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露肆(ほしみせ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:36:45  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成4
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1995(平成7)年10月24日
入力に使用: 1995(平成7)年10月24日第1刷
校正に使用: 2004(平成16)年3月20日第2刷

 

      一

 寒くなると、山の手大通りの露店よみせに古着屋の数がえる。半纏はんてん股引ももひき腹掛はらがけどぶから引揚げたようなのを、ぐにゃぐにゃとよじッつ、巻いつ、洋燈ランプもやっと三分さんぶしん黒燻くろくすぶりの影に、よぼよぼしたばあさんが、頭からやがてひざの上まで、荒布あらめとも見える襤褸頭巾ぼろずきんくるまって、死んだとも言わず、生きたとも言わず、黙って溝のふちに凍り着く見窄みすぼらしげな可哀あわれなのもあれば、常店じょうみせらしく張出した三方へ、絹二子きぬふたこの赤大名、鼠の子持縞こもちじまという男物の袷羽織あわせばおり。ここらは甲斐絹裏かいきうらを正札附、ずらりと並べて、正面左右の棚には袖裏そでうらほっそり赤く見えるのから、浅葱あさぎ附紐つけひもの着いたのまで、ぎっしりと積上げて、小さな円髷まげに結った、顔の四角な、肩のふとった、きかぬ気らしいかみさんの、黒天鵝絨くろびろうどの襟巻したのが、同じ色の腕までの手袋をめた手に、細い銀煙管ぎんぎせるを持ちながら、たなが違いやす、と澄まして講談本を、ト円心まるじんかざしていて、行交う人の風采ふうつきを、時々、水牛縁すいぎゅうぶちの眼鏡の上からじろりとながめるのが、意味ありそうで、この連中には小母御おばごに見えて――
 湯帰ゆあがりに蕎麦そばめたが、この節あてもなし、と自分の身体からだ突掛つっかけものにして、そそって通る、横町の酒屋の御用聞ごようききらしいのなぞは、相撲の取的とりてきが仕切ったという逃尻にげじりの、及腰およびごしで、くだんの赤大名の襟を恐る恐る引張りながら、
阿母おふくろ。」
 などと敬意を表する。
 商売冥利みょうり渡世くちすぎは出来るもの、あきないはするもので、五布いつのばかりの鬱金うこんの風呂敷一枚の店に、襦袢じゅばんの数々。赤坂だったらやっこ肌脱はなぬぎ、四谷じゃ六方をみそうな、けばけばしい胴、派手な袖。男もので手さえ通せばそこから着てかれるまでにして、正札が品により、二分から三両内外うちそとまで、膝の周囲まわりにばらりとさばいて、主人あるじはと見れば、上下縞うえしたしまに折目あり。独鈷入とっこいり博多はかたの帯に銀鎖をいて、きちんと構えた前垂掛まえだれがけ。膝で豆算盤まめそろばん五寸ぐらいなのを、ぱちぱちと鳴らしながら、結立ゆいたての大円髷おおまるまげ、水の垂りそうな、赤い手絡てがらの、容色きりょうもまんざらでない女房を引附けているのがある。
 時節もので、めりやすの襯衣しゃつ、めちゃめちゃの大安売、ふらんねる切地きれじの見切物、浜から輸出品の羽二重はぶたえ手巾ハンケチ棄直段すてねだんというのもあり、外套がいとう、まんと、古洋服、どれも一式の店さえ八九ヶ所。続いて多い、古道具屋は、ありきたりで。近頃古靴を売る事は……長靴は烟突えんとつのごとく、すぽんと突立つったち、半靴は叱られたていかしこまって、ごちゃごちゃと浮世の波にうおただよう風情がある。
 両側はさて軒を並べた居附いつき商人あきんど……大通りの事で、云うまでも無く真中まんなかを電車が通る……
 夜店は一列片側に並んで出る。……夏の内は、西と東を各晩であるが、秋の中ばからは一月置きになって、大空の星の沈んだ光と、どす赤い灯の影を競いつつ、末は次第にながれよどむように薄くまばらにはなるが、やがて町尽まちはずれまでえずに続く……
 宵をちと出遅れて、店と店との間へ、脚がめ込みになる卓子テエブルや、箱車をそのまま、場所が取れないのに、両方へ、叩頭おじぎをして、
「いかがなものでございましょうか、飛んだお邪魔になりましょうが。」
「何、お前さん、お互様です。」
「では一ツ御不省ごふしょうなすって、」
「ええうございますともね。だが何ですよ。なりたけ両方をゆっくり取るようにしておかないと、当節はやかましいんだからね。距離をその八尺ずつというお達しでさ、御承知でもございましょうがね。」
「ですからなお恐入りますんで、」
「そこにまたお目こぼしがあろうッてもんですよ、まあ、口明くちあけをなさいまし。」
難有ありがとう存じます。」
 などは毎々の事。

