三
「そりゃおれだって忘れるもんかな。」
「じゃそうして頂戴よ。」
お絹は
「その
「よし、よし、万事呑みこんだよ。」
父は浮かない顔をしながら、その癖
「それだからお父さんは嫌になってしまう。」
「お前よりおれの方が嫌になってしまう。お母さんはああやって寝ているし、お前にゃ
洋一は父の言葉を聞くと、我知らず
「お母さんも今日は楽じゃないな。」
独り言のような洋一の言葉は、一瞬間彼等親子の会話を
「お母さんの病気だってそうじゃないの? いつか私がそう云った時に、御医者様を取り換えていさえすりゃ、きっとこんな事にゃなりゃしないわ。それをお父さんがまた煮え切らないで、――」と、感傷的に父を責め始めた。
「だからさ、だから今日は
賢造はとうとう
「谷村さんは何時頃来てくれるんでしょう?」
「三時頃来るって云っていた。さっき
「もう三時過ぎ、――四時五分前だがな。」
洋一は立て膝を
「もう一度電話でもかけさせましょうか?」
「さっきも叔母さんがかけたってそう云っていたがね。」
「さっきって?」
「
彼等がそんな事を話している内に、お絹はまだ顔を曇らせたまま、急に長火鉢の前から立上ると、さっさと次の
「やっと姉さんから
賢造は
病室からは
「どうです?」
洋一は陰気な想像から、父の声と一しょに解放された。見ると
「よっぽど苦しいようですがね、――御医者様はまだ見えませんかしら。」
賢造は口を開く前に、まずそうに
「困ったな。――もう一度電話でもかけさせましょうか?」
「そうですね、一時
「僕がかけて来ます。」
洋一はすぐに立ち上った。
「そうか。じゃ先生はもう御出かけになりましたでしょうかってね。番号は
賢造の言葉が終らない内に、洋一はもう茶の
「御免下さいまし。」

洋一は妙にてれながら、電話の受話器を耳へ当てた。するとまだ交換手が出ない内に、帳場机にいた
「洋一さん。谷村病院ですか?」
「ああ、谷村病院。」
彼は受話器を持ったなり、神山の方を振り返った。神山は彼の方を見ずに、
「じゃ今向うからかかって来ましたぜ。お美津さんが奥へそう云いに行った筈です。」
「何てかかって来たの?」
「先生はただ今御出かけになったって云ってたようですが、――ただ今だね? 良さん。」
呼びかけられた店員の一人は、ちょうど踏台の上にのりながら、高い
「ただ今じゃありませんよ。もうそちらへいらっしゃる時分だって云っていましたよ。」
「そうか。そんなら美津のやつ、そう云えば好いのに。」
洋一は電話を切ってから、もう一度茶の間へ引き返そうとした。が、ふと店の時計を見ると、
「おや、この時計は二十分過ぎだ。」
「何、こりゃ十分ばかり進んでいますよ。まだ四時十分過ぎくらいなもんでしょう。」
神山は体を
「そうです。ちょうど十分過ぎ。」
「じゃやっぱり奥の時計が遅れているんだ。それにしちゃ谷村さんは遅すぎるな。――」
洋一はちょいとためらった
「来そうもないな。まさか
彼は肩越しに神山へ、こう言葉をかけながら、店員の誰かが脱ぎ捨てた
大通りは彼の店の前から、半町も行かない所にあった。そこの
洋一は唐物屋の前まで来ると、飾り窓を
その内に彼の店の方から、まだ十四五歳の店員が一人、自転車に乗って走って来た。それが洋一の姿を見ると、電柱に片手をかけながら、器用に彼の側へ自転車を止めた。そうしてペダルに足をかけたまま、
「今田村さんから電話がかかって来ました。」と云った。
「何か用だったかい?」
洋一はそう云う間でも、絶えず
「用は別にないんだそうで、――」
「お前はそれを云いに来たの?」
「いいえ、私はこれから工場まで行って来るんです。――ああ、それから旦那が洋一さんに用があるって云っていましたぜ。」
「お父さんが?」
洋一はこう云いかけたが、ふと向うを眺めたと思うと、突然相手も忘れたように、飾り窓の前を飛び出した。人通りも
「兄さん!」
車夫は体を
「やあ。」
兄は
「お母さんはどうした?」
洋一は兄を見上ながら、
「この二三日悪くってね。――十二指腸の
「そうか。そりゃ――」
慎太郎はやはり冷然と、それ以上何も云わなかった。が、その母譲りの眼の中には、洋一が予期していなかった、とは云え無意識に求めていたある表情が
「今日は一番苦しそうだけれど、――でも兄さんが帰って来て好かった。――まあ早く行くと好いや。」
車夫は慎太郎の
「兄さん。試験はまだ始らなかった?」
慎太郎は体を
「
「今日は谷村博士が来るんでね、あんまり来ようが遅いから、立って待っていたんだけれど、――」
洋一はこう答えながら、かすかに息をはずませていた。慎太郎は弟を
「よっぽど待ったかい?」
「十分も待ったかしら?」
「誰かあすこに店の者がいたようじゃないか?――おい、そこだ。」
車夫は五六歩行き過ぎてから、大廻しに
お律と子等と(おりつとこらと)
作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语
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