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伯爵の釵(はくしゃくのかんざし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:19:57  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成7
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1995(平成7)年12月4日
入力に使用: 1995(平成7)年12月4日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 第二十巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1941(昭和16)年5月20日

 

    一

 このものがたりの起った土地は、清きと、美しきと、二筋の大川、市の両端を流れ、真中央まんなかに城の天守なお高くそびえ、森黒く、ほりあおく、国境の山岳は重畳ちょうじょうとして、湖を包み、海に沿い、橋と、坂と、辻の柳、いらかの浪の町をいだいた、北陸の都である。
 一年ひととせ、激しい旱魃かんばつのあった真夏の事。
 ……と言うとたちまち、天に可恐おそろしき入道雲き、地に水論の修羅のちまたの流れたように聞えるけれど、決して、そんな、物騒な沙汰さたではない。
 かかる折から、地方巡業の新劇団、女優を主とした帝都の有名なる大一座が、この土地に七日間の興行して、全市の湧くがごとき人気を博した。
 極暑の、ひでりというのに、たといいかなる人気にせよ、湧くの、煮えるのなどは、口にするも暑くるしい。が、――ことわざに、火事の折から土蔵の焼けるのを防ぐのに、大盥おおだらいに満々と水をたたえ、蝋燭ろうそくに灯を点じたのをその中に立てて目塗めぬりをすると、壁をとおして煙がうちみなぎっても、火気を呼ばないで安全だと言う。……火をもって火を制するのだそうである。
 ここに女優たちの、近代的情熱の燃ゆるがごとき演劇は、あたかもこのてつだ、ととなえてい。雲はけ、草はしぼみ、水はれ、人はあえぐ時、一座の劇はさながら褥熱じょくねつに対する氷のごとく、十万の市民に、一剤、清涼の気をもたらして剰余あまりあった。
 はだの白さも雪なれば、瞳も露の涼しい中にも、こぞって座中の明星とたたえられた村井紫玉しぎょくが、
「まあ……前刻さっきの、あの、小さなは?」
 公園の茶店に、一人しずかに憩いながら、緋塩瀬ひしおぜ煙管筒きせるづつ結目むすびめを解掛けつつ、と思った。……
 まげも女優巻でなく、わざとつい通りの束髪で、薄化粧の淡洒あっさりした意気造いきづくり形容しなに合せて、煙草入たばこいれも、好みで持った気組の婀娜あだ
 で、見た処は芸妓げいしゃ内証歩行ないしょあるきという風だから、まして女優の、忍びの出、と言っても風采ふう
 また実際、紫玉はこの日は忍びであった。演劇しばい昨日きのう楽になって、座の中には、直ぐにつぎ興行の隣国へ、早く先乗さきのりをしたのが多い。が、地方としては、これまで経歴へめぐったそこかしこより、観光に価値あたいする名所がおびただしい、と聞いて、中二日ばかりの休暇やすみを、紫玉はこの土地に居残った。そして、旅宿に二人附添った、玉野、玉江という女弟子も連れないで、一人でそっと、……日盛ひざかりもこうした身には苦にならず、町中まちなかを見つつそぞろに来た。

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