       二

 この次第で、露店のあわいは、どうして八尺が五尺も無い。蒟蒻こんにゃく蒲鉾かまぼこ、八ツがしら、おでん屋のなべの中、混雑ごたごたと込合って、食物店たべものみせは、お馴染なじみのぶっ切飴きりあめ、今川焼、江戸前取り立ての魚焼うおやき、と名告なのりを上げると、目の下八寸の鯛焼たいやきと銘を打つ。真似まねはせずともい事を、鱗焼うろこやきは気味が悪い。
 引続いては兵隊饅頭へいたいまんじゅう鶏卵入たまごいり滋養麺麭じようパン。……かるめら焼のお婆さんは、小さな店に鍋一つ、七つ五つ、孫の数ほど、ちょんぼりと並べてさみしい。
 茶めし餡掛あんかけ、一品料理、一番高い中空の赤行燈あかあんどうは、牛鍋の看板で、一山三銭二銭にひさぐ。蜜柑みかん林檎りんごの水菓子屋が負けじと立てた高張たかはりも、人の目に着く手術てだてであろう。
 古靴屋の手に靴は穿かぬが、外套がいとうを売る女の、ぼたんきらきらと羅紗らしゃの筒袖。小間物店こまものみせの若い娘が、毛糸の手袋めたのも、寒さをしのぐとは見えないで、広告めくのが可憐いじらしい。
 気取ったのは、一軒、古道具の主人、山高帽。売ってもいそうな肱掛椅子ひじかけいす反身そりみ頬杖ほおづえ。がらくた壇上に張交はりまぜの二枚屏風にまいびょうぶ、ずんどのあかの花瓶に、からびたコスモスを投込んで、新式な家庭を見せると、隣の同じ道具屋の亭主は、炬燵櫓こたつやぐらに、ちょんと乗って、胡坐あぐらを小さく、風除かぜよけに、葛籠つづら押立おったてて、天窓あたまから、その尻まですっぽりと安置に及んで、秘仏はどうだ、と達磨だるまめて、寂寞じゃくまくとしてじょうる。
「や、こいつア洒落しゃれてら。」
 と往来がめてく。
 黒い毛氈もうせんの上に、明石あかし珊瑚さんご、トンボの青玉が、こつこつとびた色で、古い物語をしのばすもあれば、青毛布あおげっとの上に、指環ゆびわ、鎖、襟飾えりかざり燦爛さんらんと光を放つ合成金の、新時代を語るもあり。……また合成銀ととなえるのを、大阪で発明して銀煙草ぎんぎせるを並べて売る。
「諸君、二円五十銭じゃ言うたんじゃ、えか、諸君、熊手屋が。露店の売品の値価ねだんにしては、いささか高値こうじきじゃ思わるるじゃろうが、西洋の話じゃ、で、分るじゃろう。二円五十銭、可えか、諸君。」
 と重なり合った人群集ひとだかりの中に、足許あしもとの溝の縁に、馬乗提灯うまのりぢょうちんを動き出しそうに据えたばかり。店も何も無いのが、額を仰向あおむけにして、大口をいてしゃべる……この学生風な五ツ紋は商人あきんどではなかった。
 ここらへ顔出しをせねばならぬ、救世軍とか云える人物。
「そこでじゃ諸君、えか、その熊手の値を聞いた海軍の水兵君が言わるるには、よし、熊手屋、二円五十銭は分った、しかしながらじゃな、ここに持合わせの銭が五十銭ほか無い。すなわちこの五十銭を置いてく。直ぐに後金あときんの二円を持って来るから受取っておいてくれい。熊手は預けてくぞ、誰もほかのものに売らんようになあ、と云われましたが、諸君。
 手附てつけを受取って物品を預っておくんじゃからあ、」
俯向うつむいて、唾を吐いて、
「じゃから諸君、誰にしても異存はあるまい。よろしゅうございます。行っていらっしゃいと云うて、その金子かね請取うけとったんじゃ、えか、諸君。ところでじゃ、約束通りに、あとの二円を持って、直ぐにその熊手を取りに来れば何事もありませんぞ。
 そうら、それがって来ん、来んのじゃ諸君、一時間ち、二時間経ち、十二時が過ぎ、半が過ぎ、どうじゃ諸君、やがて一時頃まで遣って来んぞ。
 ほかの露店は皆仕舞うたんじゃ。それで無うてから既に露店の許された時間は経過して、わずかに巡行の警官が見て見ぬふりという特別の慈悲を便りに、ぼんやりと寂しい街路の霧になってくのをながめて、鼻のさきを冷たくして待っておったぞ。
 処へ、てくりてくり、」
 と両腕をはずんで振って、ずぼん下の脚を上げたり、下げたり。
「向うからって来たものがある、誰じゃろうか諸君、熊手屋の待っておる水兵じゃろうか。その水兵ならばじゃ、何事も別に話は起らんのじゃ、諸君。しかるに世間というものはここが話じゃ、今来たのは一名の立派な紳士じゃ、夜会の帰りかとも思われる、何分なにぶんか酔うてのう。」

