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安吾巷談(あんごこうだん)10 世界新記録病


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 こんな礼儀正しい観衆は、終戦以来私ははじめて接した。
 私は応援団というものがキライである。応援団もユーモアを解し、美を解することを心得ていればよろしいけれども、たとえば対抗野球の応援団などゝいうものは、殺伐で、好戦的なものである。今度の中等野球の予選では、富山のどこかの学校が、審判の判定に不服でグランドへなだれこんで、審判をなぐり倒したそうである。
 スポーツは勝負を争うものではあるが、好戦的なものではない。礼節と秩序のもとに競う遊びにすぎない。応援団というものは、スポーツから独立して、勝敗だけを旨としており、愛校心という名をかりて、いたずらに戦闘意識をもやしており、あの校歌だの応援歌というものは、坊主のお経によく似ているなア。あゝいうブザマな無芸な音響は、つつしまなければいけない。集団の行動というものは、底に意気(粋)の精神がなければ、ジャングルの動物群とそう変りはないものだ。応援団には粋の心構えなど、ありやしない。自分がスポーツをやる当人でもないのに、全然殺気立っている。
 日米水上の観衆はノンビリしていた。ブウブウ言っていたのは、私ぐらいのものだ。なんしろ私は暑いんだ。夜間水泳。誰だって涼しいと思うだろう。おまけに雨がふってるよ。それで涼しくないんだね。人いきれなのだ。上からは雨がふり、下からは汗がわき、結局暑い方が身にこたえるという、そういう場合があるんだそうだ。
 日本人はレース開始の一時間前までに見物席についておれ、さもないと見物できん、という。この理窟が拙者には分らないよ。
 レース開始の前までに席につけ。それ以後は入場できん、というのなら、話はわかる。演劇演奏開始後の入場おことわり、という高級な劇団や交響楽団は日本にも在ったが、一時間前までに席についとれというのは、どういうコンタンであるか分らない。
 しかし、見せてくれないというから仕方がない。一時間半前に行くと、もう殆ど満員だ。みなさん、たのしそうである。コカコラなどをのんでいる。ブウブウ云ってるのは、私だけだ。
 古橋が千五百を棄権したと云っても、別に怒ったような人もいない。マーシャルと橋爪がとんでもなくおくれて、仲よくはるかドンジリとなり、誰も考えてもいなかったコンノが優勝し、東二着とある。コンノ強しというのは二日目からの話で、初日はコンノなんて選手の存在を知らない人が多かったのである。
 競輪なら大穴である。単もフォーカスも、一枚も売れていなかったかも知れない。むろん、私も、はずれていた。千米ぐらいから、観衆は総立ちとなり、
「マーシャル!」
「橋爪の野郎殺しちまえ!」
 一同マーシャル橋爪のフォーカスを買っているに相違ないから、レースが終るや、ナダレを打って事務所へ殺到、神宮水泳場焼打ち事件となる。
 日米水上の観衆は、そんな不穏な精神はもっていない。コンディション不良のマーシャル橋爪をいたわる心事は場にみち、奥ゆかしい極みなのである。
 日本は対抗競技には惨敗したが、レースはいずれもタッチを争うていの大接戦で、力量に大差があるわけではない。
 意外だったのはバタフライで、アメリカ選手のバタフライの美しいこと、手がスッポリと水からぬけて、キレイに前へ廻ってくる。私も自分でバタフライのマネゴトを試みようとしたことがあるが、もう腕の力がないから、全然手がぬけない。強大な腕力がいるものらしい。日本選手のバタフライは、手が充分に水から抜けない。シブキをちらして水面を低く這って、充分前へまわらぬうちに、途中でジャブリと水中に没してしまう。その代り、ピッチは早い。
 見た目のフォームの美醜に於て、あんまり差があるので、とても問題になるまいと思っていたら、大マチガイで、米人選手の長い手が存分に前へ迫って水をかいてキレイにぬきあがるゆッくりした泳法と、見た目に忙しく水をちらして汚らしい日本選手の急ピッチと結構勝負になるのである。
 萩原選手が一風変っていた。はじめの百で十米ちかくもおくれるのである。あとの百で、おくれた分をとりかえして、米人選手をほぼ追いつめてしまう。後の追いこみの力泳ぶりも珍しいが、はじめの負けッぷりの悠長なのも珍しい。こんな妙な癖をもった選手というものは、珍しすぎて、とても素人には癖の由来が見当がつかないが、はじめの負けッぷりが年々悠長になるとは考えられないから、大いにたのもしいのかも知れない。
 水泳も変りました。そもそも高石が泳いでたころは、胸の方にも水着をきていたものだが、これは彼の選手中にすでにパンツだけになったようだ。
