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草迷宮(くさめいきゅう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:07:19  点击:  切换到繁體中文


 と、やや歎息をするようだったが、あらためて、また言った。
「時に、この邸には、当月はじめつかたから、別に逗留とうりゅうの客がある。同一おなじ境涯にある御仁ごじんじゃ。われら附添って眷属けんぞくども一同守護をいたすに、元来、人足ひとあしの絶えた空屋を求めて便たよった処を、唯今ただいま眠りおる少年の、身にも命にも替うるねがいあって、身命を賭物かけものにして、推して草叢くさむら足痕あしあとを留めた以来、とかく人出入騒々しく、かたがた妨げに相成るから、われら承って片端から追払おっぱらうが、弱ったのはこの少年じゃ。
 顔容かおかたちに似ぬその志の堅固さよ。ただおとぎめいた事のみ語って、自からそのおろかさを恥じて、客僧、御身にも話すまいが、や、この方実は、もそっと手酷てひどこころみをやった。
 あるいは大磐石を胸に落し、我その上に蹈跨ふみまたがって咽喉のどめ、五体に七筋の蛇をまとわし、きばある蜥蜴とかげませてまでのろうたが、頑として退かず、悠々と歌を唄うに、折れ果てた。
 よって最後の試み、としてたった今、少年これに人を殺させた――すなわち殺された者は、客僧、御身おみじゃよ。」
 と、じろじろと見るのである。
 覚悟しながらおののいて、
「ここは、ここは、ここは、冥土めいどか。」
 と目ばかり働く、その顔を見て、でっぷりとした頬に笑をたたえ、くつくつ忍笑しのびわらいして、
「いや、別条はない。が、ちょうどこの少年の、いましうなされた時、客僧、何と、胸が痛かったろう。」
 ズキリとこたえて、
「おお、」
「すなわち少年が、御身に毒を飲ませたのだ。」
「…………」
「別でない。それそれその戸袋にった朱泥しゅでい水差みずさし、それにんだは井戸の水じゃが、久しい埋井うもれいじゃに因って、水の色が真蒼まっさおじゃ、まるで透通る草の汁よ。
 客僧等が茶を参った、じじいが汲んで来た、あれは川水。その白濁しろにごりがまだしも、と他の者はそれを用いる、がこの少年は、さきに猫の死骸の流れたのを見たために、飲まずしてこの井戸のを仰ぐ。
 今も言う通りだ。殺さぬまでに現責うつつぜめに苦しめ呪うがゆえ、生命いのちを縮めては相成らぬで、毎夜少年の気着かぬ間に、振袖に扱帯しごきおびした、つらいぬの、召使に持たせて、われら秘蔵の濃緑こみどりの酒を、瑠璃色るりいろ瑪瑙めのうつぼから、回生剤きつけとして、その水にしたたらして置くがならいじゃ。」

