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露肆(ほしみせ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:36:45  点击:  切换到繁體中文



       四

「おいてえ、痛え、」
 尾をつまんで、にょろりと引立ひったてると、青黒い背筋がうねって、びくりと鎌首をもたげる発奮はずみに、手術服という白いのをはおったのが、手を振って、飛上る。
「ええ驚いた、蛇がくらい着くです――だが、諸君、こんなことでは無い。……この木製の蛇が、僕の手練に依って、不可思議なる種々の運動を起すです。急がない人は立って見てきたまえよ、奇々妙々感心というのだから。
 だが、諸君、だがね、僕は手品師では無いのだよ。蛇使いではないのですが、こんな処じゃ、誰も衛生という事を心得ん。生命いのちが大切という事を弁別わきまえておらん人ばかりだから、そこで木製の蛇の運動を起すのを見てきたまえと云うんだ。歯の事なんか言って聞かしても、どの道分りはせんのだから、無駄だからね、無駄な話だから決して売ろうとは云わんです。売らんのだから買わんでも宜しい。見てきたまえ。見物をしてお出でなさい。今、運動を起す、一分間にして暴れ出す。
 だが諸君、だがね諸君、歯磨はみがきにも種々いろいろある。花王歯磨、ライオン象印、クラブ梅香散……ざっとかぞえた処で五十種以上に及ぶです。だが、諸君、言ったって無駄だ、どうせ買いはしまい、僕も売る気は無い、こんな処じゃ分るものは無いのだから、売りやせん、売りやせんから木製の蛇の活動を見てきたまえ。」
 と青い帽子をずぼらにかぶって、目をぎろぎろと光らせながら、憎体にくてい口振くちぶりで、歯磨を売る。
 二三軒隣では、人品骨柄じんぴんこつがら天晴あっぱれ黒縮緬くろちりめんの羽織でも着せたいのが、悲愴ひそうなる声を揚げて、ほとんど歎願に及ぶ。
「どうぞ、お試し下さい、ねえ、是非一回御試験が仰ぎたい。口中に熱あり、歯の浮く御仁、歯齦はぐきゆるんだお人、お立合の中に、もしや万一です。口の臭い、舌の粘々ねばねばするお方がありましたら、ここに出しておきます、この芳口剤で一度うがいをして下さい。」
 と一口がぶりとって、悵然ちょうぜんとして仰反のけぞるばかりに星を仰ぎ、頭髪かみを、ふらりとって、ぶらぶらとつちへ吐き、立直ると胸を張って、これも白衣びゃくえ上衣兜うわかくしから、綺麗きれい手巾ハンケチを出して、口のまわりを拭いて、ト恍惚うっとりとする。
さわやかにすずしき事、」
 と黄色い更紗さらさ卓子掛テエブルかけを、しなやかな指ではじいて、
「何ともたとえようがありません。ただ一分間、一口含みまして、二三度、口中をそそぎますと、歯磨楊枝ようじを持ちまして、ものの三十分使いまするより、はるかに快くなるのであります。口中には限りません。精神の清く爽かになりますに従うて、頭痛などもたちどころに治ります。どうぞ、お試し下さい、口はわざわいかど、諸病は口からと申すではありませんか、歯は大事にして下さい、口は綺麗にして下さいまし、ねえ、私が願います、どうぞ諸君みなさん。」
「この砥石といしが一ちようありましたらあ、今までのよに、たらいじゃあ、湯水じゃあとウ、騒ぐにはア及びませぬウ。お座敷のウ真中まんなかでもウ、お机、卓子台ちゃぶだいの上エでなりとウ、ただ、こいに遣って、すぅいすぅいとこすりますウばかりイイイ。菜切庖丁なっきりぼうちょう刺身庖丁さしみぼうちょうウ、向ウへ向ウへとウ、十一二度、十二三度、裏を返しまして、黒い色のウ細い砥ウもちイましてエ、やわらこう、すいと一二度ウ、二三度ウ、なでるウ撫るウばかりイ、このウ菜切庖丁が、面白いようにイきれまあすウる、切れまあすウる。こいに、こいに、さッくりさッくり横紙が切れますようなら、当分のウ内イ、誰方様どなたさまのウおやしきでもウ、きれものに御不自由はございませぬウ。このウこまかい方一挺がア、定価は五銭のウ処ウ、特別のウ割引イでエ、あらのと二ツ一所に、名倉なぐらかけを添えまして、三銭、三銭でエ差上げますウ、剪刀はさみ剃刀磨かみそりとぎにイ、一度ウ磨がせましても、二銭とウ三銭とは右から左イ……」
 とさいの目に切った紙片かみきれを、膝にも敷物にもぱらぱらと夜風に散らして、しまの筒袖凜々りりしいのをと張って、菜切庖丁に金剛砂こんごうしゃ花骨牌はながるたほどな砥を当てながら、余り仰向いては人を見ぬ、包ましやかな毛糸の襟巻、頬の細いも人柄で、大道店の息子株。
 押並んで、めくら縞の襟のげた、袖に横撫よこなでのあとの光る、同じ紺のだふだふとした前垂まえだれを首から下げて、千草色の半股引はんももひき、膝のよじれたのをねじって穿いて、ずんぐりむっくりとふとったのが、日和下駄で突立つったって、いけずなせがれが、三徳用大根皮剥かわはぎ、というのをわめく。

