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路上(ろじょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 6:15:37  点击:  切换到繁體中文



        三十二

「幾つだ、あのお藤(ふじ)さんと云うのは?」
「行年(ぎょうねん)十八、寅の八白(はっぱく)だ。」
 大井(おおい)はまた新に註文したウイスキイをひっかけながら、高々と椅子(いす)の上へあぐらをかいて、
「年まわりから云や、あんまり素直でもなさそうだが、――まあ、そんな事はどうでも好い、素直だろうが、素直でなかろうが、どうせ女の事だから、退屈な人間にゃ相違なかろう。」
「ひどく女を軽蔑(けいべつ)するな。」
「じゃ君は尊敬しているか。」
 俊助(しゅんすけ)は今度も微笑の中(うち)に、韜晦(とうかい)するよりほかはなかった。と、大井は三杯目のウイスキイを前に置いて、金口の煙を相手へ吹きかけながら、
「女なんてものは退屈だぜ。上(かみ)は自動車へ乗っているのから下(しも)は十二階下に巣を食っているのまで、突っくるめて見た所が、まあ精々十種類くらいしかないんだからな。嘘だと思ったら、二年でも三年でも、滅茶滅茶に道楽をして見るが好(い)い。すぐに女の種類が尽きて、面白くも何ともなくなっちまうから。」
「じゃ君も面白くない方か。」
「面白くない方か? 冗談(じょうだん)だろう。――いや、皮肉なら皮肉でも好い。面白くないと云っている僕が、やっぱりこうやって女ばかり追っかけている。それが君にゃ莫迦(ばか)げて見えるんだろう。だがね、面白くないと云うのも本当なんだ。同時にまた面白いと云うのも本当なんだ。」
 大井は四杯目のウイスキイを命じた頃から、次第に平常の傲岸(ごうがん)な態度がなくなって、酔を帯びた眼の中にも、涙ぐんでいるような光が加わって来た。勿論俊助はこう云う相手の変化を、好奇心に富んだ眼で眺めていた。が、大井は俊助の思わくなぞにはさらに頓着しない容子(ようす)で、五杯六杯と続けさまにウイスキイを煽(あお)りながら、ますます熱心な調子になって、
「面白いと云うのはね、女でも追っかけていなけりゃ、それこそつまらなくってたまらないからなんだ。が、追っかけて見た所で、これまた面白くも何ともありゃしない。じゃどうすれば好いんだと君は云うだろう。じゃどうすれば好いんだと――それがわかっているぐらいなら、僕もこんなに寂しい思いなんぞしなくってもすむ。僕は始終僕自身にそう云っているんだ。じゃどうすれば好いんだと。」
 俊助は少し持て余しながら、冗談のように相手を和(やわら)げにかかった。
「惚(ほ)れられるさ。そうすりゃ、少しは面白いだろう。」
 が、大井は反(かえ)って真面目な表情を眼にも眉にも動かしながら、大理石の卓子(テエブル)を拳骨(げんこつ)で一つどんと叩くと、
「所がだ。惚れられるまでは、まだ退屈でも我慢がなるが、惚れられたとなったら、もう万事休すだ。征服の興味はなくなってしまう。好奇心もそれ以上は働きようがない。後(あと)に残るのはただ、恐るべき退屈中の退屈だけだ。しかも女と云うやつは、ある程度まで関係が進歩すると、必ず男に惚れてしまうんだから始末が悪い。」
 俊助は思わず大井の熱心さに釣りこまれた。
「じゃどうすれば好いんだ?」
「だからさ。だからどうすれば好いんだと僕も云っていたんだ。」
 大井はこう云いながら、殺気立った眉をひそめて、七八杯目のウイスキイをまずそうにぐいと飲み干した。

        三十三

 俊助(しゅんすけ)はしばらく口を噤(つぐ)んで、大井(おおい)の指にある金口(きんぐち)がぶるぶる震えるのを眺めていた。と、大井はその金口を灰皿の中へ抛りこんで、いきなり卓子(テエブル)越しに俊助の手をつかまえると、
「おい。」と、切迫した声を出した。
 俊助は返事をする代りに、驚いた眼を挙げて、ちょいと大井の顔を見た。
「おい、君はまだ覚えているだろう、僕があの七時の急行の窓で、女の見送り人に手巾(ハンケチ)を振っていた事があるのを。」
「勿論覚えている。」
「じゃ聞いてくれ。僕はあの女とこの間まで同棲していたんだ。」
 俊助は好奇心が動くと共に、もう好い加減にアルコオル性の感傷主義(センティメンタリズム)は御免を蒙りたいと云う気にもなった。のみならず、周囲の卓子(テエブル)を囲んでいる連中が、さっきからこちらへ迂散(うさん)らしい視線を送っているのも不快だった。そこで彼は大井の言葉には曖昧(あいまい)な返事を与えながら、帳場の側に立っているお藤(ふじ)に、「来い」と云う相図(あいず)をして見せた。が、お藤がそこを離れない内に、最初彼の食事の給仕をした女が、急いで卓子(テエブル)の前へやって来た。
「勘定(かんじょう)をしてくれ。この方(かた)の分も一しょだ。」
 すると大井は俊助の手を離して、やはり眼に涙を湛えたまま、しげしげと彼の顔を眺めたが、
「おい、おい、勘定を払ってくれなんていつ云った? 僕はただ、聞いてくれと云ったんだぜ。聞いてくれりゃ好し、聞いてくれなけりゃ――そうだ。聞いてくれなけりゃ、さっさと帰ったら好いじゃないか。」
 俊助は勘定をすませると、新に火をつけた煙草を啣(くわ)えながら、劬(いたわ)るような微笑を大井に見せて、
「聞くよ。聞くが、ね、我々のように長く坐りこんじゃ、ここの家(うち)も迷惑だろう。だから一まず外へ出た上で、聞く事にしようじゃないか。」
 大井はやっと納得(なっとく)した。が、卓子(テエブル)を離れるとなると、彼は口が達者なのとは反対に、頗(すこぶ)る足元が蹣跚(まんさん)としていた。
「好いか。おい。危いぜ。」
「冗談云っちゃいけない。高がウイスキイの十杯や十五杯――」
 俊助は大井の手をとらないばかりにして、入口の硝子戸(ガラスど)の方へ歩き出した。と、そこにはもうお藤(ふじ)が、大きく硝子戸を開(あ)けながら、心配そうな眼を見張って、二人の出て来るのを待ち受けていた。彼女はそこの天井から下っている支那燈籠(しなどうろう)の光を浴びて、最前(さいぜん)よりはさらに子供らしく、それだけ俊助にはさらに美しく見えた。が、大井はまるでお藤の存在には気がつかなかったものと見えて、逞(たくまし)い俊助の手に背中を抱えられながら、口一つ利(き)かずにその前を通りすぎた。
「難有(ありがと)うございます。」
 大井の後(あと)から外へ出た俊助には、こう云うお藤の言葉の中に、彼の大井に対する厚情を感謝しているような響が感じられた。彼はお藤の方を振り返って、その感謝に答うべき微笑を送る事を吝(おし)まなかった。お藤は彼等が往来へ出てしまってからも、しばらくは明(あかる)い硝子戸の前に佇(たたず)みながら、白い前掛(エプロン)の胸へ両手を合せて、次第に遠くなって行く二人の後姿を、懐しそうにじっと見守っていた。

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