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人魚の祠(にんぎょのほこら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:16:59  点击:  切换到繁體中文

底本: 鏡花全集 巻十六
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年4月20日
入力に使用: 1987(昭和62)年12月3日第3刷
校正に使用: 1987(昭和62)年12月3日第3刷

 

     一

「いまの、あの婦人ふじんいて嬰兒あかんぼですが、こひか、すつぽんででもりさうでならないんですがね。」
「…………」
 わたしは、だまつて工學士こうがくしかほた。
「まさかとはおもひますが。」
 赤坂あかさか見附みつけちかい、ある珈琲店コオヒイてん端近はしぢか卓子テエブルで、工學士こうがくし麥酒ビイル硝子杯コツプひかへてつた。
 わたし卷莨まきたばこけながら、
「あゝ、結構けつこうわたしは、それが石地藏いしぢざうで、いまのが姑護鳥うぶめでもかまひません。けれども、それぢや、貴方あなた世間せけんまないでせう。」
 六ぐわつすゑであつた。府下ふか澁谷しぶやへんある茶話會さわくわいがあつて、工學士こうがくしせきのぞむのに、わたしさそはれて一日あるひ出向でむいた。
 談話はなし聽人きゝてみな婦人ふじんで、綺麗きれいひと大分だいぶえた、とたちのであるから、羊羹やうかんいちご念入ねんいりむらさき袱紗ふくさ薄茶うすちや饗應もてなしまであつたが――辛抱しんばうをなさい――さけふものは全然まるでない。が、かねての覺悟かくごである。それがために意地汚いぢきたなく、歸途かへりうした場所ばしよ立寄たちよつた次第しだいではない。
 本來ほんらいならせきで、工學士こうがくしはなした或種あるしゆ講述かうじゆつを、こゝに筆記ひつきでもしたはうが、まるゝ方々かた/″\利益りえきなのであらうけれども、それは殊更ことさら御海容ごかいようねがふとしてく。
 じつ往路いきにも同伴立つれだつた。
 かたへ、煉瓦塀れんぐわべい板塀いたべいつゞきのほそみちとほる、とやがて會場くわいぢやうあたいへ生垣いけがきで、其處そこつの外圍そとがこひ三方さんぱうわかれて三辻みつつじる……曲角まがりかど窪地くぼちで、日蔭ひかげ泥濘ぬかるみところが――そらくもつてた――のこンのゆきかとおもふ、散敷ちりしいたはな眞白まつしろであつた。
 したくと學士がくし背廣せびろあかるいくらゐ、いまさかりそらく。えだこずゑたわゝ滿ちて、仰向あをむいて見上みあげると屋根やねよりはたけびたが、つゐならんで二株ふたかぶあつた。すもゝ時節じせつでなし、卯木うつぎあらず。そして、木犀もくせいのやうなあまにほひが、いぶしたやうにかをる。楕圓形だゑんけいは、羽状複葉うじやうふくえふふのが眞蒼まつさをうへから可愛かはいはなをはら/\とつゝんで、さぎみどりなすみのかついで、たゝずみつゝ、さつひらいて、雙方さうはうからつばさかはした、比翼連理ひよくれんり風情ふぜいがある。
 わたしもとよりである。……學士がくしにも、香木かうぼくわからなかつた。
 當日たうじつせきでも聞合きゝあはせたが、居合ゐあはせた婦人連ふじんれんまたたれらぬ。くせ佳薫いゝかをりのするはなだとつて、ちひさなえだながら硝子杯コツプしてたのがあつた。九州きうしうさるねらふやうなつまなまめかしい姿すがたをしても、下枝したえだまでもとゞくまい。小鳥ことりついばんでおとしたのをとほりがかりにひろつてたものであらう。
「おちゝのやうですわ。」
 一人ひとり處女しよぢよつた。
 成程なるほど近々ちか/″\ると、しろちひさなはなの、うつすりと色着いろづいたのがひとひとツ、うつくし乳首ちゝくびのやうなかたちえた。