       四十二

「少年はあじおうて、天与の霊泉と舌鼓を打っておる。
 我ら、いまし少年の魂に命じて、すなわちその酒を客僧に勧め飲ましむる夢を見させたわ。(ただ一口試みられよ、さわやかな涼しいかんばしい酒の味がする、)と云うに因って、客僧、御身おんみはなおさら猶予ためらう、手が出ぬわ。」
 とまた微笑ほほえみ、
「毒味までしたれば、と少年は、ぐと飲み飲み、無理に勧める。さまでは、とうけて恐る恐る干すと、ややあって、客僧、御身は苦悶くもんし、煩乱はんらんし、七転八倒して黒き血のかたまりを吐くじゃ。」
 客僧は色真蒼まっさおである。
「驚いて少年が介抱する。が、もうかなわぬ、臨終という時、
(われは僧なり、身を殺して仁をなし得れば無上の本懐、君その素志を他に求めて、くこの恐しき魔所をのがれられよ。)
 と遺言する。これぞ、われらのあつらえじゃ。
 蚊帳の中で、少年のうなされたは、この夢を見た時よ、なあ。
 これならば立退たちのくであろう、と思うと、ああ、らちあかぬ。客僧、御身が仮に落入るのを見る、と涙を流して、共に死のうと決心した。
 葛籠つづらに秘め置く、守刀まもりがたなをキラリと引抜くまで、ふすまの蔭から見定めて、
(ああ、しばらく、)
 と留めたは、さて、殺しては相済まぬ。
 これによって、われら守護する逗留客は、御自分の方から、この邸を開いて、もはや余所よそ立退くじゃが。
 その以前、直々じきじきに貴面を得て、客僧にもおし談じたい儀があるとわるる。
 客は女性にょしょうでござるに因って、一応拙者それがしから申入れる。ためにこれへ罷出まかりいでた。
 秋谷悪左衛門取次を致す、」
 と高らかに云って、穏和おだやかに、
「お逢い下さりょうか、いかが、」
 と云った。
 僧は思わず、
「は、」と答える。
 声も終らず、小山のごとく膝をゆらげ、向け直したと見ると、
「ござらっしゃい!」
 破鐘われがねのごときその大音、どっと響いた。目くるめいて、魂遠くなるほどに、大魔の形体ぎょうたい、片隅の暗がりへ吸込すいこまれたようにすッと退いた、がはるかに小さく、およそ蛍の火ばかりになって、しかもそのきぬの色も、はかまの色も、顔の色も、かしらの毛の総髪そうがみも、鮮麗あざやかになお目に映る。
「御免遊ばせ。」
 向うから襖一枚、さっあおく色が変ると、雨浸あまじみの鬼の絵の輪郭を、乱れたままの輪に残して、ほんのり桃色がその上に浮いて出た。
 ト見ると、房々とあるつややかな黒髪を、耳許みみもと白くくしけずって、櫛巻くしまきにすなおに結んだ、顔を俯向うつむけに、撫肩なでがたの、細く袖を引合わせて、胸を抱いたが、衣紋えもん白く、空色の長襦袢ながじゅばんに、朱鷺色ときいろの無地のうすものかさねて、草の葉に露の玉と散った、浅緑の帯、薄き腰、弱々と糸の艶に光を帯びて、のあたり、肩のあたり、その明りに、朱鷺色が、浅葱あさぎが透き、はだの雪もかすかに透く。
 黒髪かけて、襟かけて、月のしずくがかかったような、すそさばけず、しっとりと爪尖つまさかろく、ものの居て腰を捧げて進むるごとく、底の知れない座敷をうしろに、はてなき夜の暗さを引いたが、歩行あるくともなく立寄って、客僧に近寄る時、いつの間にか襖が開くと、左右に雪洞ぼんぼりが二つ並んで、敷居際に差向って、女の膝ばかりが控えて見える。そのいずれかがいぬの顔、と思いをめぐらす暇もない。
 僧は前にたたずんだのを差覗さしのぞくように一目見て、
「わッ、」
 とばかりに平伏ひれふした。にこそそのかんばせは、爛々たるしろがねまなこならび、まなじりに紫のくま暗く、頬骨のこけたおとがい蒼味がかり、浅葱にくぼんだ唇裂けて、鉄漿かね着けた口、柘榴ざくろの舌、耳の根には針のごとききばんでいたのである。

