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売色鴨南蛮(ばいしょくかもなんばん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:18:16  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成7
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1995(平成7)年12月4日
入力に使用: 1995(平成7)年12月4日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 第二十巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1941(昭和16)年5月20日

 

     一

 はじめ、目に着いたのは――ちと申兼ねるが、――とにかく、緋縮緬ひぢりめんであった。その燃立つようなのに、朱で処々ところどころぼかしの入った長襦袢ながじゅばんで。女はすそ端折はしょっていたのではない。つまを高々と掲げて、膝で挟んだあたりから、くれないがしっとり垂れて、白い足くびをまとったが、どうやら濡しょびれた不気味さに、そうして引上げたものらしい。素足に染まって、そのあかいのが映りそうなのに、藤色の緒の重い厚ぼったい駒下駄こまげた、泥まみれなのを、弱々と内輪に揃えて、またを一つよじった姿で、ふりしきる雨の待合所の片隅に、腰を掛けていたのである。
 日永ひながの頃ゆえ、まだくれかかるまでもないが、やがて五時も過ぎた。場所は院線電車の万世橋まんせいばしの停車じょうの、あの高い待合所であった。
 柳はほんのりとえ、花はふっくりとつぼんだ、昨日今日、緑、くれない、霞の紫、春のまさにたけなわならんとする気をめて、色の濃く、力の強いほど、五月雨さみだれか何ぞのような雨の灰汁あくに包まれては、景色も人も、神田川の小舟さえ、皆黒い中に、紅梅とも、緋桃とも言うまい、横しぶきに、血の滴るごとき紅木瓜べにぼけの、濡れつつぱっと咲いた風情は、見向うものの、おもてのほてるばかり目覚しい。……
 この目覚しいのを見て、話の主人公となったのは、大学病院の内科に勤むる、学問と、手腕を世に知らるる、最近留学して帰朝した秦宗吉はたそうきち氏である。
 辺幅へんぷくを修めない、質素な人の、住居すまいが芝の高輪たかなわにあるので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って、お茶の水で下車して、あれから大学の所在地まで徒歩するのがならいであったが、五日も七日もこう降り続くと、どこの道もまるで泥海のようであるから、勤人つとめにんが大路の往還ゆききの、茶なり黒なり背広で靴は、まったく大袈裟おおげさだけれど、狸が土舟というていがある。
 秦氏も御多分に漏れず――もっとも色が白くて鼻筋の通った処はむしろ兎の部に属してはいるが――歩行あるき悩んで、今日は本郷どおりの電車を万世橋で下りて、例の、銅像を横に、おおき煉瓦れんがくぐって、高い石段を昇った。……これだと、ちょっと歩行あるいただけで甲武線は東京の大中央を突抜けて、一息に品川へ……
 が、それは段取だけの事サ、時間が時間だし、雨は降る……ここも出入ではいりがさぞ籠むだろう、と思ったよりおびただしい混雑で、ただ停車場などと、宿場がってすましてはおられぬ。川留かわどめか、火事のように湧立わきた揉合もみあう群集の黒山。中野行を待つ右側も、品川の左側も、二重三重に人垣を造って、線路の上まで押覆おっかぶさる。
 すぐに電車が来た処で、どうせ一度では乗れはしまい。
 宗吉はそう断念あきらめて、洋傘こうもりしずくを切って、軽く黒の外套がいとうの脇に挟みながら、薄い皮の手袋をスッと手首へしごいて、割合に透いて見える、なぜか、硝子囲がらすがこいの温室のような気のする、雨気あまけと人の香の、むっとこもった待合のうちへ、コツコツと――やはり泥になった――わびしい靴のさきを刻んで入った時、ふとその目覚しい処を見たのである。
 たしか、中央の台に、まだおおきな箱火鉢が出ていた……そこで、ハタと打撞ぶつかったその縮緬の炎から、急に瞳をわきらして、横ざまにプラットフォームへ出ようとすると、戸口の柱に、ポンと出た、も一つ赤いもの。

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