放やりばなしに手入れをしないから、根まわり雑草の生えた飛石とびいしの上を、ちょこちょことよりは、ふよふよと雀が一羽、羽を拡げながら歩行あるいていた。家内がつかつかと跣足はだしで下りた。いけずな女で、たしかに小雀を認めたらしい。チチチチ、チュ、チュッ、すぐにてのひらの中に入った。「引掴ひッつかんじゃ不可いけない、そっとそっと。」これがうぐいすか、かなりやだと、伝統的にも世間体にも、それ鳥籠とりかごをと、うちにはないから買いに出るところだけれど、対手あいてが、のりをめるしろもので、お安く扱われつけているのだから、台所の目笊めざるでその南のえんへ先ず伏せた。――ところで、生捉いけどって籠に入れると、一時ひとときたないうちに、すぐに薩摩芋さつまいもつッついたり、柿を吸ったりする、目白鳥めじろのように早く人馴れをするのではない。雀の容易たやすにつかぬと、祖母にも聞いて知っていたから、このまだ草にふらついて、飛べもしない、ひよわなものを、飢えさしてはならない。――きっと親雀が来ておう。それには、えんでは可恐こわがるだろう。……で、もとの飛石の上へ伏せ直した。
 母鳥ははどりは直ぐに来て飛びついた。もう先刻さっきから庭樹にわきの間を、けたたましく鳴きながら、あっちへ飛び、こっちへ飛び、飛騒とびさわいでいたのであるから。
 障子しょうじを開けたままでのぞいているのに、の可愛さには、邪険な人間に対する恐怖も忘れて、目笊の周囲を二、三尺、はらはらくるくると廻って飛ぶ。ツツとざるの目へはしを入れたり、さっと引いて横に飛んだり、飛びながら上へ舞立まいたったり。そのたびに、笊の中の仔雀のあこがれようと言ったらない。あの声がキイと聞えるばかり鳴きすがって、引切ひっきれそうに胸毛を震わす。利かぬ羽をうずにして抱きつこうとするのは、おっかさんが、はしを笊の目に、その……ツツと入れては、ツイと引く時である。
 見ると、小さなを、虫らしい餌を、親はくちばしくわえているのである。笊の中には、乳離ちばなれをせぬ嬰児あかんぼだ。火のつくように泣立なきたてるのは道理である。ところで笊の目をくぐらして、口から口へくくめるのは――人間の方でもその計略だったのだから――いとも容易やさしい。
 だのに、餌を見せながら鳴き叫ばせつつ身を退いて飛廻とびまわるのは、あまり利口でない人間にも的確に解せられた。「あかちゃんや、あかちゃんや、うまうまをあげましょう、其処そこを出ておいで。」と言うのである。ひとの手に封じられた、仔はどうして、自分で笊が抜けられよう? 親はどうして、自分で笊を開けられよう? そのおもいはどうだろう。
 私たちは、しみじみ、いとしく可愛くなったのである。
 石も、折箱おりばこふた撥飛はねとばして、笊を開けた。「御免よ。」「御免なさいよ。」と、雀の方より、こっちが顔を見合わせて、悄気しょげつつ座敷へ引込ひっこんだ。
 少々きまりが悪くって、しばらく、背戸せどへ顔を出さなかった。
 庭下駄にわげたそろえてあるほどの所帯ではない。玄関の下駄を引抓ひッつまんで、晩方ばんがた背戸へ出て、柿のこずえの一つ星を見ながら、「あの雀はどうしたろう。」ありたけの飛石――と言っても五つばかり――をそぞろに渡ると、湿けた窪地くぼちで、すぐ上がしのぶこけりゅうひげの石垣のがけになる、片隅に山吹やまぶきがあって、こんもりした躑躅つつじが並んでうわっていて、垣どなりのが、ちらちらとくほどに二、三輪咲残さきのこった……その茂った葉の、蔭も深くはない低い枝に、雀が一羽、たよりなげに宿っていた。まさ前刻さっきの仔に違いない。…様子が、土からわずか二尺ばかり。これより上へは立てないので、ここまで連れて来た女親おふくろが、わりのう預けて行ったものらしい……あえて預けて行ったと言いたい。悪戯いたずらびた私たちの心をんだ親雀の気のやさしさよ。……その親たちのねぐら何処いずこ?……この嬰児あかちゃんは寂しそうだ。