       四十三

「おお、自分の顔を隠したさ。貴僧あなたおどす心ではない、戸外そとへ出ます支度のまま……まあ、お恥かしい。」
 と、横へ取ったは白鬼はっきの面。端麗にして威厳あり、眉美しく、目の優しき、そのかんばせ差俯向さしうつむけ、しとやかに手をいた。
「は、は、はじめまして、」
 と、しどろになって会釈すると、おもてを上げたさみしい頬に、唇あこ莞爾にっこりして、
前刻さっきはばかりへいらっしゃいます、廊下でお目にかかりましたよ。」
 客僧も、今はなかなかに胴すわりぬ。
貴女あなたはどなたでございます。」
 と尋ねたが、その時はほぼその誰なるかを知っているような気がしたのである。
 美女たおやめつまを深う居直って、蚊帳をすかして打傾く。
 萌黄もえぎが迫って、そのきぬの色を薄く包んだ。
「この方の、おっかさんのお知己ちかづき、明さんとも、お友達……」
 と口を結んだがうれいを帯びた。
 此方こなたは、じりじりと膝を向けて、
「ああ、貴女が、」
「あの、それに就きまして、貴僧あなたにお願いがございますが、どうぞお聞き下さいまし。」
 とまた蚊帳越に打視うちながめ、
「お最愛いとしい、沢山たんとやつれ遊ばした。罪もむくいもない方が、こんなに艱難辛苦かんなんしんくして、命に懸けても唄が聞きたいとおっしゃるのも、おっかさんの恋しさゆえ。
 その唄を聞こう聞こうと、お思いなさいます心から、この頃では身も世も忘れて、まあ、私をなつかしがって、迷って恋におなりなすった。
 その唄はおさない時、この方の母さんから、口移しにおそわって、私は今も、覚えている。
 こうまで、おこがれなさるもの、ちょっと一目お目にかかって、お聞かせもおしとうござんすけれど、今顔をお見せ申しますと、お慕いなさいます御心から、前後も忘れて夢見るように、袖にからんで手にすがり、胸に額を押当てて、母よ、姉よ、とおっしゃいますもの。
 どうして貴僧あなた摺抜すりぬけられよう、突離されよう、振切られましょう、私は引寄せます、抱緊だきしめます。
 と血を分けぬ、男と女は、天にも地にも許さぬおきて
 私たちには自由自在――どの道浮世に背いた身体からだが、それではほかに願いのある、私の願の邪魔になります。よしそれとても、棄身すてみの私、ただ最惜いとおしさ、可愛さに、気の狂い、心の乱れるにまかせましても、覚悟の上なら私一人、自分の身はいといはしませぬ。
 厭わぬけれど……明さんがそうすると、私たちと同一おなじような身の上になりますもの……
 それはもう、この頃のお心では、明さんは本望らしい――本望らしい、」
 とさも懸想けそうしたらしく胸を抱いたが、鼻筋白く打背いて、
「あれあれ御覧なさいまし。こう言ううちにも、明さんのおっかさんが、花のこずえと見紛うばかり、雲間を漏れる高楼たかどのの、にじ欄干てすりを乗出して、叱りもにらみも遊ばさず、の可愛さに、鬼とも言わず、私を拝んでいなさいます。お美しい、お優しい、あの御顔を見ましては、恋の血汐ちしおは葉に染めても、秋のの字も、明さんの名にはばかって声には出ませぬ。
 一言も交わさずに、ただ御顔を見たばかりでさえ、最愛いとおしさに覚悟も弱る。私は夫のござんす身体からだひとの妻でありながらも、母さんをお慕い遊ばす、そのお心の優しさが、身に染む時は、恋となり、不義となり、罪となる。
 実のうみの母御でさえ、一旦この世を去られし上は――幻にも姿を見せ、を呑ませたく添寝もしたい――我が最惜いとしむ心さえ、天上では恋となる、その忌憚はばかりで、御遠慮遊ばす。
 まして私は他人の事。
 余計な御苦労かけるのが御不便ごふびんさ。決して私は明さんに、在所ありかを知らせず隠れていたのに、つい膝許ひざもとおさないものが、粗相で手毬てまりを流したのが悪縁となりました。
 彼方かなたも私も身を苦しめ、心をいためておりましたが、お生命いのちあやういまでも、ここをおたち遊ばさぬゆえ、私わきへ参ります。
 あんまりお心が可傷いじらしい、さまでに思召すその毬唄は、その内時節が参りますと、自然にお耳へ入りましょう!
 それは今、私がこの邸を退きますと、もう隅々まで家中があかるくなる。明さんも思い直して、またここを出て旅行たび立ちをなさいます。
 早や今でも沙汰さたをする、この邸の不思議な事が、界隈かいわいへ拡がりますと、――近い処の、別荘にあの、お一方……」

