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七宝の柱(しっぽうのはしら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:35:27  点击:  切换到繁體中文


「運慶の作でござります。」
 と、ちょんと坐ってて言う。誰でも構わん。この六尺等身ととなうる木像はよく出来ている。山車だしや、芝居で見るのとはわけが違う。
 顔の色が蒼白い。大きな折烏帽子おりえぼしが、妙に小さく見えるほど、頭も顔も大の悪僧の、鼻がひらたく、口が、例のくいしばった可恐おそろしい、への字形でなく、唇を下から上へ、の字を反対にしゃくって、
「むふッ。」
 ニタリと、しかし、こう、何か苦笑にがわらいをしていそうで、目も細く、目皺めじわが優しい。出額おでこでまたこう、しゃくうように人をた工合が、これでたましいが入ると、ふもとの茶店へ下りて行って、少女こおんなの肩をおおきな手で、
「どうだ。」
 とりそうな、串戯じょうだんものの好々爺こうこうやの風がある。が、歯が抜けたらしく、ゆたかな肉の頬のあたりにげっそりとやつれの見えるのが、判官ほうがん生命いのちを捧げた、苦労のほどがしのばれて、何となく涙ぐまるる。
 で、本文ほんもん通り、黒革縅くろかわおどし大鎧おおよろい樹蔭こかげに沈んだ色ながらよろいそで颯爽さっそうとして、長刀なぎなたを軽くついて、少しこごみかかった広い胸に、えもののしなうような、智と勇とが満ちて見える。かつ柄も長くない、頬先ほおさきに内側にむけた刃も細い。が、かえって無比の精鋭を思わせて、さっると、従って冷い風が吹きそうである。
 別に、仏菩薩ぶつぼさつの、とうとい古像がに据えて数々ある。
 みどりを、片袖かたそでで胸にいだいて、御顔おんかおを少し仰向あおむけに、吉祥果きっしょうかの枝を肩に振掛ふりかけ、もすそをひらりと、片足を軽く挙げて、――いいぐさはつたないが、まいなどしたまうさまに、たとえば踊りながらでんでん太鼓で、をおあやしのような、鬼子母神きしぼじんの像があった。御面おんおもては天女にひとしい。彩色いろどりはない。八寸ばかりのほのぐらい、が活けるが如き木彫きぼりである。
「戸を開けて拝んでは悪いんでしょうか。」
 置手拭おきてぬぐいのが、
「はあ、其処そこは開けません事になっております。けれども戸棚でございますから。」
「少々ばかり、御免下さい。」
 と、網の目の細い戸を、一、二寸開けたと思うと、がっちりとつかえたのは、亀井六郎かめいろくろうが所持と札を打ったおいであった。
 三十三枚のくしとうの鏡、五尺のかつら、くれないはかまかさねきぬおさめつと聞く。……よし、それはこの笈にてはあらずとも。
「ああ、これは、きずをつけてはなりません。」
 棚が狭いのでつかえたのである。
 そのまま、鬼子母神を礼して、ソッと戸をてた。
 つれの家内が、
いき御像おすがたですわね。」
 と、ともに拝んで言った。
「失礼な事を、――時に、御案内料は。」
「へい、五銭。」
「では――あとはどうぞお賽銭さいせんに。」
 そこで、よろいたたのもしい山法師に別れて出た。
 山道、二町ばかり、中尊寺はもう近い。
 おおきな広い本堂に、一体見上げるような釈尊しゃくそんのほか、寂寞せきばくとして何もない。それが荘厳であった。日の光がかすかれた。
 裏門の方へ出ようとするかたわらに、寺のくりやがあって、其処そこで巡覧券を出すのを、車夫わかいしゅが取次いでくれる。巡覧すべきは、はじめ薬師堂やくしどう、次の宝物庫ほうもつこ、さて金色堂こんじきどう、いわゆる光堂ひかりどう。続いて経蔵きょうぞう弁財天べんざいてんと言う順序である。
 皆、参詣の人を待って、はじめて扉を開く、すぐまたあとをとざすのである。が、宝物庫ほうもつぐらには番人がいて、経蔵には、年紀としわかい出家が、火の気もなしに一人経机きょうづくえむかっていた。
 はじめ、薬師堂に詣でて、それから宝物庫ほうもつぐらを一巡すると、ここの番人のお小僧が鍵を手にして、一条ひとすじ、道を隔てた丘の上に導く。……きざはしの前に、八重桜やえざくらが枝もたわわに咲きつつ、かつ芝生に散って敷いたようであった。
