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安吾巷談(あんごこうだん)09 田園ハレム

底本: 坂口安吾全集 08
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1998(平成10)年9月20日
入力に使用: 1998(平成10)年9月20日初版第1刷
校正に使用: 1998(平成10)年9月20日初版第1刷

底本の親本: 文藝春秋 第二八巻第一二号
初版発行日: 1950(昭和25)年9月1日

 

大戦争のあとというものは何がとびだすか見当がつかない。日本全土の主要都市が焼野原だから、どういう妖怪変化がとびだしても不似合ということはない。
 覚悟はしていたことだから、パンパンやオカマや集団強盗など月並であったが、アロハにはおどろいた。
 なにぶん、アロハというものは、妖怪として登場したものではない。ともかく焼跡にも建設的な気風が起り、いたずらに戦争の惨禍を身につけてデカダンスに身をもちくずしてはいかんというような大方の輿望よぼうにこたえて、美とは何ぞや、これである。戦後、美意識の初の出動がアロハであったから、この次には何がでるかと思うと、怖れおののいたのである。
 ストリップなどゝいうものは、着物をぬげば誰でもなれるのだから、創造せられたもの、衣裳とよぶことのできない原始風俗であるけれども、アロハは衣裳であるぞ。アロハは風をきり、銀座の風も、新宿の風も、奥州蛇谷村の風も、みんなアロハにきりまくられた。女の影のうすいこと。パーマネントでこれ対抗につとめても、とても敵ではなかったようだ。
 美神の登場で、こんな唐突なのは歴史に類がなかったかも知れない。概して都心の流行というものは、モガモボにせよ、いくらか当代の最高芸術に心得もあり、寄らば逃げるぞという人種のものであったが、戦後の都心はクリカラモンモンの熱血児に占領されて、日本中、アロハとパンパンに完全にいかれてしまった。
 フォーブなどというのはアトリエの小細工だが、アロハは熱血躍動する美の化身そのものであるぞ。芸術家の創造能力などゝいうものは箱庭のようなものだ、と私がシミジミ嘆いたのは当然だ。巷談師安吾の想像力がタカの知れたものであるのは当然らしいが、ダ・ヴィンチにしたところで、けっしてアロハほど唐突なイマジネーションをめぐらしてはいないのである。原子バクダンでもチャンと筋は通っている。アロハの出現に至っては筋はない。アトリエや研究室のハゲ頭どもは、一撃のもとに脳天をやられ、毛脛をやられ、みんな、おそれ入りましたと言った。
 アロハは突如として消えせてしまったが、世を忍び、地下へくぐったにすぎない。美神アロハは生きている。否、生きているどころか、指令を発し、現に美のもろもろはアロハの大きな手におさえられているのである。惑星アロハをめぐる小遊星のタップダンス程度なのが今の世の流行であり芸術だ。それぐらいアロハは大きい。
 フジタが河童アタマでモンマルトルの奇襲作戦に成功をおさめても、モンマルトルが河童アタマになったわけではないのである。わずかに東京の大辻司郎の頭がそうなったにすぎないほど感化力は弱小であった。フジタほどの芸術家が日夜に想をねり、たくみにたくんで編みだした創作も、ただ彼自身のポートレートをかざるだけのものにすぎない。だから、芸術家の如きはダメだ。彼らの傑作もたかが小遊星である。流星ですらない。アロハは恒星であるぞ。
 美神アロハの登場は現世を暴力によって一撃した。それをきたアンチャンの腕ッ節のせいではなくて、着想の革命的な新風によってだ。美神アロハの創世記。そして爾後の芸術は、新恒星をめぐって歩きだす。仕方がない。アロハは地下へくぐったが、決して死なないのである。
 諸君は敵をあなどっているようだ。しかし諸君、地下へくぐったものを甘く見てはいかん。徳球ごときチョロ/\のホーキ星とは質がちごう。とてもダメなんだ。ぼくはもうシャッポをぬいで、敵意をサラリとすてている。それはぼくがかねて美の新しい衣裳について想をねるところがあったから、敵の抜群の実力を見ぬく神速にめぐまれていたのである。一時抗戦したが、すぐ白旗をかかげた。謀略的敗退とちごう。私の心境は明鏡止水である。
 アロハは完全に地下へくぐった。銀座を歩いてみたまえ。あれほど抜群であったG・Ⅰの兵隊服が全然目をひかなくなったではないか。男女いずれも程よく美の常識を身につけ、文化というものの必然の相を身につけて、げにうるわしく破綻がない。特にダブルという洋服をきて、単原色のネクタイをクビにはためかす青年紳士は三年前にアロハをきていた人たちである。美神アロハの暴力革命的な荒々しい躍動は、うかがう由もなくなったのだ。
 私はしかし美神アロハの実力、潜勢力というものを信じていた。必ず、やる。今度やるときは、タダではすまんぞ。
 地下へくぐったとみせて、いたるところに五列を忍ばせてしまった。ダブルのアンチャンなどは、むしろ五列でもなんでもなく、単に無邪気なマネキンにすぎなかったのだ。
 五列は、どこにいるか。実に、驚くべし。美神アロハに激しく敵対したもの、それが全て、実は五列であったのだ。見たまえ。共産党は、とても、こうはいかぬ。自由党が共産党の五列であるというようなことは、断乎として有りえないのである。
 見たまえ。今にアロハは徐々に地下から首をだす。しかし、諸君には分らない。ストリップ? バカな! あんなものは偉大なアロハには無関係だ。彼が復活するまでの空白をうめているにすぎないのである。
 アロハが徐々に顔をだすとき、その覆面を見破ることができるのは、私だけなのである。私の指し示す時をまて、私はこういって、カストリどもに訓示をたれた。
「いいか。諸君。アロハが復活するときは、決してアロハをきて現れはしないぞ。燕尾服やタキシードをきている。諸君のノスタルジイと合作して現れてくるのだ。つまり、諸君はすでに彼の共力者(共犯者とは言わん。アロハは犯罪ではない)であるから。それゆえ諸君は、諸君の中へ没したアロハの姿を見ぬくことができないのである。アーメン」
 地にくぐること満二年。アロハはそろそろ復活のキザシを示しはじめた。私はそれを認めたのである。
 私の予言は正しかった。彼は完全にアロハをぬいでいた。なつかしのノスタルジイと合作し、いとも優美な生活芸術の善美結構つくせる姿を示していたのである。
 予言にしたがって、諸君をそこへ案内するときが来たわけだ。
 小岩というところは何県に属しているか? 千葉県か? 東京都か? ここがむつかしい。十人のうち、五人まちがう。小岩? そうか。あすこにはオハグロドブがあるぞ。バラバラ事件、首なし屍体、そんなのがあると、みんな小岩とちごうか? わかった! あれは警視庁が捜査する。東京都だ! 小岩はお岩に似ているせいか、東京の人間は犯罪によって小岩を記憶しているようである。実は東京都小岩である。美神アロハの復活は、実にこの地を選んで、行われた。
 ここは、又、雨がふると、洪水になる。一つとして良いとこがない。そこが曲者なのだ。これが先ず銀座に現れたというのでは、全然センスがないのである。
 その名は、東京パレス!

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