       四十四

やまいの後の保養に来ておいでなさいます、それはそれは美しい、余所よそ婦人おんなが、気軽な腰元の勧めるまま、徒然つれづれの慰みに、あの宰八を内証で呼んで、(鶴谷の邸の妖怪変化は、みんな私が手伝いの人と一所に、憂晴うさはらしにしたいたずら遊戯あそび、聞けば、怪我人も沢山たんと出来、嘉吉とやら気が違ったのもあるそうな、つい心ない、気の毒な、みんなの手当をよくするように。)……
 と白銀黄金しろがねこがね沢山たんと授ける。
 さあ、この事が世に聞えて、ぱっと風説うわさたちますため、病人は心が引立ひったち、気の狂ったのも安心して治りますが、のがれられぬ因縁で、その令室おくがたの夫というが、旅行たびさきの海から帰って、その風聞を耳にしますと――これが世にも恐ろしい、嫉妬深い男でござんす。――
 その変化沙汰へんげざたのある間、そこにこもった、という旅の少年。……
 この明さんと、御自分の令室おくがたが、てっきり不義にきわまった、と最早その時は言訳立たず。鶴谷の本宅から買い受けて、そしてこの空邸へ、その令室をとじめましょう。
 貴僧あなた
 その美しい令室おくがたが、人にじ、世に恥じて、一室処ひとまどころ閉切とじきって、自分を暗夜やみに封じ籠めます。
 そして、日がつに従うて、見もせず聞きもせぬけれど、浮名うきなが立って濡衣ぬれぎぬ着た、その明さんが何となく、慕わしく、懐かしく、はては恋しく、憧憬あこがれる。切ない思い、激しい恋は、今、私の心、また明さんの、毬唄聞こうと狂うばかりの、そのおもい同一おなじ事。
 一歳ひととせか、二歳ふたとせか、三歳みとせの後か、明さんは、またも国々をめぐり、廻って、唄は聞かずに、この里へ廻って来て、空家なつかし、と思いましょう。
 そうなる時には、令室おくがたの、恋の染まった霊魂たましいが、五しきかがりの手毬となって、霞川に流れもしよう。明さんが、思いの丈をく息は、冷たき煙とたちのぼって、中空の月も隠れましょう。二人のなさけの火がかさなり、白き炎の花となって、ふすま障子しょうじも燃えましょう。日、月でもなし、星でもなし、ともしびでもないあかりに、やがて顔を合わせましょう。
 邸は世界のやみだのに。……この十畳は暗いのに。……
 明さんの迷った目には、すすも香を吐く花かと映り、蜘蛛の巣は名香めいこうかおりなびく、と心時めき、この世の一切すべて一室ひとまに縮めて、そして、海よりもなお広い、金銀珠玉の御殿とも、宮とも見えて、令室おくがたを一目見ると、唄の女神と思いあがめて、ひざまずき、伏拝む。
 長く冷たき黒髪は、玉の緒をる琴の糸の肩にかかって響くよう、たがいの口へ出ぬ声は、はだに波立つ血汐ちしおとなって、聞こえぬ耳に調しらべを通わす、かすかに触る手と手の指は、五ツと五ツと打合って、水晶の玉の擦れる音、わななもすそと、震えるひざは、漂う雲に乗る心地。
 ああこれこそ、我が母君……とすがり寄れば、乳房に重く、胸にかろく、手に柔かくかいなたゆく、女は我を忘れて、抱く――
 我児わがこ危い、目盲めしいたか。罪に落つる谷底の孤家ひとつやの灯とも辿たどれよ。と実の母君の大空から、指さしたまう星の光は、いなずまとなって壁にひらめき、分れよ、退けよ、とおっしゃる声は、とどろに棟に鳴渡り、涙は降って雨となる、なさけの露は樹にそそぎ、石に灌ぎ、草さえ受けて、暁のあさひの影には瑠璃るり紺青こんじょうくれないしずくともなるものを。
 罪の世の御二人には、ただ可恐おそろしく、すさまじさに、かえって一層、ひしひしと身を寄せる。
 そのあわれさに堪えかねて、今ほども申しました、を思うさえ恋となる、天上ののりを越えて、おきてを破って、母君が、雲の上の高楼たかどのの、玉の欄干らんかんにさしかわす、かつらの枝を引寄せて、それにすがって御殿の外へ。
 空にうかんだおからだが、下界から見る月の中から、この世へ下りる間には、雲がさかさまに百千万千、一億万丈の滝となって、ただどうどうと底知れぬ下界のそらへ落ちている。あの、その上を、ただ一条ひとすじ、霞のような御裳おすそでも、たわわに揺れる一枝ひとえだの桂をたよりになさるあぶなさ。
 おともだちの※(「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1-91-26)じょうろうたちが、ふと一人見着けると、にわかに天楽のとどめて、はらはらとたちかかって、上へ桂を繰り上げる。引留められて、御姿が、またもとの、月の前へ、薄色のお召物で、こうがいがキラキラと、星に映って見えましょう。
 座敷でやみから不意にそれを。明さんは、手を取合ったはあだおんな、と気が着くと、ふすまも壁も、大紅蓮だいぐれん跪居ついいる畳は針のむしろ。袖にはくちなわ、膝には蜥蜴とかげあたり見る地獄のさまに、五体はたちまち氷となって、慄然ぞっとして身を退きましょう。が、もうその時は婦人おんなの一念、大鉄槌てっついで砕かれても、引寄せた手を離しましょうか。
 胸のおもいは火となって、上手が書いた金銀ぢらしの錦絵にしきえを、炎にかざして見るような、おもてかっと、胡粉ごふんに注いだ臙脂えんじ目許めもとに、くれないの涙を落すを見れば、またこの恋も棄てられず。恐怖おそれと、恥羞はじに震う身は、人膚ひとはだあたたかさ、唇の燃ゆるさえ、清く涼しい月の前の母君の有様に、なつかしさが劣らずなって、振切りもせず、また猶予ためらう。
 思余って天上で、せめてこの声きこえよと、下界の唄をお唄いの、母君の心を推量おしはかって、多勢の上※(「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1-91-26)たちも、妙なる声をお合せある――唄はその時聞えましょう。明さんがのぞみの唄は、その自然の感応で、胸へ響いて、聞えましょう。」
 と、神々しいまでおもて正しく。……
 僧は合掌して聞くのであった。
 そして、その人、その時、はた明を待つまでもない、この美人たおやめの手、一たび我に触れなば、立処たちどころにその唄を聞き得るであろうと思った。