 却説さてれて、歸途かへりである。
 わたしたちは七丁目なゝちやうめ終點しうてんからつて赤坂あかさかはうかへつてた……あのあひだ電車でんしやして込合こみあほどではいのに、そらあやしく雲脚くもあしひくさがつて、いまにも一降ひとふりさうだつたので、人通ひとどほりがあわたゞしく、一町場ひとちやうば二町場ふたちやうば近處きんじよようたしのぶん便たよつたらしい、停留場ていりうぢやうごと乘人のりてかずおほかつた。
 で、何時いつ何處どこから乘組のりくんだか、つい、それはらなかつたが、ちやうわたしたちのならんでけたむかがは――墓地ぼちとは反對はんたい――のところに、二十三四のいろしろ婦人ふじんる……
 づ、いろしろをんなはう、が、ゆきなすしろさ、つめたさではない。薄櫻うすざくらかげがさす、おぼろにほよそほひである。……こんなのこそ、はだへふより、不躾ぶしつけながらにくはう。そのむねは、合歡ねむはなしづくしさうにほんのりとあらはである。
 藍地あゐぢこん立絞たてしぼり浴衣ゆかたたゞ一重ひとへいとばかりのくれなゐせず素膚すはだた。えりをなぞへにふつくりとちゝくぎつて、きぬあをい。あをいのがえて、先刻さつきしろはな俤立おもかげだつ……撫肩なでがたをたゆげにおとして、すらりとながひざうへへ、和々やは/\重量おもみたして、うでしなやかにいたのが、それ嬰兒あかんぼで、仰向あをむけにかほへ、しろ帽子ばうしけてある。寢顏ねがほ電燈でんとういとつたものであらう。嬰兒あかんぼかほえなかつた、だけそれだけ、懸念けねんへば懸念けねんなので、工學士こうがくしが――こひすつぽんか、とつたのはこれであるが……
 なまめいたむねのぬしは、顏立かほだちも際立きはだつてうつくしかつた。鼻筋はなすぢ象牙彫ざうげぼりのやうにつんとしたのがなんへば強過つよすぎる……かはりには恍惚うつとりと、なに物思ものおもてい仰向あをむいた、細面ほそおも引緊ひきしまつて、口許くちもととともに人品じんぴんくづさないでがある……かほだちがおびよりも、きりゝと細腰ほそごしめてた。おもてめた姿すがたである。皓齒しらはひとつも莞爾につこりほころびたら、はらりとけて、おび浴衣ゆかたのまゝえて、はだしろいろさつむらがつてかう。かすみはなつゝむとふが、をんなはなかすみつゝむのである。はだへきぬすばかり、浴衣ゆかたあをいのにも、胸襟むねえりのほのめくいろはうつろはぬ、しか湯上ゆあがりかとおもあたゝかさを全身ぜんしんみなぎらして、かみつやさへしたゝるばかり濡々ぬれ/\として、それがそよいで、硝子窓がらすまどかぜひたひまつはる、あせばんでさへたらしい。
 ふといたまど横向よこむきにつて、ほつれ白々しろ/″\としたゆびくと、あのはなつよかをつた、とおもふとみどり黒髮くろかみに、おなしろはな小枝こえだきたるうてな湧立わきたしべゆるがして、びんづらしてたのである。
 とき工學士こうがくしが、しかわたしにぎつた。
りませう。是非ぜひ談話はなしがあります。」
 つて見送みおくれば、をんなせた電車でんしやは、見附みつけたにくぼんだ廣場ひろばへ、すら/\とりて、一度いちどくらつてまつたが、たちまかぜつたやうに地盤ぢばんそらざまにさつさかすべつて、あを火花ひばながちらちらと、さくら街樹なみきからんだなり、暗夜くらがりこずゑえた。
 小雨こさめがしと/\とまちへかゝつた。
 其處そこ珈琲店コオヒイてん連立つれだつてはひつたのである。
 こゝに、一寸ちよつとことわつておくのは、工學士こうがくしかつ苦學生くがくせいで、その當時たうじは、近縣きんけん賣藥ばいやく行商ぎやうしやうをしたことである。

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