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本所両国(ほんじょりょうごく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-18 10:19:56  点击:  切换到繁體中文



     相生町

 本所(ほんじよ)警察署もいつの間(ま)にかコンクリイトの建物に変つてゐる。僕の記憶にある警察署は古い赤煉瓦(れんぐわ)の建物だつた。僕はこの警察署長の息子(むすこ)も僕の友だちだつたのを覚えてゐる。それから警察署の鄰(となり)にある蝙蝠傘屋(かうもりがさや)も――傘屋の木島(きじま)さんは今日(こんにち)でも僕のことを覚えてゐてくれるであらうか? いや、木島さん一人(ひとり)ではない。僕はこの界隈(かいわい)に住んでゐた大勢(おほぜい)の友だちを覚えてゐる。しかし僕の友だちは長い年月(としつき)の流れるのにつれ、もう全然僕などとは縁のない暮らしをしてゐるであらう。僕は四五年前(まへ)の簡閲点呼(かんえつてんこ)に大紙屋(おほがみや)の岡本(をかもと)さんと一しよになつた。僕の知つてゐた大紙屋は封建時代に変りのない土蔵(どざう)造りの紙屋である。その又薄暗い店の中には番頭や小僧が何人も忙(いそが)しさうに歩きまはつてゐた。が、岡本さんの話によれば、今では店の組織も変り、海外へ紙を輸出するのにもいろいろ計画を立ててゐるらしい。
「この辺もすつかり変つてゐますか?」
「昔からある店もありますけれども、……町全体の落ち着かなさ加減はね。」
 僕はその大紙屋(おほがみや)のあつた「馬車通り」(「馬車通り」と云ふのは四(よ)つ目(め)あたりへ通ふガタ馬車のあつた為である。)のぬかるみを思ひ出した。しかしまだ明治時代にはそこにも大紙屋のあつたやうに封建時代の影の落ちた何軒かの「しにせ」は残つてゐた。僕はこの馬車通りにあつた「魚善(うをぜん)」といふ肴屋(さかなや)を覚えてゐる。それから又樋口(ひぐち)さんといふ門構への医者を覚えてゐる。最後にこの樋口さんの近所にピストル強盗清水定吉(しみづさだきち)の住んでゐたことを覚えてゐる。明治時代もあらゆる時代のやうに何人かの犯罪的天才を造(つく)り出した。ピストル強盗も稲妻(いなづま)強盗や五寸釘(くぎ)の虎吉(とらきち)と一しよにかう云ふ天才たちの一人(ひとり)だつたであらう。僕は彼の按摩(あんま)になつて警官の目をくらませてゐたり、彼の家の壁をがんどう返しにして出没を自在にしてゐたことにロマン趣味を感じずにはゐられなかつた。これ等の犯罪的天才は大抵(たいてい)は小説の主人公になり、更(さら)に又所謂(いわゆる)壮士芝居の劇中人物になつたものである。僕はかういふ壮士芝居の中に「大悪僧(だいあくそう)」とか云ふものを見、一場(ひとば)々々の血なまぐささに夜も碌々(ろくろく)眠られなかつた。尤(もつと)もこの「大悪僧」は或はピストル強盗のやうに実在の人物ではなかつたかも知れない。
 僕等はいつか埃(ほこり)の色をした国技館(こくぎくわん)の前へ通りかかつた。国技館は丁度(ちやうど)日光(につくわう)の東照宮(とうせうぐう)の模型(もけい)か何かを見世物(みせもの)にしてゐる所らしかつた。僕の通(かよ)つてゐた江東(かうとう)小学校は丁度(ちやうど)ここに建つてゐたものである。現に残つてゐる大銀杏(おほいてふ)も江東小学校の運動場の隅に、――といふよりも附属幼稚園の運動場の隅に枝をのばしてゐた。当時の小学校の校長の震災の為に死んだことは前に書いた通りである。が、僕はつい近頃やはり当時から在職してゐたT先生にお目にかかり、女生徒に裁縫(さいほう)を教へてゐた或女の先生も割(わ)り下水(げすゐ)に近い京極(きやうごく)子爵家(?)の溝(どぶ)の中に死んだことを知つたりした。この先生は着物は腐れ、体は骨になつてゐるものの、貯金帳だけはちやんと残つてゐた為にやつと誰だかわかつたさうである。T先生の話によれば、僕等を教へた先生たちは大抵(たいてい)は本所(ほんじよ)にゐないらしい。僕は比留間(ひるま)先生に張り倒されたことを覚えてゐる。それから宗(そう)先生に後頭部を突かれたことを覚えてゐる。それから葉若(はわか)先生に、――けれども僕の覚えてゐるのは体罰(たいばつ)を受けたことばかりではない。僕は又この小学校の中にいろいろの喜劇のあつたことも覚えてゐる。殊に大島(おほしま)と云ふ僕の親友のちやんと机に向つたまま、いつかうんこをしてゐたのは喜劇中の喜劇だつた。しかしこの大島敏夫(としお)も――花や歌を愛してゐた江東小学校の秀才も二十(はたち)前後に故人になつてゐる。……
 国技館の隣(とな)りに回向院(ゑかうゐん)のあることは大抵(たいてい)誰でも知つてゐるであらう。所謂(いはゆる)本場所の相撲(すまふ)も亦(また)国技館の出来ない前には回向院(ゑかうゐん)の境内(けいだい)に蓆張(むしろば)りの小屋をかけてゐたものである。僕等はこの義士の打ち入り以来、名高い回向院を見る為に国技館の横を曲つて行つた。が、それもここへ来る前にひそかに僕の予期してゐたやうにすつかり昔に変つてゐた。