       四十五

 美人たおやめあらためて、
貴僧あなた、この事を、ただ貴僧の胸ばかりに、よくお留め遊ばして、おっしゃってはなりません。これは露ほども明かさずに、今の処、明さんを、よしなに慰めて上げて下さいまし。
 日頃のおくるしみに疲れてか、まあ、すやすやとよく寝て、」
 と、するすると寄った、姿が崩れて、ハタと両手を畳につくと、麻のかおりがはっとして、肩に萌黄もえぎの姿つめたく、薄紅うすくれないが布目を透いて、
あきちゃん……」
 と崩るるごとく、片頬かたほを横にけんとしたが、きっ立退たちのいて、袖を合せた。
 僧を見る目に涙が宿って、
「それではおいとまいたしましょう。おさない事を、貴僧あなたにはお恥かしいが、明さんに一式のお愛相あいそに、手毬をついて見せましょう、あの……」
 と掛けた声の下。雪洞ぼんぼり真中まんなかを、蝶々のようにと抜けて、切禿きりかむろうさぎの顔した、わらわが、袖にせて捧げて来た。手毬を取って、美女たおやめは、たなそこの白きが中に、魔界はしかりや、紅梅の大いなるつぼみ掻撫かいなでながら、たもとのさきを白歯しらはで含むと、ふりが、はらりとたすきにかかる。
 ※(「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1-91-26)ろうたけたえみ恍惚うっとりして、
「まあ、私ばかりきまりが悪い、皆さんも来ておつきでないか。」
 蚊帳をはらはら取巻いたは、桔梗ききょう刈萱かるかやうつくしや、はぎ女郎花おみなえし、優しや、鈴虫、松虫の――声々に、

(向うの小沢おざわじゃが立って、
 八幡はちまん長者のおとむすめ
 よくも立ったり、たくんだり、
 手には二本の珠を持ち、
 足には黄金こがねのくつを穿き……)

 壁もふすまも、もみじした、座敷はさながら手毬の錦――落ちたの葉も、ぱらぱらと、行燈あんどうめぐって操るくれない。中をかがって雪の散るのは、幾つとも知れぬ女の手と手。その手先が、心なしにちょいちょい触ると、僧の手首が自然おのずからはたはたと躍上おどりあがった。

(京へのぼせて狂言させて、
 寺へのぼせて[#「のぼせて」は底本では「のぼせた」]手習てならいさせて、
 寺の和尚が道楽和尚で、
 高い縁から突落されて、)

 とと投げ上げて、トンと落して、高くついた。
 待てよ。古郷ふるさと涅槃会ねはんえには、はだに抱き、たもとに捧げて、町方の娘たち、一人が三ツ二ツ手毬を携え、同じように着飾って、山寺へ来て突競つきくらを戯れる習慣ならいがある。わかい男ははばかって、鐘撞かねつき堂からのぞきつつその遊戯あそび見愡みとれたが……巨刹おおでら黄昏たそがれに、大勢の娘の姿が、はるかに壁にかかった、極彩色の涅槃ねはんの絵と、同一状おなじさまに、一幅の中へ縮まった景色の時、本堂の背後うしろ位牌堂いはいどうの暗い畳廊下から、一人水際立った妖艶うつくしいのが、突きはせず、手鞠を袖に抱いたまま、すらすらと出て、卵塔場を隔てた几帳窓きちょうまどの前を通る、と見ると、もう誰の蔭になったか人数ひとかずに紛れてしまった。それだ、この人は、いや、その時と寸分違わぬ――
 と僧は心に――大方明も鐘撞堂から、このさまを、今ながめている夢であろう。何かの拍子に、その鐘が鳴ると目が覚めよう、と思う内……
 身動みじろぎに、この美女たおやめびんおくれ毛、さらさらと頬にかかると、その影やらん薄曇りに、ぶちのあたりに寂しくなりぬ。