       三

「皆さん、申すまでもありませんが、お家で大切なのは火の用心でありまして、その火の用心と申すうちにも、一番危険なのが洋燈ランプであります。なぜ危い。お話しをするまでもありません、過失あやまって取落しまする際に、火の消えませんのが、つぼの、この、」
 と目通りで、真鍮しんちゅうの壺をコツコツと叩く指が、てのひら掛けて、油煙で真黒まっくろ
 頭髪かみを長くして、きちんと分けて、額にふらふらとさばいた、女難なきにしもあらずなのが、渡世となれば是非も無い。
「石油が待てしばしもなく、ぱっ[#「火+發」、422-7]と燃え移るから起るのであります。御覧なさいまし、大阪の大火、青森の大火、御承知でありましょう、失火の原因は、皆この洋燈ランプの墜落から転動(と妙な対句で)を起しまする。その危険な事は、硝子壺がらすつぼも真鍮壺も決して差別はありません。と申すが、唯今ただいまもお話しました通り、火が消えないからであります。そこで、手前商いまするのは、ラジーンと申して、金山鉱山におきまして金を溶かしまする処の、炉壺ろつぼにいたしまするのを使って製造いたしました、口金くちがねの保助器は内務省お届済みの専売特許品、御使用の方法は唯今お目に懸けまするが、安全口金、一名火事知らずと申しまして、」
「何だ、何だ。」
 と立合いの肩へ遠慮なく、唇の厚い、真赤まっかな顔を、ぬい、と出して、はたとにらんで、酔眼をとろりと据える。
「うむ、火事知らずか、何を、」と喧嘩腰けんかごしに力を入れて、もう一息押出しながら、
「焼けたら水を打懸ぶっかけろい、げい。」
 と※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびをするかと思うと、印半纏しるしばんてんの肩をそびやかして、のッとく。新姐子しんぞっこがばらばらとけて通す。
 とけんな目をちょっと見据えて、
「ああいう親方が火元になります。」と苦笑にがわらい
 昔から大道店だいどうみせに、酔払いは附いたもので、お職人親方手合てあいの、そうしたのは有触ありふれたが、長外套なががいとうに茶の中折なかおれひげの生えた立派なのが居る。
 辻に黒山を築いた、が北風ならいの通す、寒い背後うしろからやぶを押分けるように、ステッキで背伸びをして、
「踊っとるはだいじゃ、何しとるかい。」
「へい、面白ずくに踊ってる[#「踊ってる」は底本では「踊つてる」]じゃござりません。唯今、鼻紙で切りました骸骨がいこつを踊らせておりますんで、へい、」
「何じゃ、骸骨が、おどりを踊る。」
 どたどたと立合たちあいうしろ凭懸よりかかって、
「手品か、うむ、手品を売りよるじゃな。」
「へい、八通やとおりばかりしたためてござりやす、へい。」
「うむ、八通り、このとおりか、はッはッ、」と変哲もなく、洒落しゃれのめして、
「どうじゃ五厘も投げてやるか。」
「ええ、投銭、お手の内は頂きやせん、たねあかしの本を売るのでげす、お求め下さいやし。」
「ふむ……投銭は謝絶する、見識じゃな、本は幾干いくらだ。」
「五銭、」
「何、」
「へい、お立合にも申しておりやす。へい、ええ、ことの外音声を痛めておりやすんで、お聞苦しゅう、……へい、おきまりは五銅の処、御愛嬌ごあいきょうに割引をいたしやす、三銭でございやす。」
「高い!」
 としかって、
「手品屋、負けろ。」
「毛頭、お掛値かけねはございやせん。よろしくばお求め下さいやし、三銭でごぜいやす。」
「一銭にせい、一銭じゃ。」
「あッあ、推量々々。」と対手あいてにならず、人のの底にかすれた声、つちの下にて踊るよう。
「お次は相場の当る法、弁ずるまでもありませんよ。……我人われひとともに年中おけらでは不可いけません、一攫千金いっかくせんきん、お茶の子の朝飯前という……次は、」
 と細字さいじしたためた行燈あんどんをくるりと廻す。綱が禁札、ト捧げたていで、芳原被よしわらかぶりの若いもの。別にかすりの羽織を着たのが、板本を抱えてたたずむ。
「諸人に好かれる法、嫌われぬ法も一所ですな、愛嬌のおまもりという条目。無銭で米の買える法、火なくして暖まる法、飲まずに酔う法、歩行あるかずに道中する法、天に昇る法、色を白くする法、おんなれる法。」

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