 土手の松へは夜鷹よたかが来る。築土つくどの森では木兎ずくが鳴く。……折から宵月よいづきの頃であった。親雀は、可恐おそろしいものの目に触れないように、なるたけ、葉の暗い中に隠したに違いない。もとより藁屑わらくず綿片わたぎれもあるのではないが、薄月うすづきすともなしに、ぼっと、その仔雀の身に添って、かすみのような気がこもって、包んでまるあかるかったのは、親のなさけ朧気おぼろげならず、輪光りんこうあらわした影であろう。「ちょっと。」「何さ。」手招てまねぎをして、「来て見なよ。」家内を呼出よびだして、両方から、そっと、顔を差寄さしよせると、じっとしたのが、かすかに黄色なくちばしを傾けた。このやわらかな胸毛の色は、さしのぞいたもののえりよりも白かった。
 夜ふかしは何、家業のようだから、その夜はやがて明くるまで、野良猫のらねこに注意した。彼奴きゃつ後足あとあしで立てば届く、低い枝に、あずかったからである。
 朝寝はしたし、ものにまぎれた。ひるの庭に、くまなき五月の日の光を浴びて、黄金おうごんの如く、銀の如く、飛石の上から、柿の幹、躑躅つつじ、山吹の上下うえしたを、二羽縦横じゅうおうに飛んで舞っている。ひらひら、ちらちらと羽が輝いて、三寸、五寸、一尺、二尺、草樹くさきの影の伸びるとともに、親雀につれて飛び習う、仔の翼は、次第に、次第に、上へ、上へ、自由に軽くなって、花垣はながきたけを切るのが、四、五たび馴れると見るうちに、がけをなぞえに、上町うわまちの樹の茂りの中へ飛んで見えなくなった。
 真綿を黄に染めたような、あの翼が、こうすみやかに飛ぶのに馴れるか。かつ感じつつ、私たちは飽かずにながめた。
 あとで、台所からかけて、女中部屋の北窓の小窓の小縁こえんに、行ったり、来たり、出入ではいりするのは、五、六羽、八、九羽、どれが、その親と仔の二羽だかは紛れて知れない。
 ――二、三羽、五、六羽、十羽、十二、三羽。ここで雀たちの数を言ったついでに、それぞれの道の、学者方までもない、ちょっとわけ知りの御人ごじんうかがいたい事がある。
 別の儀でない。雀の一家族は、おなじ場所では余り沢山たくさんには殖えないものなのであろうか知ら? 御存じの通り、稲塚いなづか稲田いなだ粟黍あわきびの実る時は、平家へいけの大軍を走らした水鳥みずどりほどの羽音はおとを立てて、畷行なわてゆき、畔行あぜゆくものを驚かす、夥多おびただしい群団むれをなす。鳴子なるこ引板ひたも、半ば――これがためのそなえだと思う。むかしのものがたりにも、年月としつきる間には、おなじ背戸せどに、孫もひこむらがるはずだし、第一椋鳥むくどりねぐらを賭けて戦う時の、雀の軍勢を思いたい。よしそれは別として、長年の間には、もうちっと家族が栄えようと思うのに、十年一日と言うが、実際、――その土手三番町どてさんばんちょうを、やがて、いまの家へ越してから十四、五年になる。――あの時、雀の親子のなさけに、いとしさを知って以来、申出るほどの、さしたる御馳走でもないけれど、お飯粒まんまつぶの少々は毎日欠かさずいて置く。たとえば旅行をする時でも、……「火の用心」と、「雀君を頼むよ」……だけは、留守へ言って置くくらいだが、さて、何年にも、ちょっと来て二羽三羽、五、六羽、総勢すぐって十二、三羽より数が殖えない。長者でもないくせに、たわら扶持ふちをしないからだと、言われればそれまでだけれど、何、私だって、もう十羽殖えたぐらいは、それだけ御馳走を増すつもりでいるのに。
 何も、雀にかこつけて身代しんしょうの伸びない愚痴ぐちを言うのではない。また……別に雀の数の多くなる事ばかりを望むのではないのであるが、春に、秋に、現に目に見えて五、六羽ずつは親の連れて来る子の殖えるのが分っているから、いつも同じほどの数なのは、何処どこへ行って、どうするのだろうと思うからである。
 が、どうも様子が、仔雀が一羽だちの出来るのを待って、その小児こどもだけを宿に残して、親雀はねぐらをかえるらしく思われる。