こうがい落し小枕こまくら落し……)

 とあやに取る、と根が揺らいで、さっと黒髪が肩に乱るる。
 みだれし風采とりなり恥かしや、早これまでと思うらん。落した手毬を、わらわの、拾って抱くのも顧みず、よろよろとたちかかった、蚊帳に姿を引寄せられ、つまのこぼれた立姿。
 屋の棟じっと打仰いで、
「あれ、あれ、雲が乱るる。――花の中に、母君の胸がゆらぐ。おお、最惜いとおしの御子おこに、乳飲まそうと思召すか。それとも、私が挙動ふるまいに、心騒ぎのせらるるか。客僧方あなたがたには見えまいが、の底にむものは、昼も星の光を仰ぐ。御姿かたちは、よく見えても、かしこは天宮、ここは地獄、ことばといっては交わされない。
 美しき夢見るお方、」
 あれ、かしこに母君ましますぞや。愛惜あいじゃくの一念のみは、魔界のちりにも曇りはせねば、我が袖、鏡と御覧ぜよ。今、この瞳に宿れるしずくは、母君の御情おんなさけの露を取次ぎ参らする、したたりぞ、とたもとを傾け、差寄せて、差俯さしうつむき、はらはらと落涙して、
「まあ、稚児おさなごの昔にかえって、乳を求めて、……あれ、目を覚す……」
 さらば、さらば、御僧おんそう。この人夢の覚めぬ間に、と片手をついて、わかれの会釈。
 ト玄関から、庭前にわさきかけて、わやわやざわざわ、物音、人声。
 目をこすり、目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはり、目をぬぐいいる客僧に立別れて、やがて静々しずしず――いぬの顔した腰元が、ばたばたとさきへ立ち、炎燃ゆ、とのちらめく袖口で音なく開けた――雨戸にちりばむ星の首途かどいで。十四日の月の有明に、片頬を見せた風采とりなりは、薄雲の下に朝顔のつぼみの解けた風情して、うしろ髪、打揺うちゆらぎ、一たび蚊帳を振返る。
「やあ、」
 と、蚊帳を払って、明が飜然ひらりと飛んですがった。――
 袂を支える旅僧と、押揉おしもむ二人の目のさきへ、この時ずか、とあらわれた偉人の姿、もやの中なる林のごとく、黄なる帷子かたびら、幕をおおうて、ひさしへかけて仁王立におうだち、大音に、
「通るぞう。」
 と一喝した。
「はっ、」
 と云うと、奇異なのは、宵に宰八が一杯――んで来て、――縁の端近はしぢかに置いた手桶ておけが、ひょい、と倒斛斗さかとんぼひっくりかえると、ざぶりと水をこぼしながら、アノ手でつかつかと歩行あるき出した。
 その後を水が走って、早や東雲しののめの雲白く、煙のようなにわたずみ、庭の草を流るる中に、月が沈んで舟となり、へさきさっと乗上げて、白粉おしろいの花越しに、すらすらといで通る。大魔の袖や帆となりけん、美女たおやめは船の几帳きちょうにかくれて、

(ここはどこの細道じゃ、
       細道じゃ、
 天神様の細道じゃ、
       細道じゃ、
 少し通して下さんせ……)

 最切いとせめてなつかしく聞ゆ、とすれば、樹立こだちしげりどっと風、木の葉、緑の瀬を早み……横雲が、あの、横雲が。

明治四十一(一九〇八)年一月




 



底本:「泉鏡花集成5」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年2月22日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第十一卷」岩波書店
   1941(昭和16)年8月15日第1刷発行
※疑問点の確認にあたっては、底本の親本を参照しました。
※「それとも鼠だが」の「だが」は、底本の親本でもママですが、岩波文庫版では「だか」となっています。
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2003年8月28日作成
2006年5月20日修正
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●表記について
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    「さんずい+散」    125-12
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    「火+發」    189-13

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