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本所両国(ほんじょりょうごく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-18 10:19:56  点击:  切换到繁體中文



     方丈記

 僕「今日は本所(ほんじよ)へ行つて来ましたよ。」
 父「本所もすつかり変つたな。」
 母「うちの近所はどうなつてゐるえ?」
 僕「どうなつてゐるつて、……釣竿屋の石井(いしゐ)さんにうちを売つたでせう。あの石井さんのあるだけですね。ああ、それから提灯屋(ちやうちんや)もあつた。……」
 伯母(をば)「あすこには洗湯(せんたう)もあつたでせう。」
 僕「今でも常磐湯(ときはゆ)と云ふ洗湯はありますよ。」
 伯母「常磐湯と言つたかしら。」
 妻「あたしのゐた辺(へん)も変つたでせうね?」
 僕「変らないのは石河岸(いしがし)だけだよ。」
 妻「あすこにあつた、大きい柳は?」
 僕「柳などは勿論焼けてしまつたさ。」
 母「お前のまだ小さかつた頃には電車も通つてゐなかつたんだからね。」
 父「上野(うへの)と新橋(しんばし)との間(あひだ)さへ鉄道馬車があつただけなんだから。――鉄道馬車と云ふ度に思ひ出すのは……」
 僕「僕の小便をしてしまつた話でせう。満員の鉄道馬車に乗つたまま。……」
 伯母「さうさう、赤いフランネルのズボン下をはいて、……」
 父「何、あの鉄道馬車会社の神戸(かんべ)さんのことさ。神戸さんもこの間(あひだ)死んでしまつたな。」
 僕「東京電燈の神戸(かんべ)さんでせう。へええ、神戸さんを知つてゐるんですか?」
 父「知つてゐるとも。大倉(おほくら)さんなども知つてゐたもんだ。」
 僕「大倉喜八郎(きはちらう)をね……」
 父「僕もあの時分にどうかすれば、……」
 僕「もうそれだけで沢山(たくさん)ですよ。」
 伯母「さうだね。この上損でもされてゐた日には……」(笑ふ)
 僕「『榛(はん)の木(き)馬場(ばば)』あたりはかたなしですね。」
 父「あすこには葛飾北斎(かつしかほくさい)が住んでゐたことがある。」
 僕「『割(わ)り下水(げすゐ)』もやつぱり変つてしまひましたよ。」
 母「あすこには悪(わる)御家人(ごけにん)が沢山(たくさん)ゐてね。」
 僕「僕の覚えてゐる時分でも何かそんな気のする所でしたね。」
 妻「お鶴(つる)さんの家(うち)はどうなつたでせう?」
 僕「お鶴さん? ああ、あの藍問屋(あゐどんや)の娘さんか。」
 妻「ええ、兄(にい)さんの好きだつた人。」
 僕「あの家(うち)どうだつたかな。兄さんの為にも見て来るんだつけ。尤(もつと)も前は通つたんだけれども。」
 伯母「あたしは地震の年以来一度も行つたことはないんだから、――行つても驚くだらうけれども。」
 僕「それは驚くだけですよ。伯母(をば)さんには見当(けんたう)もつかないかも知れない。」
 父「何しろ変りも変つたからね。そら、昔は夕がたになると、みんな門を細目(ほそめ)にあけて往来(わうらい)を見てゐたもんだらう?」
 母「法界節(ほふかいぶし)や何かの帰つて来るのをね。」
 伯母「あの時分は蝙蝠(かうもり)も沢山(たくさん)ゐたでせう。」
 僕「今は雀さへ飛んでゐませんよ。僕は実際無常(むじやう)を感じてね。……それでも一度行つてごらんなさい。まだずんずん変らうとしてゐるから。」
 妻「わたしは一度子供たちに亀井戸(かめゐど)の太鼓橋(たいこばし)を見せてやりたい。」
 父「臥龍梅(ぐわりゆうばい)はもうなくなつたんだらうな?」
 僕「ええ、あれはもうとうに。……さあ、これから驚いたと云ふことを十五回だけ書かなければならない。」
 妻「驚いた、驚いたと書いてゐれば善(い)いのに。」(笑ふ)
 僕「その外(ほか)に何も書けるもんか。若し何か書けるとすれば、……さうだ。このポケツト本の中にちやんともう誰か書き尽してゐる。――『玉敷(たましき)の都の中に、棟(むね)を並べ甍(いらか)を争へる、尊(たか)き卑(いや)しき人の住居(すまひ)は、代々(よよ)を経(へ)てつきせぬものなれど、これをまことかと尋(たづ)ぬれば、昔ありし家は稀(まれ)なり。……いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人(ひとり)二人(ふたり)なり。朝(あした)に死し、夕(ゆふべ)に生まるるならひ、ただ水の泡(あわ)にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方(いづかた)より来りて、何方(いづかた)へか去る。』……」
 母「何だえ、それは? 『お文様(ふみさま)』のやうぢやないか?」
 僕「これですか? これは『方丈記(はうぢやうき)』ですよ。僕などよりもちよつと偉かつた鴨(かも)の長明(ちやうめい)と云ふ人の書いた本ですよ。」

(昭和二年五月)




 



底本:「芥川龍之介全集 第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1971(昭和46)年10月5日初版第5刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1999年8月23日公開
2004年3月16日修正
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