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銀三十枚(ぎんさんじゅうまい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-2 7:29:01  点击:  切换到繁體中文


18

 爾来私達はその家に住んだ。

 彼女は依然として出歩いた。あたかもそれが日課のように。
 彼女は入念にお化粧をした。あたかもそれが日課のように。
 毎朝牛乳で顔を洗った。
 とりわけ爪の手入れをした。これにはもっともの理由わけがあった。他がどんなに綺麗でも、爪に一点の斑点しみがあったら、貴族の婦人とは見えないからであった。
 彼女は耳髱みみたぶに注意した。耳髱はいつもピンク色であった。それが彼女を若々しく見せた。
 彼女は踵に注意した。いつも円さと滑らかさと、花弁はなびらの色とを保っていた。
 耳の穴、鼻の穴に注意した。
 だが顔色は蒼白かった。それも彼女の好嗜からであった。血色のよい赦ら顔は、田舎者に間違えられる恐れがあった。都会の貴婦人というものは、蒼い顔でなければ面白くない。どうやら彼女は仏蘭西フランスあたりの、青色の白粉おしろいを使うらしい。
 臀部が目立って小さくなった。そうして腰が細くなった。彼女の姿勢は立ち勝って来た。
 肌が真珠色に艶めいて来た。それは冷たそうな艶であった。
 肌理きめが絹のように細かくなった。
 きっと滑らかなことだろう。
 だが触れることは出来なかった。彼女がそれを断わるからであった。
 遥拝しなければならなかった。
 又その方がある意味から云って、私にとっても幸せであった。うっかりさわって手が辷って、転びでもしたら困るからであった。
「ああ彼女には洋装が似合う」
 ある時私はつくづく云った。決して揶揄的の讃辞ではなかった。
 その心配は無用であった。
 翌日洋装が届けられた。肌色と同じ真珠色であった。
 それを着て彼女は出かけようとした。
 チラリと私の顔を見た。瞼を二度ばかり叩いて見せた。
 命ずるような眼付きであった。
 私は周章あわてこしをかがめた。
 裳裾もすそを捧げようとしたのであった。ひどく気の利く小姓のように。
 その配慮は無用であった。
 今日流行はやりの洋装は、長い裳裾などはないからであった。股の見えるほど短かいはずだ。
 時々彼女は私へ云った。
高尚ノーブルにね。高尚にね。貴郎あなたもどうぞ高尚にね」
 で私は腹の中で云った。
「まだこの女は成り切れない。そうさ貴族の夫人にはな! 『高尚ノーブルにね、高尚にね、どうぞ御前様貴郎様もね、高尚にお成り遊ばしませ!』こう云わなけりゃアイタに付かねえ」
 この心配も無用であった。彼女はほんとに翌日から、遊ばせ言葉を使うようになった。
 もう贋物には見えなかった。
 生れながらのおデコさえ、どうしたものか目立たなくなった。
 下手に嵌め込まれた義歯いればさえ、どうしたものか目立たなくなった。
 歯並の立派な誰かの歯と、きっと換えっこしたのだろう。
 彼女の身長せいは高かった。それが一層高く見えた。爪立ち歩く様子もないが。――姿勢のよくなったためだろう。
 彼女は毎日美食をした。洋食! 洋食! 油っこい物!
 勿論私へも美食を進めた。私はあまり食べなかった。
 一日に幾度も衣裳を変えた。しかも正式に変えたのであった。これも貴婦人の習慣であった。
 そうして私へもそれを進めた。
 私は心でこう叫んだ。
「謀叛人の女が良人おっとを進め、同じ謀叛人にしようとしている! マクベス夫人の心持だ!」
 そうして私には感ぜられた、悲痛なマクベスの心持が。
 彼女はまって一人で外出た。どんな事があってもこの私と、連れ立って歩こうとはしなかった。
 良人のあるということを、隠したがっているらしかった。
 家財道具が新調された。黒壇細工! 埋木うもれぎ細工!
 植木屋が庭の手入れに来た。鋏の音が庭に充ちた。
 大工が部屋の手入れに来た。鉋の音が部屋に充ちた。
 屋敷が次第に立派になった。
「そうさ、伽藍がらんがよくなければ、仏像に価値ねうちがつかないからな」
 ある夕方自動車が着いた。
 彼女は洋装で出かけて行った。
 私は玄関までいて行った。それ、例の小姓のように。
 自動車は自家用の大型物であった。
 自動車の中に紳士がいた。顎鬚を撫して笑っていた。この市の有名な市長であった。
「ははあ誘いに来たのだな。大方ホテルへでも行くのだろう。夜会だな、結構なことだ。……俺は書生部屋で豚でもつつこう」
 だが一体どうしたことだ? 一晩も泊まっては来ないではないか。
 どんなに遅くとも帰って来た。
「遠慮はいらない。泊まっておいでよ」
 私は心で云ったものである。
「大方の貴婦人というものは、時々紳士と泊まるものだ。それも鍛練の一つじゃないか。何の私が怒るものか。また怒り切れるものでもない。第一お前はいつの間にか、絶対に私を怒らせないように、上手に仕込んでしまったではないか」