 あの、仔雀が、チイチイと、ありッたけくちばしを赤く開けて、クリスマスにもらったマントのように小羽を動かし、胸毛をふよふよとゆるがせて、こう仰向あおむいて強請ねだると、あいよ、と言った顔色かおつきで、チチッ、チチッと幾度いくたびもお飯粒まんまつぶを嘴から含めてる。……食べても強請ねだる。ふくめつつ、あとねだりをするのを機掛きっかけに、一粒くわえて、おっかさんはへいの上――(椿つばき枝下えだしたここにおまんまが置いてある)――其処そこから、裏露地を切って、向うの瓦屋根かわらやねへフッと飛ぶ。とあとから仔雀がふわりとすがる。これで、羽を馴らすらしい。また一組は、おなじくを含んで、親雀が、狭い庭を、手水鉢ちょうずばちの高さぐらいに舞上まいあがると、その胸のあたりへ附着くッつくように仔雀が飛上とびあがる。尾を地へ着けないで、舞いつつ、飛びつつ、庭中を翔廻かけまわりなどもする、やっぱり羽を馴らすらしい。この舞踏が一斉いっとき三組みくみ四組よくみもはじまる事がある。の花を掻乱かきみだし、はぎの花を散らして狂う。……かわいいのに目がないから、春も秋も一所いっしょだが、晴の遊戯あそびだ。もうちっと、綺麗きれい窓掛まどかけ絨毯じゅうたんを飾ってもりたいが、庭が狭いから、羽とともに散りこぼれる風情ふぜいの花は沢山ない。かえって羽について来るか、くちばしから落すか、植えないすみれの紫が一本ひともと咲いたり、たでが穂をあからめる。
 ところで、何のなかでも、親は甘いもの、仔はずるく甘ッたれるもので。……あの胸毛の白いのが、見ていると、そのうちに立派に自分でが拾えるようになる。澄ましたつらで、コツンなどと高慢に食べている。いたずらものが、二、三羽、親の目を抜いて飛んで来て、チュッチュッチュッとつつきあい喧嘩けんかさえる。生意気なまいきにもかかわらず、親雀がスーッと来てしかるような顔をすると、喧嘩のくちばしも、生意気な羽も、たちまちぐにゃぐにゃになって、チイチイ、赤坊声あかんぼごえで甘ったれて、うまうまを頂戴と、口を張開はりひらいて胸毛をふわふわとして待構まちかまえる。チチッ、チチッ、一人でお食べなと言ってもかない。頬辺ほっぺたを横に振ってもかない。で、チイチイチイ……おなかが空いたの。……おお、よちよち、と言った工合に、この親馬鹿が、すぐにのろくなって、お飯粒まんまつぶの白いところを――贅沢ぜいたくな奴らで、うちのは挽割麦ひきわりぜるのだがよほど腹がすかないと麦の方へははしをつけぬ。此奴こいつら、大地震の時は弱ったぞ――ついばんで、はしで、仔の口へ、押込おしこ揉込もみこむようにするのが、およたまらないと言った形で、頬摺ほおずりをするように見える。
 しからず、親に苦労を掛ける。……そのくせ、他愛たわいのないもので、陽気がよくて、おなかがくちいと、うとうととなって居睡いねむりをする。……さあさあひときり露台みはらしへ出ようか、で、塀の上から、揃ってものほしへ出たとお思いなさい。日のほかほかと一面に当る中に、声ははしゃぎ、影は踊る。
 すてきに物干ものほしにぎやかだから、そっと寄って、隅の本箱の横、二階裏にかいうら肘掛窓ひじかけまどから、まぶしい目をぱちくりとってのぞくと、柱からも、横木からも、頭の上の小廂こびさしからも、あたたかな影をかし、羽を光らして、一斉いっときにパッと逃げた。――飛ぶのは早い、裏邸うらやしき大枇杷おおびわの樹までさしわたし五十けんばかりをまたたもない。――(この枇杷の樹が、馴染なじみの一家族のねぐらなので、前通りの五本ばかりの桜の樹(有島ありしま家)にも一群ひとむれ巣を食っているのであるが、その組は私の内へは来ないらしい、持場が違うと見える)――時に、女中がいけぞんざいに、取込とりこむ時引外ひきはずしたままの掛棹かけざおが、斜違はすかいに落ちていた。硝子がらす一重ひとえすぐ鼻のさきに、一羽可愛かわいいのが真正面まっしょうめんに、ぼかんとまって残っている。――どうかして、座敷へ飛込とびこんで戸惑いするのをつかまえると、てのひらで暴れるから、このくらい、しみじみと雀の顔を見た事はない。ふっくりとも、ほっかりとも、細い毛へ一つずつ日光を吸込すいこんで、おお、お前さんはあめで出来ているのではないかい、と言いたいほど、とろんとして、目を眠っている。道理こそ、人の目と、そのはし打撞ぶつかりそうなのに驚きもしない、と見るうちに、ふまえてとまった小さな脚がひょいと片脚、幾度も下へ離れてすべりかかると、その時はビクリと居直いなおる。……わずらって動けないか、怪我けがをしていないかな。……

[1] [2] [3] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告