 桜は中尊寺の門内にも咲いていた。ふもとからあがろうとする坂の下の取着とッつきところにも一本ひともと見事なのがあって、山中心得さんちゅうこころえ条々じょうじょうを記した禁札きんさつ一所いっしょに、たしか「浅葱桜あさぎざくら」という札が建っていた。けれども、それのみには限らない。処々ところどころ汽車の窓からた桜は、奥が暗くなるに従って、ぱっとさえを見せて咲いたのはなかった。薄墨うすずみ鬱金うこん、またその浅葱あさぎと言ったような、どの桜も、皆ぽっとりとして曇って、暗い紫を帯びていた。雲が黒かったためかも知れない。
 きざはしの前の花片はなびらが、折からの冷い風に、はらはらとさそわれて、さっと散って、この光堂の中を、そらざまに、ひらりと紫に舞うかと思うと――羽目はめ浮彫うきぼりした、孔雀くじゃくの尾に玉を刻んで、緑青ろくしょうびたのがなおおごそかに美しい、その翼を――ぱらぱらとたたいて、ちらちらと床にこぼれかかる……と宙で、黄金きん巻柱まきばしらの光をうけて、ぱっと金色こんじきひるがえるのを見た時は、思わず驚歎のひとみみはった。
 床も、承塵なげしも、柱はもとより、たたずめるものの踏むところは、黒漆こくしつの落ちた黄金きんである。黄金きんげた黒漆とは思われないで、しかものけばけばしい感じが起らぬ。さながら、金粉の薄雲の中に立ったおもむきがある。われら仙骨せんこつを持たない身も、この雲はかつ踏んでも破れぬ。その雲をすかして、四方に、七宝荘厳しっぽうそうごん巻柱まきばしらに対するのである。美しき虹を、そのまま柱にしてえがかれたる、十二光仏じゅうにこうぶつの微妙なる種々相しゅじゅそうは、一つ一つにしきの糸に白露しらつゆちりばめた如く、玲瓏れいろうとして珠玉しゅぎょくの中にあらわれて、清くあきらかに、しかもかすかなる幻である。その、十二光仏の周囲には、玉、螺鈿らでんを、星の流るるが如く輝かして、宝相華ほうそうげ勝曼華しょうまんげ透間すきまもなく咲きめぐっている。
 この柱が、須弥壇しゅみだん四隅しぐうにある、まことに天上の柱である。須弥壇は四座しざあって、壇上には弥陀みだ観音かんおん勢至せいし三尊さんぞん二天にてん六地蔵ろくじぞうが安置され、壇の中は、真中に清衡きよひら、左に基衡もとひら、右に秀衡ひでひらかんが納まり、ここに、各一口ひとふりつるぎいだき、鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐんいんを帯び、錦袍きんぽうに包まれた、三つのしかばねがまだそのままによこたわっているそうである。
 雛芥子ひなげしくれないは、美人の屍より開いたと聞く。光堂は、ここに三個の英雄が結んだ金色こんじきこのみなのである。
 つつしんで、辞して、天界一叢てんかいいっそうの雲を下りた。
 きざはしを下りざまに、見返ると、外囲そとがこいの天井裏に蜘蛛くもの巣がかかって、風に軽く吹かれながら、きらきらと輝くのを、不思議なるちりよ、と見れば、一粒いちりゅうの金粉の落ちて輝くのであった。
 さて経蔵きょうぞうを見よ。またいやが上に可懐なつかしい。
 羽目はめには、天女――迦陵頻伽かりょうびんが髣髴ほうふつとして舞いつつ、かなでつつ浮出うきでている。影をうけたつかぬきの材は、鈴と草の花の玉の螺鈿らでんである。
 漆塗うるしぬり、金の八角はちかくの台座には、本尊、文珠師利もんじゅしり、朱の獅子にしておわします。獅子のまなこ爛々らんらんとして、かっと真赤な口を開けた、青い毛の部厚な横顔がられるが、ずずッと足を挙げそうな構えである。右にこのくつわを取って、ちょっと振向いて、菩薩ぼさつにものを言いそうなのが※(「門<眞」、第3水準1-93-54)ゆうてんぎょく、左に一匣いっこうを捧げたのは善哉童子ぜんざいどうじ。この両側左右の背後に、浄名居士じょうみょうこじと、仏陀波利ぶっだはりひとつ払子ほっすを振り、ひとつ錫杖しゃくじょう一軸いちじくを結んだのを肩にかつぐようにいて立つ。ひたいも、目も、眉も、そのいずれも莞爾莞爾にこにことして、文珠もんじゅ微笑ほほえんでまします。第一獅子が笑う、獅子が。
 この須弥壇しゅみだんを左に、一架いっかを高く設けて、ここに、紺紙金泥こんしきんでいの一巻を半ば開いて捧げてある。見返しは金泥銀泥きんでいぎんでいで、本経ほんきょうの図解を描く。……清麗巧緻せいれいこうちにしてかつ神秘である。
 いま此処ここに来てこの経をるに、毛越寺の彼はあたかも砂金を捧ぐるが如く、これは月光を仰ぐようであった。
 の裏に、色の青白い、せた墨染すみぞめの若い出家が一人いたのである。

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