     回向院

 今日(こんにち)の回向院(ゑかうゐん)はバラツクである。如何(いか)に金(きん)の紋(もん)を打つた亜鉛葺(トタンぶ)きの屋根は反(そ)つてゐても、硝子(ガラス)戸を立てた本堂はバラツクと云ふ外(ほか)に仕かたはない。僕等は読経(どきやう)の声を聞きながら、やはり僕には昔馴染(なじ)みの鼠小僧(ねずみこぞう)の墓を見物に行つた。墓の前には今日(こんにち)でも乞食(こじき)が三四人集つてゐた。が、そんなことはどうでも善(よ)い。それよりも僕を驚かしたのは膃肭獣(をつとせい)供養塔と云ふものの立つてゐたことである。僕はぼんやりこの石碑を見上げ、何かその奥の鼠小僧の墓に同情しない訣(わけ)には行(ゆ)かなかつた。
 鼠小僧(ねずみこぞう)治郎太夫(ぢろだいふ)の墓は建札(たてふだ)も示してゐる通り、震災の火事にも滅びなかつた。赤い提灯(ちやうちん)や蝋燭(らふそく)や教覚速善(けうかくそくぜん)居士(こじ)の額(がく)も大体昔の通りである。尤(もつと)も今は墓の石を欠かれない用心のしてあるばかりではない。墓の前の柱にちやんと「御用のおかたにはお守(まも)り石をさし上げます」と書いた、小さい紙札も貼(は)りつけてある。僕等はこの墓を後ろにし、今度は又墓地の奥に、――国技館の後ろにある京伝(きやうでん)の墓を尋ねて行つた。
 この墓地も僕にはなつかしかつた。僕は僕の友だちと一しよに度たびいたづらに石塔を倒し、寺男や坊さんに追ひかけられたものである。尤(もつと)も昔は樹木(じゆもく)も茂り、一口に墓地と云ふよりも卵塔場(らんたふば)と云ふ気のしたものだつた。が、今は墓石(ぼせき)は勿論(もちろん)、墓を繞(めぐ)つた鉄柵(てつさく)にも凄まじい火の痕(あと)は残つてゐる。僕は「水子塚(みづこづか)」の前を曲り、京伝(きやうでん)の墓の前へ辿(たど)り着いた。京伝の墓も京山(きやうざん)の墓と一しよにやはり昔に変つてゐない。唯それ等の墓の前に柿か何かの若木が一本、ひよろりと枝をのばしたまま、若葉を開いてゐるのは哀れだつた。
 僕等は回向院(ゑかうゐん)の表門を出、これもバラツクになつた坊主(ばうず)軍鶏(しやも)を見ながら、一(ひと)つ目(め)の橋へ歩いて行つた。僕の記憶を信ずるとすれば、この一つ目の橋のあたりは大正時代にも幾分か広重(ひろしげ)らしい画趣を持つてゐたものである。しかしもう今日(こんにち)ではどこにもそんな景色は残つてゐない。僕等は無慙(むざん)にもひろげられた路(みち)を向う両国(りやうごく)へ引き返しながら、偶然「泰(たい)ちやん」の家(うち)の前を通りかかつた。「泰ちやん」は下駄屋(げたや)の息子(むすこ)である。僕は僕の小学時代にも作文は多少上手(じやうず)だつた。が、僕の作文は、――と云ふよりも僕等の作文は、大抵(たいてい)は所謂(いはゆる)美文だつた。「富士の峯白くかりがね池の面(おもて)に下(くだ)り、空仰げば月麗(うるは)しく、余が影法師黒し。」――これは僕の作文ではない。二三年前(まへ)に故人になつた僕の小学時代の友だちの一人(ひとり)、――清水昌彦(しみづまさひこ)君の作文である。「泰ちやん」はかう云ふ作文の中にひとり教科書の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)(にほひ)のない、活き活きした口語文を作つてゐた。それは何(なん)でも「虹(にじ)」といふ作文の題の出た時である。僕は内心僕の作文の一番になることを信じてゐた。が、先生の一番にしたのは「泰ちやん」――下駄屋「伊勢甚(いせじん)」の息子木村泰助(きむらたいすけ)君の作文だつた。「泰ちやん」は先生の命令を受け、彼自身の作文を朗読(らうどく)した。それは恐らくは誰よりも僕を動かさずにはおかなかつた。僕は勿論「泰ちやん」の為に見事に敗北を受けたことを感じた。同時に又「泰(たい)ちやん」の描(ゑが)いた「虹」にありありと夕立ちの通り過ぎたのを感じた。僕を動かした文章は東西に亘(わた)つて少くはない。しかしまづ僕を動かしたのはこの「泰ちやん」の作文である。運命は僕を売文の徒にした。若し「泰ちやん」も僕のやうにペンを執(と)つてゐたとすれば、「大東京繁昌記(はんじやうき)」の読者はこの「本所(ほんじよ)両国(りやうごく)」よりも或は数等美しい印象記を読んでゐたかも知れない。けれども「泰ちやん」はどうしてゐるであらう? 僕は幾つも下駄の並んだ飾り窓の前に佇(たたず)んだまま、そつと店の中へ目を移した。店の中には「泰ちやん」のお母さんらしい人が一人(ひとり)坐つてゐる。が、木村泰助君は生憎(あいにく)どこにも見えなかつた。……

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