 ところで、コンビネーション・ダイビングというものを、みなさん知ってますか。
 男の子や、女の子が、二人か三人で、一しょにダイヴィングするのである。にわか仕込みとみえて、その場でうち合せて跳びこんどるから、なかなか、そろわない。水へつくころは二人の距離がだいぶ差があるし、回転するにも、そろったことが殆どない。
 それでも、結構である。とにかく、日本の水泳選手が、ショーの精神をもって、見物人をよろこばせようと心がけるに至ったのだから、日本の水泳も変ったのである。
 もッとも、跳び込み選手の中に、柴原君がまだ健在であったが、彼は戦争前からの古い選手である。水泳というものは他の競技にくらべて選手の寿命が短いから、彼のほかに戦争前からの選手は見当らない。彼はずいぶん古い選手のはずだ。ダイヴィングといえば、むかし、立教の原君というのが、なんでもかんでも逆立ちして跳びこみたがる先生で、フンドシ一つでいつもプール際をうろうろしているお行儀の悪い選手であった。彼はいつまでも上達しなかったが、いつまでも跳びこんでおり、たぶん柴原君も一しょに跳びこんだことがあるだろうと思う。
 昔の柴原選手は今のようではなかった筈だが、彼は今やビヤダルのようにふとっている。それで跳板跳びこみまでクルクルやっているから、私も気が強くなった。彼はふとッちょに勇気を与えてくれる。若返りの精神を与えてくれる。御利益あらたかであるから、ふとッちょはダイヴィングを見物に行きたまえ。しかし、こんなにふとッちょのダイヴィング選手というのは、世界になかったことだろうな。コンビネーション・ダイヴィングというのをやると、やっぱり彼が一番早く水面に到着する。
 拙者と同姓の坂口さんという高飛込みのお嬢さんが、傑出していた。私の見てきた女子ダイヴィングではこの選手のフォームが一番よろしいようだ。これもコンビネーション・ダイヴィングをやる。最後に、も一人のお嬢さんと組んで一本の丸太ン棒となり、というのは、お互いに相手の足を抱きあって一本の丸太ン棒となるのだが、そして水中へ墜落するという余興を見せてくれたが、その意気はさかんであるが、美しいものではない。
 しかし、こんなことをやってみせようというユーモアあふるるコンタンは珍重するに足る。慶賀すべき戦後派健全風景で、ダイヴィングがはじまるや、見物衆、
「わア。ストリップよか、エエもんだなア」
 期せずして、皆々、そう叫んだところをみると、世道人心に御利益があるのだ。私も同感であった。ストリップのどんな踊りよりも、坂口さんの高跳びこみの方が、魅惑的である。彼女がクルクルと空中で描きだす肉体の線は常に伸びており、殆どあらゆる瞬間が美しい。
 私はストリップ・ファンに改宗をおすすめするが、ぜひダイヴィングを見物して、健康児童になりたまえ。
「しかし、ダイヴィングの選手は短命でしょうな。長生きしねえだろうなア」
 と云って、同行の中戸川宗一がしきりに心痛していたが、なるほど、見物衆というものは、いろいろの見物の仕方があるものだ。もっとも彼は酒屋以外を訪問したことが殆どない男だから、人間は歩くという速力以上の運動をやると心臓にわるい、というようなことを常に心痛している男なのである。
 しかし柴原選手は、拙者は十数年間ビールばかりのんでいました、というようなタイコ腹でクルクルとびこんでいるから、飲み助は彼によって救いを感じるのである。肉親の愛情をもち、かつ、大いに安心する。オレだって、まだ、あれぐらいのことができるのかも知れねえぞ、という気持になる。万事につけて、スポーツは御利益があるものだ。
 私は二日間みたが、三日目は見なかった。切符は有ったのだけれども、レース開始の一時間前までに入場しないと見せてくれないというし、その辛労を三日間つゞける勇気が、とてもなかったのである。
 気楽に見ることのできないスポーツなどゝいうものは利口な人間の見るものではないが、私は商売だから二日間我慢して、一時間半前に入場して、見物したのであった。





底本:「坂口安吾全集 08」筑摩書房
   1998(平成10)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二八巻第一三号」
   1950(昭和25)年10月1日発行
初出:「文藝春秋 第二八巻第一三号」
   1950(昭和25)年10月1日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年1月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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