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売色鴨南蛮(ばいしょくかもなんばん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:18:16  点击:  切换到繁體中文


       四

 お千は、世を忍び、人目をはばかる女であった。宗吉が世話になる、渠等かれらなかまの、ほとんど首領とも言うべき、熊沢という、おって大実業家となると聞いた、絵に描いた化地蔵ばけじぞうのような大漢おおおとこが、そんじょその辺のを落籍ひかしたとは表向おもてむき、得心させて、連出して、内証で囲っていたのであるから。
 言うまでもなく商売人くろうとだけれど、芸妓げいしゃだか、遊女おいらんだか――それは今において分らない――何しろ、宗吉には三ツ四ツ、もっとかと思う年紀上の綺麗な姉さん、婀娜あだなお千さんだったのである。
 前夜まで――唯今ただいまのような、じとじとぶりの雨だったのが、花の開くようにあがった、彼岸前の日曜の朝、宗吉は朝飯前あさはんまえ……というが、やがて、十時。……ここは、ひもじい経験のない読者にも御推読を願っておく。が、いつになってもその朝の御飯はなかった。
 妾宅では、前の晩、宵に一度、てんどんのおあつらえ、夜中一時頃に蕎麦そばの出前が、ぷん枕頭まくらもとを匂って露路を入ったことを知っているので、けば何かあるだろう……天気がいとなお食べたい。空腹すきばらを抱いて、げっそりと落込むように、みぞの減った裏長屋の格子戸を開けた処へ、突当りの妾宅の柳の下から、ぞろぞろと長閑のどかそうに三人出た。
 肩幅の広いのが、薄汚れた黄八丈の書生羽織を、ぞろりと着たのは、この長屋の主人あるじで。一度戸口へ引込ひっこんだ宗吉を横目で見ると、小指を出して、
「どうした。」
 と小声で言った。
「まだ、おってです。」
 起きるのに張合がなくて、細君の、まだ裸体はだか柏餅かしわもちくるまっているのを、そう言うと、主人はちょっと舌を出して黙ってく。
 次のは、りたての頭の青々とした綺麗な出家。細面ほそおもての色の白いのが、鼠の法衣下ころもしたの上へ、黒縮緬の五紋いつつもん、――お千さんのだ、ふりあかい――羽織を着ていた。昨夜ゆうべ、この露路に入った時は、紫の輪袈裟わげさを雲のごとく尊くまとって、水晶の数珠じゅずを提げたのに。――
 と、うしろから、拳固げんこで、前の円い頭をコツンとたたく真似して、宗吉を流眄ながしめで、ニヤリとして続いたのは、頭毛かみのけ真中まんなかに皿に似た禿はげのある、色の黒い、目のくぼんだ、口のおおきな男で、近頃まで政治家だったが、飜って商業に志した、ために紋着もんつきを脱いで、綿銘仙の羽織を裄短ゆきみじかに、めりやすの股引ももひき痩脚やせずね穿いている。……小皿の平四郎。
 いずれも、花骨牌はちはちで徹夜の今、明神坂の常盤湯ときわゆへ行ったのである。
 行違いに、ぼんやりと、宗吉が妾宅へ入ると、食う物どころか、いきなり跡始末の掃除をさせられた。
「済まないことね、学生さんに働かしちゃあ。」
 とお千さんは、伊達巻一つのえん蹴出けだしで、お召の重衣かさねすそをぞろりと引いて、黒天鵝絨くろびろうど座蒲団ざぶとんを持って、火鉢の前をげながらそう言った。
「何、目下はあっしたちの小僧です。」
 と、甘谷あまやという横肥よこぶとり、でぶでぶと脊の低い、ばらりと髪を長くした、太鼓腹に角帯を巻いて、前掛まえかけ真田さなだをちょきんと結んだ、これも医学の落第生。追って大実業家たらんとする準備中のが、笑いながら言ったのである。
 二人が、この妾宅の貸ぬしのおめかけ――が、もういい加減な中婆さん――と兼帯に使う、次のへ立ったに、宗吉が、ひょろひょろして、時々浅ましく下腹をぐっと泣かせながら、とにかく、きれいに掃出すと、
「御苦労々々。」
 と、調子づいて、
「さあ、貴女あなた。」
 と、甘谷が座蒲団を引攫ひっさらって、もとの処へ。……身体からだに似ない腰の軽い男。……もっとも甘谷も、つい十日ばかり前までは、宗吉と同じ長屋に貸蒲団の一ツ夜着よぎで、芋虫ごろごろしていた処――事業の運動に外出そとでがちの熊沢旦那が、お千さんの見張兼番人かたがた妾宅の方へ引取って置くのであるから、日蔭ものでもお千は御主人。このくらいな事は当然で。
 ついの蒲団を、とんとんと小形の長火鉢の内側へ直して、
「さ、さ、貴女。」
 と自分は退いて、
「いざまず……これへ。」と口も気もともに軽い、が、起居たちい石臼いしうす引摺ひきずるように、どしどしする。――ああ、無理はない、脚気かっけがある。夜あかしはしても、朝湯には行けないのである。
可厭いやですことねえ。」
 と、婀娜な目で、襖際ふすまぎわからのぞくように、友染のすそいた櫛巻の立姿。

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