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安吾巷談(あんごこうだん)11 教祖展覧会



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 私は二科会には友人もいるし、好きな画家もいる。戦争以来、終戦後の今日に至るまで展覧会というものには御無沙汰していたので、あの二科会が、今日、こんな妙テコレンな数々の教祖と弟子に占領されようなどとは夢にも考えていなかったのである。
 この前の戦争のあとにも、妙な展覧会が現れたことがあった。たしか、三科、と名乗ったと思う。今日の彫塑をさす意味の三科とちがって、今の二科会の更に進歩的なという意味ではなかったろうか。私は先日、この三科のことを友人にきいてみたが、記憶していない人々が全部である。すると私が会の名を記憶チガイしているのかも知れないが、村山知義氏などがこの会に所属していた筈である。
 これがそッくり今日の二科会のデンで、もっと、物凄い。カンバスへ本物の靴を張りつけたりしている。
 しかし、この会は線香花火のようにパッと消えて、たちまち跡形もなく失せてしまった。そして、芸術家として他の分野に残った人も、この謎々のような画論には固執しなかったようである。悪夢であった。
 私は終戦後、はじめて今年の二科を見て、邪教に占領されたのは熱海の町だけではないということを痛感したのである。
 独立した芸術品としての絵画はすでにここには殆ど失われている。建築の一部として、壁紙の代用品として見るにしても、安建築にしか向かないし、彫刻は帽子カケや傘立やイスなどに向きそうでいて、それもごく品の悪い安物向きである。まア、一番向くと思ったのは、ビルデングに空襲よけの迷彩を施す場合に適切だと思ったが、すでに空襲というものはレーダーにたよって、視覚にはたよらなくなっているから、全然使い道がない。
 私が目方ハカリキ、上へのッかッて一銭いれると目方が現れる、あのハカリの新式のデザインだなと思った彫刻には「婦人像」と思いがけない題がついている。こわれた椅子だナと思ったのには「クチヅケ」という大変な題名がついていましたネ。題名を見破ることは至難中の至難事である。
 題名だけを見て、絵を見ない方が、むしろ多くの美しいイマージュを描くことができる。絵を見るとナンセンスで、ただウンザリしてしまう。
「エピローグ」
 なんのエピローグだか分からないが、フロシキの模様にはやや手頃かも知れないという絵。
「神々の飜訳」
「こまった」(会話に非ず。どちらも題名也)
 イヤ、見せられる方がモットこまる。
「飛ぶ」
 なるほど、飛んでることだけは分る。
「着物だけは返して下さい」
 オレにたのんだってダメだ。そんなこと、この絵はたのんでやしないよ。題だけ勝手にたのんでやがる。メクラのフリをして、どうぞ一文という手はあるが、こッちはもッと悪質という絵。
「煙突食う魚」
「かまれた魚を呑む魚」
 見れば分らんことはない。因果物の見世物小屋の看板向き。
「田園交響楽」
 一人の老農夫の肩に女の子が乗っかってオッパイをだして手をひろげている。腰に猫がのッかり、その上にトンビだかタカがとまりその又頭に小鳥が一羽。イヤハヤ。ベエトオベンの音楽をきいて、芸術がどんなもんだか、考え直してくれないかな。
「風蝕」
 黄土地帯か氷山か。この作者が風蝕という言葉を知っていたという意味の絵。
「信仰の女」
 ハダカの女の子がいて、腰のあたりから空中へ煉炭がゾクゾクと舞い上って行くぞ。電気もガスも自由に使えるようになったから煉炭を昇天させようというのかな。イヤイヤ。又、戦争があるようだから、神の力で煉炭をシコタマ貯蔵しましょうという念力の絵かも知れない。
「青春」
 双子の大根かかぶかと思うとオッパイだ。オッパイが空をとんで、手がもがいてる。小さい太陽、蝶もとんでる。このオッパイがお寺の吊鐘よりも大きい。絵具代が大変だナア、ということをシンミリ考えさせる絵。
「虚無と実存」
「芸術哲学」
 彼らは教祖代理はつとまらない。せいぜい指圧の出張療法をしている最中のところで、その説教はチンプンカンプン、誰も分ってくれない。絵具代をだしてくれたのは誰か、ということが主として気にかかる絵。
「森の掟」
 この中に何匹の動物と人間が隠れているか一生懸命に探しなさい。馬だか狼の顔にチャックがついてるのは、当った人に、中から懸賞金をだしてあげる、というツモリにしてくれ、というような意味で見てもいいじゃねえか、そうだ、そうだ、という絵。
「漁夫の夢」
 真ッ赤な女の大きな絵。××火災保険賞が授与されているのは、赤い色に対する当然な報酬であるということが心ゆくまで分る絵。
「執着獅子」
 帯の模様には、雑であるが、間に合うかも知れん。しかし、どうも、雑であるな。
「白蛾」
 たしか白蛾という支那料理屋があった。イヤ、博雅かな。どッちでもいいや。一尺もある緑発と紅中とパイパンがかいてあるよ。白い蛾も押しつけてある。ハダカの女が悩んでいるし、ラジオもあるよ。
「私はこんな街を見た」
 そうか。そう言われれば仕方がない。ウソツケ、と怒るわけにもいかないからナ。
「詩抄千恵子恋」
「春のめざめ」
「チャタレイ夫人」
 あんまりハッキリ云いなさんな。題だけは分ったが、しかし、そんなもんじゃないでしょう。
「群鳥の夜」
「鳥を飼う男」
※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)と料理人」
 第一ヒントを与えたから、よく考えて見てくれ、という絵。
 以上はザッと、まだ絵の体裁をなしている方かも知れない。このほか数十点、黒い色と白い色がぬたくッてあるだけ、製図の線がひいてあるだけ、牛の骨があったり、火星人らしきものがいたり、ミイラのようなのがゴチャゴチャいたり、全然意味をなさぬ色と物体があったり、大部分が、とるにも足らぬコケオドシである。
 私が二科を見て最も痛切に思ったことは、審査風景を見たい、という一事であった。どんな理論を述べあって、これらの謎々の絵を入選させたり、落選させたりするか。イヤ、そこは教祖ぞろいのことであるから、黙々と微笑して膝をうち、以心伝心、満場一致するのかも知れん。
「二科三十五人像」といって、二科の三十五人の教祖をズラリと描いた十尺四方もある大作があった。チャンと教祖を祭るにソツはない。おサイセンやお花があがっている代りに努力賞というものが具えてあった。

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