       五

 その鯉口こいぐち両肱りょうひじ突張つっぱり、手尖てさきを八ツ口へ突込つっこんで、うなじを襟へ、もぞもぞと擦附けながら、
小母おばさん、買ってくんねえ、小父的おじき買いねえな。千六本に、おなますに、皮剥かわはぎと一所に出来らあ。内が製造元だから安いんだぜ。大小でいしょうあらあ。でいが五銭で小が三銭だ。皮剥一ツ買ったっておめえ、三銭はするぜ、買っとくんねえ、あ、あ、あ、」
 と引捻ひんねじれた四角な口を、額までかつと開けて、猪首いくび附元つけもとまですくめる、と見ると、仰状のけざま大欠伸おおあくび。余り度外どはずれなのに、自分から吃驚びっくりして、
「はっ、」と、突掛つっかかる八ツ口の手を引張出して、握拳にぎりこぶしで口のはたをポン、とふたをする、トほっと真白まっしろな息を大きく吹出す……
 いや、順に並んだ、立ったり居たり、凸凹としたどの店も、同じように息が白い。むらむらと沈んだ、くすぶった、その癖、師走空に澄透すみとおって、蒼白あおじろい陰気なあかりの前を、ちらりちらりと冷たい魂が※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)さまよう姿で、耄碌頭布もうろくずきんしわから、押立おったてた古服の襟許えりもとから、汚れた襟巻の※(「ころもへん+責」、第3水準1-91-87)ひだの中から、朦朧もうろうあらわれて、揺れる火影ほかげに入乱れる処を、ブンブンとうなって来て、大路おおじの電車が風を立てつつ、さっ引攫ひっさらって、チリチリと紫に光って消える。
 とどの顔も白茶しらちゃけた、影の薄い、衣服前垂きものまえだれ汚目よごれめばかり火影に目立って、すすびた羅漢の、トボンとした、寂しい、濁った形が溝端みぞばたにばらばらと残る。
 こんな時は、時々ばったりと往来が途絶えて、その時々、対合むかいあった居附いつきの店の電燈瓦斯がす晃々こうこうとした中に、小僧のかげや、帳場の主人、火鉢の前の女房かみさんなどが、絵草子の裏、硝子がらすの中、中でも鮮麗あざやかなのは、軒に飾った紅入友染べにいりゆうぜんの影に、くっきりとあらわれる。
 露店はぼうとして霧に沈む。
 たちまち、ふらふらと黒い影が往来へいて出る。その姿が、毛氈もうせんの赤い色、毛布けっとの青い色、風呂敷の黄色いの、さみしいばあさんの鼠色まで、フト判然はっきりすごい星の下に、漆のような夜の中に、淡いいろどりして顕れると、商人連あきゅうどれんはワヤワヤと動き出して、牛鍋ぎゅうなべ唐紅とうべにも、飜然ひらりゆらぎ、おでん屋の屋台もかッと気競きおいが出て、白気はくきこまやかに狼煙のろしを揚げる。翼ののろい、大きな蝙蝠こうもりのように地摺じずりに飛んで所を定めぬ、煎豆屋いりまめやの荷に、糸のような火花が走って、
「豆や、煎豆、煎立豆や、柔い豆や。」
 と高らかにえて、思いもつかぬ遠くの辻のあたりに聞える。
 また一時ひとしきり、がやがやと口上があちこちにはじまるのである。
 が、次第に引潮が早くなって、――やっとしがらみにかかった海草のように、土方の手に引摺ひきずられた古股引ふるももひきを、はずすまじとて、ばあさんが曲った腰をむずむずと動かして、溝の上へ膝を摺出ずりだす、そのかいなく……博多の帯を引掴ひッつかみながら、素見ひやかし追懸おっかけた亭主が、値が出来ないで舌打をして引返す……煙草入たばこいれ引懸ひっかかっただぼはぜを、鳥の毛の采配さいはいで釣ろうと構えて、ストンと外した玉屋の爺様じいさまが、餌箱えさばこしらべるていに、財布をのぞいてふさぎ込む、歯磨屋はみがきや卓子テエブルの上に、お試用ためし掬出すくいだした粉が白く散って、売るものの鰌髯どじょうひげにもうっすり霜を置く――初夜過ぎになると、その一時ひととき々々、大道店の灯筋あかりすじを、霧で押伏おっぷせらるる間が次第に間近になって、盛返す景気がそのたびに、遅く重っくるしくなって来る。
 ずらりと見渡した皆がしょんぼりする。
 勿論、電燈の前、瓦斯の背後うしろのも、寝る前の起居たちいせわしい。
 分けても、真白まっしろ油紙あぶらっかみの上へ、見た目も寒い、千六本を心太ところてんのように引散ひっちらして、ずぶぬれの露が、途切れ途切れにぽたぽたと足を打って、溝縁みぞぶちに凍りついた大根剥だいこんむきせがれが、今度はたまらなそうに、かじかんだ両手をぶるぶると唇へ押当てて、貧乏揺びんぼうゆるぎをせわしくしながら、
「あ、あ、」
 とまた大欠伸おおあくびをして、むらむらと白い息を吹出すと、筒抜けた大声で、
「大福が食いてえなッ。」

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