19

 それは初冬のある日であった。私は書斎の長椅子にころがりかもふかふかと包まれながら、とりとめのないことを考えていた。彼女はその日も留守であった。本当に「彼女」というこの言葉は、彼女にうってつけの言葉であった。彼女と私とは他人であった。……三人称で呼ぶべきであった。
「物質的には食傷している。精神的には空腹だ。これが現在の生活だ。変に跛者びっこの生活だなア」
 私は氈を撫で廻した。
「この毛並の軟らかさ、朝鮮産の虎の皮、決して安くはなさそうだ。児玉町に住んでいた頃には、空想する事さえ許されなかった品だ。そいつにふかふかと包まれている。さて私よ。幸福かね?」
 そこで私は私へ答えた。
「悲しいことには幸福ではないよ」
 私は正面の壁を見た。勿論小品ではあったけれど、模写コピイではないマチスの本物が、似合の額縁に嵌められて、ちょうどいい位置に掛けられてあった。
「彼女が買って来た絵だろうか? それとも色眼の報酬として、某紳商なにがししんしょうの美術館から、かっぱらって来た絵だろうか? 本物のマチス、銀灰色の縁、狂いのない掲げ振り、よく調子が取れている。将しく彼女には審美眼がある。だが以前むかしの彼女には、すくなくともマチスに憧憬あこがれるような、そんな繊細な審美眼は、なかったように思われる。長足の進歩をしたものさなあ。もっとも驚くにはあたらない。彼女は伯爵夫人だからな」
 私はまたもや私へ云った。
「よろしい彼女は伯爵夫人だ。それはどうしても認めなければならない。ところでここに困ったことには、彼女が伯爵夫人なら、ともかくも良人たるこの私は、自然伯爵でなければならない。私よ、伯爵を引き受けるかね?」
 私は私へ云い返した。
「いいや私には荷が勝っているよ。けっきょく私は引き受けないよ。何故だと君は訊くのかい? 説明しよう。こういう訳だ。虹と宝石と香水と、こういう物に蔽われている、深い泥沼があったとしたら、誰だって住むのは厭じゃアないか。孑孑ぼうふらでない限りはね。ところで伯爵で居たかったら、そこに住まなければならないのだよ。と云うのは現在の生活が、その泥沼の生活だからさ」
 大して気の利いた譬喩でもなかった。
「まあさ、それはそれとして、彼女は伯爵夫人だのに、どうして料理人を雇わないのだろう?」
 私はこんな事を考え出した。
「二人の女中、一人の書生、五人ぐらしとは貧弱だなあ。夫人よ是非ともお雇いなさい。そうしたら私は献立を命ずる『安眠』という献立をね」
 私は安眠さえ得られなかった。

「助けて下さい! 助けて下さい!」
 依然として救いを求めていた。
 救ってくれるものがあるだろうか?
 あれば彼だ! 基督キリストだ! だが現代の基督は、どんな姿で現われるだろう?
 私は漸時だんだん皮肉になった。私は漸時忍従的になった。だがいつも脅かされていた。
「きゃつは詐欺師だ、殺人犯ではない。五年か十年、刑期さえ終えたら、出獄するに相違ない。取りに来るぞ、銀三十枚! どうしたらいいのだ。返すことは出来ない! 彼女はその間に使ってしまうだろう」

 だが人間というものは、そのドン底まで追い詰められると、反動的勇気に駈られるものであった。ある日私は自分へ云った。
「基督を求めるには及ばない。他力本願は卑怯者の手段だ。自分のことは自分でするがいい」
 で私はすることにした。
 そこで私は「左様なら」と云った。
 直接彼女へ云ったのではなかった。泥沼の生活へ云ったのであった。
 そうして「左様なら」を実行した。大した勇気もいらなかった。ほんの簡単に実行された。
 何にも持たずに家出をし、お城近くの安下宿へ、私は下宿をしたのであった。
 お城の堀と石垣と、松との見える小さな部屋へ、私は体を落ちつけた。
 霧深い厳冬のことであった。
「彼女が驚こうが驚くまいが、私の知ったことではない。彼女が探そうが探すまいが。私の知ったことではない。とにかく私は彼女を捨た。私にとっては一飛躍だ」
 不思議と私の心の中は、ある平和が返って来た。ひどく苦しんだ人間だけが、感ずる事の出来る平和であった。
ひょっとすると創作が出来るかもしれない」
 で私はペンを執って見た。楽にスラスラと書くことが出来た。思想と感情とが統一された。バラバラなものが纏まった。空想さえも湧いて来た。
「少しの努力をしさえしたら、昔の私になれるかもしれない。……書けさえすれば私はいいのだ」
 生活の上の不安はあった。しかし原稿が売れさえしたら、下宿代ぐらいは払えそうであった。
「贅沢な生活には懲りている。だからそれへの欲望はない。これは大変有難いことだ一つ一つ欲望を抑えて行って、うんと単純の生活をしよう」

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